2013年05月18日

わかさぶるうす(若狭風流水)

続きをようやく始めました。
 
恥ずかしながら、「わかさぶるうす」と名付けて、今日から「はいかい」と同じ様なことを続けて行きます。
 

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「ぶるうす」って、ちょっと恥ずかしくて、タイトルにこじつけを。
 
「わかさ」をタイトルに付けることは継続しようと決めていました。
 
わかさは「水の国」・・・ここから水にこだわろうと。
 


自分のさすらいはその日暮らしの風任せ。
 

若狭を発した水が荒海からそよぐ風に導かれて流れゆく・・・
 

 
「風まかせに流れゆく水」で「風流水」。

 
これで「ぶるうす」と読もうと・・・かなり冷や汗もののこじつけです。

URLは「わかさはいかい」のhttp://pandapanda.meblog.biz/のpandapnadaをpandapnada2にしました。

 
 
あたらしいブログはしたがって、「わかさぶるうす(若狭風流水)」(http://pandapanda2.meblog.biz/)となります。
しばらくはお付き合いのほどを乞う願い奉ります。
posted by くまじい at 08:48| Comment(0) | 茶話室

2013年05月10日

「はいかい」の終わりに・・・

ペルーから帰国して、その後、挨拶の間もなく、大野城の写真整理の途中で容量制限値に到達しました。
 
容量限度は予想通りではありますが、自分の福井での徘徊の始まりが大野だった(「大野の殿様・・高山、美濃」)ので、大野城の桜で最終となったのは決して、意図を持ってしたことではなく、なにか、巡り併せのような気がします。
 
<Fairport Convention "Farewell Farewell">
 
ブログなるものを恐る恐る始めて4年と少しばかりの間でしたが、ある程度のアクセス数を頂き、ランキングにも名前を連ねさせていただいておりました。
 
畏れ多いことです。
 
写真の整理と写真の周辺の記事を書くために雑誌、本、パンフレットやネットを調べて、自分なりの文章に編集する。
 
時間がかかり、負担になりますが、その時々に自分が何を考えていたのかが、記録に残っていくので、自分にとっては来し方を確認できるいい方法だと思っていました。
 
また、調べたり、文章を考えること自体が自分の刺激になって、老いを少しでも食い止めることができる効果もあるのかと・・・
 
下手なりのカメラについては一眼レフ入門編のEOS Kissから、もう一歩進めることを検討していて、しばらくはカメラを趣味とすることが継続しそうです。
 
ということでさらに、同じ様なブログを続けようかと考えています。
 
とりあえず、ペルーの記事から始めるか、貯まっている3月の小浜街歩き、お水送り、京都東山「花灯路」、養浩館ライトアップなどの写真を先にするか・・・
 
いずれにしろ、気負わずに、ゆったりとレイドバックしていこうと・・・
 
<J.J. Cale  "Sensitive Kind">
 
※サイドバーに貼っている「ふる〜いおはなし」リストの整理を継続して、「わかさはいかい」の昔の記事を検索できるようにしようと考えています。
 
※※新しいブログを始めたら、ここからリンクできるようにしたいと思います。
posted by くまじい at 07:10| Comment(0) | 茶話室

2013年05月09日

大野城名残の桜

あれほど咲き誇っていた弁天桜に出会って、少し膨らんだ「くま」の期待を裏切り、大野城の桜はすっかり花弁を散らしていました。
  
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まず、大野城にアクセスしてビックリ。 見慣れた、城周りの様子が全く違う。

えらく立派な駐車場があります。なんなんだ、これは?車を停めて周囲を確認しました。
 
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そう言えば・・・以前来たときに築城430年祭の準備中で新しい建物を建築中でした。
 
周辺も大工事中で、雑然としていたことを思い出します。

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430年祭が2010年だったということなので、2009年以来、大野に来ていなかったのか、いや、街中の花垣には何回か来ていましたので、大野城の近くに行かなかったということなのですが・・・

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そうか、この商工会議所の建物はあの時建設中のものだったかと思い出します。
 
広い駐車場がありますのでここに車を置いてもいいのかなと思いますが、道を挟んだスペースに土産物屋があって、そこも駐車スペースがありますので、帰りになにか買って帰ろうとそちらに車を移します。
 
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学びの里「めいりん」と言う大きな建物もできています。これも見慣れぬ建物です。

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記憶が定かではありませんが、武家屋敷の名残を残した、落ち着いた雰囲気があったような気がしますがだいぶ近代的な感じに変貌したような気がします。
 
お城に上る道の斜面に花壇で模様ができています。

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今年左義長で勝山の活力を感じましたが、大野も街の歴史を活用した街づくりを粛々と進めているようです。
 
町側からの道の桜はすっかり散ってしまており、つい最近のニュースで見た、桜の花に雪が積もった景色はどこにいったの?という感じ。

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天主閣へ向かう道を登って、裏の西側からの登り口との合流点に来ると、まだまだ盛りの桜が並んでいました。 

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帰りにこちらから降りることとして先を急ぎます。

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上に上っても桜はほとんど終わりでしたが天守閣の近くにある紅シダレが盛りを迎えていました。

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天主閣は入場料200円で入れるようになっています。
 
考えてみると、今まで何回か大野城に来ていますが、お城の中に入ったことはありませんでした。
 
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お城の中は大野城の歴史を説明する博物館になっています。 
 
大野に関しては金森長近の築城後についてはとくに勉強していませんでした。

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以前来た時にお城の裏の方に敦賀港と蝦夷地を結ぶ「大野丸」の模型が展示されていたこと、
 
三国を歩いた時に大野藩が全国展開していたという「大野屋」があったこと
 
などから、活発な商業活動を行っていた、という印象を持ってはいました。

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展示で土井利忠の改革について知ります。
 
土井利忠は幕末の1829年財政赤字に苦しむ大野藩第7代藩主に就任。藩政改革に大いなる力を発揮します。

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利忠は財政破綻が切羽詰まってきた1842年、藩主と藩士が一体となって改革推進する決意を示した「更始の令」を発布し藩の気持ちをまとめあげます。

藩士の人材を大いに活用し、銅鉱山運営、地場産品頒布や金融業を営む「大野屋」の展開、蝦夷地開発への進出、そのための「大野丸」の建造などの活発な事業運営を進めます。

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また、藩校「明倫館」を創設、朱子学を基本としながらも、適塾から人材を招へいし蘭学、医学など幅広い学問を学べる学問所に仕上げ、全国から人材が集まる場として発展させます。
 
緒方洪庵が1849年に大阪で始めた種痘に関し、大野では、早くも、2年後に種痘所を開設し、小児への強制実施をしていたのだそうです。

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さらに、軍制の改革も実施し、砲術の採用から大砲の鋳造を実施するなど、弓槍から銃砲による西洋式軍隊への改善を図ります。
 
これまた諸藩の注目を浴び、各国から学びたい人間を集めることとなり、幕末の天下に特異に輝く藩として変貌します。
 
利忠は蝦夷地開発には挫折しますが、藩政改革を成功裏に成し遂げ、1862年、病気を理由に家督を三男利垣に譲ります。
 
1868年(明治元年)没、享年58歳でした。

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大野城の足元にある柳廼社(やなぎのやしろ)は利忠を忍んで建立された神社なのだそうです。
(以上、Wikipedia 「土井利忠」から引用させていただきました)
 
幕末に重きをなした福井の松平春嶽のみならず、奥越に光り輝く名君主がいたことに感銘を覚えます。

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西側口から、名残りの桜を楽しみつつ下におります。
 
地場品のお土産物屋で大野の「こしひかり」5kgを購入。
 
三国で食べた昼食の味が忘れられずに、いつももスーパーで大野産の「こひひかり」を買っているのですが、生産人名入りの「こしひかり」・・・楽しみにしています。

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車に戻ると、どっと疲れがでて、一乗谷の夜桜はパスして帰ろうと帰途につきました。
posted by くまじい at 01:40| Comment(0) | 茶話室

2013年04月29日

ペルーへおでかけ

弁天桜などで容量を使い果たし、あと残容量が6メガ・・・

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今整理している「大野城」でどうやら命運が尽きそうです。
 
連休前に終了して最後のご挨拶を・・・
 
と思っていましたが、ちょっと早めに連休をいただき、マチュピチュ観光に出かけてしまい、ましたので、連休明けになりそうです。

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今リマを出発していよいよマチュピチュに向かうところです。
 
日々の簡単な日記を もう一つのブログ「ひとひらのめも」につづっております。
posted by くまじい at 18:54| Comment(0) | 茶話室

2013年04月13日

明通寺130302

ようやく、2月の記事の整理が終わって、3月分に入ります。
 
サーバーの容量が後、25MBの命となり、3月分を整理しきれないうちに突然死するかもしれません。時期的には連休明けくらいになるでしょうか・・・
 
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4月6日(土)、7日(日)は京都で桜の名残りを感じつつ、ゴッホ展に行くか、福井で桜を見るかと楽しみにしていましたが、天気予報通りの大荒れの天気となりました。
 
6日は強風で北陸線の特急も運行中止のようで、結局何処にもでかけられません。敦賀の桜を撮りに行こうと、ようやくでかけて福井病院の庭で写真撮り始めた途端に、雨が降り始めました。
 
「なかにし」で昼飯食べて、逃げ帰って家に籠ります。

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最近、大学時代の友達とGoogle Driveで音楽を共有する試みを始めていて、なんとか面白くなりそうになってきたのですが、自分のCDデータを最近整理していなかったので、その整理を始めたり・・・
 
左義長の写真の整理に手間取ったのと、色んなところで訪問時にもらってくるリーフレットを地域別に整理したり、などなどで2日間があっという間に過ぎました。

5日(金)の朝と夕方の通勤の途中に少し桜の写真を撮りましたが、このブログで紹介することができない まま終わりそうです。
 
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一部を並行して始めた「ひとひらのめも」というブログに載せています。

写真の枚数を重ねて文章も饒舌なこのブログとことなり、一日一枚の写真でなるべく短く記録を重ねようと試みているのですが、いつまで続くことか・・・ いまなら画面全体に桜の花びらが散っていてお得です。
 
と、長い前書きになりました。

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3月2日(土)、久しぶりにお水送りの日が休日に重なる巡り合わせがきました。これはなんとしてでも出かけなければと。
 
途中、明通寺によります。

昨年、国宝の本堂と三重塔の屋根の葺き替えを終え、落慶記念法要があるとご連絡をいただきながら桜を求めて色々行きたかった時期で、パスさせてもらいました。

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今までに、三井寺と中山寺の葺替直後の屋根を拝観して、新しく蘇った屋根の曲線の美しさに感激した覚えがありますので、楽しみにしていました。

山門をくぐって、階段を登り、受付までくろと本堂の屋根が見えてきて、ぞくぞくしてきます。
 
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やはり、新しい、檜皮葺の屋根は素晴らしい・・・
 
それは単に新しいからということではなく、オリジナルの曲線の美しさがあるのでしょう。どうしてこんなに官能的な曲線を描くことができるのでしょうか?
 
こんなところに官能的などという言葉を使うことは不謹慎かもしれませんが・・・
 
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屋根を調べてみようなどと思ったのが敗因で、全く先に進めなくなってしまいました。

日本の木造建築に関して様々なサイト、ブログがあって、驚きます。かなり専門的なものが多く、基礎知識がない自分にはなかなか理解できません。

疲れきってきたので、かろうじて下記のようなことなのかと・・・

「日本建築の底流」というサイトでの屋根の変遷について記載されているのを引用させていただきます。
 
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雨の多い日本では屋根の水はけを考慮すると勾配をきつくする必要があるが、日本では、雨水から木造の建築の壁を護るためには軒を深くする必要がある。

さらに、高温多湿のわが国では雨の日でも窓を開け放つことが多く、また夏の暑い日差しが射しこむとこを防ぎ、壁への日光直射による室温上昇を防ぐ目的もあり、深い軒が必要とされる。
 
しかしながら、勾配が大きいまま、軒を深く取ると、軒先が下がって暗くなるうえに見栄えが悪い。
 
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特に、社寺建築は、屋根が大きいため、軒まで伸ばすと一層重苦しくなり、構造からみても軒先に負荷がかかり、垂下する要因にもなる。
 
上記を改善するために以下の技法が取られてきた。
 
【飛檐(ひえん)垂木】 
ひとつは軒先に近づくにつれて屋根の勾配を緩やかにする方法で、通常の垂木(地垂木)の上により緩い勾配の飛檐垂木を載せて軒を伸ばします。
 
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「日本建築の底流」(勝手に色をつけさせていただきました)
 
鎌倉時代になると桔木(はねぎ)を入れて、梃子の原理により軒の垂下を防ぐようになります。
 
こうすることによって屋根が緩やかにセットバックし、見上げた場合にも手前の軒にさえぎられて屋根の大きさが感じられなくなります。
 
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【軒反り】
いまひとつは、正面から見て屋根が左右に行くにしたがって上方へ反り上がるように仕上げる軒反りです。
 
軒反りを加えることによって屋根は軽やかになり、また経年による垂下を防ぐことにもなります。

軒反りは時代が下がるにつれて反りが強くなってくる傾向にあります。
 
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飛鳥から平安時代までは直線の部分が無く中心から両端にかけて全体的に軽く反り上がる程度(真反り)です。
 
鎌倉時代になると両端が曲率を増した長刀反り(なぎなたそり)となり、近世では中央部が直線で両端がさらに反り上がる形になっていきます。 

【野屋根構造】
上記の桔木の構造を許したのが平安時代の後期から現れて来た日本独自の「野屋根構造」ということなのだと思います。明確にそう書いてある文章がないので自信がないのですが・・・

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大陸から伝えられた屋根は天井と屋根が一体であったのですが、屋根と躯体構造を切り離した、野屋根の開発により、屋根勾配を急にしても内部の天井は緩やかにできるメリットがあったわけです。 
 
それに加え、外観をの野屋根でカバーできるため、躯体部分を比較的自由に設計することができるようになり、軒下の設計もフレキシビリティが大きくなったと言えるのだと思います。 

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中国の建物に屋根反りといって曲線を描く屋根があるのだそうですが、日本は日本独自の技術で繊細な屋根の曲線を造り上げてきたのでしょう。
 
フー疲れた・・・
 
本堂でお話を聞きましたが、受付から本堂に上がってくる右手の林が桧で、一部の桧皮はここからも採取されたのだそうで、新しく、むき出しになった樹皮の表面が赤銅色になっているのが確認できました。

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桧皮について、「木は万能選手」というサイトに詳しく論じられています。全国で16人しかいない、桧皮師のことから桧の育成の問題点など膨大な資料を元に広範かつ、仔細な論文を報じておられていて感激します。
 
同サイトでは寺社の葺き替えに使用される桧皮量の計算をされておられます。

国指定重要文化財を含む桧皮葺建造物は全国で1,650棟(うち国指定重要文化財が700棟、その他は自治体指定文化財など)。
 
葺替周期は35年。
 
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1棟当り屋根面積は166m2/棟(平均)。
 
したがって、166m2/棟×1,650棟÷35年=約7,800m2が1年当りの桧皮屋根葺替必要量となる。
 
長さ75cm幅15cmの桧皮30kg(300枚から400枚)を1丸という。1丸を採取するのに必要な桧は8本(樹齢100年、直径30cm)。

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1m2の屋根を葺くのに必要な桧皮は1.6丸(約50kg)で、年間必要量8,000m2とすると約400トン、約13,000本の桧皮採取が必要な計算となる。
 
桧皮は8 年から10年周期で採取するので、10年ごとに必要量を採取するとして、桧皮4000トン、桧の本数13万本、桧林は約3400ha(約18q2)が必要となるということです。
 
正直言うと上記の必要量が日本の森林面積として、どれくらいの比率を占めるのかというのが判りません。

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以前明通寺でお話をお聞きした時に、なかなか葺替の順番が廻ってこないというお話を聞きました。
 
桧皮の資源的な問題もあると思うのですが、桧皮の技術者伝承が問題になって、潤滑に葺替が進まない面があるのかと思いました。
 
三重塔と本堂の屋根を堪能して、小浜市内に向います。
posted by くまじい at 11:58| Comment(0) | 茶話室

2013年04月06日

どんど焼

夕方、ちょっとお疲れで暗くなるのを待って、車で、ひと眠り、また歩き始めます。
 
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今年、2月、3月はかなり忙しいことを覚悟していたのですが、まあちょっとした事情で幸か不幸か、それ程切羽詰まった状況になりませんでした。
 
ということで毎年逃していた春のお祭りを、かなり根を詰めて廻ることができました。

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金沢のライトアップ、永平寺のライトアップ、この左義長、お水送り、東山の花灯路、養浩館のライトアップとめぼしいところを廻りきったと思います。3月2日、3日の大野の冬物語は逃しましたが・・・
 
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昼過ぎから歩いて、併せて7つから8つの櫓を廻ったでしょうか、暗くなってからの写真はやはり難しくて、三脚を取り出しますが、人が多くてなかなか難しい。

当たり前のことかもしれませんが、「お祭り」を撮るということはすなわち、「人間」を撮るこなのだなと思います。
 
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神社仏閣、花と紅葉、山、海、空、雲、雪、夜などを相手にしてきて、その一瞬の表情を捉えるという、絵画を描くような気持ちで、カメラが好きになっていったという気がします。

とまあ、極めたような物言いですが、結果は決して伴っていません・・・と、いじけはともかく・・・

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人間を撮る場合には、対象が自ら表情を変えてしまう、勝手に動いてしまう、同じ顔でもちょっとした角度で雰囲気が変わってしまう・・・
 
しまう、しまうの連続ですが、自分のコントロールができないところで、「風景」が気ままに流れて行く。

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あっ、と思った時はもう遅い、ともかく枚数を撮って、後でこれは少しまともか、と選別するのが関の山で、狙った通りに写真を撮るのが難しい。
 
まあ、必死こいて、いい写真がないことの言い訳しているみたい・・・

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お正月に箱根駅伝を撮る時の様に、スポーツも同じ感じだとは思いますが、この子供も大人も、楽しくてしょうがないという人達を撮っていると、皆を覆う、浮かれた雰囲気をなんとか捉えたいという気持ちが強くなります。
 
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本当は、街中の、普通の生活をしている人達を撮りたいと言う気持ちは元々あります。
 
何気なく、歩いている、話に夢中になっている、公園のベンチで腰かけている人のどこを見るでもなく、ぼんやりとしているとろ、などなど・・・

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でも、いきなり、知らない人達にカメラを向けて、カシャカシャ撮るということは自分にはなかなか難しい。
 
全く知らない人間が自分を対象にカメラを向けてきたら、自分は驚くし、嫌な想いをする。

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自分は他人を正面から撮るときは、なるべくお断りして撮ることにしていますが、それでも、写真が変なことに使われないかなどと気になると思います。
 
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というかなり、消極的事由で、「人間」は自分の撮影対象の外でしたが、お祭りはお断りもせずに、「人間」を撮る絶好のチャンスなんだと・・・つまらない結論に思い至ります。
 
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昼間にも一度お会いしていたのですが、仕事を一緒にしてるD君ご夫妻と再会、全部の櫓を廻りきったのだそうです。このお祭りが気に入って、もう3回目なのだとか。奥さんの笑顔が素晴らしい・・・

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どんど焼で焼く、竿付きの餅を買いにいくのだそうです。去年は売り切れで買うことができなかったので早めに行くのだとか。

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お餅を焼くとなると、どんど焼が火の勢いが弱まるのを待たなければいけないので、かなり帰るのが遅くなりそうで、まあ遠くから写真を撮ることで我慢をします。
 
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屋台の前を通り過ぎようとしていると屋台のおっちゃんと目が合います。

「もう屋台しまうから、善ざい安くするよ」と、お誘いにのって、覆いのある屋台の中で腰掛けて、残り物をいただき温まります。

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おっちゃん福井市の人なんだそうですが、同じ町内会というFBCの人がベロンベロンになって入ってきて、しばらく話が盛り上がります。

仕事で来ているわけではなく、勝山在住の同僚と家で飲んでいたのだとか。
 
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「俺達の町内会のどんど焼はまったく、気狂いなんだから。ちっちゃな神社なのにお構いなく、うず高く積み上げて火を付けるもんだから、火事にならない方が不思議なんだよ。」
 
知らない人が消防に電話してしまって、大騒ぎになったことがあるとか・・・話が面白過ぎて、町の名前を忘れてしまいました。

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どんど焼開始の9時が迫ってきました。

雪の桜並木を通り抜けて、どんど焼会場の弁天河原まで歩きます。足羽川の土手のように、桜の樹のアーケードが続きます。桜の時期もよさそうです。
 
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車で来た人達が河原に降りようとして、入り口で規制されています。
 
暗くなる前に、どんど焼の場所を確認しに来た時には車がどんどん河原に降りて行っていました。
 
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規制しているオジサンに訊くと、どんど焼が近づいて来たので規制を始めたんだとか。
 
早いうちに来て停めてしまえばいいのかと思いましたが、出ようとしたら、大渋滞になって帰りが大変かもしれません。

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河原を望む土手は既に多くの三脚が占領しています。
 
三脚に場所どりさせて、カメラマン達はどこかで雪をしのいでいるようです。
 
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どんど焼を撮るための格好な場所なのかと思います。
 
でも、遠くから俯瞰する感じは、あまりお祭りに参加する感じがしない。全体は見渡せなくても、もっと身近に観てみたいなと河原に降ります。

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雪が降り続くので、橋の下で降雪を避けようと言う気持ちもありました。

橋の下は雪は逃げられますが、寒さはしのげず、凍えそうになります。
 
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一番近くでどんど焼を準備していたアンチャン達が、始まるまでの暖をとるために橋の下で、小さい焚火を始めてます。
 
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あたらせてもらいながら、話を聞いていると。今年は雪は多くないけど、こんなに寒い左義長は最近ではなかったとのことでした。 

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9時ちょっと前に、神明神社で火をもらった松明の行列が到着。
 
それぞれの松明が12の町内会0+神明神社分の13か所のどんど焼の前に立って、一斉に火を移します。

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どういうふうに撮ればいいのか、火勢が衰えない前にと、焦りますが、結果の確認をしている暇なく、撮り続けて、気が付くと、あっという間に、なんとなくどんど焼の勢いは峠を越えた感じになっていました。

雪はますますひどくなり、帰路が心配なので土手に上がっていきます。
 
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土手に立って、全体を俯瞰してみますが、もう火勢が無いせいか、個々のどんど焼が孤立している感じがして、なんとなく寂しい感じがしました。
 
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左義長まつりのホームページにある写真をお借りします。
 
土手の上でタイミングを狙って撮った写真だと思いますが、火の勢いが感じられる、本当に素晴らしい写真だなと思います。

こう言う写真を目標に頑張ろうと・・・たどり着くことはないかもしれない、遠い道の気がしますが。
 
雪がさらに激しくなってきました。帰りを急ぐことにします。
 
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勝山から福井に抜けるまでは恐ろしいほどの横殴りの吹雪が襲いましたが、高速に乗ると嘘の様に、穏やかな天気になりました。
 
左義長まつりは「奇祭」というよりは、厳しい奥越の自然の中で根付いた、人間臭いお祭りという印象でした。子供達の笑顔がしばらく目に残ってしまいそうです。
posted by くまじい at 10:00| Comment(0) | 茶話室

2013年03月18日

先祖になる

2月16日(土)は18時から丸の内オアゾ5階の「えん」で大学教養部のクラス会。15日の東京駅復原の講演とパーティが新丸ビルだったし、丸の内に縁のある週末になります。

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「先祖になる」公式サイト
 
さらに、17日に三菱1号館に行ったので、3日連続の丸の内になりました。う〜ん、くまさん、どんどん都会的になって垢抜けて行く・・・ことはないか。

大学は教養部の2年間は工学部の学生を「あいうえお順」にクラスを割り当てて行くので、自分のクラス5,6組はサ行とタ行のオンパレードでした。(2組単位で授業を受けるので、混合軍になっています)
 
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なんか、手抜きな感じですが、余分なところに力を入れない、というところでしょう。それに、学科が違う友達ができると言う意味では面白かった気もします。
 
でも、東北方面は佐藤姓が多いので、あいうえお順にしたら、クラスが佐藤で溢れかえるのは見えてるのですが・・・

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お蔭で人の名前を下の名で呼ぶのは苦手だった「くま」」も佐藤だけは姓で呼ぶことは諦めました。

同級会常連の一人が(これも佐藤なのですが・・・)大学時代の友人が映画出演している「先祖になる」の上映初日で、集まりがあるかもしれないから同級会にでれない可能性があるとのメールを皆に寄こしていました。
 
結局、彼は同級会に参加できることになったのですが、自分も映画を見てみたいなと、彼に上映館と時間を問い合わせて、渋谷シアターイメージフォーラム、11j寺、13時半、16時、18時半であることと、公式ホームページがあることを連絡もらいます。
 
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午前中は税理士さんのところに相談に行こうと思っていましたので、16時かな?ぎりぎりというか遅れる可能性があるな、友達はティーチインもあるので13時半で観てから同級会に行くのだと。
 
どうせ行くなら、そのティーチインなるものも興味あるので、自分も13時半の上映を鑑賞しようと税理士さんの打ち合わせを、10時からに早めていただきました。
 
税理士さんとの話を終えて、渋谷に着いたのが1寺近くになります。宮益坂を登りきって見当たらず、お店の人に訊いてようやくシアターイメージフォーラムにたどり着きます。

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<「佐藤」の友人、タケシさん>

行列ができている上に、立ち見しか残っていないとのことです。
 
立ち見でもいいかと整理券を購入します。列の後ろに並んでいろと。整理券なんだから並ばなくてもと思いますが、まあ素直に従って列の後ろに並びます。
 
チケット買ったら、適当にオニギリでも買いに行こうと思っていましたが、まあ昼飯は抜くことになります。
 
「先祖になる」公式サイト
 
立ち見を覚悟して劇場の中に入っていくと、順番に前に進んで階段城の通路に腰掛けていいと・・・前の方に歩いて行くと、「くま!」と声がかかります。「佐藤」がど真ん中に座っていました。
 
前の方に来ると、前3列は空き席が目立ちます。空いているところに座っていいとのことで、3列目の真ん中付近を確保します。スクリーンを見上げるような席で首がちょっと痛いけど、立ち見と比べたら大分らくちんです。
 
物語は以下のとおりです、岩手県、陸前高田市の佐藤直志さんは311で息子さんを失くし、家を破壊されます。
 
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息子さんは消防団員で、逃げ遅れた老人を助けようと背負ったまま、津波にさらわれ、帰らぬ人となりました。
 
直志さんの奥さんも含めて、周囲の人達は、高台の仮設住宅に避難しますが、直志さんは壊れた家に住み続けながら、家の再建を夢見ます。
 
再建策の自治体との交渉を通じて、直志さんの夢は、夢でなくなり、自分の生き方の証を求めるための信念に昇華して行きます。

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<池谷監督>

タイトル「先祖に帰る」は直志さん自身の言葉なのだそうです。

先祖が営みをしていた昔からの土地に、自分の終の住家を再建して、その土地に帰り、先祖の系譜に連なる、という素朴な気持ちが表れているのだと思います。
 
 一方、自治体は元の土地に家を再建に固執する直志さんを説得しようとします。自治体側の再建の行程表に従って、より安全な土地に移って欲しいと言うことなのだと思います。
 
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<直志さん>
 
土地=先祖というしがらみのない自分には、建前と言うか筋論を言えば、やはり、より安全な土地に移るべきだというのが第1感でした。
 
映画は一心に土地を愛する直志さんの無邪気とも思えるひたむきな姿を淡々と撮り続けます。周りの人もだんだんと直志さんのシンパが増えて行きます。
 
自分も、見ているうちに、直志さんが信念を貫きとおす姿こそ、復興にもっとも大事なことなのではないか、考えることが多すぎて、解決の道筋を描けない国や自治体に対する強烈で、皮肉な形で、正反対の進めべき道を示してくれているのではないかと思えてきました。
 
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直志さんが自治体の人に、「仮設にいる人達が、ものをもらうことに慣れてしまうことが心配だ」という言葉を聞いて、自分のことしか考えない頑固さだけでないなということを感じます。
 
直志さんは海が大きく見える念願の家を完成させます。お茶を飲みながら穏やかに海を見ている直志さんの姿は、先祖とお話していると言うよりは、亡くなった息子さんに語りかけているような気がしました。 

 
映画が終わって、「ティーチ・イン」なるものが始まります。どんなものかと思いましたが、結局監督と直志さん、「佐藤」の友達で直志さんを親分と慕う助演者のタケシさんの3人の舞台挨拶でした。

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監督はベルリン映画祭(若手監督を紹介するフォーラム部門に招請されたようです。)から戻られたばかりで、大好評であったとの御報告がありました。
 
それにしてもなによりも驚くのはこの映画が、311の1ヶ月後位から始まったことです。どのような物語になるのかを探りながらカメラを回していた(のでしょうか?)、池谷監督の構想力、行動力のすごさを感じます。
 
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直志さんの挨拶、素晴らしかったです。

「自分の名前は素直に育てという直志で、自分では素直な人間だと思っていたけど、映画を見てこんなに頑固な人間だっだのかと驚きました。だけど、この自分の頑固さが周りの人達に勇気を与えてきた面があると思っている。」
 
もう、脱帽、としか言いようがありませんでした。

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映画が終わって外にでると直志さんが若い人達に囲まれていました。思わず握手をしてもらって、「これからも頑固を貫いてください。」と生意気なことを言ってしまいます。
 
友人は上映後に友達と話があるのだろうから、早く終わったら、一人で寄り道して、同級会に向おうと、Tokyo Art Beatで確認していました。
 
パナソニック汐留ミュージアムで開催されている「日本の民家一九五五年(二川幸夫・建築写真の原点)」が面白そう、場所的にも丁度いいだろうと決めていました。

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結局、友人と、お茶してしまったのでで、パスしてしまったのですが、3月5日に、二川幸夫さんが亡くなられたという報道がありました。享年80歳とのことです。

建築写真ということで興味を惹かれただけで、全く存じ上げませんでしたが、建築写真の第一人者であった方のようです。もう展覧会は終わってしまうので、写真集の購入を検討しようかと考えています。
 
同級会は10時近くまで続き、一次会で解散になりました。
 
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2013年02月23日

脳ドック

1月がまだ残っていました。
 
1月31日、敦賀市立病院で脳ドックを受けます。
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以前、自転車に乗っていて、どぶに前輪がはまり、身体が投げ出されて、顔面で着地したことがあります。体重を頭骨で受けてしまったのですから、頭骨にひびが入りました。
 
目の上の縁の部分が一部割れて、内側にめくれたようになっています。
 
脳外科的にはなにも問題がない、外見上気になるなら、めくれた部分を起こして平にすればめだたくなるので、手術したければすると。
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まあ良く見るとかすかに変形しているか、と判る程度ですから、手術は要らないと断りました。とまあ、これは退院時の話です。

救急で見ていただいた検査で、大体の損傷の状況がわかったのですが、見かけの頭の傷以外になにかないか全てチェックするので1週間入院。との宣告。

CTスキャン、MRI等の検査をしました。結果は脳内に何も問題なく、退院していいということになりました。
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その後、大分経ちますが、なにか変化がないのか、不安に思う気持ちがいつもありました。
 
そう言えば撃ったのは左の目の上ですが、右側の側頭部の神経がピリピリと時々痛いことがある・・・なにか浸み出してきていたりして、神経を圧迫していようなことはないのか・・・
 
昨年の7月にアメリカのホテルで、古傷に近い部分に再度衝撃を与え、2針縫うことになりました。
 
ドクターは人の心配を鼻で笑い、脳の中を見る必要はないと・・・それでも不安が残る・・・
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静岡の親戚が昨年、蜘蛛膜下出血※で入院して、今、リハビリをしています。
 
見舞いに行って、看護師の奥さんに話を聞いているときに、脳ドックで確認していれば予兆を確認することが出来たかもと言う話がありました。

今回、脳ドックの結果を聞きに行って、蜘蛛膜下出血というのは脳動脈に瘤ができ、血管が薄くなり出血するもので、瘤の原因は先天的なものと血管の詰まりによるものがあるなどの説明を受けました。
 
脳ドックはこの脳動脈瘤の有無を確認することが一つの目的になるのだそうです。
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※蜘蛛膜下出血(クモまくかしゅっけつ、Subarachnoid hemorrhage; SAH)Wikipedia
 
脳を覆う3層の髄膜のうち2層目のクモ膜と3層目の軟膜の間の空間「クモ膜下腔」に出血が生じ、脳脊髄液中に血液が混入した状態をいう。
 
全脳卒中の8%を占め突然死の6.6%がこれに該当すると言われ、高齢者よりむしろ壮年期の人に多いとされる。
 
また一度起こると再発しやすいという特徴がある。 

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とまあ、もろもろあるので、ともかく一回脳ドックなるものを受けてみようと思った次第です。

糖尿病で通院している福井病院でも脳ドックはやってくれるのですが、自分の怪我の過去があるので、敦賀病院で受けたいと思いました。

1万円程敦賀病院の方がお金がかかるのですが・・・
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血液検査のあとにMRIに向います。
 
検査は30分程かかる、造影剤は使用しない、入れ歯は外す、金属バックルのベルトはまずいので検査服に着替えろなど注意事項を受けて、検査台に横たわります。
 
グワングワンと大きな音が鳴り響きますが、眠くなってしまい、ぐっすり・・・短い30分でした。
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検査結果は1週間後に聞きに行きました。
 
事前の問診票に心配事を書き連ねていました。先生、当然それを読んでいます。
 
「残念ながら・・・君の期待を裏切り、検査結果は全くきれいだった。」先生、ニヤニヤ笑ってます。
 
全く・・・焦るじゃないですか・・・
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MRIが時間がかかるのは何回も重ねた像を得るためで、脳の中の血管詳細も明確に見る技術が開発されていて、造影剤が不要になったのだそうです。 
 
脳内になにか異常が起きている兆候は全くみとめられないこと、自分の言っている頭骨の変形部は少し是正されてきたのか、目立たなくなっているなど立体画像を見ながら説明していただきます。
 
口の悪い分、大丈夫だの説明に安心が増すような気がします。っておかしいかしら?

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蜘蛛膜下出血についても質問すると、「まあ、これから説明するんだから」と、せっかちぐまを制して、血管の立体画像を示します。
 
「ここの付け根のところに、瘤ができて、血管が膨らんで、薄くなって破裂するのが原因になる。今のところ蜘蛛膜下出血についても全く問題ない。
 
ただし・・・君は、血液の状態が良くない、血液が汚くて、血栓を生じて、ここの部分に詰まる可能性があり、将来とも大丈夫だとの保証はない。

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血液に問題ないのなら、まず、暫くは全く問題なく過ごせると保証できる。だけど君の場合には、糖尿、コレステロールを直すことが前提で、治らない状態がつづくなら、定期的に脳ドックを受けておいた方が安全だろう。」
 
と・・いちいち御説明に納得します。
 
「福井病院に通院してるなら、頭痛がひどいとか訴えれば、MRIを治療でやってもらえるから安く上がるよ。」
 
「まあ、経緯もあるので、今後もこちらでお世話になりたいです。当面、糖尿の経緯をみながら定期的にドックを受けておきます。」と。

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<以前、ステンドグラスのお話を伺ったことがあります。教室もやってます。>

検査当日、検査終了後に外にでると、いい天気です。駐車場に車をおいたままウタさんに向い。青森の同僚に酒を送った後に、八幡様にお参りしました。
 
宮司さん、写真を撮っている自分を見て、「どこから来られたんですか?」と訊いてきます。
 
敦賀にいるんだけど、折に触れ市内の写真を撮っているんだと、回答して、チャンスとばかりに博物館を開けてもらおうとお願いします。
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この時期は閉館中で、しかも大学の先生が今調査をしかけているとことなので、今日は勘弁して欲しい。春先に開館するから暖かくなったらきてください。とのことでした。
 
その後、お伊勢さんの遷宮の話をうかがって、その祭礼の描写のすごさに、やはり秋に行くのが一番かと・・・心に決めます。
posted by くまじい at 10:18| Comment(0) | 茶話室

2013年02月22日

生涯搭乗マイル

またどこへやら行こうと、 JALのWebサイトにログインして検索中に、「生涯獲得マイル」という欄を発見。
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<JAL Facebook>
 
普段あまり、JALのサイトにアクセスすることはないので、昔からあったのか、最近設けられたものなのかは判りません。

自分の記録は下記のとおりになっていました。
 

生涯マイル :345,333マイル

(国内線 4,566 マイル 国際線 340,767 マイル)

 

生涯搭乗回数 :72回 

(国内線 8 回 国際線 64 回)

 
※生涯マイル、搭乗回数はJALグループ便利用時の実績。

この下に、自分のフライトの記録が一覧表で記載されていて、今まで搭乗したJAL便の全記録を手繰ることができます。
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<Wikipedia 木星号>
 
自分が一番最初にマイレージを意識してJALに乗ったのは、CAの奥さんを持つ会社の方に薦められてJALカードに入った時からでした。
 
記録のスタートは1993年のフランクフルト便になっていますので丁度20年の記録ということになります。

JALの属しているワンワールドグループのフライトも含まれていると、もう少しだけ、記録が増えるとは思います。
 
さらに下記の記述が面白い。 
 
「この生涯マイルは地球約13.9周、月まで約0.7往復、総搭乗時間は約920.9時間に相当します。」

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<JAL Facebook>
 
920時間は約38日。人生の中で1ヶ月強を飛行機の中で過ごしたことになります。

月への往復が0.7回というのはちょっと驚きでした。少なくとも月に到達する距離は飛んでいたんだと。 
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<JAL Facebook>
 
まあ、自分は一般の人の中では比較的多いという程度で、旅行好きの人や、仕事で海外を飛び回る人など、とんでもない記録を持っている人達は山の様におられるのだと思います。

アメリカを良く往復していたころは、UNITED AIRを利用していましたので、あの時にJALを使っていたら、倍増とまで行かないけど、1.5倍くらいにマイレージが延びていたかもしれません。
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<JAL Facebook>

以前に書いた記憶がありますが、自分の海外出張の初期のころは飛行機はビジネスで行けたのですが、アメリカ往復を繰り返すようになった当時はエコノミー、しかもディスカウントチケットで行くようになっていました。
 
JALのディスカウントチケットはヨーロッパ便は1回だけ変更ができたのですが、北米のディスカウント便は変更が効きませんでした。

一方、自分のアメリカへの出張は予定が変わらない方が少ないというもので、2回ほど、チケットを無駄にして、アメリカで片道のチケットを購入したことがありました。

したがって変更が可能だったUAにシフトせざるを得なかった訳です。
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<JAL Facebook>
 
UAでサンフランシスコ往復を何回したのか判りません。フライト変更の電話も何回かけたでしょう。
 
アメリカ本土のOffice(LA?)に電話していたのですが、日本語の担当の方がおられて、気楽に調整ができました。自分のことを相手もとうとう覚えてしまって、いつか知り合いの様にお話するようになってしまいました。
 
ある日、ハワイのOfficeに移ることになったと、じゃあこれでお別れかなと思ったら、次回もその方がでてきて、ビックリ。日本語案内自体がハワイに移ったということでした・・・妙なことを覚えているものです。
 
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<JAL Facebook>

UAではフリークェントフライヤーになると、アップグレードが比較的少ないマイレージでできたので、途中からは、ビジネスで通うようになり、身体は楽でした。
 
ただし、当時のUAのビジネスの食事たるやひどい物で、和食と称するものは、アジアンテイストではあるけれど、日本料理とは以て非なるものでした。アメリカの飛行機会社では肉料理を食べるべし、というのが自分の結論でした。
 
最近はエコノミー正規料金以下であれば、ディスカウントのビジネスに乗れますので、随分出張が楽になりました。
 
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<JAL Facebook>
 
稲盛さんの強力な指導力と社員の頑張りで戻ってきたJAL、再建に邁進するようになってから、JALに乗ると、緊張感もあって、乗務員達の必死な気持ちが伝わっていいなと思いました。

正直いうと、以前はANAの若々しい対応が新鮮で、JALさん、少し負けているかなと感じることもありましたが・・・
 
 
・・・自分は、これから何回乗るのでしょうか?
 
月から帰ってくるためにはまだ、欧米に約12往復程度(15万マイル、往復12,000マイルとして)する必要がありますが、あと10年くらい頑張ることができれば可能性はあるかもしれません。
posted by くまじい at 22:16| Comment(0) | 茶話室

2013年02月10日

どんど焼

1月13日(日)、3連休の真ん中の一日、事務所や自分の部屋の神棚のお札や正月飾りを持って気比神宮に向います。
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これでようやく1月分の写真一掃になります。

どんど焼の焚き木はまだ準備されておらず、ボーイスカウトの手旗信号の訓練中でした。
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境内に入ると振り袖姿が次から次から、お参りに現れます。
 
成人の日はハッピーマンデーで明日だろ?と不思議な思いでしたが、夕方、散髪しに行ったWith Hairさんで、今日、万象プラザで敦賀市の成人式があったことをお聞きして納得しました。
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敦賀に帰郷してきて、成人式に出る人も多いので、移動を考えて、連休の真ん中でやるんじゃないんかなと、なるほど。
 
自分が二十歳を迎える時は2年目の浪人中で、成人式には出席しませんでした。
 
2年めの浪人でいじけてたのか、儀礼的なものに対する反発があったのか、良く覚えていません。
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いずれにしろ、欠席の理由なんてその程度のことですから、歳とって今考えると大したことではない。
 
人生の中でたった1回しか経験するチャンスがない式だから、とりあえず参加しておけばよかったじゃないかとも考えます。
 
まあ、悔やむ程のものでもないですが。
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参加しないと言う、ねじれた形で自分を表明したことになりますが・・・
 
最近の群れを頼んで式の妨害になる程に目立ちたがる若い人達の気持ちはもしかして、世間に対しての反発というところで同根のモチベーションがあるのかもしれない・・・
 
と、ちょっと嫌な気持ちが・・・
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まあ自分の規範の中に人に迷惑をかけないことが第一、という情けないほどの「良い子」がいますので、同じ結果になることはあり得ないですが。
 
余談になりますが、2年浪人の挙句にようやく大学に入って、入学式にはでたのですが、卒業式は引っ越しの荷物のまとめが間に合わずに、パスしてしまいました。
 
公の席に縁の薄い男です・・
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4年の時に引っ越したアパートの近所に、前から知っていた女の子がいました。
 
男の子っぽいひょうひょうとした子で、ときどき、ふらっと訪ねてきて、話してはじゃあねと帰って行く。
 
お茶くらいは出していたのか覚えていませんが、酒もなしにただ、お話するだけのお付き合いでした。

フライデーされた有名人が二人っきりでゲームしてた、とかTPPについて語りあっていたとかいう「せつめい」はあながち判らないわけではない・・・
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まあ、端から、男として見られていなかったのか、あるいは以前、自分が彼女の仲間とちょっとあった経過を見ていたので、こいつには距離を置いた方がいいと考えたのか、定かではありません。
 
家に食事に招かれて、お父さんに泡盛を薦められ、生まれて初めての泡盛をロックで味わって、腰が抜けて、50m位の距離を道幅いっぱい蛇行しながらアパートに帰ったこともありました。
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彼女のお姉さんが我々とは逆に、東京暮らしを切り上げて、仙台に帰ってくることになり、ついては仙台でトラックを手配して迎えをだすので東京行きのトラックを使ってくれていいとのお話を頂きます。 
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仙台から空荷で行くのも、もったいないから、とのお父さんからの申し入れを有り難く、お受けします。ついでにやはり近所に住んでいた友人もOKということになり、一緒に帰ることになりました。
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当然、お姉さんの都合の良い日、ということなので、仙台出発が卒業式の当日の夕方になったのだと思います。当時、高速道路はごく一部だけ開通するころでしたが、使用したのかどうかわかりません。
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学生の頃に、友人の車で仙台から東京まで帰ったことがありましたが、その時に一般道だけで走ったのですが、友人が9時間で着いたと言っていた記憶があります。
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自分の性格上、みずから引っ越しの日を決めて、充分準備の余裕があったとしても、ぎりぎりになるまで行動を起こさないという信念の持ち主(?)なので、引っ越し直前のばたばたの責は全て自分が負うところではあります。 
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一緒に帰る友人は式に行きましたが、こちらはそれどころでなく、おれはパス。卒業証書持ってきてって・・考えてみると恩師にも助手にも挨拶せずという失礼なことに・・・まあその前に挨拶は済ませていた・・・と思うのですが・・・
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<時宗 2代目遊行上人 他阿真教>※
 
と、話が他に行ってしまいました。
 
お参りを済ませて、駐車場に向いますが、トイレに行って帰ってくると、駐車場の近くに、角鹿神社があります。
 
以前から気になっていましたが、お参りしたことがなく、神社の名前も知らないでいました。
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前に記事にした敦賀の語源と言われている都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)を祀った神社で、気比神宮の摂社として延喜式神名帳に記載された式内社で摂社とは本社の付属社で、末社より大きい神社を指すのだそうです。
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石造りの鳥居の右の柱に「元禄」」、左の柱に「文政(?)」との文字が刻印されています。えっ?
 
まさか、その時代の建立でということはないだろうし、元禄は1688年〜1794年、文政は1818年〜1830年と、左右の柱で時代に大分差があるので、建立した時になにかを記録したのではないか、と思います。
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神社の参考にさせていただいている「神社探訪・狛犬見聞録」ではあまり詳細な記述が無く、式内社を全調査していると言う「延喜式神社の調査」に下記の改修の記述がありました。
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元禄、文政の記述がありますので、後年更新された鳥居に改造の歴史を記載したものと考えられるかもしれません。
 
ちなみに現在の社は嘉永4年の回収のものが残存しているのだそうです。もし、この鳥居がその時以来のものであれば、ちょっと鳥居をくぐるのが恐ろしい・・・
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大永6年(1525)11月11日改築       
元禄15年(1702)改築       
文政6年(1823)改築       
嘉永4年(1851)改築       
明治10年(1877)3月21日境内摂社の第一に定められる。

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お参りを済ませて、昼飯はこの間のつけ鴨うどんでうどんでなく、蕎麦を注文。自分の好みからは蕎麦が少し柔らか過ぎる感じがしました。 
食事後、中池見に向います。
 
※時宗(時衆)の創立は鎌倉時代、開祖は一遍。一遍の死後、消滅したが、一遍の門徒の他阿真教が再興。他阿が気比神宮の周りの沼地を整備するために、自ら砂を運んだ。(現地標示およびWikipedia )
 
芭蕉の句に下記のものがあるそうです。
「月清し 遊行のもてる 砂の上」
posted by くまじい at 10:07| Comment(0) | 茶話室

2013年02月01日

5年目のブログ 残り火

2月でこのブログは満4年を迎えます。
 
2GB限度のサーバの使用量が1.9GBを超えたところなので、余命はあと、0.1GBです。
 

<Robert Johnson "Love In Vain">※1
 
0.1GBは、今の調子で写真をアップして行くと、ほぼ写真500枚に相当します。
 
1回の記事に写真15枚使用とすると、まだ33本の記事を書くことができることになります。
 
平均して、月8本〜10本程度の記事を書いていますから、あと3ヶ月から4ヶ月はもつ計算になり、この2月で成仏しようと思っていたのですが、5〜6月頃まで寿命が延びそうです。

 
ブログを始めた時には、写真をそのままアップしていたため、記事が重く、全然動かないブログでした。
 
その後、写真を1枚ずつ、「ペイント」で開き、平均200KB程度にサイズダウンして、アップするようになり、記事が軽くなりました。
 
しっかし、アホなほど大変な作業で、なぜこんなことをしているのかと・・・
 
写真の整理が大変で新しい写真を撮りに行くの止めよう、などと訳のわからない時もあったりして・・
 
一年ほど前ですか、仕事で使用していた、写真整理ソフト「VIX」を思い出しました。

<Emmylou Harris sings Woody Guthrie's "Hobo's Lullaby"> ※2、※3

 
無料でダウンロードしたソフトなのですが、リネームを一括してできるので便利していました。 
 
久しぶりにソフトを開いてみると、なんと一括リサイズもできるではないですか・・・
 
5MB〜8MBで撮った写真を一括して、180〜220kB程度までサイズダウンが可能です。
 
オリジナルの写真は当然保存してあり、リサイズしたものも捨てられずに、双方とも保存していて保存容量はどんどん増えて行くことになります。
 
サイズダウンしたものは記事を書き終わったら破棄してもいいのですが、2TBのハードディスクにバックアップしおり、保存容量におおきな負担にならないので、まあいいかと、そのまま保存してあります。
 
もう少し前に、VIXを思い出していたら、ブログの作業は楽だったな、と思います。
 
 
閑話休題・・・・
 
<Preservation Jazz Hall Band " St. James Infirnary>
 
ところで、自分の好きな曲、St. James Infirmaryに関して、2件のお話・・・

You TubeでSt James Infirmaryを唄っているLeah Orlikowskyを見つけ、苦労して1枚目のCDを入手した話を以前、記事にしました。(「1枚のCD「Shaking Hands with Love & Death」」
 
彼女の2枚目のCDがでているのを知り、1枚目の時と同様CDBOYで購入しました。

下の動画はセカンドアルバムのタイトル曲になります。

<Leah Orlikowsky "Decide and Conquer">
 
もう一つが自分のSt James Infirmaryの入り口であるBrothers Four・・・St James Infirmaryの納められているアルバムは彼らの2枚目のアルバムらしい。

デビューアルバムと2枚目のアルバムを合体したCDが一万円するという話を、以前、書きました。
 
Amazonを最近確認したら、新品で8000円、中古で4000円と、それでも値が下がっています。
 
これは買うしかないと思って、中古を買い物かごに入れ、どうせなら他のCDも買おうかと、見ていると2月に発売されるCD、 ”Greenfields & Other Folk Music Greats” 1890円というのがありました。

 

<やはり2枚目のアルバムから”Tiger"> 

ジャケットを拡大してみると、なんと、最初の5枚のアルバムを収録した2枚組アルバムだと。

曲名のクレジットはないのですが、最近覚えた業・・・

AmzonのCD紹介ページで「MP3でダウンロード」をクリックすると、ダウンロード画面が開きます。 
 
ここには、全曲がリストアップされ、試聴までできます・・・

81+SilcFhqL._AA1400_.jpg
 
全60曲の紹介の中で・・あります、ありました。"St James Infirmary" ・・・
 
涙、涙、涙です・・・買い物かごの中見を入れ替えたのは言うまでもありません。
 
もし入手したら、自分で動画造ってアップしてしまおうか・・・
 
ということで後、3か月〜4カ月の間、頑張ります。

※1 
"Love in Vain" Robert Johnson 歌詞 愛の歌詞
(むなしい恋)
 
I followed her to the station with a suitcase in my hand
And I followed her to the station with a suitcase in my hand
Well it's hard to tell it's hard to tell, when all your love's in vain
All my love's in vain
 
When the train rolled up to the station, I looked her in the eye
When the train rolled up to the station, and I looked her in the eye
Well I was lonesome I felt so lonesome, and I could not help but cry
All my love's in vain
 
When the train it left the station, 't was two lights on behind
When the train it left the station, 't was two lights on behind
Well the blue light was my blues and the red light was my mind
All my love's in vain
 
Ooh... 
All my love's in vain 
 
「むなしい恋・・無責任勝手解釈版」  by  くまじい
 
俺と彼女(あいつ)の幸せの時は過ぎいき、
彼女は、俺から去ろうとしている
 
未だにおれはお前を愛してるんだ・・・とは口にだせずに、
彼女の力になれない無力さに打ちのめされ、
彼女の顔を見つめているだけ・・
 
彼女の乗る列車が駅に到着、
持っていた彼女のスーツケースを涙をこらえて、渡したんだ・・・
 
暗闇のなかに消えていく列車・・
列車の後部に2色の灯りが・・・
 
そう、青は俺の悲しみ、赤は消すことのできない彼女への想い・・・
俺の愛はもう戻らない・・・
 

※2
″Hobo(ホーボー)″ Wikipedia
 
アメリカの19世紀の終わりから20世紀初頭の世界的な不景気の時代に出現した渡り鳥労働者のこと。働き場所を求めてら土地から土地へ無賃乗車を決め込みながら鉄道で渡り歩いた。
 
アメリカの自由なフロンティア・スピリットを体現するとし、文学や音楽の世界で多くの人が彼らに憧れと共感を示し、作品として取り上げた。
 
※3
唄の冒頭はウッディ・ガスリーがHoboについて語っているもの、中間のオジサンはウッディとの死出の別れの際のウッディの態度について語っている。(のだと思います。)
posted by くまじい at 22:00| Comment(0) | 茶話室

2013年01月31日

雪の金ヶ崎

27日(日)の朝は天気がぐずついていましたが、お昼前に天気が良くなり、野坂がくっきり見えてき「ます。
 
野坂に人が押し寄せているのだろうなと思います。
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青年の家までたどり着けずに、下の方で車を捨てて、雪を漕いで行く、常連さん達の姿が浮かびます。(「野坂岳一人旅」さんの記事を見ると、頂上は雪が少ないようです。)
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今日は、ぼたん亭から、「宮本酒店のワイン会がぼたん亭であるけど、どうですか?」と言うお誘いメールをいただき、「参加します」と回答していました。
 
ランチをいただきながらのワイン会なので、12時〜14時までの時間設定です。
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昼の予定があると、ちょっとどこかに行くということは難しいので、もともと部屋にこもっているつもりでした。
 
まあ、何も予定がなくても、体力に自信を失っていて、雪が深い時には絶対無理、もう少し、雪が解けてからでないと行けないなと・・・
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昨日もらったアパートの契約書の必要事項を記載し、印鑑を押してもらうために、本社(すんません、自宅のことです)へ送らなければいけません。
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<タクシーの中から松原を・・・>

ぼたん亭まで歩くつもりでしたが、郵便局まで車で行って帰ってきて、それから歩くのもめんどくさいなと。
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14日に中池見まで行って、手筒山まで歩いて、金ヶ崎までと思いましたが、時間が遅かったので、駐車場の門元が心配で途中で引き返して金ヶ崎宮をパスしていました。
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郵便局までタクシーで行って、金ヶ崎にお参りして、ぼたん亭まで歩くことにして、タクシーを呼びます。
 
結局・・・タクシーに郵便局で待っているようにお願いし、金ヶ崎まで乗せてもらいました。
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金ヶ崎宮の駐車場は綺麗に除雪されており、2、3台の車が停まっていました。
 
参道の階段は宮司さんが懸命に除雪をされておられて、一筋の溝ができています。
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車はありましたが、登って行くと境内には人影がありません。

暫く天気が良かったのですが、お参りを済ます頃から、雪が降り始めます。
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アパートではくっきり見えていた、野坂も雲がかかって姿を消していました。
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先程、階段下で陽が射していたので、上に行けば展望が開けると期待していた三内山も、西方岳も霞んでしまってはっきり見ることができませんでした。
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降りしきる湿った雪の中で、西福寺の写真を撮っていてカメラを壊したことが思い返されて、コートの中にカメラをしまいこみながら歩きます。
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それでも一瞬でしたが、陽が射します。
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野坂の霧氷の美しさにはかないませんが、雪の積もった、枝がきらきら輝いて、嬉しくなって、写真を撮りまくります。
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桜の時期だけでなく、雪の華が咲く金ヶ崎もお気に入りにブックマークです。
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花換えの小径をたどって手筒の方まで歩いてみようと思いましたが、上の方は除雪されていません。
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おまけに、一瞬の陽の光の後は、雪がひどくなってきます。
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金ヶ崎城址と、新田義貞と行動を共にされ、この地を最後の場所とされた皇子尊良親王の墓所見込地の標示の所まで歩きます。
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この先は雪の積もった階段を暫く登る必要があり、歩きづらそうです。
 
時間を考えて、引き返すことにしました。
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墓所見込地とありますが、金ヶ崎宮公式サイトを見ると、親王の自刃されたと考えられる場所との記載があります。
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雪に埋もれた標示を見ていると幼い親王の無念というよりは、大人の世界に巻き込まれた戸惑いのなかで自ら命をたたれた・・・
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という痛ましさ感じます。史実を良く知らずに、勝手な想いを書いています。
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昨年に続いてカエルの健康お守りを購入します。ついでに「かねがさき」のお金に縁がありそうな金色のお守りをつい購入。
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金色のお守りには宝船が描かれています。その上に狂歌というのでしょうか、文字が書いてあります。

 「吹きつける風は 敦賀の宝ふね まうけて帰る かねか崎(咲)かな」 半月 
 
とありました。
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ぼたん亭に向う途中に気比神宮と八幡神社はお参りしながら行こうと、金ヶ崎を後にして、歩き始めます。
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2013年01月29日

雪の週末

1月25日(金)は強風と雪が荒れ狂います。雪が降る、雪が降るとおどされつつ、雪のない日が続いていましたが、今回はあぶなさそう・・・
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こんな日にブリシャブの会を強行、「みんなのごるふ会員」に緊急連絡をかけましたが、突然過ぎて集まったのは6人だけでした。
 
T女子が相木でブリを仕入れ、五縁に持ち込んで、さばいてもらうという図々しい計画ですが、五縁のマスターにこころよく快諾していただきます。
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マスター、頑張って、刺身、ブリ大根、カマ焼きとブリシャブ鍋のブリ尽くしを用意してくれて大満足の一晩でした。

気持ちとしてはブリシャブも美味しかったけど、やっぱし刺身が一番だったかなと・・・
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当日、歩いて行こうかと思っていましたが、帰る時間が遅くなったのでタクシーに電話します。
 
恐れてはいたのですが、全然捕まらず・・・・T女子にお願いして、車でピックアップしてもらいます。
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自分の車で行くと、代行で帰ってきても、きっと、駐車場が雪に埋もれてしまって大変なことになりそう。
 
T女子の駐車場は屋根付きだからいいよと・・・
 
ビールの人、お燗の人、焼酎の人となんで6人しかいないのにまとまらないの?という感じで、延々と10時近くまで飲み続けます。
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そう言う自分は冷酒を飲んでましたが、最近、量は飲めないので、途中でピタッと止まってしまって、飲み続ける仲間の話の聞き役に廻っていました。 
 
帰りの代行も大分遅れて、待たされました。
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翌日26日(土)は一日中大雪で、部屋の中でいじけ虫のはずでしたが・・・
 
アパートの契約を個人から、自分の会社に名義変更することになり、管理会社に土曜日1時と約束していました。
 
12時にコインランドリーに洗濯物を持っていき、ちょっと長めにと大枚500円もつぎ込んで、乾燥機を回します。
 
待つ間に昼食を済ませてしまおうと「なかにし」に出向きます。
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昼食後に洗濯物を回収して家主の会社に向かいますが、その前に一応確認の電話をすると、雪で大変だから、サンピアの駐車場に入れて、歩いてきたほうがいいと。

会社はサンピアのすぐ目の前なのでお勧めにしたがって、サンピアの裏の駐車場をお借りして、契約書を受け取ります。

結局、実印は実家にあるので、送って戻してもらわなければならないのですが・・・
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<帰りにステーキ宮の前で下してもらいました。もう閉店してます。>

自分が入居して5年も経つのですが、敷金、礼金の類は不要というありがたい報告をいただきます。 

契約書の話はすぐに済み、雑談になります。
 
実は6階に入りたかったけど、先約があり、一歩遅れてしまい、3階に落ち着きました。
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「野坂遠謀」といって野坂の写真をドアを出たところの通路で撮ることが多いのですが、撮影条件良好のときには、より視界が広がる6階まで行って撮っています。
 
6階はつい最近、新しい人が入居してしまったけど、チャンスがあったらお知らせしますよ。と、まあ、いつまで居られるのかわからないけど、一応、お願いします。
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<以降26日(土)、サンピア裏>

夕方になり、雪が小降りになったので、酒屋の「ウタ」さんに行きます。

奥さんの友達の誕生日のパーティで福井の美味しいお酒を飲ませて上げたい、との要請に応えるべく、年末に目玉になりそうなお酒はないかと問い合わせていました。
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ブランド品の予約をしていて、取りに来ない方が時々いるので、もしそういうお酒があれば、とっておきましょうとの回答をいただいていました。
 
年明けに電話して、「しずく」が一本でましたとのこと。ブランド物が何本か入ったら、会社の酒好きに送ろうと考えていましたが、1本では奥さんを優先させてもらいます。
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奥さんの要求が4本ということなので、後のお酒を選び、発送をお願いします。
 
自分用に白岳仙「純米吟醸吟のさと 生」を一本購入して帰りますが、道路はつるんつるんで、緊張しまくりで部屋に帰りました。
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2013年01月27日

湯島聖堂

お茶ノ水から、聖橋を渡りつつ、東京医科歯科大や、振り返ってニコライ堂の写真を撮ります。
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<東京医科歯科大>
 
渡りきったところに湯島聖堂があります。
 
今までお参りしたことがないなと、神田明神の前に寄り道を・・・
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「寛永9年(1632年)林羅山は尾張徳川義直より、孔子聖像、顔子、曾子、子思、孟子の四賢像、祭器の寄進を受け、上野忍ヶ岡に与えられていた私邸内に孔子廟を創建します。
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元禄3年(1690)、徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。

これが現在の湯島聖堂の始まりです。
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その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。
 
明治維新を迎えると聖堂・学問所は大学校・大学と改称されます。
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明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。」
(湯島聖堂パンフレット)
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司馬遼太郎「街道を行く-本所深川散歩、神田界隈」の話が続きます。
 
「昌平坂」の項が湯島聖堂に該当します。 
下のパンフレットの地図で言うと、斯分会館の右の通りが昌平坂にあたる様です。
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「昌平坂」の項をまだ読んでおらず、湯島聖堂に対して、何も知らずに、大成殿をお参りしただけで、昌平坂も斯分会館の近くにあるらしい孔子銅像もパスしてしまいました。
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 「・・・昌平という名は孔子が生まれた郷村の名をとったと言われている。・・・」

「・・・湯島台に聖堂があったればこそ、神田川をへだてた神田界隈において学塾や書籍商がさかえたのである。」
 
戦国時代は学問に縁がない武将が多かったなかで、前田利家は、その晩年に、儒学者、藤原惺窩(ふじわら せいか、1561〜1619年)の講義をうけて勉強を重ね、加藤清正、宇喜多秀家等にも学問を薦めた。 
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武辺一辺倒の清正達に武士がそうあるべき理想的人格者像として曾子のことばを説いたのだそうです。
 
「以て六尺之孤を託すべく、以て百里之命を寄すべく、大節に臨んで奪ふべからず。
 
君子人か、君子人なり。」
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下記の意味になるということです。
 
『友人などが死にあたって、その遺児をあずけるに足るような人格の持ち主で、国家の政治をまかせるに足りて、非常の場合でも、他者から強要されて志を奪われることはない人であれ。』
 
暗に秀頼のことを指すのだということは判りそうです。
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「君子人か、君子人なり」は『そういう人格の持ち主こそ、君子と言うべきだろう。』ということなのだと思いますが、司馬遼太郎は独自の解釈を展開します。
 
『「君子、人(ひと)か、君子、人(ひと)なり」と訓んで、君子は本来、ただの人かもしれないが、しかし、学問によって、倫理的に自分を造り上げ、常人を超える人間になるのだ。』
 
だから、利家が清正達に勉強しろと言ったということだと。
 
なるほど・・・
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「江戸期の儒学というものは、武士が武士になるめの工夫の道だったと言える」と・・・
 
「豊臣家の諸大名は藤原惺窩を招いてはなしをきくことが広まり、その中に家康もいた。やがて家康の世の中になるが、惺窩は家康に仕えることをせず、弟子の林羅山を家康に推挙する。
 
家康は自らは林羅山に学ぶ姿勢は見せなず、官吏としての扱いをしたが、2代目秀忠の教育をまかせ、侍講とした。
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その後、林羅山は家光に重用されるようになり上野に、屋敷を拝領し、私塾としての学問所をひらく。」
 
という前振りがあって、上記のパンフレットの説明の聖堂開設に繋がるわけです。
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その他に湯島聖堂は下記にあげる関連事項で、東京の教育、文化におおきな影響を与えたことが判ります。
1.湯島聖堂は明治時代に改組されて、文部省となる。

2.昌平坂学問所は天文学の開成所、医学所と併せて、東大の基礎となる。

3.明治5年に湯島聖堂で博覧会が開かれたことを契機に湯島聖堂に日本初の博物館が開かれ、現在の東京博物館となる。

4.明治5年に東京師範学校、、7年に東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展。

5.わが国初の図書館である書籍館が置かれた。
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聖堂の全体の雰囲気は中国と和風が混淆した不思議な雰囲気を醸し出しています。
 
不思議さは日中混淆というより、宗教的な色合でない、学府の歴史が築き上げてきた雰囲気が、神社仏閣になれた身に、何気なしの違和感を感じさせているということかもしれません。
 
雰囲気に染まりやすい「くま」は漢詩の本と、「四字熟語」の文庫本を購入してしまいました。
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構内で、筆、硯、墨等の販売をする屋台がでています。墨画用の7色の墨があるのに興味を引かれつつ、神田明神に向います。
posted by くまじい at 23:55| Comment(2) | 茶話室

2013年01月25日

神田明神

1月5日、神田明神へお参りに行きます。
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<自分の住んでいる四街道です。>

奥さんの仕事の関係で教えている学童たちの検定の合格祈願のお守りをもらいに、湯島天神にも行こうと。

結局、お茶の水駅から聖橋を渡ったところで、今まで行ったことのなかった湯島聖堂にもお参りしました。
 
その後に神田明神、湯島天神をお参りして、上野、池之端まで歩き、旧岩崎邸庭園を拝観、新年早々、充実の一日でした。
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<上に同じ>
 
まずは神田明神について・・・
 
以前記載しましたが、神田明神は平将門を祀っているので、将門の霊を鎮めた、成田山とは相いれないということです。
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<乗り換えの錦糸町駅前のWINS>

将門公には申し訳ありませんが、自分の気に入っている神社仏閣にお参りするのは大目に見てくださいと、成田山に合わせてお参りさせていただきます。
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神田明神公式サイトに三の宮 平将門公の記載があります。
 
ちなみに一の宮が大己貴命(だいこく様)、二の宮が少彦名命(えびす様)となります。
 
「まさかど様、除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。
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<岩崎邸と同じくジョサイア・コンドルの手によるニコライ堂>
 
平将門公は、承平・天慶年間、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守ったお方です。
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明治7年(1874)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に再びご本殿に奉祀され今日にいたっております。

東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首をお祀りしております。 」
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丁度司馬遼太郎の『街道をゆく「本所深川散歩、神田界隈」』を読みかけています。
 
そのうちの「平将門と神霊」で神田明神の記載がありますが、成田山との確執(?)は出てきません。
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将門は地方豪族間の争いの中で、国府との争いに引き込まれ、国府を倒すこととなってしまい、豪族同士の争いが、結果として朝敵とみなされることになります。
 
将門は、関八州を手中に収め、「新皇」として、関東に律令国家を造り上げようと計ります。
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<手前の人達は大黒様に行列をしています>
 
「将門は後に頼朝が律令制を廃し、別個の封建制を策定しようとしたような、変革の意思は持たず、また、そのように、歴史も熟していなかった。」
 
後に出現する武家の社会のさきがけでありえたはずなだったところが都のミニチュアを造ろうとしてしまったということだと・・・
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将門は朝敵として討伐軍が送られますが、その前に、豪族の残党に打ち破られ、2年程度で将門王国は終わります。
 
短命の将門王国でしたが、関東においては京中心で、関東が軽んじられていた意識もあって、将門に対する評価は高く、将門を慕う人達も多かったのだそうです。
 
その将門を慕う気持ちの裏返しなのでしょうか、将門の無念さを象徴するように、関東各地に亡霊が暴れまわるようになるなど関東での影響を大きくして行きます。
 
実際にはその人気の高さがむしろ災いし、地震、台風などの自然災害を全て、将門の亡霊のせいにしてしまうという面があったのではないでしょうか?
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「神田明神は当初、柴崎(芝崎とも、現在の大手町当たり)の村の鎮守様であったが、江戸城築城の際に、駿河台に移され、大阪夏の陣が終わり、天下の憂いが無くなると現在の湯島台に移された。」
 
江戸幕府が安定してきたため、城外に移設されたということなのでしょうか?
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将門公と神田明神が何故関わるようになったかは、「街道をゆく」には記載されていません。
 
神田明神の起源については芝崎にあった伊勢神宮の御田(神田)を鎮めるために「神田の宮」として創建されたという記述があります。
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なるほどと思いますが、神田については将門の首に対する「身体(からだ)」が訛って「かんだ」という記述もあり、定説ではないようです。(Wikipediaの「神田明神」と「平将門」の項)
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芝崎の神田明神の近くに、京都で晒された首が飛び来たったという「将門の首塚」ができます。
 
14世紀初頭に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309年)、近くにあった神田明神に将門公を祀ったということが、神田明神と将門公の始まりのようです。
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<博物館のジオラマ>

将門は太田道灌、北条宇治綱等の武将達に篤く敬われ、また、徳川家康が関ヶ原の戦を前に、神田明神に参り、戦勝祈願をして、勝利します。
 
徳川家康は神田明神を深く信心し、続く代々の徳川幕府に庇護されて、、「江戸の総鎮守」と称されるほどになります。
 
また、そのお祭りは日本三大祭り(京都祇園祭、大阪天神祭と合わせて)と称せられるようになります。
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<神武天皇像>

「しかしながら、式内社(延喜式神名帳(927年))に記載がある神社)でないこと、徳川家の庇護が厚すぎた
ことへの反発、さらに言えば朝敵を祀っていたことがあるのか、明治になっての社格は府社にとどめられた。(現在は神社庁別表神社)」(街道を行く)
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同時期に、朝敵である将門を摂社に移し、代わりにだいこく様(大己貴命、一の宮)、えびす様(少彦名命、二の宮)を祀ることになります。
 
しかしながら、将門の民衆の人気が根強く、昭和59年に三の宮として復権します。   
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<裏参道の鳥居>
 
歴史が絡むと、つい説明が長くなってしまいます・・・東京は拘わる歴史の範囲と、拘わる人物達の対象範囲が多いことから、織り込まれた歴史の襞も多く、ひも解くと、多くの史実がこぼれおちてくるような気がします。
 
敦賀で歴史に目覚めた「くま」が実家に帰って東京の「はいかい」を始めると大変なことになりそうです。
 
神田明神の隋神門をくぐると御神殿への太い行列がありますが、その前に、大黒様にお参りする行列が横切っています。
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<国学の祖 荷田春満(東丸)が芝崎神社で講義し、弟子の賀茂真淵も講義をおこなったということで、国学発祥の地の碑があります。碑の文章は今東光師と記載されています。>

御神殿の列に並び、拝礼を待つ間、御神殿の中で大勢の人が、入れ替わりでお祓いを受けているのが見えます。
 
お参りが済んで、御神殿の中を拝ませてもらおうと入って行くと、お祓いの受付がありました。
 
個人のお祓いは5,000円〜とのこと、年齢的なお祓いは関係ありませんが、それぞれの健康と仕事が順調に進むようにと二人でお祓いを受けることにしました。
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お祓いを受けた人は付属の博物館を無料で拝観できるということで、喜んで、博物館の階段を上ります。
 
博物館では神田祭の歴史についての詳細な展示がされており、勉強させてもらいました。
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<旧遠藤家店舗(材木商、商号井政)築S2年>

上に述べた日本三大祭りの一つであると同時に、江戸三大祭(山王祭、深川祭)の一つでもある神田祭・・・魅力のある響きでなんとか一度参加してみたいと思います。
posted by くまじい at 00:21| Comment(0) | 茶話室

2013年01月19日

市原ゴルフクラブ

実に、正月にゴルフをやるというのは、いまだかってなかったことだったと思います。
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年末から正月3が日は家族と過ごすというのが、自分の子供のころからの習慣で、一度も崩したことが無かったような気がします。
 
勝手気ままに過ごした大学時代も少なくとも31日には仙台から実家に帰っていて、家族と共に年越しをしていました。
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大学1年のときに生まれて初めてのスキーに行って、一番下のゲレンデのロープトウに掴まれずに、転倒を繰り返し、スキーは絶対おれに向いていない・・・
 
と固く思いこんだことが大きくかったかもしれません。スキーにはまってたら、どこかのスキー場で正月を迎えるということをしていたかもしれない・・・
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と、書きつつ、実行力にかけていて、計画倒れが多い俺が、宿の確保の難しい、正月スキーなんかするはずもないかと思い起こし、まあきっとスキーをやっていても実家の炬燵で新年を迎えていた確立が高いなと・・・
 
会社に入って、企画力たっぷりの友人とお近づきになり、スキーを始めるようになりますが、その男も正月は実家に帰ってしまうので、正月スキーはありませんでした。
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結婚して、初めての正月を岩岳で過ごしたのが外で過ごすお正月の初体験と言うことになると思います。
 
スキー場で紅白歌合戦を見ていたら、「レコード大賞」をジュリーが獲ったという紹介があり、俺は石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が好きだったのに・・・と思ったことを覚えています・・・なんと下らないことを覚えているのか・・・
 
確認してみるとその年の対象は確かに沢田研二の「勝手にしやがれ」でした・・・
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元旦の朝にお雑煮が出たこと、その年は雪不足で、曲がりなりにも雪のある岩岳に周辺のスキー場を避けた人達が押し寄せたせいもあって、大混雑していたことが記憶に残っています。
 
朝リフトを並び初めて、乗り継いで一番上に行った時には、お昼をどこで食べようかという状態でした。
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もう一つ印象的だったのはスキー場を優雅にテレマークスタイルで滑りおりるクロカンのスキーの人達がいたことでした。
 
って、端から関係ない話が続きました。
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ということで(?)4日は市原ゴルフクラブ柿の木台コースの初打ちのお誘いに喜んで参加させてもらいます。

昨年9月に二人きりで千葉新日本を廻ったIさんもご一緒で、近所のフードセンター「センドウ」でピックアップしてもらいます。
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お誘いいただいたことは有り難いのですが、時間設定がちと早い・・・きっと年末せまってとろうとしたら、これくらいの時間帯しか開いてなかったのだと思いますが・・

まだ夜明け前で真っ暗です。そのなかでセンドウの店内には灯りが煌々とついているのが印象的です。夜も付けているのか、中ではもう準備が始まっていて灯りがついたばかりなのかどうかはわかりません。 
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お迎えの車に乗り込んだ途端に、Iさん、「今日の言いだしっぺのIsさんが風邪でダウンして来れなくなったんだ。」って・・・

後日、Isさんからインフルエンザにかかってしまったとのメールをいただきました。正月明けて快癒して勤務地の柏崎に戻ったとのこと。
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考えてみると・・・
 
Isさんは建設時に敦賀にいて、今は柏崎のお仕事しているし、もう一人のEさんは、敦賀に一時居て、福井の酒と冬の野坂登山を楽しんでいましたが、今やもっと寒い下北の地で地吹雪と戯れている・・・
 
三か所の現場事務所からのそれぞれの代表(?)参加で、しかも皆、敦賀繋がりと言う関係になりますか・・
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とまた関係ない話になるのはきっと、ゴルフに語るべきことがなかったからです・・・
 
寒くて寒くて、グリーンは凍ってコチコチで、乗せれば奥まで転がっていってしまうという状態で・・・と言い訳はともかく、ドライバーもクリーンヒットは数少なく、フェアウェーウッドは一度もあたらずという悲しき結果に。20130104050.jpg
 
54・53とアンダー100がまた、また遠のく結果となってしまいました。
posted by くまじい at 16:00| Comment(0) | 茶話室

2013年01月14日

年越し

12月9日(日)、娘の部屋を後にして、来た時と逆に小田原経由で敦賀に向います。
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富士山は最近ご機嫌斜めでなかなか姿を現してくれません。天気が良いので期待していたのですが、頭を雲の中に隠していました。
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12月の記事は既に書いてしまったので突然年末を迎えます。
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年末ぎりぎりまで仕事があるということだったのですが、ほぼ前日までに仕事納めの状態になり、28日は片付け主体で、午前中に終わってしまいます。
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蠑螺が白く輝いている写真を撮ってたりしてて・・・

お弁当を持ってきていたので、昼食後、部屋に戻り、大掃除とかねてからの懸案だった模様替えを実施、翌29日に千葉へ向かいました。
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<米原手前で鈴鹿山系でしょうか不気味な感じで夕陽に照らされていました。>

手術した娘が1日〜3日に実家に帰ってくるとのことで、今年は箱根には行かず、千葉でのんびりすることになります。
 
また、安全祈願祭に参加する必要がなくなり、松の内はお休みさせていただき、9日が初出勤ということにしました。
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<夜は雪が・・・>

4日にゴルフのお誘いがあり、恐る恐る奥さんに申し出ると、なんとその日に学生時代の友達とのお食事会の誘いがあって、自分に遠慮して断ったのだと・・・

お願いして、お食事会に行ってもらうことに・・
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いつもなら、自宅に戻ってから、完全徹夜で年賀状の作成が待っているのですが・・・
 
今年は年賀状の代わりに退職の挨拶状に代えようと考えて、自分で原案を作成して、印刷屋に頼み、既に全部発送してしまいましたので、比較的ゆったりした気分で新年を迎えます。
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<12月28日の蠑螺岳>
 
と言っても、シーリングライト清掃とと庭掃除のお仕事は残っていて、草刈り機を買い替え、同時に購入した植栽バリカンで、少しは大掃除のお手伝いをして新年を迎えます。
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2013年01月10日

手術の後

阿夫利神社のお参りを終えて、2時頃に病院に到着しますが、先生のご都合で手術は夕方になりそうとのこと。 
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<5日、伊勢原の街で見かけたワンちゃん>
 
病室で待っていると娘の知り合いの方が激励に訪問してくれたり、事務的な連絡に来たりと結構人の出入りがあります。

短期間なので贅沢すると、個室に入っているので、その都度、すわ、お迎えか、と緊張するのですが・・・結局お迎えは6時になろうとする時間でした・・・明確な記憶がなく、あいまいですが・・・手術は1時間程で終了します。 
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<6日、小川町周辺、以下同じ>

奥さんと下の娘と3人で先生のお話を聞きます。手術は50分で終了して、結果は良好であること、検体の検査結果は暫くかかるが、良好な結果がでれば問題ないことなどを伝えられます。
 
切除した腫瘍を見せられますが 、切除と言うより少しずつ剥ぎ落としていった、と言うのが正確な様に小さな粒粒の集まりになっていました。
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自分の全く理解できない臓器のことゆえ、話を聞いても明確なイメージは判らないのですが、ともかく今まで疑問だったこと、不安だったことをこの際、極力、確認します。
 
切除して、全て解決と言う訳でなく、これからのケアが大事で、娘の苦労がまだ続くことに痛みを覚えました。
 
先生のお話をお聞きして、部屋に戻ると暫くして、娘が帰ってきます。
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自分の時よりは意識がはっきりしていて、全身麻酔の程度が大分違うのかと思いました。それでも、当然、いつもの元気は無くて、冗談でも突っ込み難い状況です。
 
しばらく、娘の必要なものの買い物したりと病室にいましたが、「大丈夫だからもういいよ」との娘の声に促されて、病院を後にします。
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奥さんと次女と3人で伊勢原の飲み屋でささやかな乾杯。席の近くの貼り紙に「五代」の文字を目の端でみていて、ビールの乾杯の後の2杯目を「これの水割り」ときちんと確認しないで注文してしまいます。
 
なんと「五代」の梅酒でした。
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甘ったるい、水割りを止むなく乾すという失態を・・・次女、「お父さんが梅酒頼むなんて、珍しいなと思った。」って・・・自分だけが気が付かなかったということみたい。
 
翌日は午前中に娘の顔を見て、お客さんのところに打ち合わせを兼ねてご挨拶に向います。
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<6日、田町の新ビルから、以下同じ>
 
新宿で地下鉄新宿線に乗り換えて、小川町で下車。上にでるとプラタナスの黄色が鮮やかでした。

本社から来た人間とお客さんの本社で待ち合わせ。二人で打ち合わせとご挨拶。
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正直言うとお客さんが、自ら動こうとしない面があって、なかなか話が進まなかったのですが、ようやく、少しだけ動き始めてきて、近々に具体的な打ち合わせをと言うことで、終わります。 
 
打ち合わせ終了後、本社の知り合いの他のお客さんを求めて、ご挨拶をして廻ります。
 
終了後にもう一つのお客さんへのご挨拶に田町に向います。 
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田町駅から5分程度のところにできた真新しいビル。
 
約束は5時ですが、3時半ごろに着いてしまったので、ビル前にある喫茶店で久しぶりに二人で積もる話をして、時間をつぶします。
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4時半に近くなると外が薄暗くなってきて、喫茶店がバーに切り替わるらしくて、夜の準備のせいか、照明が暗くなります。
 
それ以上粘る気力もなく、ビルに入って、会社の受付階までのぼり、時間まで待たしてもらいます。
 
外を見ると、東京タワーと六本木ヒルズが夕暮れに映えていました。
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5時になり、ようやくお客さんお二人とお会いできます。話もそこそこに、4人で人形町へ向い、懐かしの粕漬けの「魚久」の懐石料理で盛り上がりました。
 
昔、人形町に時々打ち合わせに行くことがあったのですが、会社の人に教えられて、よく粕漬けをお土産にしていました。宴会をするのは初めてです。
 
その夜は千葉の自宅へ帰ります。
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<7日、四街道市内、以下同じ。駅前の大欅、刈り込過ぎやろ・・>

翌日、7日は市役所に出向いて、期日前投票。自分の投票した人は落選してしまいました。
 
それにしても、民主党という党の実態はどこにあったんだろう・・・選挙時期を誤ったなどという、とんちんかんな総括していること自体が信じられない・・・
 
民主党を造り上げた重鎮があっという間に離反し、弱体化。残った議員たちが結束することなく、勝手なことを言い合う。
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見せかけだけの仕分で点数稼ぎ、沖縄基地、震災、原子力発電所、外交問題・・・と難問の連鎖に対して、無力どころか余分なこと言う、余計なことするなど、失政を重ねて、日本の行く末を不安に落とし込んでしまった。
 
だいたいが、政治主導と言うよりは、官僚にそっぽを向かれた揚句に、最後は官僚の言いなりとしか思えない政策の羅列になって・・・
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そして振り返ると、だれが「民主党」なの?と自分は困惑しました。
 
結局は選挙目当ての野合の党でしかなかった・・・長い間、岩手の王様に首相をやって欲しいと願ってきた自分は、裸の王様の末路を目の当たりに見て、いい歳して政治不信に・・・・???
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つい・・興奮してしまいました。2大政党の幻想に一時的に期待した自分への怒りがあります。
 
選挙を終え、伊勢原に向います。
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2012年12月25日

ほわいとくりすます

このところ、退職の挨拶状作成に気をとられていて、いろんなことがおろそかになっていましたが、23日昼前に一応終了します。
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<12.12.23 西方岳>

郵便局まで出かけて、局前の郵便ポストにドサッと投入して一息。
 
そう言えば、最近神楽の角っこに「つけ鴨うどん」って看板ができてたなと、郵便局前に車を置いて覗きに行きます。
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<12.12.23>

大阪生まれの「鴨錦(こいき)」というお店でした。
 
うどん「並」の鴨大盛を頼みます。並といっても2玉あるので、ボリュームは十分でした。
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<12.12.23>
 
出汁にレモンスライスが浮いていてちょっとビビりますが、鴨の出汁と合う感じで美味しくいただきました。
 
でも・・・蕎麦の方が出汁が絡んでさらに美味しい鴨(かも)って、くだらない・・・
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<12.12.23>
 
今度、蕎麦を食べに行ってみよう。
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<12.12.23>

ワインの会の繋がりで、敦賀ポートフェスティバルの案内をもらい、ちょっとジジにはきつい集まりかと思いつつ、時間があったら、顔をだそうかと思っていました。 
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<12.12.23>
 
そのチラシがカウンターに置いてありました。 

夕方、買い物がてらにポートフェスティバルを覗きにいきます。
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<12.12.24>

イメージなく行ったのですが、「ぼたん亭」、「ほんの間」などなじみの協賛の店が屋台を並べていて、反対側には「キラク」、「COCO AZURE]」、「Tree」などのブースでお酒を販売しています。 
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<12.12.24>

タクシーでくればよかったと後悔しつつ、ジンジャーエールで喉をうるおし、雰囲気だけ感じて帰ります。
 
敦賀を面白くしようと市民レベルで色んな試みをしているのを見るといいなと思います。
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<12.12.24 岩籠>
 
まだ6時前で、物足りなくて、結局五縁に・・・ 

7時頃にもう眠くなって、代行で帰宅。
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<12.12.24 三内>
 
そのままの格好で床に寝てしまって、夜中に寒くて寒くて目が覚めます。 

本格的に寝ようと、布団を敷き、トイレに行こうとすると、外がやけに白い・・雪がしんしんと降っていました。 
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<12.12.24>

朝起きると一面、白くなっています。車の上に3cmくらい積もっていたようでした。
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<12.12.24 乗鞍>

体力に自信があれば即座に野坂に向うところですが、雪の時に敗退していることがトラウマになっていて、「今日は」止めておこうと・・・
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<12.12.24 旗護山>
 
朝日に輝く野坂、三内、旗護、乗鞍と写真を撮りまくります。

そのまま、部屋に閉じこもっていましたが、夕方、テレビの録画用ハードディスクを買いに外にでて、松原海岸を覗いて、また、すぐ部屋に戻ってしまいます。
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<12.12.24夕方 西方岳>

それでも少しはクリスマス気分をと、帰りにサークルKでケーキ代わりのエクレアを購入、コーヒーで美味しくいただきました。
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<12.12.24夕方 敦賀火力>
 
めりー・くりすます・・・・
posted by くまじい at 00:56| Comment(0) | 茶話室

2012年12月01日

野坂2題

赤野坂・・・時々朝は野坂が赤く燃えます。
 
慌ててカメラを取り出しますが、なかなかいい絵は撮れません。
 
主として勉強不足による腕の無さによるもので、進歩がありません。
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実は、赤富士は北斎の絵柄を見ていて、雲の感じから夕焼けが映えているのだと思っていました。
 
調べると、赤富士も朝焼けの状態を表しているのだそうです。(Wikipedia)
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Wikipedia 

もう一つは、普段はあまり紅葉を感じさせない野坂ですが、朝日に当たる部分が、うすく絨毯模様に見えていて、面白いなとねらいました。
 
雲の切れ間から覗く朝日がスポットライトの様に絨毯模様を浮かび上がらせています。
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今日、12月1日野坂山の頭は雲に隠れていますが、垣間見える上の方は白い物でおおわれているようです。※
冬型の気圧配置が頻発し、寒くなると喧伝されるわりには、それ程の寒さを感じていませんでした。
 
自分が着ると周りの人間が人のことを「ミシュラン」と揶揄するダウンジャケットの出番が来ていないことがその証左になります。
 
それでも野坂が白く染まるのはこれで2度目、先週25日に久しぶりに登った時に霜柱はありましたが、雪の痕跡はありませんでした。
 
来週も冬型の気圧配置が続くそうで、だんだんと敦賀も本格的に冷えて行くのだと思います。
 
閑話休題・・・
 
今日、明日と原子力規制委員会による日本原電敦賀発電所の破砕帯調査が行われることが新聞に報道されています。
 
調査は地震がご専門の島崎邦彦委員長代理(原子力規制委員会公式サイト)をはじめとした専門家の先生方全5人で行われ、今日は5人全員で調査。
 
明日は5人の先生のうち希望者だけが調査するという方法を取るのだそうです。
 
大飯の時に、時間が少なかったという反省の元に、2日を用意したこと、事前に調査員が来て、データ確認をしたりと、調査の効率化を図っているようです。
 
12月10日には本調査の評価委員会が開かれて、議論が行われ、なんらかの方向性が出る可能性があるのでしょう。あるいは簡単には結論がでず、さらに追加調査ということになるのか・・・
 
実データを持って議論することにより、なにを持って判断するかという評価基準がより明確になっていき、議論が整理されていくことを期待しています。
 
※;12月2日朝の野坂は下の写真の様に、頂が少し白くなっています。
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2012年10月14日

沼津港深海水族館

今日(8月18日)は箱根を離れ、昨年12月に開館した沼津港深海水族館と周辺での昼食を楽しみに行きます。 
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水族館の説明を見ると、最大の目玉はシーラカンスらしい。

ミュージアムとして一般に公開することを正式に認められた5体が存在し、さらにそのうち2体は、生冷凍であるとのこと。
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もう一つの特徴は駿河湾に面した沼津にあること。
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駿河湾は最深2500mで日本一、国際的な報道機関や著名なカメラマンたちがたびたび訪れ、深海の生態を撮影するスポットになっているのだそうです。
 
この立地を利用して、今後駿河湾の深海生物を展示して行こうとしているとのこと。
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<オウムガイ>
 
沼津深海水族館は周辺の「沼津港八十三番地」と共に佐政水水産鰍ェ開発、運営しているとの記載があります。

八十三番地は言ってみれば敦賀の「日本海魚街」と類似の施設で、水産物、土産物屋、飲食店が入っています。その中に水族館を置いて集客の核とていると言う、巧みな戦略です。
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<ハリセンボン>

といっても、以前来た時の寂しい風景が一変していて、沼津港全体に水産物商店や、飲食店街が広がっていて、我が家も水族館の後は、八十三番地の外の店で食事してしまいました。
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せっかく、沼津にきたら、真新しいお店よりも古い老舗風のお店に入りたいとなんとなく感じてしまいます。
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<テヅルモヅル>

それにしても・・・7,8年前でしょうか?
 
奥さんと二人で沼津港に行ってみようと自宅からふらりと遊びに来たことがあります。
 
何故というのはよく覚えていません。天気も良いし、どこか遠出して、美味しいランチを食べようと言うことだったと思います。
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<カクレクマノミ>

あるいは昔、父が存命のころに、沼津で食べさせてもらった、鰻が忘れられなくて、探してみようだったかもしれません。
 
当時、ポツンポツンと食事処があるだけで、新しいお店も出来つつあったという感じでしたが、広いエリアに多数の水産物卸とお食事処がひしめき合っていて、えらい違いです。
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<オオモンカエルアンコウ>

沼津港周辺の、開発の波のなかに八十三番地、深海水族館に新設があり、またこれによりさらに、沼津港周辺が活性化して行くという、このご時世からかけ離れた、伸張の世界が広がっています。
 
水族館はそれ程大きい物ではありませんが、珍しい生物の連続で、楽しませてくれます。
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<ボロカサゴ>

今日は土曜日ということもあって、お客さんも多くて、なかなか前に進みません。
 
展覧会だと、混んでると、一列、二列後ろから絵は鑑賞して満足することも有りますが、水族館はやはりガラスにしがみついて見たいので、ほとんど一列に整列した状態で人波が動いて行きます。 
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<コンビトクレブニー>

ましてや、ここの水族館では深海の生物に対しては、かなり照明を落としていますので、少し離れると鑑賞が難しく、近くに行かないと暗い水槽を眺めるだけで終わってしまいます。
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<イロブダイ>

シーラカンスの展示が最後にあり、お土産物屋を通って出口にむかいます。
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楽しい展示でした。おそらく食事とセットで今後も何回か訪問することになりそうです。
 
さあ、何を食べようと・・・行列が出来ているお店もあります。
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<タスマニアキングクラブ>
 
奥さんが「この店が確か以前来た時にご飯食べた店だと思う」と、カウンターであれば待たずに座れると言うことで、即、入らせていただきます。
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<ヤマトトックリウミグモ>

なにを食べるか・・・と最初に目についたのが、「霞ヶ浦」・・・娘に帰りの運転をお願いして、とりあえずのお酒を
頼んでしまいます。
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<ハシキンメ>
 
食事は生シラスの入った丼を頼みます。確か店の名前が付いた丼だったのですが、お店の名前を忘れてしまいました。
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<アカハライモリ>
 
生シラスは美味しかったけど、めくるめくほどではなく、次回は違うものにチャレンジかな?
満腹状態で、後部座席でうつらうつらしながら箱根に戻ります。
 
途中ホームセンターに立ち寄り、部屋に付けるスダレなどを購入しました。
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posted by くまじい at 09:00| Comment(0) | 茶話室

2012年09月30日

箱根大文字焼0816

箱根湿性花園から湯本まで降ります。
 
駐車場を探して、川向こうに駐車。まだ娘の到着まで、30分以上あります。
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奥さんが娘と二人で行きたかった、湯葉丼の「直吉」で昼食を食べたいと・・・
 
場所を移転したらしく前に車で行って、よく判らなかったのだそうです。
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時間があるから歩いて探してみたい。
 
行列のできる人気店なので、見つけたら、順番を取っておいて娘を迎えに行こうと・・・
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場所はすぐ判りました。

確かに、順番待ちの人がたむろしています。10組くらいの順番待ちリストの最後尾に名前を記入します。
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順番が来てしまうと面倒くさいので、自分は残って奥さんが迎えに行きます。
 
結局、二人が戻ってくる前に、順番が来てしまい、「すいません、二人がちょっと買い物に行ってて、すぐ戻ってきます。」と言い訳しながら席に着きます。
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湯葉丼御膳を3つ、と言おうとすると、「お揃いになってからでいいですよ」と・・・

まあ美味しかったけど、リピーターになるほどでもないかと言う感じ・・・
 
食事を済ませて、湯本の街中をぶらぶらします。
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直吉のある道は観光客があふれかえる喧騒の表通りから一本入った裏道にあたり、歩いている人も地元の人だけと言う感じで落ち着いた雰囲気です。
 
芸妓さん(箱根湯本芸能組合)の唄や踊りの発表の場である、湯本見番があります。
 
劇的ビフォアアフター(テレビ朝日)で壊れそうだった、建物を改装したのだそうです。余り見ない番組なので知りませんでした。
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干物屋さんの軒先に七輪を置いて、サンプルを自由に食べてくださいと言うところもあります。

試食して、結局夕食用に干物を購入してしまいます。今夜は部屋で食事をして、ベランダから大文字焼を楽しもうということです。
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湯本でお土産を済ませてしまおうと、3人で何軒か土産物屋を周りますが、ほとんど共通したお土産でした。
 
また、土日を挟むため、日持ちの良い物をと思うとなおさら選択枝が限定されます。
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それなりの戦果を得て、駐車場に向う間に、パンを買うからと富士屋ホテルに寄ります。二人がパンを買っている間に、富士屋ホテルのお土産物屋でお土産を追加購入。
 
運転担当が娘に移って一安心。アパートに帰るとお留守番の二人の猫が暑さにうだっていました。
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<あんだ、おら〜>

夕方5時頃になってもまだ、大の字では作業中の模様。おい、7時に間に合うのかよ。
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案の定、7時を大分回ってから大文字が輝きます。
 
暫くして花火も始まり、ベランダでカメラにかじりついていましたが、ロクな写真がありませんが並べます。
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花火の時には絶対三脚と思っていたのも、敦賀においてきてしまいました。
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敦賀の花火の迫力には負けるけど30分程花火を楽しみました。 
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明日は天気も良さそうで、金時山を狙います。
posted by くまじい at 21:43| Comment(0) | 茶話室

2012年09月30日

9月29日のこと

10月1日に自分の会社の厚生年金と健康保険の申請のために、千葉に戻ります。
 
同時に銀行で各種引き落としの手続きをして、これでようやく一連の会社設立の作業が終了することになります。
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7月から始めて長い道のりを歩き、気もそぞろで、色々なことがおろそかになっており、自分の器量の狭さを改めて感じています。
 
会社登記簿上の会社設立日は法務局に届けた、7月24日になりますが、きりのいい10月1日を実質上の設立記念日にしようかなと。
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9月29日(土)に五縁の女の子の結婚式に参列、夜は「やまとも」で舟木酒造さんの利き酒の会があって、千葉に向うのは30日(日)になります。
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結婚式は前の会社の所属でもいいし、興した自分の会社名でもいいよと連絡してありましたが、座席図には自分の会社名で、代表取締役の肩書きで印刷されていました。
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挨拶もさせていただいたので、これが代表取締役の初仕事ということになりますか・・・

盛大な結婚式で、大盛り上がりしていました。
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驚いたのは「COCO AZURE」のマスターが、バーに入ってカクテルを造ってくれています。
 
新郎新婦にマスター特製のカクテルを造ったということで、紹介されていました。

お調子者のくまはすぐその特製カクテルを自分にも注文・・・名前を聞くのを忘れました・・・お替わりに「スポモ二」を・・・
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できれば色々楽しみたかったのですが、夜の部があるので控えめに・・・
 
結婚式から戻って、夜の部に控えて、ひたすら寝て、そろそろと起き上がろうとしていると、電話がなります。
 
電話は「ウタ」さんからでした。
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前にウタさんから「黒龍から五百万石を使った、福井特約店有志の会のオリジナル商品がでる、ついてはネーミング募集することになったので、応募しないか?」
 
と声をかけられて、喜んで参加させてくださいと、2日間程度考えて応募をしました。
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最初、五百万にかけようと、5を「いお」と読ませてなにかないかとかんがえていましたが、なかなか良い物が浮かばず、連想ゲームで「みお」という読みがでてきました。
 
「みお」というとテレビドラムで有名になった「澪標(みおつくし)」(海や湖の浅瀬に水路を示すために立てた杭)を思い出します。
 
「澪(みお)」の語感、水に関係するサンズイが水が大事であるという酒に対する想いがこもっていい、この字を使おうと・・・
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色々考えましたが、浅い水路を航行する際の水先案内をするという意味の「澪引く(みおびく)」に行き当たりました。引くはマイナスイメージがあるので「曳」の字を当てて「澪曳(みおひき)」と言う名前で応募することに。
 
他の酒をリードする水先案内人の意味もかけたつもりでした。
 
「自分の応募作品が優秀賞に入選した、そこそこ善戦したが、最優秀には及ばなかった。」ということが電話の内容でした。
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「黒龍」のホームページのお知らせを見ると優秀賞の欄に「くま」さんのお名前が名字だけでていると・・・さっそく確認させていただきました。
 
時間になったので、「やまとも」に向い、舟木酒造のお酒の「利き酒会」に参加。
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向いに座られた、舟木専務のお酒に対する情熱溢れるお話を興味深く伺いつつ、お酒とお料理を楽しみました・・・
 
特に酒米に対する果敢な挑戦の話が面白かったです。「神力」で造った純米吟醸のさっぱりした飲み口、「こしひかり」で造った純米吟醸の甘いコクのあるお酒など舟木さんの挑戦の成果を堪能。
 
米により、扱いががらっと変わってくるので酒造りの工程が大変らしい・・・「杜氏には迷惑をかけていると思います。」との優しい言葉も・・・
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どれも美味しいお酒でしたが、「山田錦」の大吟醸、小袋搾り、限定斗瓶囲い「たくみ」はさすがのお酒で、飲み飽きない、まろやかな味で洗練されたすごさを感じました。
 
結婚式では控えたと言いつつ、結婚式のお酒とお料理が応えていてお料理を大分残すことになってしまい、申し訳ない思いでした。
posted by くまじい at 08:00| Comment(0) | 茶話室

2012年09月29日

箱根湿生花園0816

64歳になり、雇用延長期間の終了とともに約20年間お世話になった会社を退職。
 
同時に会社を立ち上げて古巣の会社の子会社と契約して、結局敦賀の仕事が継続することになりました。
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会社を辞める手続きの面倒くささと、会社を立ち上げることの大変さを味わって、会社に全てを任せきりで、なにも出来ない人間となっていたことよ、と痛感します。
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<開園前の湿生花園>

会社立ち上げ記はそのうち備忘録としてまとめたいと思います。
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<入り口にあるレストランの庭の写真を・・・陽の光は良い・・・>

今書いているお盆休の週はゆっくり休ませてもらいましたが、8月、9月は、この色々な変化があわただしく自分の周りにまとわりつき、落ち着かず、あれをやるのを忘れ、これをやるのを思い出せずと・・・こころここにあらずの感じで月日が流れました。
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<同じく入り口にあるレストランの庭 キキョウ>

上の空の状態が続いて、ブログも集中できない状態が続いていました。
 
って、まだやることが残っていて、落ち着くのはまだまだ先のようです。
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<金時山は明日登ります。>

というところで、8月16日はお盆の送り火と言う意味なのだと思いますが、箱根では大文字焼と花火が上がります。
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<再びレストラン チョウセンヨメナ>

敦賀の灯篭流しと花火、京都の大文字焼と各地でお迎えした御先祖をお送りする行事が一斉に行われる日になります。
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次女が大文字焼を楽しみに休みを取って箱根に来て、週末まで一緒に過ごします。
 
旦那さんはチョー忙しいみたいで、お留守番とのこと。
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<ミソハギ>
 
昨日とはうって変って良い天気です。

次女が湯本まで電車でくるので、迎えに行く前に、午前中は湿生花園に行こうと。
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<エゾミソハギ>
 
張り切り過ぎて開門30分前に到着。
 
金時山や湿生入り口のレストランの写真を撮って時間をつぶします。
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<ポンテデリア>

ようやく中に入って、さっそく引っかかって写真をとっていると、案内のおばちゃんが声をかけてきます。
「よろしかったらご案内しますよ。一緒に歩きながら説明して行きます。無料ですよ。」
 
無料ならお願いしようと・・・
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<花菖蒲>
 
おばちゃん、自分でも勉強中らしくて、人に説明することで知識を確認しようとしているようでした。
 
丁寧に説明してくれて、面白かったけど、いかんせん生徒の方が記憶力がボロボロでほとんど覚えていません。
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<レンゲショウマ>
 
説明は目につく花が全て対象になりますので、結構時間がかかります。
 
奥さんが説明を聞いている間に、こっちは説明そっちのでけでカメラを撮りまくります。
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<コオニユリ>

えてしてこう言う時はあまり満足のいく写真がないものですが、案の定、ピンボケとつまらない写真の嵐でした。
 
嵐では大野くんが面白いと思います・・・って。。関係ない・・・
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<アサザ>
 
といいつつ、おばちゃん、一所懸命覚えていることを説明してくれていて、路線を外れると大変調をきたします。
 
奥さんが素朴な質問をすると手持ちの資料を調べまくり、類似の資料がある場合はいいけど、ない場合は残念そうに「今度調べておきます。」
 
って気の毒になるくらいがっかりします。
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<オオバギボウシ>
 
「素朴な質問」は我が家の奥さんだけでなく、女性特有の才能のような気がします。
 
きっと、独り言に近くて、無視していいのかもと思うのですが、言われた方は口に出されると何か言わなければとアセアセと答えを探します。
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<シシウド>
 
と言って全然判らない時には自然と無口になって結果として無視になる時も多いのですが、あまりに回答に窮する質問が続くと、おれは「百科事典じゃない!」と心の中で逆切れしたりしています。
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<ホザキシモツケ>
 
せっかく色々説明してくれるのを自分達で独占するのはもったいないので、説明に心ひかれながら通り過ぎる他のお客さんにもご一緒にどうですかと誘いますが、曖昧笑顔で後ずさりして仲間に入る方はいませんでした。 
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<サワヒヨドリ>
 
まあ、個人的に説明されるより、集団で説明を受けた方が、こちらも気が楽になるところもあって、仲間を増やして負担を軽減しようという意図なので、見え見えだったかもしれません。
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<アサマフウロ>
 
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<オトコエシ・・・オミナエシの男版なのだそうです。> 

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<サラシナショウマ  伊吹の群生が懐かしい>
 
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<マツムシソウ>

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<キキョウ>

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<キキョウ>

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<エンビセンノウ>

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<シモツケ>

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<シラヒゲソウ>
 
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<ヤブカンゾウ>

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<サワギキョウ>

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<イヌショウマ>

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<ヒメトラノオ?クガイソウ?>

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<オミナエシ>
 
おばちゃんに有意義なお話を色々聞きましたが、仙石原湿原植生復元区の説明は興味深いものでした。
 
記憶が定かでないので「NHK趣味の園芸テキスト」の記述を参考にさせていただきます。
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「仙石原湿原植物群落は、昭和9年に国の天然記念物に指定されましたが、その後、減少の一途を辿りました。昭和51年、「箱根湿生花園」が開園され、仙石原湿原の一部に植生復元実験区が設けられました。」
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「約20年前から元の湿原の姿を取り戻すために、昔ながらの草刈りや野焼きが実施されています。
 
特に、野焼きの光景は圧巻。風上に火を入れ、一気に枯れ草を焼き尽くします。
 
このような努力によって、ノハナショウブで草原一帯が紫に染まったという当時ほどには及びませんが、少しずつ回復の兆しが見えてきています。 」
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おばちゃんのお話では復元区のエリアを4つに別けて、全く手を入れないゾーン、ここは葦が他の湿生植物を覆い尽くしています。
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野焼きをするエリア、野焼きをしてさらに草刈りをするエリアと、草刈りを頻繁にするエリアと別けて、植生の違いを見ているのだそうです。
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こう言う雄大な実験のお話を聞くと感激屋のくまはもう興奮してしまいます。
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<ナツエビネの名残りがありました。>
 
おばちゃんに色々話をきいているうちに早くも11時半近くになっています。
 
これ程時間がかかるとは思わず、少し慌て気味に湯本へ向かいました。
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<サギソウ>
 
※文中で花の写真の名前がないのは現時点では不明なものです。おいおい記述を増やしていきたいと思います。
posted by くまじい at 09:30| Comment(2) | 茶話室

2012年09月16日

「くま」と言う名の猫

「くま」は長女が親元を離れて一人ぐらしを始めた大学の時に飼始めました。
 
 高学年になり学業に集中するために、我が家に引き取られて、13、14年というところでしょうか・・・
 
爺さんで、色んな持病持ちですが、いつまでも幼い頃の面影が残っている気がします。
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2012.08.05 

長女が職業として選んだのは看護師でした。
 
幼い頃の体験が彼女をそう決意させたのだと思いますが、高校の進路決定の時に、自分の道を決めて、そのまま現在に至るわけです。
 
翻って、自分の高校の時にはどうだったか・・・何をしたいかを明確に決断できずに、大学に入って自分の道を決めようと先送りしたと言うことだったのだと思います。
 
しかも高校の時に自分を失い、大学に入るのに2年も寄り道をして・・・
 
ということで、彼女が高校の時点から一筋に進んで今に至るということに対しては尊敬の念があります。
 
まあ一筋と言いつつ、節々で色々悩みはあったようです。
 
この歳になって、未だに惑いだらけの自分の血を引くのだから、迷わない訳はない・・・と変な太鼓判を押したりして・・・
 
彼女も大学に入るのに浪人を経験しています。自分とは異なり、道を決めて受験に臨んでいると言いながらも若さゆえに集中できない部分があったのだと思います。
 
切羽詰まらないと事を起こせない自分の血が彼女に流れている気もします。

人間関係に不器用で、他の人だったら、素通りできるようなことでも、引っかかって悩んだりして、廻り道しながら、口ではヤケッパチな言い方をしつつ、悩み悩んで、歯をくいしばり、よちよちと自分の道を歩んでいます。
 
そういう彼女の健気な姿を見ていると、時々うるうるしてしまいます。
 
親ばかです・・・
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<後から家族なった「けいちゃん」、相当おばあちゃんですが、野良が沁みついています。>

出来る限りのバックアップをしてやりたいと思いつつ、なにも力になれない父ですが、まあ、愚痴を聞いてやることと、自分の悩んできたことの体験からの話はできるのかなと・・・
 
「くま」の話のつもりが長女の話になってしまいました。
posted by くまじい at 06:12| Comment(2) | 茶話室

2012年09月04日

「はいかい」最終周

今日、9月4日に64歳を迎えました。四捨五入の「あらかん」最後の年になるわけです。
 
悪い星の下に生れていいことない人生だった・・・などと言うほどでもなく、凡庸な人生を、おずおず、だらだらと過ごしてきました。
 
まあそれでも後1年は「あらかん」を名乗ってもいいのかなと思いますが、ブログのファイル容量の方が後一年の命となりました。

 
<Albert King  "Born Under The Bad Sign">
 
前にも書きましたが、毎年500MBずつファイルが増えて3年半、とうとう1.75GBとなり、menetから与えられている限度容量の2GBに後半年分しかないということです。

1枚の写真の大きさを平均値200KBとして、8750枚の写真をアップした勘定になります。まあ絵や地図等もありますから8500枚位ということですか・・・
 
そのうち満足できる写真というのがあるのか・・・腕でなくカメラのせいにしてる自分もいて、まあ日々これ研鑽というところでしょうか・・・寿命が来る前に、納得の写真が現れるのか・・・

<Janis Joplin "Happy Birthday For John Lennon">

 養命酒のCMで気になる言葉があります。

「女は7の倍数、男は8の倍数に身体の変化が訪れる」と言うものです。

養命酒の公式サイトに詳しい説明がでていました。
 
「いまから二千年前に書かれた、東洋医学の教科書ともいえる文献『黄帝内経(こうていだいけい)』には、女性は7の倍数の年齢、男性は8の倍数の年齢で、からだに変化が訪れると記されています。
 
これは成長や加齢にともなう体調の周期的変化を、多くの経験則からまとめた知見で、現代人とも多くの一致点がみられます。
 
女性は7の倍数、男性は8の倍数が「節目の年齢」。その年齢になったら病気の手前とされる「未病(みびょう)」の症状がないか、自分や家族の健康状態をよく知ることが大切です。 」
 
64歳は老齢期に入るポイントだと・・・
 
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<CMの説明図:クリックすると大きくなります。> 養命酒の公式サイト

64歳にして会社の延長雇用期間が終了し、転職以来23年間お世話になった、会社を退職しました。って、辞令をもらうのが6日なので、まだ、ピンときていない。
 
退職後も別な形で今の仕事をサポートすることになり、6日に同時に契約をすることになりました。
 
 
<Marilyn Monroe "Happy Birthday For Mr. President>
 
容量制限からみると、「わかさはいかい」は第4コーナーを周り、ゴールが見えてきましたが、敦賀起点の「くま」のはいかい自体は体力と相談しながら、もう少し続きそうです。
posted by くまじい at 02:00| Comment(0) | 茶話室

2012年07月21日

牧之原静波海岸

自分は29歳の7月、もうすぐ30歳を超えようとしている時、縁あって結婚しました。
 
新婚生活は中目黒の文房具屋さんの2階の部屋を借りてスタート。
 
大学卒業後、石油会社に入社、横浜にあった製油所勤務となりました。会社の独身寮が神奈川県川崎の宮前平にあり、一年以上を独身寮で過ごしました。
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<榛原郡から牧之原市になったけど街並みは変りません>

そのうち住宅・都市整備公団の賃貸住宅、いわゆる公団住宅の単身用に当選、恵比寿に近い古いアパートに移り、一人暮らしを始めました。

当時公団の単身用に住んでいると結婚した時に、小世帯用に移れるという特典がありました。
 
中目黒のアパートは希望の団地の空きが出来るまでの繋ぎとして選んだもので、1年後には経堂の小世帯用、と言っても、1DKですが・・・に引っ越しました。
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<甲斐犬 黒かったのが歳とともに茶が出てきて虎になってきのだそうです。>
 
練馬に実家がありましたが、会社の至近の鶴見駅まで通うにはいささかきつくて・・・というより、大学の4年間、親元を離れて暮らした気楽さから、親と距離を置きたかったという方が、正直の様な気がします・・・

広尾も六本木も近い、利便性の高い場所でしたが、飲みに行くというと、「おしゃれな場所」には足が向かずに、渋谷か恵比寿の赤提灯をハイカイしていました。
 
大して色気のある話もなく・・・まあ、少しはあった気もしますが、明確に記憶に残るようなこともないままという地味な生活を送っていました。
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<裏庭にある茶畑、メインの畑は車で出かけます>
 
お互いの友人の結婚式で奥さんと知り合います。2次会、3次会と付き合ううちに最後に残った二人と言う感じ・・・それから時々飲みに行くようになり・・・

自分はそれまで、結婚する気は全くなく、社内預金は少し貯まれば、おろす、の繰り返しで数字が増えることはありませんでした。
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ある時、少しは残っていた残りの全額を下そうとした「くま」にあきれた、事務の女性、「お金を貸すから、これで今月しのいで、最低限の預金は残しておきなさい。」などと諭される始末。 

この女性、先輩の奥さんで、いつも気を遣っていただいて、逆らえず、仰せのままに有り難くお借りする、という情けないこともありました。
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<モクレンの花が・・・よく見ると多くの蕾が膨らんでいました>

えーっと、結婚を機会に本籍地を父の本籍地である牧之原市静波から渋谷に移したと言う話をしようと思っていたのになんと余分なお恥ずかしい話を・・・ 
 
静波は、父の生まれた田舎になるわけですが、父の家系の家は残っておらず、自分がお付き合いしている親戚は、戦災で亡くなった、兄の母の実家にあたります。
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<浜は今やすべて有料駐車場になっています>
 
死に別れ同士の再婚となった自分の母および自分は、兄の母の家系とは血のつながらない親戚筋になるわけです。

亡くなった義母の妹にあたるお婆ちゃん、兄の従兄の夫婦、その子供の世代で、自分と歳の近い人間達がいました。
 
幼いころは当然の様に、皆が歓待してくれるのに甘えて、田舎生活を満喫していましたし、状況が理解できてきた後も、あたかも自分の親戚の様に、遊びに行っていました。
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<人の良さそうな徴収係のオッチャン見てると文句も言えない・・・>
 
大学の時の夏休みに一人で遊びに行って、10日間くらいを過ごしていた記憶があります。
 
お茶農家がメインのその家では自分が起きてくると、もう皆仕事や学校に行ってガランとしています。 
 
今は亡くなった婆ちゃんに朝飯を食べさせてもらって、「行ってきまーす」と歩いて10分程度の海岸に・・・
 
昼になると食事に帰り、また夕方まで浜で遊ぶ・・・飽きもせずよくやったと思います。
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母は「何の関係も無いのに申し訳ない」と、自分の知らないところで謝り続けていたようです。今回もその話が出ました。

母の言うことは判ります。自分にもそういう、建前論、というのか、自分の中の論理で自制してしまう面は多分にあります。
 
父は、皆に「おじさん」「おじさん」と持ち上げられて、家長のように振る舞っていましたので、自分の息子を歓迎するのは当然という態度でした。
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考えてみると・・・亡くなった嫁さんの実家ですから、父にとってもあまり、血の繋がりが濃いというわけではないという気もします。
 
父にしてみると、自分は東京に一人で出て、苦労して生活してきたことから、田舎から出れないお前たちと違う、というちょっといやらしい自負もあったようです。
 
父ほど厚かましくはできないけど、 母の「気遣い」も彼らの素朴な好意に対して、むしろ、壁を造って拒む、「都会人の冷たさ」という感じもしました。
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自分と同世代のやんちゃばかりしていた長男は、ぶっきらぼうな態度ながら、自分に親しみを覚えてくれていたようで、よく酒を飲んだ記憶があります。
 
無茶苦茶な飲み方をする奴で、家で飲んでると「外に行こう」と、近くの飲み屋まで出かけたり、焼津まで、酔っぱらってる状態で車で連れて行かれたこともありました。

ある時は、田んぼの中に突っ込んでひっくり返ってけがをして入院中に、自分が来るからと病院から抜け出してきて、会いに来たりしてくれたこともありました。
 
その時はさすがに飲まなかった様な気がします・・・
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<御前崎方面>
 
段々と疎遠になり、長女が生まれた時にお邪魔して以来、父の納骨に行っただけで、ご無沙汰していました。
 
兄の家族は親しく交流しているようでしたが、自分の心の底に母の気遣いと同質の気配りが生じてきて、足が向かなくなったというところもあるような気がします。
 
長男の子供たちも大きくなり、素朴に受け入れてくれるのか・・・と、そんな感じだったと思います。
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長男が3年前に脳梗塞で倒れ、看護師だった奥さんの機転で奇跡的に大事に至らず、回復しました。
 
さすがに懲りて酒の飲み方が変わったかと思ったら、相変わらず、飲み続けていたようです。

昨年、再度倒れたことを電話で聞きました。
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今回は蜘蛛膜下出血ということで、飲酒との因果関係はない、こうなると、長期戦を覚悟して、じっくり構えてリハビリを続けていくしかないとのこと。
 
一度見舞いに行って励ましたいと考えていましたが、「みんなのごるふ」で静岡遠征をやることになり、ついでと言っては申し訳ないけど、皆と別行動で静岡に向かい、顔を見にいこうと・・・ 
 
今年の新茶を送ってもらったお礼の電話をして、お見舞いしたいことを伝えました。
 
彼は退院してというより病院からは追い出されて、自宅からリハビリに通う生活をしているとのことでした。
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たどり着いてみると肺に水が溜まり、近所の総合病院に入院した、風邪をこじらせたとのことでした。
 
今のところ口がきけない状態なので、自分の状況を家族にうまく伝えられないところがあるようでした。
 
自分が来ると聞いてボロボロ泣いていたようですが、病院に行って目を合わせると懸命にこちらを見て口を動かしていました。
 
おそらく、色々気を遣っているのだと思います。理解できないので、ただ、頷くしかありませんでした。 
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翌日、再度病院に行って、「頑張れよ、また来るからな」と肩に手をかけて別れの挨拶をすると、彼の顔がくしゃくしゃになり涙がこぼれました。
 
退院して、リハビリを再開できるように、祈るばかりです。
posted by くまじい at 07:53| Comment(0) | 茶話室

2012年07月14日

国立西洋美術館

国立西洋美術館の常設展に入って、ぶっ飛んでしまいます・・・
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<国立西洋美術館常設展は一部の絵画を除いて撮影OKでした!!> 
 
「あらかん」になって、絵画ファンになったという、遅れた人間としては、国立西洋美術館の恐ろしさを知らなったというところで・・・自分の好きな絵がこれでもかこれでもかと並んでいたのです。

結局その1/3程度しか回らないうちに、スーパーひたちの出発時間が迫ってきて、断念して駅に向かうことになりました。こうと知っていれば時間配分を考えていたのですが・・・
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常設展だけの入場は420円とのこと。
 
常設展だけで楽しめる美術館として、ポーラ美術館、ブリジストン美術館そして、この国立西洋美術館・・・楽しそうな場所をまたまた見つけてしまいました。
 
脚を運ぶきっかけとしては、特別展狙いになるかもしれませんが、時々癒しを求めて訪れる「僕の美術館」としての認定を与えてしまいます・・・
 
なんて、「無知な素人がなにを今さら・・・」と失笑を買いそうですが・・・
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<ロダン バルザック最終習作 原型1897年、鋳造1961年>
※MOMAでお目にかかったバルザックが・・・本物はパリ、ラスパイユ大通りに設置されているのだそうです。

国立西洋美術館の公式サイトでの説明をお借りします。

「国立西洋美術館はフランス政府から寄贈返還された松方コレクションを基礎に、西洋美術関する作品を広く公衆の観覧に供する機関として、1959(昭和34)年4月に発足しました。
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<ロダン 青銅時代 1887年>

スランスから返還されたコレクションは印象派の絵画およびロダンの彫刻を中心とするフランス美術のコレクションでした。
 
以来、広く西洋美術全般を対象とする唯一の国立美術館として、展覧事業を中心に、西洋美術に関する作品および資料の収集、調査研究、修復保存、教育普及、出版物の刊行等を行っています。
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<ルーベンス 眠る二人の子供 1612-1613年頃>

展覧事業に関しては、本館(ル・コルビュジエ設計、1959年重要文化財指定)および新館(前川國男設計、1979年)において年間を通して開催しています。
 
展示品としては松方コレクションの作品および創立以来毎年購入しているルネサンス以降20世紀初頭までの作品および寄贈・寄託作品を常設展としています・す。」
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<カルロ・ドルチ 悲しみの聖母 1655年 ラビスラズリ青がきれいでした。>
 
常設展の入り口はロダンの彫刻群です。入り口に表示があり、「「撮影禁止」マークがあるものは撮影禁止」とのこと。えっ?・・・と言うことは・・・

その他は館内での撮影はOK、この彫刻コーナーには撮影禁止対象はないとのことでした。個々を対象とするのではなく、俯瞰の撮影であれば全く問題ないとのこと。

その後、モネの絵が並んでいる部屋あたりから、一部の絵画には撮影禁止マークがありましたが、数は少なく、大半の作品は撮影が可能でした。
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<コルネリス・デ・ヘーム 果物籠のある生物 1654年>

ただし、国内では初めての経験、周りの人もそんなこと知らない人ばかりで、危ない奴、という視線を感じて、緊張。じっくり構えられず、盗み撮り的な感覚になってしまう・・ええい、図体の割に肝の小さい「くま」め。
 
自分が作品を撮るのはメモ代わりなので、まあP300 でも十分役割を果たしていますが、お気に入りの絵をもっと綺麗に撮りたいし、館内の雰囲気を撮るにはちょっと物足りない・・・今度、Kiss4と一緒に来てみよう・・・
 
「くま」が写真を撮っていても怒られないのを確認して、携帯を取り出し、「シャキーン」と音をさせる人、コンデジを取り出して、撮り始めて、フラッシュをたいて注意される人も居たりします。
 
まあ、フラッシュをたかないのは常識の様な気がしますが、色々な人がいるでしょうし、多数の人が一斉にカメラを構えるようになると、規制不能な状態になり、最後は全面撮影禁止状態になってしまう・・・と余分なことが心配になってしまいました。
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<エドワルド・コリール 書物と髑髏のある生物 1653年>

言葉だけは聞いたことがあった「松方コレクション」。絵画ゾーンへの階段を登ったところに説明があり、興味深く読ませていただきました。

美術館の公式サイトに同じ記述がありました。

「松方コレクション」を築いた松方幸次郎(1865‐1950)は、明治の元勲で総理大臣も務めた松方正義の三男。
 
アメリカエール大学に留学、法律の博士号を取得し、ヨーロッパ遊学を経て帰国後、父親の秘書官などを務めます。
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神戸の川崎造船所(現川崎重工梶jの創業者の川崎正蔵に見込まれ、1896年(明治29)年、同社の初代社長に就任。
 
神戸新聞、神戸瓦斯などの社長も兼ね、神戸商業会議所の会頭や衆議院議員にもなります。 

大戦により造船で多大な利益を上げた松方は、第一次大戦中の1916(大正5)年のロンドン滞在時をはじめとし、約10年の間にたびたびヨーロッパを訪れて、画廊に足を運び、絵画、彫刻から家具やタペストリーまで、膨大な数の美術品を買い集めました。
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<マネ ブラン氏の肖像 1879年>

現在東京国立博物館が所蔵する浮世絵コレクション約8千点を含め、彼が手に入れた作品の総数は1万点におよぶと言われます。

松方は、個人的趣味ではなく、日本の若い画家たちに本物の西洋美術を見せるための美術館を日本に美術館をつくろうという気概をもって、作品の収集にあたっていたのです。
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<モネ 陽を浴びるポプラ並木 1891年>

松方は購入した作品を持ち帰り、美術館を建てて公開する準備を始め、東京の麻布に用地も確保されます。しかし、1927(昭和2)年の経済恐慌によるメインバンクの破綻により、美術館構想は挫折します。

川崎造船も経営危機に陥り、松方は社長の座を降りて自らの財産を会社の財務整理にあて、日本国内に持ち帰っていた美術品は散逸してしまいました。
 
松方が収集した美術品のうち、かなりの数がヨーロッパに残されていましたが、ロンドンの倉庫にあった作品群は1939(昭和14)年の火災で失われ、現在ではその内容や数さえも確かではありません。
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<モネ 黄色いアイリス 1914-1917年>

一方、パリに残された約400点の作品は、当時はフランス現代美術館であったリュクサンブール美術館館長に預けられ、保管されていました。

この作品群は第二次大戦の末期に、フランス政府の管理下に置かれ、1951(昭和26)年、サンフランシスコ平和条約によってフランスの国有財産となりました。
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<モネ 睡蓮 1916年>
 
しかしながら、フランス政府は日仏友好のためにその大部分を「松方コレクション」として日本に寄贈返還することを決定しました。

このコレクションを受け入れて展示するための美術館として、国立西洋美術館が誕生したのです。」
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<モネ シャクヤクの花園 1887年>
 
日本の西洋美術のコレクションに松方幸次郎、および今までに知ったブリジストンの石橋正二郎、ポーラの鈴木常司などの個人的な功績が極めて大きかったことを実感しました。

それにしても、松方コレクションのうち散逸してしまったという日本にあった収集品、火事で焼失したというロンドンコレクションが揃っていたら、とんでもないことになっていたのだろうなと思います。
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次回を楽しみにして上野駅に向かいました。
posted by くまじい at 00:30| Comment(0) | 茶話室

2012年06月30日

みなづき

6月は週末になると天候が悪くて、出かけられないことが多く、ブログ記事の滞貨消化が進みました。
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<6月11日の朝、野坂に雲がかかっていました。>

週末に出かけられないので、日々散発的に撮った写真ばかりで、ネタ切れ気味・・・暫くお休みするかと、考えつつ、「水無月」の言葉が浮かびました。
 
お恥ずかしいことですが、今まで「水無月」の意味を深く考えたことがありませんでした。それも字の意味を考えないで、漠然と梅雨時で水に関連する月という捉え方をしていました。
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<12日は滋賀の守山に出張。都怒我阿羅斯等さんにご挨拶>

改めて考えて見ると「みずのないつき」ですから 、字からの意味は第一感では梅雨明けか?・・・でも、どうも色気がない・・・旧暦、新暦の違いはあれ、6月のなんとはなしの「みずみずしさ」を損なう気がする。
 
それに、旧暦の時代に梅雨の概念があったのだろうか・・・
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<あたらしい敦賀駅の完成図が飾られています。>

水無月を検索するとWikipediaでは下記の通りでした。
 
「旧暦(太陰太陽暦)の6月は現在の6月下旬から8月上旬に当たる。a120618002.jpg
<6月18日PR館での安全教育の帰りに猪ヶ池方向に寄り道を。以降同じです>
 
水無月の由来には諸説ある。列挙すると・・・
 
 @
 文字通り、梅雨が明けて水が涸れてなくなる月であると解釈されることが多い。
 A
 
 田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」である。

B

 田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」である。

 C

 水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり「水の月」である。
 D
 
 
 新暦6月に対しても異称として使用され、梅雨時であることから「梅雨で天の水がなくなる月」「田植で水が必要になる月」といった解釈も行われるようになった。」
 
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語源由来辞典』では、「水無月は陰暦で6月のことを指す。」は良いのですが、冒頭から「水の無い月と書くが、水が無いわけではない。」と断定されています。
 
字の意味はWikipediaのCに相当し、意味としてはAに相当するということです。
 
梅雨に対しても、もし、6月で梅雨明けをうたうなら、梅雨の時期である「皐月」が梅雨に無関係なのはおかしいだろうということで・・・なるほどと・・・
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と言うことで、自分の好みとしては「語源由来辞典」の解釈の「みずのつき」と、Wikipedia のDの新暦に対する解釈がぴったりくる気がします。

それじゃあ「神無月」はどうなんだろう。
 
10月は八百万の神が出雲大社に集まり、全国から神が居なくなるので「神無月」・・・出雲では逆に「神有月」と呼ぶ、という記憶がありました・・・ 
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おなじくWikipediaでは下記のように記載されています。
 
日本では、旧暦10月(10月下旬~2月下旬)を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び、現在では新暦10月の別名としても用いる。
 
「神無月」の語源として以下のような説があるが、いずれにしても「神無」は宛字としている。
 

 @

 醸成月(かみなんづき) 新穀で新酒を醸す月

 A

 神嘗月(かんなめづき) 新嘗(にいなめ)の準備をする月

 B

 神な月(かみなづき) 「神の月」の意

 C

 雷無月(かみなしづき) 雷のない月

 
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一般には、出雲の出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神様が居なくなる月の意味と言われており、出雲では神在(有)月という 。」
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 「語源由来辞典」では「水無月」が「水の月」であるようにBの「神の月」であり、「神を祭る月」である。と言う解釈で、俗説として出雲に神々が集まる説を紹介しています。
 
字に関しての解釈は、「水無月」と「神無月」に共通するものとして、俗説に関わりなく、「無(な)」は「の」の意味の助詞であるということが納得できるような気がします。
 
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そして明日から7月、「文月」になります。これまた解釈は色々あるみたいです・・・
posted by くまじい at 21:30| Comment(0) | 茶話室

2012年06月18日

敦賀西小学校運動会

5月の記事がようやく終わり、6月に入ります。
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6月2日(土)は西小の運動会。
 
五縁の娘さんに子供の写真撮ってほしいって頼まれて、これはB008 練習に丁度いいと・・二つ返事で引き受けます。
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午前中に野坂に行こうと思いましたが、前日に久しぶりに酔っぱらって、よく眠れたせいか、起きたのが8時近くになっています。
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これから野坂に行くと、運動会、終わってしまうかもしれない。野坂は諦めて、ブログの整理に徹します。
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11時半頃に、ぶらぶら写真撮りながら西小まで歩こうとアパートを出発します。昼過ぎに着けばいいかと。
 
雲が多いけど蒸し暑くて、汗が滲みます。
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笙の川沿いでのんびりアジサイを撮っていると、「何処に居るの?」と催促の連絡が入ります。慌てて歩き始めて、また一層汗をかいて、ようやく到着。
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午後一の応援合戦から写真を撮り始めました。大勢の中から彼女を見つけ出してピントを集中させるのが難しくて、手前の子供にピントが合ってしまい苦労します。
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写真撮る位置を探して歩いていると、ウタさんのご主人、お客さん、お仕事でお付き合いをしている方など、知っている方にお会いします。
 
「なんでお前が居るんだ?」と怪しまれます。確かに・・・隠し子でもいるのかと言うところかもしれません。
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それにしても、2年前の下の写真の右の妹がいまや、女の子になってしまって・・・と言う感じ。自分が歳とるのもうなづけます・・・(敦賀短大クリスマスコンサート1210
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前に「敦賀城址発掘」の時に改築中だった校舎が完成しています。
敦賀0919 御命日?
 
発掘跡は史跡として残すことなく埋め戻して、新校舎が建てられてしまいました。ちょっと寂しい気もしますが、仕方ないことなのでしょう。
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お会いしたお客さんはカメラ好きの様で、「おっ、良いレンズ使ってるね、おれも欲しいんだよね。それCANNON用か、おれのはNIKONだからもらっても使えないなあ。スペック合わせればいいのにね。」って訳の判んないこと言ってきます。
 
仕事のお付き合いのあるTさん、楽しそうなお顔(?)で「玉」の数を数えていました。
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2012年06月02日

夕陽の富士

連休最終日の5月6日。
 
前夜、天気がよければ、午前中に庭の草取りでもしてから敦賀に向かおうと奥さんと話をしていました。
 
朝起きて見ると、期待に反して(?)雨はなく、絶好の草取りびより・・・
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まずは、外廻りのサツキの下にはびこるドクダミ退治を。
 
半袖でのTシャツのままでサツキの中に手を突っ込んでドクダミを引き抜きますが、サツキの堅い枝で腕が傷だらけになります。(未だに腕についた傷跡が残っています・・・)
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次に庭の雑草を電動草刈り機で、と思いましたが、歯が丸まってしまって、キレがが悪い。
 
諦めて、座り込んで、雑草を一本一本引き抜くことになりました。いつもなら、草取りしている自分を見て、吠えまくっていた隣の犬は最近姿を見せないらしい。
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奥さんと協力して、ともかく午前中に草取りは終了。
 
食事をして敦賀に向かいます。
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大丸でお土産を買って、新幹線に。
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最近の往復では雲の中にいて見えなかった富士山が、夕陽に輝いていました。
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撮影位置により雪面に当たる陽のあたり方が微妙に違う感じで、つい似た様な写真が並びます。まあ、どこが違うんだ・・・と言われそうな気もしますが・・・
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落ち行く陽の名残りを楽しみつつ、心打つ光景ではありますが、単身生活に戻りゆく身の侘しさをふと感じさせるひと時でもありました・・・
posted by くまじい at 07:46| Comment(0) | 茶話室

2012年05月26日

覚雲山 浄栄寺

5月4日は伯父の三回忌。

2年前の49日の時に、兄弟で道に迷い、皆さんに大分御迷惑をかけてしまいました。自分は「曙橋」で降りて迷ったのですが、兄はお寺を挟んで反対方向の「牛込柳町」で降りて、やはり迷子になり、似た者兄弟やっていました。
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今、思うと、昨年亡くなった兄は帰らぬ病に冒され、既に覚悟を決めており、昔、世話になった伯父に挨拶しておきたいと言うところだったのだと思います。

今日は奥さんと一緒に向いますが、再び迷って遅れるのは許されないなと、ネットで調べます。
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お寺の名前は浄栄寺、浄栄寺ホームページが造られており、開くと、浄土真宗 覚雲山 浄栄寺 元和2年(1616年)創建、「酒井抱一(ほういつ)、太田南畝(蜀山人)ゆかりの寺」とあります。
 
酒井抱一は江戸時代後期に、尾形光琳に傾倒し、自身の長けた俳諧の詩情を盛り込んだ「江戸琳派を確立した人ということです。
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酒井抱一 月に秋草図屏風(Wikipedia)

酒井抱一は、1761(宝暦11)年に徳川家の重臣・酒井雅楽頭(うたのかみ)家の神田小川町の姫路藩別邸に次男(第4子)として生れます。

祖父に姫路藩主忠恭、兄に藩主を継ぐ忠以をもつという名門の御曹司、抱一は、藩主忠以が宗雅の号で茶人として活躍するように、文芸を重んじる酒井家の家風を最も強く受けます。
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江戸市井にある家督継承者でない境遇の多くの武士が遊興に走るのに対し、抱一はその情熱を俳諧、狂歌に向けて行きます。
 
絵については当初狩野派の手ほどきを受け、さらに歌川豊春に浮世絵を習い、師匠の模写、馴染みの遊女の絵を残しています。

兄の死後、37歳で西本願寺法主文如の下で出家、酒井家から離れ、自由な立場に身を置きます。Wikipedia には家督相続の複雑さ、当時吹き荒れた寛政の改革の自由の無さに嫌気がさしたか?とあります。
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神戸新聞「生誕250周年記念展「酒井抱一と江戸琳派の全貌」

この頃から、宗達、光琳が京都で築いた琳派様式に魅了された抱一は、その伝統を強く意識しながら、江戸後期らしい新たな好みや洗練度を加えた新様式を確立していきます。
 
風流で典雅な花鳥画を得意としながらも、多くの文化人との関わりの中で風俗画や仏画、吉祥画などさまざまな主題や作風に柔軟に対応した独自の「江戸琳派」と呼ばれる世界を構築します。
 
昨年姫路市立美術館、千葉市立美術館などで「生誕250周年記念展「酒井抱一と江戸琳派の全貌」が開催されていたようです。姫路の主催である神戸新聞のサイトを参考にさせていただきました。 
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<甘露門 新宿区指定有形文化財※>
 
抱一は根岸に構えた隠居所兼工房である雨華庵(うげあん)で製作を続け、1829年、同所で没します。

浄栄寺とのかかわりとしては、浄栄寺7世性梅、8世壽徴が江戸の市井文化のよき理解者であったようで、抱一や、後述の太田南畝を始めとした多くの文人が浄栄寺に集まっていたことが記録に残されています。(浄栄寺ホームページ
 
壽徴は後述の大田南畝の門下となり、雪仙と称し、自分の次男を抱一の養子に出します。次男は酒井鶯蒲を称し、雨華庵を継いで、画家として名をなします。

その後も雨華庵の当主は浄栄寺ゆかりの人間が続きます。
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<甘露門 扁額>

一方、大田 南畝(おおた なんぽ)は1749年(寛延2年)、牛込生まれの、天明期(1781年〜1788年)を代表する文人、狂歌師。
 
漢詩文、洒落本、狂詩、狂歌などをよくし、膨大な量の随筆を残した。
 
勘定所幕吏として支配勘定にまで上り詰めたが、一方、余技で狂歌集や洒落本などを著し、唐衣橘洲(からころもきっしゅう)・朱楽菅江(あけらかんこう)と共に狂歌三大家と言われる。
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別号、蜀山人、玉川漁翁、石楠齋、杏花園。狂名、四方赤良。また狂詩には寝惚先生と称した。太田南畝は酒井抱一とも知己であり、抱一の美人画に狂詩を讃したものが残っているのだそうです。
  
大田南畝は頻繁に浄栄寺を訪れていたようで、浄栄寺をうたった詩が幾つかあること、さらに太田南畝と浄栄寺の関連を示す文書が残されていて、酒井抱一を含めた彼らの親密な交遊関係を垣間見ることができます。
 
南畝は吉原の遊女を請け出し、妾(賎)としますが、お賎は浄栄寺で加療中に亡くなり、命日を浄栄寺で行い、多くの文人たちが集まったとの記載があります。
 
賎の墓所は浄栄寺ではないようですが・・・
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と、大分入れ込んでしまいましたが、まだまだ行けていないところの多い「わかさはいかい」ではありますが、いつの日か、カメラ担いで、生まれた地の東京歩きをしてみたい・・・その気持ちが膨らんできました。
 
「はいかい」ならぬ「はいはい」にならないうちに・・・
 
ようやく5月4日の話に戻ります。
 
奥さんと余裕をもって出かけた、三回忌でしたが、駅に行くと、人身事故で電車が動いていません。
 
お婿さんは車で仕事に行くとのこと。一瞬、便乗しようかと思いましたが、やはり計算のできる電車がいいなと思い直し、娘に動いている電車の駅まで送ってもらいます。
 
大回りすることにより、ゆうゆうと時間は過ぎて行きます。「これはぎりぎりか、過ぎてしまうなと」焦りつつ電車に乗っていると、到着30分前くらいに、従姉から電話が入ります。「道判る?」って・・・ 
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定刻を5分過ぎくらいに到着。すでに法事は始まっていました。
 
本当に迷惑をかけてばかりで申し訳ない気持ちでしたが、それにしても、まあどんぴしゃりで事故が起きたりするものよとあきれてしまいました。
 
-浄栄寺の山門「甘露門」-
 
「浄栄寺は市谷薬王寺町に所在する浄土真宗の寺院で、江戸城外堀普請に伴い当地に移転してきました。
 
現存する浄栄寺の山門「甘露門」は、扁額に安永7年(1778)の年紀が記されていることや、建築装飾の編年から、江戸時代後期に建築されたと推定されます。
 
これは正面一間の薬医門で、切妻造・桟瓦葺・二た軒の構造となっています。柱や梁の材が太く、屋根は大振りで、重厚な門構えをしています。
 
女梁や笈形には彫物がありますが、全体的に過剰な装飾はなく、江戸時代中・後期の建築意匠の一般的な特徴をもっています。 
 
「甘露門」という名称は、山門の扁額に書かれてあるものです。浄栄寺と縁の深い江戸時代後期の文人大田南畝(1749〜1823)は、この寺を「甘露門」と称して、度々会合を催していました。
 
山門は、浄栄寺を象徴するものとして、文人の間に知られていたといえます。 
 
区内では江戸時代の寺社建築遺構は希少であり、かつ浄栄寺が文人のサロンとしても機能したという点からも、同寺を象徴する山門「甘露門」は、歴史的・文化的に重要な建造物です。 」
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2012年04月07日

明通寺からの葉書

2年に渡り続けられていた、明通寺の三重塔、本堂の屋根葺替工事が終了し、4月14日(土)に落慶記念法要が勤修されるとの御案内の葉書をいただきました。
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<2012.4.3 常宮 以下同じ>

以前、お参りした時に、檜皮葺の葺替の寄進に協力させていただき、住所を記載してきたことを思い出します。
 
微細な寄進者に対しても、このような御連絡をいただける篤いお心遣いに恐縮しつつ、感激でした。
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今まで、三井寺、中山寺と葺替直後の屋根を見ることができましたが、屋根のラインのシャープさが際だっていて感動した記憶があります。
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4月14日は桜を求めてどこかに行こうと思っていますので、参拝出来ないかもしれませんが、是非、近々に改修なった、三重塔と本堂を拝観させていただきに出向こうと思います。
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4月3日は福井病院で糖尿の検査・・・
 
この三カ月、オンモに出ないで酒ばかり飲んでいて、ちょっと腹が出てきていて、野坂敗退も雪のせいにしましたが、体重増加と糖尿、肝機能低下による疲れ易さがでたのではと思っていました。
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検査結果を見た先生が、呆れたように失笑します。
 
「全ての数値が悪化している。このままでは肝機能障害になる。糖尿で目もあぶない。蛋白もでているからそのうち透析が必要になるかもしれない・・・・」と並びたてられます。
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この三カ月、というより年末からは我ながらひどい生活だったと思っていますので、なにも言葉が返せません。 
 
先生に怒られて、一時期頑張って、改善されるとすぐ調子に乗って揺り戻し、と懲りない男です。
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病院は予想以上に早く終わりました。仕事上で倉庫をお借りしている会社と契約延長のお話に・・・
 
3月で3年契約していたのが切れていて、気になりつつお話をするのが、4月にずれ込んでしまいました。
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今後は1年契約で更新していくことでお話して、契約更改。
 
普段ならこのまま会社は休みにしたいところですが、会社の決算報告が今日中厳守という経理からのメールがあり、会社に向かいます。
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まあその前に昼飯をどこかで食べるかと。
 
「みんなのごるふ」でご一緒した優勝者のSさんの言葉を思い出します。
 
「今度息子が、Treeで昼間喫茶をやることになって、カレーを出すの。私の手作りのケーキもあるから、くまさん行ってね」(Treeホームページ
 
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Treeのホームページに行くと、今まさにNoon at Treeの記事をトップに載せています。
 
息子さんのキーマカレー、もともとのTreeの薬膳カレー、あたらしく始めるタイカレーがメニューとして記載されています。
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Sさんの息子さんが一人でカウンターでお出迎え。息子さん、一見、緩やかな性格そうで、でも、話をしていると「男気」のある若者という感じで好ましい。
 
彼のキーマカレーとコーヒーを注文。
 
「くまさん、大盛りにします?」の声に、病院の先生の言葉がよみがえりつつ、「うん、大盛りにして」と返してしまいます。
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手作り感のあるおいしいカレーでした。好み的にはもう少しからくてもいいかなという気もしましたが、最近、辛いものたべると直ぐに下の方に来る「くま」としては、丁度良かったのかもしれません。
 
サービスよすぎて、量が多くて、ちょっと苦しみつつコーヒーをいただきます。
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満腹になって、嫌々、会社に向かいますが、恒例の常宮詣でを・・・満開の梅と咲き掛けている桜?を楽しみました。今回の写真はすべて常宮の写真です。
 
会社に向かう西浦県道で風が激しくなり、波が激しく県道に叩きつけられています。道のところどころに、厚く潮が残っていました。
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夜遅くまで頑張ろうと思いましたが、風の勢いは衰えず、3階建ての3階に位置する事務所が背後の山を滑り落ちてくる風の勢いで、ガターンと激しい悲鳴を上げつつ揺れ動きます。
 
音楽聞きながら集中しようと思いますが、恐ろしくなってきます。駐車場の車も大丈夫かしら・・・
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仕方なく、PCと最小限の資料を持って部屋で仕事をつづけました。部屋で仕事をすると効率が悪くなり、いつも徹夜に近い状態になってしまいます。
 
翌日のつらかったこと・・・
posted by くまじい at 17:05| Comment(0) | 茶話室

2012年03月18日

春の兆し

3月14日(水)朝、野坂が朝日に輝いていました。まだ白いけど、確実に春が来ているようです。
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翌15日(木)は午後出社です。
 
RCNのインターネット回線を電話線利用から、同軸ケーブル利用のケーブルモデム方式に変更するとのこと。
 
今までは設備の老朽化のせいか、年に2,3回はダウンして、土日は点検できないからと、我慢する時がありました。このイライラは解消するのだろうなと・・・
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土曜日でもOKとのことでしたが、アパートの管理会社から通知状がポストに入っていて、4月から管理会社が代わるので家賃の銀行振込先を変更しろと・・・
 
えっ?保証人まで立てて、交わした契約書はどうなるの?何の説明もないの?という疑問がいっぱいですが、どうしていいのかわからないので銀行に行かねばと、そうなると平日しかない。
 
どうせならと工事も平日にしてもらった次第です。
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部屋の外のパイプスペースまではケーブルが来ているので部屋への繋ぎこみと天井を通して、ベランダ側にあるケーブルコンセントのところまでのケーブル引きが必要とのこと。
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3人で来て、小一時間かかる結構な工事で11時近くにようやく終了。
 
今までは一番ベーシックな2Mbpsの契約しかできなかったのですが、20と160Mbpsが可能になるとのことで、20Mbpsの「スーパープラン」に申し込みます。
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それ程早い感じはしないだろうな、と思った通りあまり早くなった実感はありませんでした。
 
それでもこれでダウンして繋がらなくなるイライラは解消されそうで、一安心です。
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ようやく銀行に向かいます。
 
現在の管理会社は自社で引き落とし手続きの解約をするので、自分は何もする必要がない。
 
新しい管理会社(大家さんなのだと思います。現在の会社に管理委託していたのを解約したのではないかと思います。)は銀行引き落としにする必要はない、ネットで振り込んでもらえばいいとのこと。
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結論からすると、自分が銀行に行く必要はなかったことになりますが、これが判るまで、双方の管理会社に何回か電話して、銀行の係り員にも電話に代わってもらって、ようやく判明したものです。
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最後まで世話はしてくれたのですが、銀行の係りの女性の面倒くさそうな対応にはあきれました。
 
管理会社との電話に出て欲しいとお願いすると「私が話すより、お客さんが話した方が判りますよ」と・・・
 
まあ、おれが理解してればそうかもしれない。引き落とす方法にどういう手段があるかとか基本的なことが判らないので、管理会社と話しても話が進まない・・・
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間に入って整理し欲しいかったのだけど・・・
 
挙句の果てに昼近くなり、食事に行くらしくて、隣の女性にパスオンして居なくなろうとする始末。
 
何の説明もなく、「貴女、代わって」と・・・えっ、ようやくここまで来て、もう一度代わりの係りに新たに説明するの?って・・・
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今思い起こすと、この銀行の口座開設の時に対応してくれた女性は至れり尽くせりの対応でメガバンクにはない心温まる良さがあると喜んだ覚えがあります。佳い女だったし・・・

今日ですっかり、その良き思い出が吹き飛んでしまいました・・・
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銀行のすぐ近くにある「ぼたん亭」でランチをいただきます。
 
マスターが「24日のワイン会は他に用事があるそうですね」と。
 
24日にぼたん亭の「国産ワインの会」があるのですが、ゴルフコンペにエントリーしていて、宴会もありですから、欠席の連絡をしていました。
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「4月の「ドイツワインの会」は参加させてもらいます。」
 
「その前に、お花見会がありますよ。4月の第2週を考えています。」とのこと。
 
「是非、参加させてください。」と申し込みを・・・
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食事が終わって松原海岸に行くと、暖かい陽射しの下で静かな海が広がり、その向こうに大分黒くなった西方が姿を見せていました。
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常宮は椿が終わり、梅が開花しようとしていました。
 
シダレ桜はまだ蕾もなく、梅の開花を先を譲って耐えているようでした。
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色が浜にでて、水島を撮ろうと思いましたが、水平に観た水島はなかなか絵になりにくい・・・
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散々寄り道した揚句に、事務所に到着、午後の打ち合わせに参加しました。
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posted by くまじい at 00:24| Comment(0) | 茶話室

2012年03月03日

「いじけ」の休日

今日は3月3日。
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桃の花は少しは開きましたが、それもしおれ始めて、蕾の多くは開くことなくそのままでした。次の花に変え時かもしれません。
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昨日は3月2日で神宮寺、鵜の瀬の「お水送り」がありました。3000人の人が参集したとのことです。
 
昨日早退できそうなら行こうと思っていましたが、なんのことはない、仕事が終わったのは8時・・・嫌なこと満載で五縁に食事に行ったら、顔見知りが大宴会やってて、落ち着かないこと。
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<福井新聞 3月3日 >
 
明けて今日はいい天気で、野坂が輝いています。
 
敗退のおびえが沁みついていて、行く気になりません。というより嫌なことが気になって、出かける気になれず、と言う方が大きくて、相変わらずの引きこもりの休日です。
 
と言っても、最近何処にも行っていないので、整理する写真もありません。
 
この間新幹線の中から撮影した、ビデオと写真で動画を作成してみました。
 
なつかしのHungry Chuckをバックに使用したら、音声をカットされてしまいました。・・・YouTubeで提供されている音楽に変更。
 
無断でCDの音楽を利用しているのはいけないことは判っていますが、どうせなら自分の動画のバックは自分の好きな音楽で満たしたいとの欲求は止められずに・・・
 
YouTubeでHungry Chuck 探しても出てこないのが判ったきがします。

クレジットはHungry Chuckのままです。 

 
明日は萎えるこころを奮い立たせて外出をしよう・・・
posted by くまじい at 16:50| Comment(2) | 茶話室

2012年03月01日

桃の花3

3月に入りました。
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<2月28日・・・随分久しぶりに洗濯物を室外で干しました。>
 
桃の花はそれなりに開いてきましたが「咲き誇る」感じではなく、今一のところでしおれて行きそうです。
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2012.02.26 (1)
 
満開の花も解放感がなく、手足が縮こまって、肩が凝りそう・・・といいつつ桃の花の満開状態がどういうものか知らないで言っているのすが・・・
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2012.02.26 (2)
 
蕾のままでいる花をさておき、若葉が開きつつあるので、限界なのかなと・・・
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2012.02.27
 
 
玄関の陽の射さない処においているので無理があるのかもしれません。

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2012.02.28
 
そして明日はもう鵜の瀬の「お水送り」行事の日です。
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2012.02.29
posted by くまじい at 07:00| Comment(0) | 茶話室

2012年02月25日

桃の花2

2月21日(火)、実家へ帰ります。
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2012.02.21
 
64歳になり、年金受給が始まると、雇用延長での会社員人生が終わることになります。形態を変えて敦賀に残るという話があり、まあそれもいいかと・・・
 
この先、どのような人生を送るか・・・色々なことを考えるための相談とか調べ物とか・・・21日夕方はお約束していた税理士さんのお宅で色々お話を伺います。
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2012.02.23(1)
 
話が弾んで、近所の店から「鰻重」とるから一緒に食べようとのお誘いを、次回にとお約束して、帰ります。
 
22日には健康診断、年金相談センターでの相談、会社の5年ごとの安全教育の更新・・・
 
23日には市役所と、銀行へ・・・
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2012.02.23(2)
 
昨年3月に311のためにゴルフ旅行を断念しました。旅費に相当する金額を使ったつもりで赤十字に義援金として寄付しました。確定申告の時期になり、昨年手術もしたし、医療費控除をうけようかと・・・
 
そう言えば義援金についても控除が認められるということなので、併せてしてみようと・・・といっても、全てネットを通じてのことだったので、銀行に相談に行ったという次第。
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2012.02.24(1)
 
ネットバンキングの昨年の実績を調べて、寄付が確認されたため、エビデンスを郵送してくれることに。
 
その脚で敦賀に出発。到着して床屋さんへ・・・平日でも夕方は結構お客さんがいるのに驚きました。
 
夜はお定まりの五縁で食事。「九頭龍」のお燗で「ノドグロ」の塩焼きを楽しみました。
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2012.02.24(2)
今日24日は「ぼたん亭」のワインの会。今回はイタリアワインの日でした。写真のピントが合いません・・・

posted by くまじい at 00:30| Comment(0) | 茶話室

2012年02月20日

桃の花

ユースの花屋さんに桃の枝がありました。桃の節句のひな壇に飾るものらしい。
 
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「男が買うとおかしいかしら?」
 
「そんなことないよ。花瓶の大きさに切ってあげるよ。」「こんなもんかな」・・・って大きさを手で示したら、そんじゃ切る必要ないって。
 
今まで蕾で買ってちゃんと花が開いたのは、水仙だけだったけど上手く咲くかな。
 
冬場は水は変えなくてもいいからね。今まで切り花買って結構水変えてたけどいらないのか・・・
 
しばらくの間、楽しみです・・・
 
posted by くまじい at 00:05| Comment(0) | 茶話室

2012年02月19日

朝の野坂

ベランダが面する東側の山に朝日があたっています。もしかしてと・・・野坂を見ると陽射しに輝いていました。
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思わず最上階まで行って写真を撮ります。
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拡大してみると肩の小屋が姿を現しています・・・
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野坂は自分の実力では暫く行けないだろうと、今日は今庄の街でも写真を撮りに行こうと思っていましたが、ちょっと色気が・・・
 
駐車できるところが心配ですが行ける所まで行ってみるか・・・どうしようか・・・
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いずれにしろ久しぶりの太陽の輝きに、春を待っていたみよちゃん・・・でなくて「くま」の冬眠状態が少し融けそうです・・・って、状況が変わると、ころりと元気になる・・・なんと判りやすいやっちゃ・・・
 
ついでに障害物が多いけど三内山も撮影を・・・
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posted by くまじい at 09:00| Comment(0) | 茶話室

2012年02月18日

赤いピアノ

このブログのイメージを変えてみようかと考えました。しかしながらMeblogで与えられているテンプレートには限りがあり、自分にピンと来るものがない・・・

HTMLに慣れた人なら、即座に自分の好きなように改造することが可能でしょう。自分は全くの素人で、このブログを始めるに当たり、HTMLの入門書を購入しましたが、ほとんど読んでいない・・・
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目を通すのはHTMLをいじりたい時に辞書の様に利用するというところ。
 
通して読んでいないので、前後の脈絡がわからず、よく理解できないままで終わるということの繰り返しです。
 
素人が改造を始めて収拾がつかなくなったらどうしよう・・・ガラッと変わってしまうと、自分でしっくりこないかもしれない・・・
 
このブログのサイドカラムに貼り付けた写真やYuoTubeの動画のメモランダム用として細々と運営しているもう一つのブログの「くまじいノート」で練習してみようと。
 
というのも「アルバム」という名前のテンプレートを使用しているのですが、リンクの字の色がオレンジ色で自分には合わない感じで、自分の好きな色に変えたいと思っていたことがありました。
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<@テンプレートのフィルムマークがちょっと気になって・・・>

と言ってもテンプレートを構成する「スタイルシート」の読み方がわかりません。当然、自分でスタイルシートを書けるわけありません。
 
オリジナルのスタイルシートを利用して一部を編集して何処まで変えられるかというところです。
 
サイトで見つけた「Web配色らくらく確認」のお力を借りて、既存のスタイルシートの色指定されている部分のコードをぶち込むと色が出てきますから、ブログ画面の字の色と見比べます。
 
うーん、この字の色を指定しているのか、それじゃあ、緑色のコードに書き換えてみようと・・・熟練の人が見たらあきれるやり方と思います・・・それでもなんとか一応恰好がつきました。

次に挑んだのがタイトルヘッドのバックイメージを変更することです。
 
上記したように「アルバム」というテンプレートを使用していましたが、ブログタイトルの上にフィルムの形のイラストが入っており、なにか用途が限定される様で気になっていました。
 
マークを消して、アルバムの形の部分に写真を張り込みたいと思いましたが、マークを消すことはできても、斜めになっているアルバムに写真を張り込むのは自分の技ではお手上げでした。

しかもオリジナルを改変して利用するのは好ましいことではないのかなと・・・
album header no.jpg
<Aフィルムマークを消してみたけど・・・なんか面白くない・・・>

本ブログはPandaPanda.meblog.bizで登録して運用しています。
 
「くまじいノート」はMusicPanda.meblog.bizで登録していて、音楽のことを書こうと思って用意したものです。
 
最初は公開するつもりなかったし、今でも、あまりオープンにはしてなくて、「わかさはいかい」で紹介しているだけですし、アップもほぼ月に1、2度しかしていません。それでも最近、日に10回程度のアクセスがある様になり、ちょっと緊張。 
 
ということで「くまじいノート」のヘッド画像は音楽にちなんだ絵柄にしようと・・・
 
まず、Molody Gardotの公式サイトからダウンロードを許されている写真の上半分をカットしたものを使用しようと思いました。
 
でもMelody Gardotの公式サイトまる写し見たいだし、これもオリジナルに手を加えることになるなと・・・
Molody Gardot.JPG 
<Melody Gardotのホームページからダウンロードした写真もいいなと・・・>
 
楽譜か楽器のイラストにしようと・・・無料ダウンロードサイトを探しました。
 
イラストACはメンバー登録すれば自分のお気に入りの絵を作者の方にお断りを入れて利用することができるサイトです。
 
このサイトで「ピアノ」あるいは「楽器」で検索するとカズさんの作品がいくつかヒットしました。イラストが可愛い・・・特にこの「赤いピアノ」が気に入りました。
ピアノ小.JPG
 
カズさんはハートの虹〜Flower Of Lifeというホームページも運営されていて、双子のお子さんを育てながら頑張っている方のようです。
 
お子さんと作られているらしい歌の動画も可愛い。
 
実は「赤いピアノ」を一度「アルバム」に張り付けてみました。
album header no1.jpg

「赤いピアノ」に申し訳ない。オリジナル改ざんだ・・・
 
ということで白地に「赤いピアノ」だけを据えたヘッドにたどり着きました。
pianohead12.jpg
 
このほかに、サブタイトルのバックを変えたり、タイトルの位置を変えたりとかいくつか手を入れて、変更をしていますが、さらに時々思いついたこと、ネットで調べた新しい知見を試したりと、楽しんでいます。
 
と言っても、試行錯誤でやっているだけで、「スタイルシート」そのものを、いまだに理解していないので、いじりたいけど、変化できない部分がまだまだあります。
 
少しずつ勉強してものにして行きたいとは考えています。
 
PandaPanda、MusicPandaに加えて、実はもう一つ、PhotoPanda名での登録をしています。
 
ヘッド画像には「赤いピアノ」のようなお借りしたイラストではなく、季節ごとの自分の写真を使い、季節に応じてバックを変えて行こうかと・・・
野坂雪景色ヘッド1.JPG 
sakurahead.jpg

まあ、今で手いっぱいだし、新しいこと始めても続けていける自信が起きなくて、なかなか・・・予告編だけで終わる可能性大です。
posted by くまじい at 21:58| Comment(0) | 茶話室

2012年02月12日

雪に閉じ込められて・・

2月も雪の勢いに負けてどこにも行けません。オンモに行きたい「くまさん」、いじけて部屋にこもりきりです。
 
Kiss4が治ってきたのに出番がなく、いつもバッグに入れているP300でポツポツ撮るだけです。
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<2月2日の出勤前>
 
Kiss4が壊れたのは、みぞれ雪の西福寺で濡れたことが大きかったと考えているので、天気が悪いとカメラが気になって出かけられないというところもあります。
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<2月2日の出勤前>
 
一日の降雪量はそれ程大したことがないと思っていた雪も降り続けるとだんだん応えてきます。
 
除雪費用は雪の量よりは日数で効いてくるのでしょう。道路の表面が凍りついていて走りづらくなっています。
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<2月9日出勤途中 各所で枝が垂れています・・・>
 
ごくたまに陽が射して、その時の美しさはたまらない・・・
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<2月9日 出勤途中>
 
10日(金)の夜、週末は天気の合間を見て、でかけようと決意しつつ、五縁の孫のバースデーケーキを御馳走になりました。
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posted by くまじい at 17:41| Comment(0) | 茶話室

2012年01月16日

一周忌

20日は兄の一周忌にあたります・・・時が経つのは早い・・・

<Albert King "As the years go passing by" >

甥っ子に電話したら、特に法事は考えていない、暖かくなったら父の故郷である静岡県牧之原市(以前は榛原郡でした)静波の海岸に散骨に行きたい、散骨が問題ないかどうか確認しようとしているとのこと。
 
散骨するなら一緒に行くよと話しをしているうちに分骨の話になり、もらえるなら同じく分骨した父の眠る自分のお墓に入れたいと思いましたが、狭いところに入りたくないというのが兄の遺言であると・・・ 
 
それなら、分骨不要で、全部海にリリースしようと・・いずれ連絡取り合って日を決めようと電話を終えます。

<Albert King "Born under the bad sign">

父の気持ちも散骨して欲しいというものでしたが、父の遺言に拘らず、一旦、兄と自分で故郷の墓に埋葬しました。
 
兄が不帰の病に罹り、闘病の中で死と直面しつつ、父の遺言がこころに引っ掛かっていたのだと思います。
 
田舎の墓に出向き、親戚の人間に手伝ってもらって遺骨を掘り出し、静波の海に散骨したのだそうです。
 
父は無宗教に徹するということで海に散骨をと言うことでした。兄も葬儀は無宗教でということでしたから、父と同じ気持ちなのか、父と同じ海に帰ると言う意味なのか自分にはわかりません。 
 
お墓に閉じ込められたくない、お墓に入れば、残った人間がケアしていかなければならず、負担になる。遺骨が海に広がることにより魂が解放されていく・・・

そういうことなのだろうか・・・自分は逆に自分の死後に遺骨がどこにあろうと無頓着なのかなと・・・いまのところ、自分の遺骨に対しての思い入れはなく、どの様な状態になろうとあまり気にならない。
 
遺骨の状態に拘る・・・と言うのは父と兄の気持ちと裏腹に、死後の世界を信ずると言う意味で、逆にえらく宗教的なことなのか・・・と言う気がします。
<Albert King "I got the Blues">

・・・自分のこころの始末をどうつけるか、なにも見つけられないまま、それでも大した努力も勉強もしないで、だらだらと考えているうちに、今年9月には64歳を迎えます・・・
 
今年中におれのブルースを見つけるぞと・・・訳のわからない決意表明を・・・
posted by くまじい at 00:30| Comment(0) | 茶話室

2012年01月15日

4年目のブログ

寒気襲来の声ばかりでそれ程気温が下がらず、いつしか道路わきにあった雪掻きの残り雪も一部を残してあらかた消えてしまいました。
 
全国の天気予報を見て、新潟、富山と一緒に「北陸」は大雪と思っている人は多いと思います。
 
電話で本社の人間と話すと「雪は大丈夫?」という質問を受けて「えっ?」と言う感じ・・・
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今日は土砂降りの雨の中、気比神宮のどんど焼にお参りしてきました。
 
気比神宮のどんど焼は曜日に関係なく15日に開催されますが、今日は休日に重なっているので雨とは言え、お参りする人がひっきりなしでした。
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<写真変更しました2012.01.15>

前に本ブログのファイル容量は2GBで、一年に0.5GBずつ使用しているので約4年の命と考えていることは書きました。

予想通り、2GBの容量のうち、3年で1.5GBを消費しましたので、後一年で容量が一杯になる勘定です。 ブログを始めたのが2009年2月ですから1か月ほど早目ですが・・・
 
写真一枚の大きさは平均200KB程度でしょうか、1.5GBは約7500枚の写真をアップしたことになります・・・枚数重ねてるだけで、記憶に残るものはない・・・
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容量が一杯になったらどうするか・・・新たに登録すれば、また2GBをもらえるので、「わかさはいかい その2」として続けるか、全く違う発想で写真整理をして行くか・・・ちょっと疲れて来たのでやめると言う手もあります・・・
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まあ来年のことを言うと「くま」が笑うので止めておいて・・・
 
今年一年は桜と紅葉と雪、山とお寺と歴史と絵画などなど・・・興味の範囲内の「はいかい」をして行こうと・・・
 
そのうちもう少し整理したいと思いつつ、中途半端になっている幾つかの記事を今年中に少し補完できたらとも思っています。
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posted by くまじい at 22:54| Comment(0) | 茶話室

2012年01月05日

寝込み正月

年末28日、15時からのお客さん主催の納会で御用納めです。
 
昨年はビールで乾杯して暫くすると、差し入れの日本酒に移行、かなりの盛り上がりを見せましたが、今年は並んだ缶ビールが空になった時点で終了。
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<新富士駅近辺>

自分は会社の人間に乗せてきてもらっていて、もう少しOKというところだったのですが・・・そう言えば他社の方はほとんどが運転があるからとノンアルコールかお茶してます。これなら俺もそうすればよかったか・・・
 
事務所に戻っても、付き合ってくれる人もいなくて、一人で飲みに行くかと・・・「一」は昨日挨拶しに行ったしと、「五縁」に送ってもらいます。
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<小田原駅近辺>

「五縁」では馴染みの顔が宴会をやってます。酔っぱらって「くま」に日ごろの不満を嫌味たっぷりに言ってくる人間も居て、「そう思ってるなら素面の時に言え、バカ野郎」と思いますが、笑顔でやり取り・・・

翌29日は早朝から洗濯機を2回廻して、コインランドリで一気に乾燥・・・など、している間にお昼になり、慌てて帰宅のため、敦賀駅に向います。
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<小田原駅近辺>
 
その夜は御近所テニス会の忘年会。
 
一番お酒が好きだった人が過飲で病院に運ばれて以来、酒を断っているとのことで、少し寂しい飲み会になりました。自分も翌日のゴルフのこと考えて、日本酒を避けて焼酎にしてたし・・・
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<新富士駅近辺>
 
30日は「成田東」でゴルフを・・・ゴルフ場で借りて試してみたSRシャフトのXXIOのドライバは自分には柔らか過ぎる感じがしました。
 
それでもティーショットの安打率5割を上回るという10年ぶりくらいの打撃成績で、Sシャフトなら行けるかもと色気がでてきました。
 
と言っても、トータルのスコアはひどい物で、スコアカードを付けないで、ボギープラスマイナス(マイナスはありませんが・・)で勘定していた「くま」はプラスする数字が大きくなりすぎて途中で数えられなくなる始末。
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<新富士駅近辺>

ゴルフから帰って酔っぱらって深夜まで居間のソファで寝てしまったのが行けなかったのだと思いますが、少し風邪気味に・・・

元旦の朝5時まで年賀状を書いていたのも悪かったのだと思います。一寝入りしてお節した後、恒例の成田山へと言う時に悪寒がして、勘弁してもらって、一人でお留守番・・・
 
これも恒例の2日の箱根行きもつらくて、ギブアップ。奥さんと娘が最近できたアウトレットに行くのを見送り、寝正月2日目。
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<新富士駅近辺>
 
正月にただ寝ていただけで何もしないまま3日に敦賀に向います。
 
敦賀駅でタクシーを拾って、気比神宮でお参りして行こうと・・・ものすごい行列が出来ていて、かなり時間がかかりそうです。参拝は諦めて、お札と交通安全のお守りだけを購入してタクシーに戻りました。
 
※写真は全て1月3日の米原に向かう新幹線から富士山を撮影したものです。
posted by くまじい at 00:26| Comment(0) | 茶話室

2011年11月27日

21年目の親睦会1014

1990年の秋、アメリカ、カナダの放射性廃棄物管理、原子力施設の「デコミッショニング」(略して「デコミ」、日本語では「廃炉」というけれど、炉でない施設も含む)の実態を調査して回る調査団に参加しました。
 
古きよき時代、「海外調査団」と言う温い風習がありました。まあ海外体験研修を兼ねたお勉強会というところです。だんだんと厳しくなり大っぴらに行けるところは少なくなってきたのではないでしょうか。
 
最初の訪問地はニューメキシコ州カールスバッドのWIPP(Waste Isolation Pilot Plant)でした。WIPPを日本語で言うと「核廃棄物隔離試験施設」という訳の判らない言葉になります。
Waste_Isolation_Pilot_Plant_2004.jpg
<TRU廃棄物隔離試験施設(WIPP) ニューメキシコ州カールスバッド>
http://www.wipp.energy.gov/index.htm

アメリカには、燃料加工、燃料再処理、原子爆弾製造などの製造、研究施設が多くあります。
 
それら施設から発生するTRU(超ウラン:核反応により生成する)は半減期が長く、それらに汚染された廃棄物を安全に処分する方法を開発するために始められた国家プロジェクトがWIPPです。
 
なるべく忠実に言えばTRU廃棄物等地下隔離処分の実廃棄物による試験施設というところでしょうか。
 
岩塩層は水の浸入がないことを示していること、また岩塩の物理的可塑性から亀裂封印効果が期待されることからニューメキシコ州の岩塩層が選ばれたということです。

WIPPFacility2.JPG
<WIPP施設概観 深さ660m、厚さ1000mの岩塩層に設置されている。>
http://www.wipp.energy.gov/index.htm

 
日本からノースウェスト航空でロスアンゼルスへ、飛行機を乗り換えてアルバカーキへ、さらに飛行機を乗り換えてカールスバッドへ・・・
 
ノースウエストのアテンダントが全員オバサンでがっかりしたこと、乗り換える度に飛行機がどんどん小さくなったこと、小さなカールスバッド空港で広大な平原に夕陽が沈んで行くのを見ながらとんでもない所に来てしまったなと茫然としたことを覚えています。
 
その時計算して確か計33時間の旅だった・・・と

カールスバッドのモーテルで近所に有名な鍾乳洞があるらしいことは知りましたが探訪する暇はありませんでした。
Carlsbad_Interior_Formations.jpg
Wikipedia
 
翌日、WIPPに行く途中の湖を通り過ぎると湖辺に生えている葦の茎の下の方に析出した塩が円盤状に固化していたのが頭にこびりついています。

調査団はその後、テネシー州ノックスビルに移動して国際会議を3日間、その間にオークリッジ研究所の「ウラン濃縮工場K25」の訪問をしました。
 
ノックスビルを後にしてニューヨーク州バッファローに移動して「ウェストバレー再処理工場」。
 
国境を越えてカナダに移り、天然ウラン使用で重水減速のカナダ独自の原子炉、CANDU炉のうち、閉止されて密閉保管されている「GENTILLY-1」と北上していきました。
 
10日間程度でしたが、移動につれて季節が進み、北に移動したこともあるのだと思いますが、カナダでは寒さが厳しくなっていました。ヨーロッパの香り豊かなオールドケベックを震えながら歩きました。
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<お客さんとの打ち合わせの後、ロートレック展で時間つぶし、銀座まで歩きます。>
 
団長の気さくなお人柄に惹かれて、和気あいあいとした調査団になりましたが、さらにノックスビルでゴルフをしたのがきっかけで日本に帰っても続けたいと・・・
 
以来、多い時には1年に2回も行う年もあって、ゴルフと前夜の宴会がセットで延々と継続してきました。
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<東京国際フォーラムは「さだ まさし」のコンサートが開かれる様でした>

仕事の関係で宴会には出られないことがありました。ゴルフ自体も何回か欠席していますが、徹夜で報告書作成して、ゴルフだけに参加した覚えもあります。 
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<東京国際フォーラム>
 
定年で、業界との関わりも薄くなる人もいて、体力も衰え、ゴルフはやらないけど、宴会だけと言う人もでてきました。自分はまあ、気負わず、気楽に、懐かしいお顔に会いたい気持ちで参加を続けています。
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<久しぶりの銀座でした>
 
311が起こり、業界的には集まり難い状況で、自分からも声をかけにくく、遠慮していましたが、会長からとりあえず懇親会でもやるか、と言うお声掛けがあり、喜んで・・・
 
8月の手術以来、本格的な酒の復活日という記念すべき日に、幹事さんが設定してくれた銀座天国に8人が集まりました。
 
集まると、もう、20年前の調査団の思い出話が飛び交います。
10月14日バックエンド研球会smallmedium.jpg
<クリックしても大きくなりません>
  
これからも細々と会は続けて行こう、次回の幹事は「くま」がやれと・・・ありがたくお受けして、記念撮影で閉会しました。
posted by くまじい at 11:29| Comment(0) | 茶話室

2011年10月23日

私的なこと

今年の始めに書きかけていた記事の続きを・・・
 
ビデオは記事に記載しているアメリカのバーガーチェーンCarl's Jr.のコマーシャルです。大きさに着目です。このバーガーを休日のブランチに時々食べていた時期がありました。
 
アメリカの田舎でダイエットするのは至難の業です・・・ 
 
 
昨年8月の検査で肝機能が悪化し、コレステロールが高くなったため、先生が怒りまくり、酒、卵、マヨネーズの禁止(抑制?)、ノンオイルドレッシングの使用、野菜の量を増やすことを指示されました。
 
今までの経験で体重を落とす事が全ての数値の改善につながると考えていたので、減量しなくてはという意識がありました。 自分の太る原因を考えてみると・・・
 
@毎日だらだら酒を飲んでしまって、食事と飲酒のメリハリがなく終わりがわからなくなる。特に昨年の夏は、この暑さだからしょうがないよなと、自分に超甘く接していたことがあります。
A自分の場合は酒を飲むと、肴が必要になり、食べる量が増える。
B毎日飲むためにツマミを用意して、ついつい間食をしてしまう。
C外で飲んだ時に、つい締めのラーメンをしてしまう。
 
<偽レストランシリーズ 知らずにCarl's Jr. のバーガーを食べさせられて、気が付きません・・>

 
結局・・・いずれにしろ酒が大きく影響していることが歴然としている・・・ ということで酒は普段は飲まない様にして、週末だけは解放して飲むという生活を続けています。
 
精神衛生上、全く飲まないのはイライラが募る結果になり良くない・・・と自分で勝手に決めました。
 
5kg減ったところで停滞していましたが12月の再検査ではデータが全て改善されていることが判りました。
 
それでちょっと安心したのと、正月は別だという意識があって少し停滞からバックしそうになってて危ない状態ですが、再度締めて、ダイエットを継続して行こうと思っています。 
 
制限しろと言われた卵は1カ月に6個程度と、あまり買わなくなりました。飲む時に、卵焼き、出汁巻き卵は結構頼みますが。
 
マヨネーズは、余り食べなくなったので、冷蔵庫に小さいのが入っていますが、ほとんど使うことはありません。
 
ただし、「なかにし」にご飯を食べに行くと、山ほど添えられるキャベツに、備え付けの大きなマヨネーズ容器でつい目一杯かけてしまいます。
 
実言うとキャベツはもっと増やしてもらってもいいのですが、マヨネーズの量も増えてしまいそう。
 
アメリカに行っていた時に定宿のモーテルの隣にマクドナルドがあり、道路の向い側にCarl's Jr.がありました。
carlsjr.jpg
<パリスヒルトンのセクシーCMです。ちょっと過激なビデオもあります。>
 
Carl's Jrはどちらかというとマックに比べると本格的なハンバーガーでハンバーグのボリュームが 大きくて、レストランで皿に乗せて出されるハンバーガーに近い感じでした。
 
上の偽レストランのCMは偽レストランを造って、お客をひっかけて、後で真相を明かすコマーシャルでシリーズものになっています。引っかかるのも何となく判る気がします。
 
下図はアメリカ生活e ニュースに載っていた2005年におけるアメリカのハンバーガーチェーンのシェアの図です。(マックが50.2%、Carl's Jrは2.6%) ちょっと古いので、最新データを調べましたが判りませんでした。

Hamburgershare2005.bmp

モーテルではパンとコーヒーだけの朝飯はでました。自分で食パンやベーグル焼いて、マーガリンやジャム付けて食べていました。
 
毎日食べたいと思う様な代物ではありませんでしたので、休みの日はゆっくり起きてブランチ代わりに外にでましたが、マクドナルドは食べる気がしなくて、道路を渡ってCarl's Jr.に・・・

店の前の新聞販売機で新聞買って・・・覚えてないけど25セント硬貨を握り締めてた記憶があるので、25セントか50セントだったのだと思います・・・コーヒーのセットメニュー頼んで、新聞読みながら食べてました。
 
セットで2ドルしなかった様なきがするけど・・・
 

そのうち、どうもその日一日胸やけがして夜まで続くことに思い至ります。あのブランチが重すぎる?それとも、ケチャップとマヨネーズの味が残るせいではないか?

しばらく脚が遠のいていたのですが、ある朝、そうだ、NOケチャップ、NOマヨで頼んでみようと・・・そんな奴がいるかと言う顔をされながら、注文。
 
味がちょっと足りない気はしましたが、これなら胸やけはしなさそう・・でも、夕食に相当するようなカロリーのブランチでした。
 
平日のランチのでかいサンドイッチと併せて、アメリカに行くたびに太っていくのは極めて当然な結果でした。
 
Carl's Jr.グループは今、日本進出を考えているようです・・・
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posted by くまじい at 11:30| Comment(0) | 茶話室

2011年09月10日

手術・・・

入院から手術後までの記憶が実は余り定かではありません。思い出せる限り書いておこうと思います。
 
※今回の写真は2003年8月16日の平泉寺です。・・・随分、前になります・・・以前「白山神社(平泉寺)苔生す寺」を書いた時に一部の写真は使っており、再掲になります。
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昼食を終え、寝巻きに着替えて「病人」になります。

間もなく師長さんが来て、必要な場所を案内しておくから付いてきてくださいと・・・緊張して付いて行くとナースステーションで男性看護師を呼んで、「〇〇くん、案内して」とパスオンされます。
 
トイレと給茶器とお風呂、シャワー室を教えてもらい、部屋に戻ります。
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4、5日の入院なのだから贅沢させてもらおうと個室をお願いしました。携帯もネットも自由とのこと。ネットは業者に来て、モデムを設置してもらう必要がありました。

なんと1日150円・・・NYのホテルは一日2500円だっけ・・・

手術後、テレビは見る気がしなかったので、一度もテレビカードは購入しませんでした。
 
本を読んだり、PCに溜めこんだ写真の整理したり、でも、ともかく眠くて、寝てしまうのが一番時間が長かったですが・・・それでも一日中、昼も夜もYou Tubeのお気に入りで音楽を流しっぱなしにしてました。
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持ち込んだのは自分のPCで会社のPCは部屋に置いてきてしまいました。
 
自分のPCでは、会社のメールは見ることができないので、安心して休めるというところです。気になることは入院前に済ませてきたし、なにかあれば携帯がくるだろうと・・・
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病院内の案内を受けた後、入れ替わりに色々な担当の方が書類を持ってきて、サインをさせられます。

手術前にヒゲを蓄えていたのですが・・・
 
手術時に喉にパイプを通すため、噛まない様に、口に筒を固定するのだそうです。胃カメラのときに咥えさせられる奴みたいなものだと思います。その筒を口に固定するのにヒゲが邪魔になるので剃れと・・・
 
せっかくこれを機会に伸ばそうと思っていたのですが、売店でヒゲ剃りを購入して「断髪式」を・・・
 
実は、口元がもじゃもじゃして鬱陶しかったのでよかったかも知れません。
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昼過ぎに奥さんと一緒に先生のお話を聞く約束でしたが、先生が多忙で夕方になります。

下の娘が夏休みをつぶして来てくれます。

結局3人で話を聞くことに。この際とばかりに色んなこと訊く奥さんに先生は慎重に、すべての可能性について説明します。
 
それらの会話の内容の大半については当人が事前に先生に聞いてきたことなので、充分承知して手術に備えているつもりでした。
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それでも繰り返し、万が一の話を聞いているといささか気が滅入ってきます。だんだん「くま」の口数が少なくなり、顔が暗くなりつつあったのかもしれません。
 
先生が自分を気にして目の端で見ているなと・・・気が付いて顔を挙げますが、それでも眉間にシワが掘り込まれていたんだと思います。
 
案の定、夜、看護師さんが、「先生が今夜これを飲んで寝てくださいって・・・」と安定剤を渡してくれます。

先生の配慮に感謝して、有り難く、服用させてもらいました。
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夜食は牛乳とカップに入ったトロッとした蕎麦湯みたいな重湯(おもゆ)。
 
重湯というのは前にも経験したことがあるのかどうか・・・腸の内視鏡だったか、透視だったか、前夜の食事用にとレトルト品を渡されたのが、そうだったのかな・・・障子糊そのものの臭いで、吐き気を催し、絶食で検査に臨んだことがあります。
 
今考えるとあれがきっと重湯だったのかな・・・
 
この日は臭いも気にならず、「これが重湯か・・・」と少し口に入れては噛んで、5口ぐらいで終了。
 
普段なら腹が減って眠れないかもしれない気がしますが、それ程空腹感はなく、安定剤の効果も有ってか朝を迎えます。
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8月4日手術日です。朝6時頃までは水を飲んでいいとのことでしたが、あまり水を飲む気にもなれず・・・
 
先生が顔をだして、「それじゃあ、くまさん、今日、頑張るからね」と励ましてくれます。
 
奥さんと娘も到着して、いよいよ準備開始。
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麻酔を効きやすくする薬なるものを注射され、ベッドのまま、手術室に向います。
 
看護婦さんと奥さんの話を聞いていると、家族の待機室があって、そこで奥さんと娘は待っているらしい。
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入院時の注意事項に貴重品を放置しないというのがあったな・・・とぼんやり考えます・・・
 
「そう言えば、財布を引き出しに入れっぱなしだった・・・奥さんに預けておけばよかったな・・・」

まだ麻酔をされていないのに、なんとなくベッドに金縛り状態。皆もそこそこ、緊張しているなかで、今頃そんなこと言いだす雰囲気じゃなさそう。
 
もういいか・・

今考えるとつまらないことを考えながら、手術室に向ってました。
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二人と別れて手術室に入って行きます。

会社の手術経験のある人間が「テレビみたいですよ」って・・・
 
意味判んなかったけど、手術室の中を移動しながら、天井のライトを見てて、「ああ、そう言えば『ベン・ケーシー』だな・・」と。
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「はい、ちょっと身体をこっちに持ってきて。」

横に少し身体を動かすと背中がコンベア状のものに載って、手術台に向かって身体が動き出します。
 
手術台に移されると、周りで色々準備する気配が始まります。麻酔の先生が、麻酔の吸引装置を鼻と口に被せ、「大きく深呼吸して。すぐ眠くなりますよ。」

「すー」っと1回目、さらに2回目ろ大きく吸います。

「眠くならんな・・・」と、3回目を吸いかけたところで意識がなくなりました。
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以来、退院するまで、ず〜っと、霞みのかかった世界になってて、起こったことの虚実、物事の前後関係はオボロで判らないままです。
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気が付くと、元の部屋に寝ていて、口に酸素がきて、点滴がぶら下がって、妙にオシッコがしたくてたまらない。

「どうですか?」と訊かれるので、「オシッコがしたい」というと、今管が入っていて、オシッコは自然に流れていると。

膀胱の中に管が入っていてそれが刺激するのでオシッコがしたい感じになるのだそうです。
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眠くて、眠くてそのまま、次の日を迎えます。と言うより、当日の記憶がよみがえらないと言う方が正確ですが。

翌朝、外科部長の総回診。10人くらいの集団が来て、先生が部長に自分のことを説明してます。

外科部長さん「くまさん、腹腔鏡手術で出来る今の時代でよかったね。その大きな身体で開腹手術したらとんでもない傷跡になってたよ。」「はあ、ありがとうございます・・・」
 
なるほど、そういうもんか・・・
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名古屋で研修中の長女が休みが取れたと、3人で来てくれます。それでも眠くて眠くて、ひたすら寝てしまいます。

長女は看護師のくせに、あるいは看護師だからか「お父さん、元気がない!」と叱ります。そう言われると情けないけど、元気がでない・・・
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「オシッコの管を抜きますね。」と優しく看護師さんが言って、思い切り管を引っ張ると、オチンチンの中をパイプが走り、激痛が来ます。しばらく痛みが取れませんでした。

オシッコの管が取れたので、トイレは自分で行かねばならないし、なるべく歩いて内臓の動きを活発にしろと・・・
 
点滴を引きずりながら、娘達と病院の散策をします。まだ腹にドレン管が突き出ているのでなんとなく怖い。

術後、2日経過して点滴が取れますが、ドレン管が抜けません。ドレン管の上を覆っているガーゼがまだ赤く湿るのでなんとなく不安が募ります。

術後5日目で退院と言われていましたが、延期になるのかな・・・
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先生がきて、パイプを診て説明してくれます。
 
「ドレンパイプは内部の出血を排出するためのものなんだけど、くまさんの場合は内部からの出血はなくて、パイプを差しこんでいる開口部分の傷口から出ていて、パイプの外側に血が付いているようだ。
 
普通の人はこの状態でも傷口が癒えて行くんだけど、くまさんの場合は開口部の脂肪層が厚くて、ふさがり難いんだと思う。
 
だから逆にドレンパイプを抜いた方が治りが早いので抜くよ。」と・・・
 
パイプを抜く時には怖くて目をつぶってしまったのですが、見ていた奥さんによると、身体に入っていた部分が結構の長さがあってぞっとしたとのことでした。
 
結局ドレンパイプを抜いても、退院の日まで傷口が完全には塞がりませんでした。
 
外傷だけなので、問題ないということで予定通りの5日目で退院します。カサブタになるのにさらに1週間、カサブタが自然に取れたのは9月に入ってからでした。
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手術直後に、奥さんと娘は取り出した胆嚢と石を見せてもらったのだそうです。
 
「おとうさんに渡すって言ってたよ」と言うことですが、そう言えば「石が21個あったよ」と言う話は聞いたけど見てないな。まあ、あまり見たいとも思わないけど・・・
 
先生に訊くと、「え?・・・そう言えば渡そうと思って白衣のポケットに入れて・・・あれ、渡さなかったっけ?」ってまあ、どうでもいいところになると目一杯いい加減になる先生。
 
後で、切開した胆嚢と石が並んだ写真を持ってきてくれて、「どうしても見つからない、ごめん、これで勘弁して」って・・・先生が気にするほど欲しい物でもないので、もういいやと思ってましたが・・・
 
結局、退院後の検査の時に、「くまさんに良いもの上げる。」って嬉しそうに、見つかった石を渡してくれました。
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<楠正成供養塔 甥が平泉寺に居たとか・・・>

退院後の検査日を一週間後にしようと、予約して、退院します。
 
食事も生活も普通でいい。風呂も湯船に入ってもいい。ただし、公衆浴場ではしばらくシャワーだけにとどめろ。1か月は激しい運動は避けろ。ゴルフも、その練習も我慢。山も我慢。と言い渡されます。
 
8月末から市のテニススクールに通う予定だったけど、これは自主規制・・・
 
酒も飲んでいいと言われましたが、この際暫く酒から遠ざかろうと・・・
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退院後、敦賀に帰り、昼食を食べて寝てしまいました。眠くて、眠くて状態が続きます。
 
1回全身麻酔すると細胞が活性化するのに大分時間がかかるのか・・・などと考えつつ・・・精神的なものだと思います。
posted by くまじい at 08:11| Comment(0) | 茶話室

2011年09月06日

入院前夜

入院前夜の8月2日、奥さんが敦賀に・・・必要な買い物をして、「最後の晩餐」に「つか田」へ向かいます。
 
黒龍の季節の吟醸で、お料理を楽しみました。
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3日の朝、10時までに入院受付まで来るように言われています。朝食を済ませて、8時半頃に駐車場に下ります。

サークルKで買い物でもして行こうと走り出すとガタガタと抵抗が大きい。

右後輪に3cm程のビスが刺さって、空気がすっかり抜けていました。昨日はちゃんと走っていたので、悪戯か・・・?
 
スペアに交換しようとしたら、なんとジャッキが入っていない・・・慌ててJAFを呼んで、病院に電話。10時には間に合わず1時間から1時間半は遅れることを告げます。
 
JAFが来てくれたのが9時半頃。スペアに交換して出発しようとしましたが、斉生会まで行くと言ったらJAFの人が納得しません。高速を使うのはもちろん、福井までの距離を走るのを止めて欲しい。
 
ガソリンスタンドあるいはタイヤ館かイエローハットが開くのをを待って交換してから行くのが望ましいと。
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店が開くのを待ってたら病院到着が何時になるかわからない・・・下道を行って途中で必ず、タイヤ交換するからと、約束して許してもらいます。
 
ゆっくり走りだすと、2駆で走ってるのに、スペアのタイヤバランスが悪いせいか、4駆の異常を示すセンサーが点滅を始めて焦ります。日産のe-4駆は、異常と検知してしまうかもしれないかもとJAFが言っていたことが現実に・・・
 
特に心配する必要はないはずだと思いながらも、ひやひやしつつ、武生の8号線にあるイエローハットに到着。今年履き替えたばかりの、ダンロップ「玄孫(やしゃご)」のエネセーブと同じタイヤの在庫があり、交換します。
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<お店の写真は別の日のものです>
 
結局11時半ごろに病院に到着。
 
朝入院して、昼から病院食の予定でしたが遅くなったので昼食を用意してないと、普通食の予定だったから、売店でなにか買うか、レストランで食事をすませろとのこと。
 
夜は手術直前なので、重湯だけらしい・・・
 
何食べても良いけど、堅いもの食べるなと難しいこと言われましたが、オムライスを食べて戻り、寝巻に着替え、いよいよ短いながら入院生活に入りました。
posted by くまじい at 22:00| Comment(0) | 茶話室

2011年09月04日

あらかんの誕生日

今日はくまじいの誕生日・・・63歳になります。プロフィールの記載を62歳から書き換えました。
 
いつまで「あらかん」と称していいんだろうか・・・まあ、来年まではOKかなと。
 
<B.B.King  Happy Birthday Blues>

このブログを始めた時の『あらかん』への反応・・・
 
「ああ『嵐勘十郎』ね」・・・えっ?・・・今頃、そんな俳優知ってる方が少ないっていうの・・・
 
「さすが、くまじい、『阿羅漢』」ですね」・・・おそれおおい・・・そんなお偉い名前付けるほど夜郎自大な人間じゃないつもりだけど・・・
 
世の中、色んな人がいる・・・
 
まあ、「あらさー」も、「あらふぉー」も最近では死語になった気がして、いまだに「あらかん」を称している方がおかしいかも・・・

これからも、色んな人との出会いを大切にしながら、大きく惑いつつ、歳相応の夢は失なわず、楽しく生きて行きたいと思います。70歳になったら、どんなオジンになってるんだろう・・・
 
『は〜っぴ ばーすでぃ ぶる〜す』 と、うかれつつ・・・
posted by くまじい at 00:30| Comment(0) | 茶話室

2011年08月21日

猪之助祭

毎年7月15日には「猪之助祭り」が開催されます。
 
場所は猪ヶ池にある、「猪之助神社」 普段は社は閉じられていて、建物の表示も字が薄くて読めません。
 
いつも利用させていただいている「神社探訪」にも、さすがにここは記載されていません。
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八大竜王の額が社の入り口にかけられています。

「八大龍王は、法華経に登場し、仏法を守護する天竜八部衆に所属する水中の主である竜族の八王で、霊鷲山にて、諸天、諸菩薩と共に、釈迦の説法を受けます。
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釈迦に「妙法蓮華経」の『観音菩薩の御働き』の説法を受けた八大龍王は、覚りを超える『阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)』、『無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)』を得て、護法の神となられるに至った。
 
古代インドではナーガという半身半蛇の形であったが、中国や日本を経て今の竜の形になった。 」(Wikipedia) 
要するに水に纏わる神を祀っているということなのか・・・
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毎年の「猪之助祭り」には、お寺の名前は聞き逃したのですが、おそらく浦底のお寺の住職さんなのだと思いますが、住職様に来ていただき法要が行われます。
 
地元の有力者の方達、お客さんの幹部職の方々、我々協力会社の人間が法要に参加します。猪之助の法要と併せて、各社の安全祈願も執り行われるため、奉献酒をお供えします。
 
弊社もそうですが、我々の属する業界は、カタカナ会社が結構あって、住職さん、いつも読み上げにご苦労されています。
 
昨年くらいまでは住職の自己紹介に引き続き、猪之助の説明があったのですが、住職さんのお話の内容が聞き取り難く、よく理解できないままでした。
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今年は、それすらも省略されて、それはさておき、で始まったので、今回、内容補完することかなわずでした。
 
かすかな記憶によると、猪ヶ池はたたりがあるから近寄ってはいけない、魚を獲ってはいけないなどの禁忌があった。
 
ある日、寺男の猪之助という男が行方不明になり、探し回ったところ猪ヶ池で死んでいるのが発見された。
 
それで?という感じなのですが、そこで話が終わってしまうので、意味がよく理解できないままでした。
 
7月15日は水島の海開きも近い日に当たりますから、「猪之助祭り」が漁や、水遊び等の水難を防ぐということの象徴としてあるのかなと言う気がします。
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この数年、猪ヶ池は熊の出没情報により、立入り禁止になっており、池の中央に人工島を与えられて、くつろぐ野鳥達の王国状態です。
 
野鳥観察小屋か、道路傍から眺めるしかない状態で、熊ならぬ、人間の「くま」の目には、ますますその神秘性が深まっているように思えます。 

このまま立入り禁止を継続して、10年くらい経てば、隔絶したロストワールドとして敦賀名物になるかもしれません。
 
どうせなら猪之助伝説をもう少し脚色、補完して・・・
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畏れ多いことを言いました。ともかく、南無阿弥陀仏・・・いや猪之助祭りは南無妙法蓮華経・・・です。 
 
※一部8月に撮った写真を追加しました。
posted by くまじい at 08:50| Comment(0) | 茶話室

2011年08月06日

くまの切腹

8月4日、いよいよ胆石の溜まりきった胆嚢摘出手術をしました。
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北極ネット(viaNaver)より写真をお借りしました。
 
8月3日に入院、4日の9時から全身麻酔で約2時間の手術でした。って自分はわからないのですが・・・
 
麻酔の先生に「はい、深呼吸して、すぐ眠くなります」・・・って利かねえじゃなえかと思いつつ・・・
 
3回目の深呼吸をしたのを覚えていますが、気が付くと部屋に戻っていました。
 
4日と5日は頭がぼんやりしててなにも考えるの嫌で。。。このままどうにかなっちゃんじゃないのかと不安でしたが、今朝起きて、少しすっきり・・・
 
入院前にニューヨークの記事を終了させようと思っていたのですが、meblogの不具合で日曜日にログインできず、断念しました。
 
まあ、正直いうと、ちゃんとログインできても終わらなかったと思いますが・・・
 
またぼちぼちと行きたいと思います。
 
posted by くまじい at 07:00| Comment(0) | 茶話室

2011年05月15日

コロンバス・サークル

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セントラルパークの西南端入り口のコロンバス・サークルにホテルがありました・・・部屋はセントラルパークと逆側のハドソン川の眺望で、ちょっと裏側気分
 
15年前に来た時に、怖くて乗れなかった地下鉄・・・笑い話はいくつかありましたが、ダウンタウンへ行くのに便利しました
 
その他は全て歩きで、近々に日産車で統一されるというイエローキャブは全く利用せず・・ツアガイドの「ニューヨークは歩いて楽しむ街です」を実践しました・・・まあ言われなくても歩くつもりでしたが
 
※アメリカから帰って残りの連休中にゴルフ2ラウンドして、疲労蓄積、脚不調で、寝たきり老人状態です。
posted by くまじい at 05:30| Comment(0) | 茶話室

2011年05月09日

公園の八重桜

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4月末のニューヨーク・・・八重桜が終わろうとしていました

街の中にある多くの公園が統一された方針で整備、管理されている気がします

公園も含めた歴史的遺産管理に対するコンセプトが明確で、ぶれない・・・
 
磨き上げられてきた都市景観の素晴らしさに圧倒されます 
 
 
※連休を利用してニューヨークに旅行してきました。写真の整理に当分かかりそう・・・
posted by くまじい at 07:30| Comment(0) | 茶話室

2011年05月08日

ガンディー像

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ニューヨーク、ユニオン・スクエア西端の新緑の中を歩くガンディー

この日、ビン・ラディン死亡の報道があり、夜、タイムズ・スクエアで若者の「U・S.・A」の雄叫びがあがります
 
「非暴力」と「U・S・A」の雄叫びは繋がらない気がするけど・・・
 
リンカーン、ワシントンなど有名なアメリカ人の中でガンディーは穏やかに微笑んでいました
posted by くまじい at 01:30| Comment(0) | 茶話室

2011年04月14日

艱難辛苦0216早朝

2月11日〜13日の3連休を使って、購入したディーラーで車検を通すために金曜日の11日に車で帰りました。
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<写真は2006年4月8日小浜妙祐寺の枝垂桜です。以下同じ>

土曜日にディーラーに車を持っていき、その夜が同級会・・・とここまで書いて、前回の記事の日にちを間違えていることに気が付き、訂正。
 
15日(火)の午前中に本社で打ち合わせがあるので、14日(月)も本社に出頭して苦手なプロジェクト資料の作成をします。
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国内、海外の大プロジェクトで、プロジェクト任せにしていて問題点が顕在化しないまま進んで、取り返しのつかない大赤字になることがあります。 
 
その反省から、予防措置として定期的に細くチェックをして、大きな問題になることを防ぐ手順が。それが全社共通のマニュアルになり、小プロジェクトでも従わなければなりません。
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ということで、小プロジェクトを負った、眼の遠い年寄りも同じく、細かい数字を見させていただく訳ですが、ほぼ隔月に色々な確認をしなければいけないので大変・・・
 
性格的に普段はドンブリ勘定なので、精査して、もし悪化してたら・・・という恐怖感もあり、なかなか手をつけずにずるずると期限が迫ってきます。って、普段からちゃんと見てろよって・・・
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11日は敦賀出発時に雪が舞っていましたが、北陸道、東名高速を走れど、走れど、雪だらけ・・・今年あんなに敦賀で雪でいじめられて、まだ付きまとうのかよと呆れます。
 
御殿場付近も周りは真っ白で、飛ばすのが怖くなるほどです。
 
まあ高速は路面に雪が積もることはありませんので安心でしたが・・・それにしても周りを飛ばしている関東のNOの車はスノータイヤ装着しているのかしらと疑問がわいてきます。
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12日は冷たい雨が・・同級会の前に丸の内で写真を撮ってたらレンズに雨滴が残って汚れが付いてしまったようです。それに気が付かなかったため、その後の写真はボケボケになってしまいました。
 
13日は渋谷Bunkamura The Museumで「モネとジヴェルニーの画家達」展を観て、広尾のイタリアンでお食事。この件は後日に・・・
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14日に、前記したように、本社で作業をしましたが、終わらないこと終わらないこと・・・夜になり、自分より先に帰ろうとした人が「降ってますよ」って。
 
いいよ雨くらいと思いつつ外を観ると真っ白です。え〜っ、なんでこんなに雪に纏わりつかれるの・・・
 
声掛けてくれた人間も車で通勤しているとのこと、当然ノーマル。「大丈夫か?」「ゆっくり帰ります」
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11時ごろになっても終わらないので諦めて帰えろうと・・フロアに誰もいないのでバチバチと灯りを消して行きます。
 
仕切りで囲まれたえらい人のブースにお一人残っていたみたいで、「おーい」の声がかかり、慌てて謝って再点灯して退室します。
 
昼間、我々の部長と声荒げてやり合ってた隣の室長さんでした・・・
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外にでると車の上に10cm位積もっています。まさか雪かきの道具が地元で役立つとは思いませんでした。敦賀の雪はさらっとしていて簡単に落ちますが、関東の雪はねっとりしていて落ちないこと。

ようやきく走り出すと、ザクザクの雪が厚く積もり走り難い。
 
自分はスタッドレスですが周りはノーマルだろうなということで他の車に近づかない様に走っていると、バイクがフラフラしているのに遭遇。怖いので大きく車間を空けます。
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11日の東名高速走った経験から、これは下道行くより高速の方がいいなと・・・高速もそれなりに雪が残っていましたがまあ走りやすくて無事にたどり着きました。
 
翌15日、会社に行くと昨日の彼が無事出社してて、「怖かったけど大丈夫でしたよ」とのことでした。
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打ち合わせが終わり、さあ、昨日の作業を終えて早く帰ろうっと・・・結局4時半ごろまでかかかり出発。

今日中に着けばいいかとのんびり走ります。
 
静岡に入ると、豊橋で重大事故、浜松西から豊川まで交通遮断とのこと、どうしろとは表示がない、交通情報ラジオでも同じことを言ってるだけで、どうしていいかわからない。
 
まあ手前まで行ってみようと走り続けます。
 
直前のPAやSAは満杯のようで、取りつき道路まで駐車の車であふれています。 
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浜松西の手前の渋滞にたどり着いたのが8時か8時半ごろでしたでしょうか?
 
浜松西で降りる人達なのでしょう、側道を走って行く車もあります。下道を行くとどうなるのだろう、ナビで見ると高速使わないと2時頃敦賀着とでます。

今冷静に考えると豊川ないしは次のインターをナビで探して、浜松西から下道で行こうと判断すれば早かったのだろうと思います。 
 
ナビを使い慣れていればそういうことができたのだろうなと思いますが、決まった使い方しか判らなくて、にわか勉強しようにも車が徐々に動いていくので、じっくりナビを見ていることができません。
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<駐車場への帰り道>
 
結局浜松西インターまでずるずるきてしまいました。
 
追い越し車線に居る車は開くまで待っているようですが走行車線を走っていた車は強制的に降ろされます。

もう11時、こんなことなら側道使って早く降りてしまえばよかった・・・

浜松西で降りるとナビはすぐに三ケ日インターで乗れと出ますが閉鎖中であることは明らかで・・・しかたなく、大阪、京都NOについてひた走りに走ります。
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<妙祐寺の近くを流れる川岸の桜>

途中大渋滞があり、眠さとおしっこを我慢していましたが、途中あったコンビニで一息、さらに渋滞を我慢して、音羽蒲郡でようやく東名に再び乗ることが出来ました。
 
敦賀着は16日朝、4時過ぎ・・・さすがに昼から出社とさせていただきました。
 
その日の報道で渋滞の列にトラックが突っ込み、5台を巻き込み、3人死亡、7人が重軽傷という事故であったことを知りました。
posted by くまじい at 21:15| Comment(0) | 茶話室

2011年02月06日

ブログ2年

ブログなるものを始めて、2年経過しようとしています。
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<若狭姫神社>
 
写真をアップするディスク使用容量は2GB上限のところ、昨年2年目を迎えるところで500MB、現在が1GBを超えたところなので、1年間で約500MBずつ使用で、昨年予測した通りとなっています。
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<若狭姫神社>
 
残ディスク容量からすると後2年間は続けられことになるわけですが・・・
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<若狭彦神社>
 
この2カ月、写真の整理が追いつかず、なかなか現実の時の経過を書きつづることこが出来ないでいます。
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<若狭彦神社>
 
写真がメモ代わりになっているので、場面を思い出しながら記事を書くわけですが、さすがに古くなると記憶が定かでなく、思い出せることをぎりぎりメモするだけの状態で、自分としては、あまり面白くありません。
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<神宮寺>

前にも書きましたが、300枚〜500枚の写真の中からアップするものを選んで、4MB〜10MBの容量を20〜30%に縮小、300KB 以下にしてからアップしています。粗く選んでおいてアップし、記事を書いている時にくさらに絞っているつもりなのですが・・・
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<神宮寺>

その作業量が馬鹿にならず、遅々として進みません。「乳」とならいいのにって・・・おやじギャグです。仕事と一緒で興が乗らないとなかなかやらないという悪癖が原因でもありますが・・・ 
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<神宮寺>

まあこの2カ月の記事の数を考えると従来より大分多くなっているようなので、遊びまわっていて記事本数が増えて、記事が追いつかないと言う面もあるのだとは思います。
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<神宮寺>

前に、アクセス回数のことを記事にしました。「平均で50回/日、多い時に百件を超えたことがある。70回を超えるとアクセスランキングに載るようだ」と・・・
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<鵜の瀬>

最近、アクセス件数が、平均で約100回/日を前後するくらいに上がって来ています。この2カ月程度、記事を書く機会が増えていたので、それなりにアクセス数も増えていたのだと思います。
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<根来八幡神社>
 
RCNのブログ全体のアクセス数も増えてきているようで、最近は90回/日程度ある時でもランキングに載らないときもあるようです。
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<満徳寺>

最高アクセス数はちゃんと調べていませんが、165回/日で、そのときのランキングで35位程度というところでした。まあ、自分の書きたいことを書きたい時に書いていくしかないので、気にしてもしょうがありません。
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<満徳寺>

新しい記事を書きつつ、昔の記事を最近のスタイルに合わせて、写真の大きさを大きくしたりすることも徐々にしています。
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<明通寺>

そこで感じることは写真を整理しているだけと言いつつ、昔の記事は書きたいことありきで、写真が添え物と言う感じでしたが、最近は写真に振り回されているような気がします。
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<明通寺>

まあ、桜をはじめとした花模様、紅葉、雪景色等の場合は写真が先行するのは自分の中でもよしとしているので、しょうがないかと。桜の終わる4月までは気が抜けません・・・って、それ程のことじゃないか・・・
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<明通寺>
 
というところで、もうしばらく続けて見ようかと思っています。
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<国分寺にも行きました。>

【註】今回、「はじめてのブログ」で使用した小浜のお寺巡り(2003年5月25日)の時の写真の残りを利用しました。なんと、もう8年も前になりますが・・・なんとなく「わかさはいかい」の原点のような気がしているのです。
posted by くまじい at 00:30| Comment(0) | 茶話室

2011年02月05日

謹賀新年20110101

生まれて初めての経験ではないかと・・・30日に年賀状が完成、夜中にあて名書きして31日に投函。賀状を旧年中にだしたことは自分の記憶の中では無い様な気がします。
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<出世稲荷>
 
明けて元旦はお節して成田山に行きますが、今年は暗くならないうちに行こうと珍しく家族が午前中に起きてきて、お節を早めに・・・
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成田に2時過ぎくらいに着きますが、昨年に増しての大行列、結局帰宅は暗くなってからになってしまいました。
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海老蔵がケチをつけた形になった成田山(真言宗智山派)ですが、ホームページ大本山成田山(大本山成田山)の縁起によると下記の説明があります。
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「成田山新勝寺は、天慶3年(940年)寛朝大僧正によって、開山されました。
 
寛朝大僧正は、朱雀天皇より平将門の乱平定の密勅を受け、弘法大師が敬刻開眼された不動明王を奉持し難波の津の港(現大阪府)より海路を東上して尾垂ヶ浜(千葉県 山武郡横芝光町)に上陸、更に陸路を成田の地に至り、乱平定のため平和祈願の護摩を奉修し成満されました。
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大任を果たされた大僧正は再び御尊像とともに都へ帰ろうとしましたが不思議にも御尊像は磐石のごとく微動だにしません、やがて「我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん」との霊告が響きました。

これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立し「新勝寺」の寺号を授与し、ここに東国鎮護の霊場として「成田山」が開山されました。 」
 
市川團十郎が成田山に帰依して、「成田屋」の屋号を名乗ってから一門の屋号となったということのようです。
 
また、成田山は各地に別院を持っており、自分の還暦のお祓いした深川不動もそうですし、福井には九頭竜寺という福井別院があるのだそうです。
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<出世稲荷>
 
梅原猛の本では神護寺のお不動さんが出向いて将門の乱平定後帰りたくないと言って住みついたのが成田山で、成田山は以来、神護寺にお不動さんの借り賃を払い続けており、現在の借り賃は一万円とのこと。
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Wikipedia に気になることが・・・
 
神田明神(神田明神ホームページ)は平将門を祀っており、神田明神を崇敬する者は平将門の乱を平定したという経緯の成田山をお参りしていはいけない、お参りすると災いがあると言われているのだそうです。
 
我が家は何時の頃からか、元旦か2日に成田山、2日か3日に湯島天神、神田明神に行くのが慣習になっていました。最近は2日、3日に箱根という形になってきたので、崩れてきたのですが、奥さんは3が日過ぎてから神田明神には行っているようです。
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まあ、どちらにも属さない我が家が、両者の融和の細き絆にならせていただくということで御容赦願いたいと・・・
 
ともかく、ようやくブログの歳が明けました。Happy Rabbit!!
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posted by くまじい at 15:42| Comment(0) | 茶話室

2011年02月01日

木崎0131

1月31日(月)、週末にかけて雪が降り続き、街は死んだようになっています。
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<アパートの駐車場、融雪システムも効果なし・・>
 
出かける支度をしていたら、お客さんから電話。「自宅待機せよ」とのこと。
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<御近所のお宅>
 
事務所はお客さんの敷地内にあり、お客さんの仕事をしている身で、指示に従います。慌てて、事務所のメンバーに電話。皆、雪かきの最中のようでしたが、ともかく連絡終了。
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<新木崎通り>
 
今日はゆっくり写真整理をしようと・・・
 
整理半ばで、写真でも撮りながら早めにHeartsに歩いてお買い物に・・・
 
一瞬、スノーシューを履いてと思いましたが恥ずかしいので長靴で・・・まあ、歩いて行ったのが敗因で、秋吉にふらっと入って「ヌル燗お願い」って・・・
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<Hearts駐車場 暗くなってしまいました・・>
 
ということで昨年最後の記事「野坂1226」を完成するつもりが果たせず2月入りです。
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<水仙祭りでもらいました。>
posted by くまじい at 06:36| Comment(2) | 茶話室

2011年01月28日

お別れの会0125

兄が逝きました。母が異なる15歳離れた兄でした。
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世田谷代田の小さなホールでお別れの会が催されました。兄が生前に決めていた場所で、やはり兄の指示で無宗教で限られた友人だけを招いての会でした。
 
胆道癌が転移し、放射線治療、抗がん剤、ワクチンなどの闘病を5〜6年続けていたということでした。
 
最初から医師に余命いくばくもないことを宣言され、自分の死後のことを全て段取りしつつの覚悟の時間を過ごしたようです。
 
昨年ストラスブール美術館展に行った時の伯父の49日の時に会えたのが最後でした。
 
その時に初めて病気の話は聞きましたが、自分の苦労と胸の内は明かさず、笑顔と、落ち着いて治療の様子を話す態度に接し、兄の覚悟には気が付きませんでした。
 
昨年末に入院して、正月を過ぎた先週、一人息子の甥と義姉が明日も来るからねと病院から去った直後に急変・・・とんぼ返りするも間に合わず、一人で旅だったのだそうです。
 
多様な趣味の兄でしたが、高野山の競書大会で特選を連続受賞していたこと、多くの般若心経の写経が残されていたことをお別れの会で初めて知りました。
 
自分は書のことは全く判りませんが、特選の書の見事さに素人ながら感銘を受けました。
 
葬儀を無宗教でということと、般若心経を繰り返し写経していたということの係わりについて不思議な感じがしました。人には明かさぬ心のなかでの葛藤もあったのかもしれません。
 
心の問題と儀式は別、と言う兄の割り切りなのかと思います。
 
兄のことをよく知る疎開時代、高校、大学の友達10人程が思い出を語り合いながら見送る心温まる会になり、兄も満足だったと思います。

兄の逝去も知らせず、お別れ会に来られなかった方々へのお別れの挨拶状を自ら300通程度用意しており、義姉と甥が葬儀終了後に発送するのだそうです。

たった一人の兄ですから、生前、もっと話をしておきたかったと残念ですが、兄が自分の選んだ自分なりの最後を迎えたことに、尊敬の念を覚えます。
 
悲しみに耐え、兄の遺志にしたがって粛々とお別れ会を施行した義姉と甥には、葬儀後、自分とは比較にならない、一層の寂しさが襲うのだと思います。
 
兄の遺した、この暖かい集まりを思い出すことで、兄の意志、人柄が心に沁みてきて、寂しさを少しでも和らげてくれる様な気がします。続きを読む
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2011年01月22日

野坂遠景1217 白銀

出張から帰って今日は夜から仕事です。
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昨日から突貫工事で、現場ではシフトを組んで仕事しています。「あらかん」もたまには夜の部を担当することにして、昼間は部屋で待機です。
 
朝起きると山は真っ白です。慌ててカメラを持って外にでて、野坂を狙います。
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霧が西の方から押し寄せてきて、野坂をかけ登り、雲になるのでしょうか、東の方向に長く雲がたなびいています。
a017.JPG a019.JPG
<頂上、三の岳>
 
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<二の岳、一の岳>

雲が切れるのを待とうと思いましたが、逆に雲というか霧というか・・足元まで野坂を包み込むにようになり、むしろ野坂の見える部分が少なくなりそうです。
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野坂の同じ様な構図を何枚も撮った後、部屋に戻りベランダに出で東側の山が白くなって、朝日を浴びて輝いているところを狙います。向かいの低山が白くなるのは珍しいことのような気がします。
a059東側の山.JPG a061東側の山.JPG
 
今日、夜の仕事がなければ、このまま野坂に直行したい・・・自分は何もしないとは言え、山で疲れて事務所で寝ていては何のために出勤したか判らなくなってしまう・・・ということでがまんして部屋で身体を休めていることに。

午後、昼飯に中西にでも・・・と外に出ると野坂の肌はもう黒々していました。
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<最上階の廊下まで出かけて写真を・・・もっと早く気が付けばよかった・・・>
 
夕方、お酒のお誘いがありました。事情を説明してお断りを・・・断るなんて、めったにないことですが・・・出勤の仕度をはじめました。
posted by くまじい at 02:00| Comment(0) | 茶話室

2011年01月21日

東寺夜景1216

東寺(東寺ホームページ)と言っても東寺の前まで行っただけということで、詐欺みたいな話です・・・
 

大阪(枚方)の会社に出張。昨年3月に出張した時は作業が早く終わり、帰りがけに北野天満宮の梅花祭に遭遇しました。京都でどこか行こうと探したその日がお祭りの日、3月25日だったなんて、信じられない感じでした。
014東寺.JPG
 
決して、知ってて出張の日を決めたわけではなくて、そう言うところの悪運が良いと言うところがあります。肝心の人生での運はあまり良い様な気がしないのですが・・・
 
京都駅で近鉄に乗り替えます。近鉄は一旦、西の方向に出発して大きく蛇行して南に向かいます。右手の窓に見える東寺の五重塔を見ながら、そうだ帰りに東寺に寄ってみるかな・・・と、気楽に考えていました。
東寺020.JPG

『梅原猛の授業 仏教』の中で、梅原は洛南中学の生徒達を東寺の講堂に連れて行き空海の話をする場面があります。

空海が悟りを開く道場としての高野山と布教のための都の東寺という二つの拠点を持っていたこと、仏像群を曼荼羅に見立て、立体曼陀羅の世界を講堂に造り挙げたことが語られています。
 
室生寺の金堂で感じた曼荼羅の世界が東寺ではより大がかりに演出されている・・・是非拝観したいと思っていました。
東寺021洛南寺館.JPG
 
この日はなかか仕事が片付かず、大分暗くなってから京都に戻ることになりました。もう東寺も駄目だなと思っていましたが、電車が京都駅に近づくと、五重塔がライトアップされています。
東寺五重塔
 
まあ、行くだけ行ってみようと・・・
 
結局、境内は閉門されていて、入ることは出来ませんでした。東寺のホームページによると拝観は冬場は4時半までとのことでした。ちなみに東寺のホームページは迫力があります。
東寺027南大門.JPG
 
東寺については、拝観時間内に再訪させていただき、東寺を実感してから改めて書きたいと思います。
 
また、梅原猛の本を読んで『四諦』の話を書いてからもう一年以上経ちます。その後を書こうと思っていまだ果たせずで、こちらもなんとかそのうちに・・・
posted by くまじい at 00:50| Comment(0) | 茶話室

2011年01月18日

野坂遠景1208

毎朝起きると、ベランダ越しに東の空を見て、今日の天気はどうかなとご機嫌伺いします。
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天気がいい日は、キッチンの窓から南西の方角の野坂山を確認します。
 
東の空が朝焼けに燃えている時は、最初のうちはまだ野坂に陽がさしていませんが、しばらくすると赤富士ならぬ、赤野坂に近くなる時があります。
H22-12-08 a001.jpg
 
懸命に写真を撮りますが、なかなかいい写真がとれません。
 
12月4日に初雪か?と白く見えた野坂が薄赤く照らされる今日の野坂は雪は見えない感じでした。
H22-12-08 a003.jpg
 
12月6日の病院の検査は3カ月の努力の甲斐あって、内科関係の全ての数値が改善されており、一安心でした。5月頃に胆石の手術をすることで外科の先生とお話を・・・人生初めての手術でちょっと緊張です。
posted by くまじい at 23:30| Comment(0) | 茶話室

2011年01月06日

休日出勤1121

20日も23日もゴルフで、仕事がさばけずに、21日(日)は出勤です。
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何かあったら記録しようとコンパクトデジカメはバッグの中に入れています。ちょっと嵩張るので、もう少し小さいカメラが欲しいなとは思いますが・・・
 
まあ、普段の通勤時にわざわざ車止めて、次から次と通り過ぎる通勤の車の目を気にせずにカメラ構える勇気はなくて、おっと思っても、素通りしているのが事実ですが。
 
今日は他の通勤の車もほとんどなく、心おきなく写真を撮ろうと・・・紅い葉が見えて、車を止めます。
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<ナナカマドと思っていましたがウルシだと言う人がいて・・・>
 
仕事したくない気持ちも有って、会社にたどり着くまで時間がかかりそう・・・と心配になりますが、上手く出来ていて、紅葉の写真や敦賀湾の写真を数枚撮ったらバッテリー切れ。
 
諦めて会社に向かいました。
 
帰りに月が綺麗で、残りのバッテリーで月明かりの敦賀湾を撮ってみました。
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posted by くまじい at 00:30| Comment(0) | 茶話室

2011年01月05日

敦賀国際1120 

年2回開かれるお客さんのゴルフコンペ。
 
今回は11月20日、敦賀国際ゴルフ倶楽部の泉、緑が丘コースのチャンピオンコースで開催です。
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泉コースは最近大たたきしていて、野坂の次にいやな思いでが多い・・・ってどこかに良い思い出があるか?って訊かれると・・・
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<泉4番〜5番>
 
11組集まる大所帯なので、開会のセレモニーはなく、自分のスタート時間当たりにゴルフ場に行き、スタートして行き、終わったら風呂入って勝手に帰り、成績発表は別途開催される宴会場で行われます。
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<泉7番から6番グリーン方向>

スタート時はちょっと曇っていたのですが、段々良い天気になってきます。暑くなった時を考えて半袖の上に長袖を被せていました。
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途中から上を脱いで半袖プレーに。
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<クラブハウスから>
 
半袖プレーは自分一人だけだったらしくて、宴会の時に目の前に座った某有名企業の所長さんに「もう、くまさんただ一人、半袖で歩いてるんだから、驚いたよ。」と非難する様に言われてなんか悪いことしたような気分になります。
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<クラブハウスから西方>
 
野坂山ではよく言われるので最近は余り半袖にはならない様にしていますが、ゴルフの仲間内では半袖短パンの「くま」で通っているので、からかわれはするけど、驚かれることはなかったので・・・
a008緑が丘4番.jpg 
a009緑4番.jpg
<緑が丘4番>

肝心のゴルフの方はわずかに長めパターが良かったけど、終盤は短いのを何回かはずして、チャラに。ドライバーが全く当たらないわ、比較的良かったアイアンは当たらなくなるわで何時もの108に落ち着きます。
a010緑が丘5番.jpg 
<緑が丘5番> 
 
この大会、ハンディキャップが多かった時に90台前半が出て、ぶっちぎりの優勝・・・と思ったらもっとスコアを縮めたひどい人が居て準優勝・・・ハンディキャップは大きく減らされて、2度と浮かび上がることはないでしょう。
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<緑が丘5番>

今日はそのひどい人Hさんと同組・・・打倒H!と口だけは達者でしたが、調子の出なかったHさんよりはるかに悪いスコアで下から片手の順位でした。
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<にっくき敵?Hさん 緑1番>
 
スコアが悪くて、集中力が薄れたと言うわけじゃないのですが、緑に入ってカメラを手にする回数が増えてしまいます。 でもゴルフの写真と言うより、野坂山の写真ばかりです。
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<緑が丘6番>

宴会は五縁で大盛り上がり。五縁の大きな座敷を独占しても人数が足らずに数人はカウンターに座るような状態でした。
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<緑が丘7番>

23日にもお客さん主催のコンペがあり、それも参加。
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<緑が丘8番>
 
土砂降りの雨の中、健闘むなしく(?)またもや109・・・一時期ちょっとよかったので練習をおろそかにしていて、振り方、その前の振り上げ方が判らない感じになっています。
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<緑が丘8番>
 
ハワイ島から帰って、締切間近の会社へのプロジェクト成果報に苦しめられて、寝不足が続き、練習もできなかった・・・などと言い訳を・・・まあ昨年ほど練習場をさぼったことは今までなかった様な気がします。
 
まあ雪がある間はゴルフに気が向きませんが、暖かくなったら、練習癖を付けて、軌道修正をして行こうかなと。
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<パッティング練習場>
posted by くまじい at 07:02| Comment(0) | 茶話室

2010年12月26日

寒波襲来U

結局、台所にたった時に、朝日の当たる野坂が見えて、誘惑に勝てずに野坂へ・・・
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今日はスノーシューも、アイゼンも置いて、長靴と夏用ザックで写真目当てでした。まだ11月の記事を整理しているのだから、今日の記事をまとめるのはきっと来年になるでしょう。
 
ちょっとだけ今日の内容のご紹介。
 
せっかく前から「撮るよ」って断ってエルザさん撮ったのに、下向いてました。通り過ぎる時に「五縁のママが話してた人だね」って、そう言えばママがエルザさんが来た時に、野坂に登ってる人が居るって話したって言ってたな・・・
a102今日のエルザ.jpg
 
もうお一人、尻皮の方。前にお会いした時、確か80歳代っておっしゃってたような気が・・・・勝手に思い込んでただけかも・・・違ってたら怒られる。服装がおしゃれです。
a103尻皮のおじさん.jpg
 
ついでに、先週お会いした85歳の方。長靴に縄巻いて歩いておられました。お歳を聞いてびっくりでした。
御長寿さん.jpg
 
職場で話したら、事務所の女性に「くま」さん、後20年登れますねって・・・
 
さあ、ハワイだ!
 
※人物の写真は拡大できません。
posted by くまじい at 17:03| Comment(0) | 茶話室

2010年12月26日

寒波襲来

『今12月25日になったところ・・・テレビでは小田和正と仲間のコンサートが流れていて、外は大雪の様相。敦賀でも珍しいホワイトクリスマスになりました。』という書き出しでハワイ3日目の記事「ハワイ島1113」を書きかけて寝てしまいました。
a103野坂、岩籠雪景色 (2).jpg
<12月25日岩籠-乗鞍-野坂>
 
どうせ25日の天気予報は一日雪、どこにも行けずに「ハワイ島1113」「ハワイ島1114」、紅葉の石山寺、金剛輪寺、野坂山、野坂山スノーシュートライアルなどの記事を完成させるつもりでした・・・・
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<12月25日野坂>
 
朝起きるとなんと雪がやんでいるではないですか・・・急遽、スノーシュー担いで野坂に飛んで行ったしまいました。駐車場までたどり着くのも危ういほどの雪でしたがともかく楽しんできました。
a101スノーシュー
<25日野坂頂上>
 
ということで今日26日は会社で仕事している人間もいるので、遠くに行く気になれないし、一日ブログ三昧にしようと・・・思いますが、今も雪が止んでいて、ちょっと、うずうずしながらPCに向かっています。
a101野坂雪景色1226.jpg
<12月26日野坂> 
posted by くまじい at 08:09| Comment(0) | 茶話室

2010年12月04日

野坂 初雪?

昨夜一晩中、激しい雨の音がしていました。
野坂遠景2.jpg
 
若狭湾エネルギー研究センターでの講習会終了後、タイヤを冬タイヤに交換。部屋に戻り、キッチンのヒータ不調で業者の方の訪問を待ち受けて、見てもらいました。二つあるレンジヒータが二つとも不調に・・・
野坂遠景.jpg
 
この後、本当は五縁で宴会だったのですが、都合で中止。
 
業者が帰った後、暗いものでそのまま夕食の準備にかかってしまって、そ言えば何時だろ?なんとまだ5時半でした。
 
早めの夕食後、11月6日の青葉山、中山寺馬頭観音の記事を終わらせようと頑張りましたが、睡魔には勝てず・・・
 
野坂全景.JPG
 
今朝、仕事に向かおうと見上げた野坂に微かに白いものが見えます。
野坂・三の岳.JPG
 
いよいよスノーシューのシーズン到来・・・
 
明日は今年最後のゴルフコンペと忘年会です。この雲の様子で、明日は大丈夫でしょうか?
野坂と雲.JPG
 
と言っても、実は・・・病院の検査に行く日を間違えて、というより先週行くべきところを失念していて、12月6日(月)に行く羽目になりました。
 
検査を翌日に控えて、あまり飲めそうもありません・・・涙・・・家の中も外も嵐だ、じゃなくて心の内も外も氷雨だ・・・
【追記】EOSの写真を追加しました。えっ?どっちも同じだって?(汗)
posted by くまじい at 12:45| Comment(0) | 茶話室

2010年11月01日

臨時休業

11月1日はお客さんとその関連会社のお休みの日で、今までは仕事していましたが、今年は仕事の狭間になったので、急遽、弊社もお休みに・・・小さい事務所なので臨機応変・・・いい加減、という言い方もありますが・・・
a001美浜パラッツォ.jpg
 
そうだ、ゴルフに行こうと思ったら、台風にくっついてきた様な大きな雨雲が押し寄せてきました。
 
金津のゴルフ場予約して、今日は北へ行くほどひどいみたい。諦めてキャンセル。溜まってるブログを片づけようと・・・
 
なかなか進まぬうちに昼飯時になってしまいました。
a002美浜パラッツォ店内.jpg
 
平日だからランチやってるなと、久しぶりに美浜のパラッツォに出かけます。大荒れの雨でお客は他にいませんでした。普段お店であまりカメラはださないんだけど、誰も居ないのでつい調子に乗って・・・
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パスタランチの大盛りを頼みます。大盛りにすると1000円が1100円になります。ダイエット中ですがパスタは別腹・・・ってこの油断がいけないのですが・・
a003美浜パラッツォ店内.jpg
 
今日のパスタはレンコンボロネーズ?とのこと。飲み物はホットコーヒーで食後にお願いします。
a004美浜パラッツォ店内.jpg
 
荒れた海を見つつ、日経おとなのOFF「釈迦入門」を読みながら待ちます。
 
曰く、『チベット版「般若心経」には玄奘三蔵の「般若心経」に対して、前段部分と後段部分がある。
 
前段部を読むと、般若心経は説法会の場で釈迦が「空」を説いているものだということが判る。
 
さらに後段を読むと、観音菩薩が釈迦の姿を借りて真理を説く、即ち、釈迦の存在は仏が釈迦を媒体として語るための仏媒としてあったことが判る。』
 
う〜ん???
 
というところでスープとサラダが。サラダは水菜とレタスと大根・・・って自分で作るサラダに似ている・・・
a006スープとサラダ.jpg
 
スープはなんだか判りませんが、美味しいです。(これではグルメブログは書けそうもない・・・)
 
レンコンボロネーズは、レンコンがちょっと固くて、部分入れ歯を忘れた「あらかん」の口の中でごろごろしてました。ランチは種類が選べないのが難点です。
a007レンコンボロネーズ.jpg
 
コーヒーとデザートがでてきます。・・・すいません、スィーツは好きだけど名前が判りません。ますます、グルメレポート失格です・・・
a008デザート.jpg
 
食事を終え、外にでて、雨の中で写真を・・・美浜発電所方面です。
a010美浜発電所方面.jpg
 
27号線の三方方面を・・・左に見える山の頂が国吉城址になります。右に千鳥苑(五木茶屋)も見えます。
a009パラアッツォ前27号線.jpg 
 
千鳥苑、新しいバイパストンネルができてしまって大変だと思います。海鮮バイキング始めたり、バイパスの方にも新しい「へしこ」の店、開店したり・・・
 
中に入ると客は多くはないけど、月曜日にしては団体が結構きているようではあります。
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地ビール工場の奥に日本中の地ビールを展示しています。「八海山」の地ビールがあるんだ・・・
a013地ビール製造工程.jpg 
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国吉城のアクセスは新、旧トンネルの向こう側の佐柿からとなります。
a015佐柿 国吉城.jpg 
a015佐柿 国吉城2.jpg
 
2006年に国吉城450年祭の時に登った城址の様子です。そのうちまとめて記事にしたいと思います。毎年やるのかと期待していたら、節目の年にしかしないみたい。次は460年祭かな?・・・そこまで敦賀にいるかしら・・・
a015佐柿 国吉城3.jpg
 
信長のつもりで美浜から敦賀を望んで見ました。
a016美浜から敦賀方面.jpg
 
さらに雨は激しくなり、気温が下がったうえ、夜は雷まで鳴り響きました。
posted by くまじい at 22:30| Comment(0) | 茶話室

2010年08月17日

敦賀8月16日

【写真を拡大できるようにしました】
 
8月16日は恒例の灯篭流しと花火大会です。例年席取りをして楽しんでおられるT女史、S1さんからお誘いを受け、楽しい酒と花火を堪能させていただきました。
 
3箇所から打ち上げられる花火は、開演時間約1時間と短い時間ですが迫力ありました。昨年に比較すると今年の花火の方が良くなっているとのことでした。
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天気の優れない週末を家族と箱根で過ごし、16日の朝、小田原を出て敦賀に帰りました。
 
昨日まで富士山を隠していた雲がないので、新幹線から富士山を撮ろうと思い、窓際に陣取りました・・・が、本を読みだしたら寝てしまって、気が付いたら、もう富士山は通り過ぎていました。

昼過ぎに敦賀着。会社に電話、特に問題おきてないことを確認、自宅待機にさせてもらって、お誘いのあった、花火大会参加に備えます。
 
洗濯しながら、暫く部屋で休んで、自分の分のビールと小田原で買った「つまみかまぼこ」持参で向かいます。
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<水中花火は腹に響きました>

「17時に行く」と連絡。すぐさま回答があり、早過ぎるから17時半にしろと怒られて・・・一緒に行く同僚のアパート経由で目一杯、ゆっくり歩きますが、結局17時についてしまいます。
 
待ち合わせの間、次から次へと押し寄せる人並みをぼんやり眺めていました。
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キャンペーン隊のお姉さんにポーズをとってもらって写真を・・・
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6時半、読経とともに灯篭流しが始まりますが、海風が強いため、灯篭は沖合いに流れて行かずに波打ち際に打ち寄せられてしまいます。
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市長の挨拶は短くてよかったです。高校野球の開会宣言みたいにハキハキした感じで、いつもより、若々しく力強く見えました。
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その開会宣言の後でだらだらと挨拶をしたRCNのお偉いさんは野次を浴びます。と言う自分も「長いぞ〜っ」と一言叫んでましたが。
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氷水に漬けて、キンキンに冷やしたビール、女性陣の持ちよりの料理を御馳走になりました。自分のお持たせの小田原のかまぼこも結構いけました。
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a018水中花火.JPG 
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夜の写真は難しいです。が、さらに花火はなかなかうまく撮れません。今回は酒で失敗して汚すのを恐れて、Kiss4を温存し、コンパクトデジカメを持って行きました。・・・だから良い写真がないということではないのですが・・・
 
追:コメント欄を公表していましたが、掲載を止めました。その後コメントもないし、何時までも特定の方のコメントを公開しているのは申し訳ないと思ったからです。コメントいただいた場合は何らかの形でお答えしようと思います。

 
posted by くまじい at 22:00| Comment(2) | 茶話室

2010年08月14日

アクセス数

それにしてもこの夏は暑い日が続きました。
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(2004年に池田町の龍双ケ滝に行った時の写真です。以下同じ。)
 
7月25日に武生で、7月31日に敦賀でゴルフをして死にそうになり、もう夏はゴルフは止めようと・・・山もちょっと行く気にならず、ですが・・・
 
時々野坂でお会いする70台半ば?のSaさんと職場でお会いしたら、土曜日は岩籠、日曜は野坂を毎週続けておられるとのこと・・・
 
「岩籠は市橋から登れば沢経由になるから涼しいよ」と・・・本当にお元気です。
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このブログは自分の写真を整理するつもりで始めました。見てくれる人が居る、という発想はありませんでしたが、でもせっかく整理したから見てもらいたい気持ちも当然あります。

ただし、書いている文章は普段話をしているようなことばかりです。
 
周りに居る人が見たら、ああ、あの話・・・と言うようなことばかりなので、恥ずかしいという気持ちがありますが、まあ、自分が気にする程、中身を読む人もいないなという気もします。
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このブログでは、自分の記事にアクセスがいくつあったかと言うのが判る様になっています。

始めた頃、日々のアクセス数が10件から15件程度でした。こんなことしていると知らせた人は20人といませんでしたので、知っている人がたまに見る程度でこんなもんだろうというのがありました。
 
その後、知っている人が増えてきて、最近は一日に50〜60程度アクセスがあるようになってきています。
a003龍双ケ滝.jpg
 
検索で訪れる方も居るようで、前にも書いたのですが、情報を求めて訪れた人には、役に立たないブログで申し訳ないことだと思います。
 
以前、コメントで指摘されたように、普段、誰かが見ている意識がないので、初めて、コメントもらった時に、知人以外で見てくれることがあるんだと、緊張しました。
 
コメントいただいたことに対する返し方もよくわからず、直接メールでお返しした方がいいのかそれではびっくりされてしまうだろうとか迷って、ブログ上で返事をするような形をとりました。
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どういう時なのか覚えていませんが、アクセス数が100件を超えた事が2回ありました・・・
「みぶろぐ」では毎日のアクセスランキングトップ100を公表しています。
 
普段は関係ないと思って、気にしてなかったのですが、100件くらいだとどうなるの?と確認したところ、なんと48位になっていました。
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以降、気になって時々チェックするようになりましたが、アクセス数70件を超えると、ランクインと言う感じみたいです。

普段のアクセス数は50件程度ですから、気楽に行こうと・・・でも、一日に50回も見ていただく、というのはいささか気になることではあります。
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写真を整理したり、ブログを幾つか書きためたり、最後にもう一回チェックしてアップするのは週末が中心になります。
 
山行ったり、お寺、史跡を徘徊するのも、当然週末になります。 
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平日で早く帰宅出来た時の夜、あるいは朝早く起きてしまって眠れない時など平日早朝に、書きためていたものの仕上げをしてアップすることもありますが・・・
a011梅田氏庭園.jpg   

実は今、1か月も前の「オルセー」と先週の「室生寺」が思い入れが大きすぎるのか、なかなか進まず、閑話休題です・・・
a012梅田氏庭園.jpg 

※上の3枚の写真は池田町の梅田氏庭園、下は鵜甘神社です。
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posted by くまじい at 07:30| Comment(0) | 茶話室

2010年06月27日

野坂山 0619 前夜

福井も梅雨入りしたばかりだけど、週末(19日)は谷間みたいで天気予報を見ると傘マークがありません。

18日夜、宴会の終了後、出口で待ってたけど、皆、なかなか降りてこない・・・まあ2次会行きたい奴は行かせて、一人で帰ろうと歩いてると、後ろからS1さんが追いついてきます。

S1さんは仕事でお世話になっている会社の所長さんで、今日は、弊社の宴会に参加していただいていました。野坂で時々お目にかかるT女史と酒を楽しむ会をご一緒する仲間です。

ジャズがお好きで、福井でライブがあると行かれているようです。

S1さんのご案内で「COCO AZURE」に。自分は初めてのお店です。
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小さいお店だけどジャズとお酒の蘊蓄豊富で、いかにも性格穏やかそうなマスターの受け応えと控えめなジャズの音が心地いい。
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<ふうプラス>
 
店名の意味を知りたくて調べたら、マスターがおしゃれなホームページ(COCO AZURE)を 作っていて、そこで解説されています。面白そうなマスターです。
 
S1さんのお好きな「枯葉」やマスターの最近お気に入りのメロディ・ガード(発音がよくわからない・・マスターはガードーと言っていた様な気がします)のCDを聴きながら、初めてのカクテル「スポモニ」とアイリッシュウイスキー「ブッシュミル」を楽しみました。


アメリカに行ってた頃(って、なんとなく嫌味な言い方ですが・・)、ステーキ屋やイタリアンの店でデザートで出てきたたミントが入った色鮮やかなアイスクリームの名前が「スポモニ」でした。懐かしくて、味も知らずにオーダーを・・・甘み控えめで美味しいカクテルでした。

メロディ・ガードを最近お得意(?)のYou Tubeで探してみました。お店で聞いたなかで耳に残ったのが上の曲で、いいなと思ったのですが、下の曲には、もう、はまってしまいました。調子に乗ってライブヴァージョンをもう一度最後に入れてしまいます。

 
その後にもう一軒、ということで「能登」へ。入ると、お店のカウンターに我々のお客のS2さんが一人で酔いつぶれています。ここの常連でゴルフコンペにも出ていると言う話は聞いていました。
 
S2さんは必ず酔いつぶれるから、いつもママがタイミングを見計らって奥さんに電話して迎えにきてもらうのだとか・・・催促して、早めに呼んでいただいて、お引き取り願います。
 
S2さんが帰った後、S1さんの手馴れた熱唱をお聴きして、自分も下手な唄を歌わされて、12時近くにお開きに・・・

最近は、本町にはほとんど縁がないので、ずいぶん夜遊びした気がします。

さすがに朝は、なかなか起きれなくて8時にようやく起き上がります。
 
昨夜までニッコウキスゲ見に、夜叉が池へと考えていたのですが、朝飯食べながらだんだん面倒くさくなり、近場の野坂に心変わりします。

今日はKiss4持っての初山行きを考えていたので、雨に濡らしたくなくて、南の方が天気よさそうと言う事もあります。ということで今回は前夜祭で、続きます。
 
posted by くまじい at 23:30| Comment(0) | 茶話室

2010年05月16日

閑話休題・・検索

壊れたハードディスクを持って百満ボルトへ。修理は駐車場のところの別建屋の受付にと言われて持っていくと、一応ダメなこと再確認してくれて、予測していたことだけど・・・「最近メーカーは修理はしないで、代替品で交換するだけなんです。」
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※今回は2004年の春先に三方湖と常神をドライブした時の写真を使用します。

a001 2004年三方の春 虹が島.jpg
 
「保証期間が過ぎているし、正価をベースに修理代(交換代)を請求するので買値より高くなる可能性もあります。」とのこと・・あきらめて新しいものを購入しました。
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インクジェットプリンターを修理すると一台買えると言われて、今まで何回買い換えたことか・・・
a003 2004年三方の春 三方湖.jpg
 
カメラもちょっとした修理でも最低の技術料として1万円取られて、5万円で買った前のカメラを3回修理・・買い換えた今のカメラの買値は3万円です・・・
a004 2004年三方の春 三方湖.jpg

話は変わります・・・
 
最初の頃、キーワードで検索して見ていただくのはなんとなくいやでした。検索すると言う事はそのことについて調べるために検索しているわけですが、自分は役に立ちそうな情報を提供できていないので申し訳ないなということです。
a006 2004年三方の春 三方湖梅林.jpg

たとえば山の事なら、登山口の様子とか、登山に要する時間とか、山に登るときの参考情報を求めているのだと思います。
 
それなのに、ぐだぐだ思いつくままに書いているだけで、記録としての充実度は低く、あまり登山情報として役にたたないだろうなと・・・
a008 2004年三方の春 常神蘇鉄.jpg

また、花の事なら、辞典並みに花の情報が記載されているところを探されているのだと思います。他のサイトやブログで情報を一応調べたりするけど、いい加減だし、挙句の果てに「名前しらず」とか言う花が沢山でてくるような体たらくです。 
a008 2004年三方の春 常神港.jpg

そのほか、神社仏閣、歴史、音楽すべてのカテゴリの記事が浅くて人の為になるようなことが一切含まれていないという気持ちがあってわざわざ来ていただいたのに、なんのおもてなしもできずに・・・というところです。
a009 2004年三方の春 常神港.jpg

まあ自分がどこかに検索して出向いて、「ああ、こういう言葉の使い方か」と言うのは良くある事です。
a011 2004年三方の春 常神港.jpg
 
書かれようとしている意図、場面が違うなどで書き様が異なるのは当然で、まあ、あまり気に病む必要もないのだと思うようになってきました。
a012 2004年三方の春 常神港.jpg

回数を数えたわけではないのですが、自分の印象に残っているアクセスの多いキーワードは下記のものがあげられます。
 
@ギャラリー鏡花 (照の家)「金沢のお土産」
金沢の街を歩いたときに、偶然寄った店でしたが、お店の内装がすばらしくて感激しました。
 
自分は鏡花ギャラリーと書いてしまいましたが、ギャラりー鏡花が正しいようです。これだけ検索があるということはそれなりに有名なお店なのかもしれません。
ギャラリー鏡花(照乃家さん)

A深坂地蔵  
深坂古道を歩いたときにお参りしたお地蔵さんです。
 
日本海と琵琶湖を結ぶ運河開発の歴史に関るお地蔵さんで、自分が歩いた中でも自分の興味が大きかったところです。「深坂古道」というキーワードも検索されているようです。
深坂地蔵2.

B観音の里  
8月の高月のお祭りのときに歩きまわった記事ですが、この記事の中の「伝教大師像」も時々検索にひっかかっているようです。
 
長浜に合併されて、今年の観音祭りはどうなるのでしょう。できれば今年も残りの観音様を廻ってみたいと思っていますが・・・
大師・
 
C己高山(こたかみやま、こだかみやま)
前項の高月を歩いた時に知り、その後山紀行で書きました。
 
これに関連して、紅葉で有名な「鶏足寺」も比較的検索が多いようです。
鶏足寺1

D青葉山
青葉山に加えて松尾寺も検索されているようです。
 
京都から登っても福井から登ってもそれぞれ松尾寺あるいは中山寺というお寺をバックにしている山です。昨年の秋には期待していなかった紅葉に大興奮しました。
 
今年から中山寺の馬頭観音様が公開さるるとのことでなんとか拝みに行きたいと考えていますが、あの紅葉が忘れられず、また秋にでもと思います。
紅葉2
 
このほかに写真では下記のもののアクセスが多いようですが、双方とも自分の写真ではなく、拝借しているものなので申し訳ないような気持ちです。
 
・三国の旧岸名家(福井県のホームページにあったのですが現在は掲載されていないようです。)
三国岸名邸

・薬師寺の東塔、西塔の写真(薬師寺のホームページ)
薬師寺遠景
<薬師寺>薬師寺ホームページ

奈良は遷都1300年を記念して各寺院の秘仏公開が計画されているようです。時期が限定されており、10月〜11月がもっとも多くのお寺が公開するみたいです。雑誌「一個人」に各お寺の公開予定が掲載されていました。
十一面観音像.jpg
<室生寺十一面観音像>室生寺ホームページ

40年前に、写真で見た可愛い五重塔に惹かれて室生寺を訪れたことを思い出します。   
室生寺五重塔.jpg
室生寺ホームページ
 
あの時は伊賀の里を経由して電車と歩きでヒッチハイクもしながら、奈良に抜けました。その後、五重塔は台風の倒木で破損したというニュースがありましたが、とっくに修復されているようです。室生寺のホームページで損壊した姿と修復中の姿がありました。
破損した五重塔.jpg 修復中の五重塔.jpg 
室生寺ホームページ
 
きっと大勢の人が押し掛けるのだと思いますが、見たい仏像を選定して行ってみようと思っています。
 
追記:ボブディランの「朝日の当たる家」の動画が削除されてしまいました。これで2回目です。ソニーエリクソンのチェックが厳しいみたいです。一回目はジョーンバエズ、今度はオデッタの動画に変更しました。
 
エミルー・ハリス、バディ・ガイあるいはジャニス・イアン、キャロル・キングの若いころのライブ映像も削除されてしまいました。
 
ディランの映像では「風に吹かれて」と「ハリケーン」は再生回数が10万回くらい行っているのでソニーにも認められているのかもしれません。下の動画はまだ2万回程度なのでチェックされていないだけで、そのうちダメになるかも知れません。
 
・・・結局削除されました。DylanはあきらめてPeter,Paul&Mary の歌に替えました。
<The times they they are a changin'>
 
追記2:またコメントをいただきました。ありがとうございます。
posted by くまじい at 16:00| Comment(0) | 茶話室

2010年05月08日

ブログもお休み・・・西山公園ツツジ

ゴールデンウィークで帰省。
 
二条城の話の続きを連休中にアップしようとポータブルハードディスクに写真ファイルを入れ、ついでに懸案だった仕事のやりかけを連休中に終えようと一緒に入れておきました。
西山公園(2004年4月).JPG
※関係する写真がないので昔の写真です。今回は2004年4月末の西山公園です。

新幹線は世の中の流れと逆方向のためか、がら空きでした。米原で乗り換えたときには荷物を隣の席に置いても後ろめたくもないと言う感じ。さすがに名古屋に近づいてきて、乗る人が多くなるかなと網棚の上に乗せます。
西山公園5(2004年4月).JPG

東京が近づいて、棚から荷物を降ろそうとしたとき、バッグのポケットの蓋のマジックテープがしっかり閉じていなくて、ハードディスクが滑り落ちました・・・

翌朝、目覚めの早いくまがブログを仕上げようとPCを立ち上げましたが、ハードディスクを認識しません。あの新幹線の一撃で昇天してしまったようでした。
西山公園2(2004年4月).JPG

ということで二条城は連休明けにアップすることに・・・仕事はこれ幸いと忘れることにしました。

ところで・・・4月に、初めてコメントなるものをいただきました。「雪の週末」のカキフライを何で食べるかに対して面白く思っていただいたようです。ついでに自分の腰痛の心配までしていただきました。
西山公園3(2004年4月).JPG
 
ブログが重くなったとの感想もいただきました。連休中に実家の昔のPCで自分のブログを確認しようと思いましたが開けませんでした・・・少し調子に乗って写真が増えすぎたのかもしれません。
西山公園芝桜(2004年4月).JPG
 
今まで、見ていただいているのは限られた知人しかおらず、その知人達も、文章の長さにあきれて、「ちら見」程度の人が多く、ごく一部の感想を述べてくれる人を除いて、何を書いても反応はないので、まあこれ幸いと勝手なことを口走っていたわけです。 
西山公園4(2004年4月).JPG
 
知人以外で、お一人でも読んで頂いている方がおられるということがちょっと驚きでした。嬉しかったので、今までコメント欄は、掲載していなかったのですが、これを機に掲載させていただくことにしました。改めて御礼を申し上げます。
西山公園6(2004年4月).jpg 

このブログを立ち上げたときに、トラックバック、コメントを受け付けるようにしていたのですが、エッチサイトにリンクするようないたずらがあったため、トラックバックはできないようにしました。
 
同時にコメント欄もいたずらの対象になるかなと思い、公開しないようにしていた次第です。
西山公園7(2004年4月).jpg

・・・って、コメントは皆無だった訳で、余分な心配だったことになりますが・・・
posted by くまじい at 01:00| Comment(0) | 茶話室

2010年02月27日

雪の週末

アメリカの会社の技術者が2月19日(金)、20日(土)と仕事に来ました。19日朝は常宮で安全祈願祭があり、同僚に彼のピックアップをお願いして自分は祈願祭に。
雪のしだれ桜.JPG
 
雪の中の祈願祭でした。
常宮
 
梅の花が寒そうです。
常宮の梅.jpg

作業は夕方までに終り、明朝、半日の経過状態を確認しようということになりました。
常宮4.jpg
 
夜は「ほんの間」でご飯を食べた後、彼が敦賀に来た時のお定まりコース、フィリピンクラブへ。
 
英語のカラオケが鳴り響きます。英語が自由に使える場所が嬉しいみたいです。まあ、他の目的もあるとは思いますが・・
常宮6.JPG
 
1時前に店をでましたが、翌朝、ホテルで彼をピックアップした車の中で、あきれます。別れた後、もう一軒別のフィリピンに行ったとのこと。
 
確認作業は午前中で終わり、これから九州に行くという彼をマクドナルドのドライブスルー経由で駅まで送ります。
Macdonald.gif
<マクドナルドホームページから 以下同じ>

ニューヨーカーバーガーがメニューにあったので見てみたかったけど、彼が選んだのはチキンフィレオセットでした。(Macのホームページにはハワイアンしか載っていませんでした。 )
hawaian.jpg 
<ハワイアンバーガー>

お飲み物はいつものオレンジジュース・・・昨夜の「ほんの間」もスタートはオレンジジュース。段々と焼酎を入れていきました。「ジュースで肴やバーガーはないだろ」っていつも思うけど、まあ色んな人がいるし・・・
chicken fireo.bmp
<チキンフィレオ>
 
別の日に、会社の人間と、カキフライはソースだ、タルタルだ、辛子醤油だなどと熱いバトルもあったし・・・って、人好きずきでいいと、それぞれが思いつつ、こういう話は皆、面白がって話が弾みます。
 
彼を送ってから、何もない土曜日の午後に、天気も悪く、嫌なことばかり心にひっかかり、滅入って来て・・夕方まで寝てしまいます。
 
起きてから、久々のゴルフ練習に。入場料払って、アプローチ練習始めたらミゾレが降り始めます。早々と屋根のあるドライビングレンジに移動して小一時間練習。練習後は「越のゆ」へ。
 
明日は天気回復とのこと。野坂に初詣に行こうと、こころに決めます。
posted by くまじい at 01:30| Comment(2) | 茶話室

2010年02月23日

ブログ1年

2月も終りに近づきました。3月2日の「お水送り」が近づいています。今年も平日の火曜日なのでちょっと行けそうもありません
お水送り2009福井新聞
<お水送り 福井新聞から>

年明けてから、色々あって、ゆっくり休めませんでしたが、11日には富士山の麓で、富士山を見ながら気持ち良いゴルフを・・・
リバー富士カントリークラブ3.jpg
 
のつもりでしたが、冷たい雨が降り続き、厚い雲で富士は一度も顔を見せませんでした。
リバー富士カントリークラブ2.jpg

おまけに正月以来の腰痛に苦しめられ、つらいゴルフでしたが久し振りのゴルフ仲間達と楽しい日を過ごしました。写真は2枚ともリバー富士カントリーのホームページからです。

振り返ると、2月でこのブログを一年続けたことになります。飽きっぽい自分がよく続いたなと思います。もともと写真を整理することが一番の目的で、だらだら書き始めました。
金沢城址石川門.jpg
<冬の金沢ライトアップ1 石川門>

思いついた時に書きためておき、添付する写真を整理して「公開」するという方法を取っています。したがってあまりライブな話ではなく、少し前のことを振り返る形になります。  
 
見てくれた人の感想は、文章が長くて読む気がしない、というものが多いので「ブログ」などと呼べるものではないのかもしれません。
兼六園ライトアップ1.jpg
<冬の金沢ライトアップ2 兼六園 唐崎松>

自分は嶺南ケーブルテレビのブログ、menetblog、略してmeblogというものを利用しています。写真などをアップロードするための容量は最大2GBまで利用可能です。
徽軫灯眥(ことじとうろう).jpg
 <冬の金沢ライトアップ3 徽軫灯篭(ことじとうろう)>
 
写真はサイズダウンしてアップしており、一年でようやく500MBに達しました。まあ容量限度の2GBが早いか、「くまじい」のご臨終のどちらが早いかというところです。

<冬の金沢ライトアップ4 兼六園 瓢池>
 
写真はあわただしく金沢ライトアップ冬編を見てきたものです。今年は少しは余裕を持ってと思いましたが、仕事、体調などうまくかみ合わず、落ち着きませんでした。
天徳院.jpg
<天徳院(曹洞宗) 珠姫※の菩提寺>
※第三代藩主利常公正室、秀忠の娘・・家康あるいはお市の方の孫にあたる。

どうも、もうしばらく、敦賀に居ることになりそうで、自分の人生の終盤に、大きなページ数を割く街になりました。

<如来寺(浄土宗)の葵と梅鉢 珠姫が家康の位牌を祀る。>

来し方を振り返り、後悔の念、体力の衰えから、行く末への不安と、「不惑」をはるかに超えた「あらかん」は惑いながら、単身赴任の寂寥感を振り払おうと徘徊を続けてきました。あと何年「くまじい」が持つのかしら・・・・
桜.JPG
<石山寺の桜 09年>

とりあえず、春先の桜を求める徘徊あたりからはのんびりと、時間をかけて歩きまわり、さらに読み難い文章を書き連ねて行こうと思っています。
三井寺のしだれざくら.JPG
<三井寺のしだれ桜 09年>
posted by くまじい at 23:30| Comment(0) | 茶話室

2010年02月06日

野坂1227 前書き

2月5日、今日から札幌雪まつりだそうです。敦賀は今日は大雪の気配。これから会社に行かねばならないので気が重い・・・

 こちらは2月に入ってもまだ昨年の記事の整理です。1月に全部終わりませんでした。さすがにこれが最後の2009年になると思います。ということで歳末(?)一掃セールを・・・
 
12月11日は敦賀短大クリスマスコンサートでした。夏とクリスマス2回のコンサートは800円で飲み物とケーキが付いてお得です。
敦賀女子短大1

お客さんは広い食堂に7割くらいというところでしょうか?お年寄りが圧倒的で、子供が少々。
1敦賀短大クリスマスコンサート 敦賀短大クリスマスコンサート2
敦賀短大クリスマスコンサート 敦賀短大クリスマスコンサート3

12月17日から暖冬予測を裏切り敦賀は大雪になりました。
14日の野坂は暖かい朝日の中で輝いていました。

 
17日朝の野坂は真っ白。
 
敦賀初積雪2.jpg

18日の朝日の西方岳です。
西方岳1218
 
でもクリスマスには雪も解けてきて22日、24日、25日の野坂は地肌を表してきています。
1222野坂.jpg 
野坂1224.jpg 
野坂1225.jpg
 
空気は寒くて、車のガラスに初霜、近所には残雪が・・・
初氷結.jpg 
残雪.jpg 

ちなみに今日(2月6日)の朝の自分の車の雪です。


と寄り道を尽くしたところで本題に・・・はいるには長くなりすぎましたので次回に続くです・・
posted by くまじい at 10:07| Comment(0) | 茶話室

2010年01月31日

帰路1206

昨年を何時まで引っ張るつもり・・・
 
パリからの帰りのエアフランスはシャルルドゴールを5 日13時半ごろ出発。
 
己高山で打った尾てい骨がなんとなく痛くて眠り浅く、ジョニー・デップの「パブリック・エネミーズ」を結構、目パッチリで鑑賞。
ジョニー・デップ
(C) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.
シネマトゥデイ(以下同じです)

Public Enemyって辞書を見ると「社会の敵」、「公衆の敵」あるいは「公開捜査中の犯人」とあります。
 
Enemyが複数になっているので、デリンジャー一人のことでなくて、デリンジャー一家を指すのか・・あるいは特定の人間を指すのではなく一般的な概念を示すのでしょうか?
マリオン・コティアール

人を殺さない、庶民の敵を叩くというような「義賊」扱いになっていますから、「公衆の敵」、「社会の敵」という言い方はなんとなく、そぐわない気がします。
 
「体制の敵」、「警察の敵」とかいう感じで、庶民の敵ではないというところ?
ジョニー&マリオン.JPG
 
と、余分なことを考えつつ・・・今の日本のPublic Enemyというと誰が思い浮かぶでしょうか?
 
飛行機は12月6日9時頃に関空に到着です。・・・実はまだ続きます。今月中に年越しをしたいと思います。
posted by くまじい at 03:00| Comment(0) | 茶話室

2010年01月04日

謹賀新年0103

箱根駅伝の2日目を見た後に、小田原から乗った新幹線の窓からの富士山です。
 
昨年もそうでしたが、昔はもっと下まで白かったような気がします。年々少なくなるのでしょうか・・・寂しい気がします。
富士山2010.01.03
 
元旦は恒例の成田山に・・・娘の旦那さんの運転で後ろで寝ているうちに往復。有り難いことです。今年はすごい人出で一時間半くらい並びました。
成田山新他寺.jpg 
出世稲荷神ミ.jpg 
<出世稲荷>
ダルマ
<夜店のダルマ>

2日はお節の後に小田急線ロマンスカーと箱根登山鉄道で箱根へ。
001 (2).jpg 
箱根湯本駅.jpg 
<箱根湯本のハングル表示>
箱根登山鉄道.jpg 
<箱根登山鉄道>
強羅駅.jpg 
強羅駅友好の鐘.jpg 
<強羅駅のカウベル報知器>

3日は富士屋ホテルの前で箱根駅伝の復路の6区を観戦。昨年は2日から見てたのでスーパースター柏原君を見ましたが今年は復路だけなのでお目にかかれませんでした。オートでしか写真の撮れない「あらかん」にはスポーツの写真は難しいです。
箱根駅伝 東洋大学 箱根駅伝2.jpg 
箱根駅伝 宮の下1.jpg 
箱根駅伝4.jpg 
箱根駅伝51.jpg
 
昨年の残りがあるので今後ぼちぼち片づけて行きます。
posted by くまじい at 07:00| Comment(0) | 茶話室

2009年12月19日

くまじい、起床

よっこらしょっと。
熊起き上がる3.jpg
http://blog.livedoor.jp/ks_familynote/archives/cat_50009348.html
 
あれ、早すぎた?敦賀は雪だらけ・・・
27号線からの野坂 
さかな街の除雪ヤ.jpg 
Heartsと野坂.jpg
posted by くまじい at 15:30| Comment(0) | 茶話室

2009年11月29日

くまじい冬眠

青葉山の続きはそのうちアップします。・・・おやすみなさい。
photo_78552.jpg
http://blog.hangzhou.com.cn/
posted by くまじい at 01:42| Comment(0) | 茶話室

2009年10月17日

四諦(shitai)

「四諦」と言うのは、字義通りだと「四つのあきらめ」ということになりますが、仏教用語では四つの真理ということになり、仏陀(お釈迦様)の悟りの根幹を示すものということです。
゚迦如来
<釈迦如来図>

四諦は「苦諦」、「集諦」、「滅諦」および「道諦」の4つからなります。それぞれの意味は下記の通りです。
 
1.「苦諦」 
人間は苦しむものである。生老病死苦、愛別離苦、怨憎会苦など様々な苦しみがある。
薬師寺 持国天、増長天、広目天、多聞天
<薬師寺 持国天、増長天、広目天、多聞天>薬師寺公式サイト

2.「集諦」
なぜ苦しみが生まれるか?それは人間の欲望・・・これが欲しい、あれをしたいなどの欲望があることから生じてくる。「集諦」は「じったい」と読みます。集は原因を示すものです。
薬師寺 ゚迦涅槃像
<薬師寺 釈迦、涅槃像>薬師寺公式サイト
 
3.「滅諦」 
苦しみから脱するためにはどうするか?人間の欲望をあきらめる、欲望を抑えることで苦しみから脱することができる。
コ生寺゚迦如来像.jpg
<室生寺釈迦如来像>室生寺公式サイト
 
4.「道諦」
欲望を抑える方法として、戒律を定める「戒」、欲望を抑えるための節制、精進の努力をする「定」、欲望を抑えられる知性・理性を得るという「慧」がある。
shaka
<釈迦像>
 
・・・と、まあ、えらそうに書いていますが、全てこの夏に購入した「梅原猛の授業 仏教」(朝日新聞社発行)という本からの受売りです。
 
本書は梅原猛が真言宗仏教系の洛南高校中等部で特別授業したものをまとめたものです。
梅原猛の授業 仏教.jpg
 
八重洲ブックセンターの宗教関係のコーナーに平積みされていて新幹線の中で読むのに良いかな思い購入しました。
 
この本は好評だったようで、続刊で「梅原猛の授業 道徳」が出ています。
バク. 
<釈迦の梵字>

例え話が多く入り、例えば仏陀の克己の教えを具現化している典型がイチローであるとか、判りやすくしていますが、自分は何回か読み返してようやく、少し判った気持ちになる感じで、なかなか次に進まず、いまだ読了していません。
薬師寺 也意如来
<薬師寺 阿弥陀如来>薬師寺公式サイト

この内容を、一通りの授業で中学生が理解することはかなり難しい気がしますが、仏教系の学校ゆえ、基礎知識があるため、生徒が付いていけているのかもしれません。
唐招提寺 薬師如来像 重文.jpg
<中宮寺弥勒菩薩>法隆寺公式サイト(中宮寺)

この本の基本的考え方に「宗教」が「道徳」の基礎になるということがあります。
 
決まりごとだけで道徳を維持することには無理があり、神(仏)を信ずるというバックグランドがあって、初めて人間を律する道徳が生まれ、文明を形成していくというものです。
願徳寺 聖メ博蓙像
<願徳寺 聖者半跏像>「特別展 仏像」読売新聞2006年
 
世界の8大文明(西欧、アメリカ、東欧、アラブ、インド、中国、日本、中南米)の裏付けには全て宗教がある。
 
ただし、中国は宗教の代わりに儒教があり、日本は神仏習合された独特な宗教があるということで説明できるとのことです。
醍醐寺 聖観音菩薩立像
<醍醐寺 聖音菩薩立像>「特別展 仏像」読売新聞2006年
 
自分には「宗教らしいもの」に対するあこがれのようなものがありますが、宗教とは?ということを、どのように考えればいいのかすら、この歳になっても、よく判りません。
<知恩寺 阿弥陀如来立像>(雑誌 一個人 KKベストセラーズ)).bmp
<知恩寺阿弥陀如来立像>
雑誌「一個人」11月号:京都の仏像(KKベストセラーズ)
 
この本を読んで、仏陀の悟りの根源である「四諦」のうち「道諦」の「定」が修練、克己に当り、「慧」という悟りに繋がるものと言う解釈なのかなと思います。
 
もう少しこの本を読んで、考えを整理したいと思っています。
 
今回仏像の写真を拝借しようと思い、色々当りましたが、公開されているものは多くありません。ご本尊を軽々しくネットに載せる、コピーして利用させるなどということは許されないと言うことなのだと思います。
 
仏像のお姿を公開されている薬師寺と3年前の国立博物館の仏像展の写真を多く使わせていただきました。
 
また、仏像の写真は文章の内容とは無関係で自分の好きな写真を載せました。
 
薬師寺といえば、西塔が再建されたのが1981年だそうですが中学の修学旅行(約45年前!!)に行ったきりなので、写真でしか知りません。
薬師寺遠景
<薬師寺>薬師寺公式サイト

五木の「百寺巡礼」に、再建された西塔の彩色に異論が多くあるようだが、東塔の枯淡の味は年月により出てきたものであり、建立当時は同じように色鮮やかな姿であったはずで、自然な形である。

と言うような記述がありました。自分もそう思います。

【追記】
2012.2.9 今回、リンクの貼り方を別ウインドウで開く、写真の大きさ等を見直しました。リンクについては当時お借りした出展元が検索出来なくなっているところについては、出展名を削除させていただきました。
 
下記のリンクが該当します。
http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/
http://www.scn.tv/user/terao-ji/
 
また、中宮寺は現在法隆寺から独立したサイトを開かれています。本リンクをクリックすると「断り」がでて中宮寺公式サイトへジャンプします。
 
ただし、現在のホームページにはこのお写真は公開されていないので、以前のままのリンク名とさせていただきました。
posted by くまじい at 00:42| 茶話室

2009年09月26日

供養祭0913

3年前になると思いますが、自転車の前輪が溝にはまって跳ね飛ばされ、頭骨にヒビが入り、一週間検査付けの入院をしたことがあります。
 
幼稚園の頃、疫痢で入院して以来の入院生活でした。
手筒山頂0022

怪我に関しては、自分が不注意であることは確かなのですが、蓋のない「どぶ」が多く放置されていることには、文句を言いたい気がします。
 
自分がハマった場所は、いまだに蓋なしのままです。近くを通るたびによく死ななかったと冷や汗が出ます・・・と、まあ関係ない話はともかく・・・
手筒城址0015
 
退院してもふらふらしているので一週間お休みをもらい、リハビリをしました。
 
リハビリと言ってもステッキを突きながら、 普段は余り行かない手筒山中心に、中池見、金ヶ崎を縦走したり、敦賀の街の中をほっつきまわると言うものでしたが。
中池見0003 
中池見009ミツガシワ 
金崎宮0043 
金崎宮0046

歩いている時に、大谷吉継(吉隆、刑部少輔)の菩提寺である永賞寺も見つけ、偶々居られたお坊さんに吉継の由来を聞いたりしましたが、余り印象に残ってはいませんでした。
 
きっと大谷吉継その人に対する関心がまだ希薄だったこと、関連するお寺、神社は幾つかあり、その一つなのだろうなと言う感覚でした。
永賞寺14

お寺の建物の外観が新しく、歴史を感じさせる雰囲気がなかったということもあったと思います。
 
永賞寺は天台宗のお寺として開基されたものを大谷吉継が菩提寺としたときに曹洞宗のお寺としたと言うことです。
永賞寺1

今回、その永賞寺で大谷吉継供養祭が開かれるということで覗いてみようかなと。
 
実際の命日は新暦の9月15日にあたるそうですが、近場の日曜日としたのだと思います。
 
永賞寺ではNAVIには出てきませんでしたので、記憶をよみがえらせながら出向きました。
永賞寺13

ネットで敦賀観光協会のホームページを見ると、「遊敦塾」で供養祭を含むツアーが組まれており、常宮の国宝「朝鮮の鐘」まで見に行くとあって、終了が16時頃とのこと。
 
その日ちょっとやらねばならないことがあったので、ツアー参加は止め、供養祭のみと決めました。
永賞寺15

一応数珠は持って行きましたが、何時もの通りの半袖シャツに短パン、スニーカと言う姿で降り立つと、礼服姿の方が並んでいてちょっとビビります。
 
せめて、シャツを衿のある黒を選んできて良かったという感じでした。
永賞寺2.

まあ、あとから来た、いかにも見学風の方や報道陣の人はラフな服装でしたので安心しましたが。
 
報道陣は中日(県民福井)、朝日、読売、RCNなどが居たようです。そのうちビデオのお姉さんがちょっと良かったので激写・・・気が付いて、じろっとにらまれました。
ビデオ担当女性
 
供養祭は「大谷吉継公顕彰会」主催で5年目になるとの説明があり、そんなに新しいの?って、意外な感じがしました。
 
来賓の「敦賀水戸烈士遺徳顕彰会」の会長の挨拶に以下の説明がありました。
水戸烈士顕彰会会長

『本日は、敦賀に二つしかない顕彰会の一つとして招待されました。「水戸烈士・・」の活動は大正の頃から始まり、史実を追求することを行なってきました。
 
「大谷・・」は今ご説明のあったように歴史の浅いもので、歴史を大切にしない敦賀の人の態度は理解できない。今まで何をしてきたのか・・・』
 
と言うような出だしでした。
永賞寺11

7〜8年前から有志による供養は行なってきたようですが、供養祭として実行するようになったのがつい最近とのことです。
 
ファンがそれなりに居られる戦国武将である吉継公に対し、近年まで行事がなかったのは、確かに不思議な気がします。
永賞寺6

供養祭に敦賀市長代理は来ていましたが、お付き合いと言う感じで、むしろ市が積極的に目玉を作る目的で、今の戦国時代ブームに乗って吉継に力を入れて売り込んでもいいのではないかと思います。
永賞寺12

大人気の彦根のヒコニャンに対抗して、2008年に下記のキャラクターが制定されたそうです。
 
左からバショさん(芭蕉)、ツヌガ君、ヨッシー(吉継公)なんだそうです。
 
吉継公はハンセン氏病に犯され、顔の崩れがあったため、常に頭巾を被っていたということで、ヨッシー君も頭巾を被っています。 (敦賀市観光協会のページから写真を借りました)
敦賀ユルキャラ

先週、普段は見たことがない「天地人」を見ました。
 
偶然だったのですが、関ヶ原で吉継が戦っているシーンがでてきました。
 
吉継公は頭巾だけでなく、鼻から下を隠したマスクをした姿で描かれていました。
 
こちらの方が史実に近いのだと思います。
永賞寺5

新快速が開通する時に、長浜は黒壁スクエアを中心に全国規模で訴えかけるイメージを構築して成功したということが言われています。
2003年3.30長浜025.JPG 
 
一説には敦賀に新快速が延伸する時に、長浜は脅威を抱いたとか・・・今はすっかりご安心されていることと推察します。(だいぶ昔に長浜を歩いた時の写真です。上下2枚)
2003年3.30長浜050 (2).jpg
 
また脱線しました。来賓挨拶の後、読経。
永賞寺8

敦賀吟遊会による大谷吉継を唄った詩と吉継の辞世の唄の吟詠。
永賞寺9吟詠

続いて北陸剣友会三方支部・無双直伝「英信流」による居合い抜きの演舞がありました。真剣が目の前で踊るのは迫力がありました。
永賞寺10居合抜き
 
引き続きお焼香となりましたが、見物客は誰もお焼香に行きません。
 
ちょっと恥ずかしかったけど、短パンの「あらかん」は列の後ろに並んでお焼香してしまいました。
 
辞世の句は『契りあれば六つの衢に待てしばし 遅れ先だつことはありとも』というもので、意味が判るわけではありませんが、「後先はあれどいずれ人間は死ぬもの」というように受け止められます。
 
吉継の諦観がにじみ出ているような気がします。
永賞寺17

一通りの供養が終了し、絵物語による関ヶ原の決戦のお話が始まる直前にツアーのバスが到着しました。
 
供養祭に参加しようとツアーに参加した方達はちょっと寂しかったのではないでしょうか?
永賞寺18

終了後、吉継ファンらしい女性が名残惜しそうに供養塔の写真を撮っていました。
永賞寺16

絵物語の方は記者のインタビューを受けていて、翌日の新聞の主役になられていました。【参照】に読売新聞の記事を示しました。
永賞寺19

Wikipediaの文章や、他のブログなどの大谷吉継の文章を見てみましたが、あまり人物象が浮かび上がりません。
 
なぜ、三成を説得に行ってミイラ取りみたいに西軍戦いの中心になってしまったのかなど、どうも今一入り込めないところがあります。
 
Amazonで検索したところ吉継公の小説、解説など10くらいヒットしました。もう少し知りたくて探していた「フェアポート・コンベンション」のCDと共に、数冊を注文してしまいました。

供養祭は、前に想像していたものに比較して、なんとなく寂しい気持ちになるものでした。
 
関ヶ原ブームに乗った盛り上げがもっともっと可能なのでは?せっかくの人気が出る可能性のある素材がもったいない。・・・そんな余分なことを考えていました。
 

【追記】
冒頭のリハビリの一週間が過ぎ、仕事に復帰してからしばらくした後に、健康診断がありました。
 
体力測定で両目をつぶり、片足立ちをするというのがあり、トライしましたが、目を閉じて片足挙げた瞬間に崩れると言う感じで2秒も持たず、焦りました。
 
三半規管に影響があったものと考えられます。最近やっていませんが、さすがに今はもう少し立っていられそうです。
【参照:読売新聞9月14日記事】
posted by くまじい at 05:00| 茶話室

2009年08月22日

美しい日本の歴史的風土

古都保存財団が古都保存法制定40周年を記念して平成18年に「美しい日本の歴史的風土100選」を選定したという新聞記事のコピーを持っています。
 
なんか途中で自分の仕事を投げ出したお坊ちゃまを思い出すような言葉で抵抗があるタイトルですが・・・
best_title.jpg
※古都保存財団はH23年4月古都飛鳥保存財団に合併されました。

記事は福井県民新聞の記事で、このなかに福井県の5つの都市(下記)が選ばれているというものです。
 
100選・・実際には101選になっていますが、その中で福井県が5つというのは率から言って多いのかな・・というの第一感でした。
 
また、Dは今立周辺のことだと思いますがいつも気になりながら、通り過ぎるだけでしかないのでいつか歩いてみようと思いました。今だ実現していませんが・・・

@小浜社寺群、酒井家城下町(小浜)
A平泉寺(勝山市)
B曹洞宗大本山永平寺(永平寺町)
C朝倉氏一乗谷、松平家城下町(福井市)
D越前和紙の里 五箇地域(越前市)
 
古都保存財団の会長はシルクロードの絵で有名な平山郁夫画伯ということです。
平山郁夫「シルクロードを行く」.jpg
 
福井市の北の庄城祉公園は福井城祉の県庁、市役所とは離れて、足羽川に近い、繁華街の中にあります。
北の庄1 
北の庄2 
柴田神社
 
お市の方、柴田勝家の像と並んで目に付くのが平山画伯の揮毫による石碑です。
北の庄石碑

記念館に入ると平山画伯の柴田神社の絵があります。
 
その下に解説があり、平山画伯が柴田勝家の子孫であることが記載されています。
北の庄3 
北の庄4
 
このことから平山画伯の引きで福井が優遇されたか・・・と言う思いがありました。
 
それにしては福井城祉、養浩館は言葉で出てくるのに北の庄は上がっていません。それに選定は識者の選定委員会が構成されており、画伯は選考に関与されていないようです。
 
失礼なことを考えました・・・・
養浩館
<養浩館>
 
「日本百名山」の中に荒島岳が入っているのは筆者の深田久弥の福井に対する思いがあったという話があります。
 
お母さんが福井出身で、深田は高校時代(藤島高校)を福井で過ごしました。
 
百名山選定の時に、濃郷白山と荒島岳で迷い、福井の荒島を選んだ、と言うものです。それを思い出し、もしやと思ったわけです。
 
写真は山と渓谷社の2008年のカレンダーです。 
山と渓谷ミカレンダー.png
 
自分が荒島に登った時に丁度荒島で100山目登山を祝っておられる方にお会いしました。
 
千葉から来られた方で、恥ずかしそうに旗を持って、お仲間に写真を撮ってもらっていました。
070825荒島岳

ところで100選のうち5か所が福井ということに関して・・・他にどんなところがリストアップされているのか調べてみると、「特別枠を除く」100選とあります。
 
特別枠というのは古都保存法対象都市である京都、奈良等の10都市、世界文化遺産指定地域の白川郷など、47都市(双方にまたがるところがあるので43都市になるそうです)の有名どころは「特別枠」で別格扱いとなっており、その他の都市で応募があったものから選ばれたものが100選ということです。
 
お隣の滋賀県は大津が世界遺産と古都保存法指定地域として特別枠に入っているほか100選に彦根、近江八幡、東近江が入っています。
 
岐阜は特別枠に白川郷、100選に岐阜、高山、美濃市をはじめとして8都市が入っています。
 
100選の下に準100選も選ばれていて福井からは坂井市三国湊、若狭町熊川宿、大野市大野城下町が入っています。
a021旧岸名家.jpg
<三国岸名邸 ※自分の写真に差し替えました。>

 
熊川宿 
<熊川宿>
 
御清水2
<大野>
 
自分の個人的思い入れとしてはポイントの高い吉崎御坊の地域はどちらにも入らないようです。
 
100選の五箇地区、準100選の三国湊はまだ歩いていないのでそのうち歩いてみたいと思っています。
posted by くまじい at 04:38| 茶話室

2009年07月01日

夜叉が池登山口駐車場 0628

えらく暑い日になりそうで、涼しいうちに久し振りの野坂に・・
 
と、思いましたがあまり天気が良さそうではありません。そう言えば昨年は今頃雨の中ニッコウキスゲの写真を撮りにいったなと・・・6月末でまだ3分か4分咲きだったので今年もまだ早いだろうなと思いながら夜叉が池に目的地を変更。
夜叉が池伝説

先週だったら第3日曜日で「土の駅」のバイキングデーで1500円で山菜のオカズとお蕎麦が食べ放題になったのになあと・・・それでも下りて来たら、まず「土の駅」で蕎麦を・・・ 
土の駅 土の駅ハ真
 
腹膨れたら、「はなはす温泉」だなと計画変更です。
そまやま花はす

たどり着いた登山口の駐車場は結構車がいます。

ボランティアの監視人が自分の車の関東のNO.を見て、「ずいぶん遠くから来たねえ」と、山に行くといつも言われるせりふです・・・
 
敦賀に長期出張中であることを説明。「前に登ったたことありますか?」「はい。」「注意事項は判っていると思うから、省略します。」

といいつつ、念押しみたいに、結局全部注意事項を言われてしまいました。
 
水に触れないなど夜叉が池独自の注意事項は良いのですが、トイレはこの駐車場から先はありませんからね!!という山では一般的であるけれど、「おしっこ」が近くなってきた「あらかん」にはキツイ一言が最後に・・・
 
池の周囲の立て看板には水域を避けてトイレをしろと書いてはありますが・・・
夜叉が池案内
 
前に、野坂の頂上で百名山の達成について話していたベテラン達が「この間、北海道の旭岳で女の子がしゃがんでいたところを森林警備隊(?)に取り囲まれてきつく怒られた」という話を聞きました。
 
「おしっこ」も持ち帰る時代になっているとのことでした。
Daisetsuzan-asahidake.jpg
<Wikipedia>

ゴルフ場では平気で「おしっこ」している「あらかん」としては深刻な問題です・・・といいつつ、今回途中の藪の中で、1回リリースしてしまいました・・・
 
やはり往復で一回もというのは自分にはきびしくて、山頂にトイレがあるところがありがたいです。

そういえばアメリカでゴルフをした時、アメリカのゴルフ場はコースに沿って民家が建っていて、庭がゴルフ場に面しているところが多いのですが、庭に住人がいる目の前で、日本人の仲間が何時ものように平気ておしっこして、怒鳴られた記憶があります。
littleriverinn1
California Golf

会社に入りたてのころ、新橋でべろんべろんに酔っ払って、閉まっているお店のシャッターに二人で音を立てて「おしっこ」を掛けてたら、不意にシャッターが開き、怒りまくったお店の人が猛烈な勢いで飛び出してきて、慌てて「おちんちん」をしまいながら逃げ回ったことを思い出します。
 
と、恥ずかしい思い出ばかりが蘇ってきて、いたたまれない思いです。

最近、JALのパイロットが外国で立ちションで捕まり、帰ってこれなくて便が欠航になったことがニュースになりました。
 
解説の人が言っていましたが外国の人は日本人に比較して「おしっこ」が遠いので、立ちションはありえないことなんだということを言っていました。
 
そういえば会社の人で「おしっこ」は一日に一回行くかなっ?会社では行かないことも・・なんて人が居ました。
 
あの人は3歳くらい上の方だと思いますが、還暦を越えていまだ変わらないのかしら・・・

 「山登り」と「おしっこ」は自分にとって深刻なテーマです。自分が環境を破壊する人間になるのなら山には行くべきではないのかもしれません。
 
すぐにはできないと思いますが、「おしっこ」を持ち帰る方法を検討しようと思います。
ついでに恥ずかしい思い出をさらに告ると・・

最近、狸の置物を店から盗んで、コレクションをしていた奴が捕まりました。淋しかったので慰みにということでした。許せない奴・・・
タヌキ
 
というところですが、学生時代に酔っ払ってお店の狸を持ち帰ったのは自分です・・
 
途中でお巡りさんとすれ違った時に、仲間が自分を取り囲み隠してくれましたが、さすがに皆やばいと思ったのか、自分から狸を取り上げて返しに行ってくれました・・
 
それでも部屋の中には工事用のカラーコーンだとか喫茶店のショーウインドーに入っていたフィレンツェ製のコーヒーミルだとか戦利品が幾つか転がっていました。
 
コーヒーミルはマージャンで負けたときに借金の形だと、持っていかれてしまいました・・
 
街頭占いで地べたに座っている占い師に見てもらうため、お尻を突き出すようにかがみこんで、手をさし出していた女性の後ろをふらふら通り過ぎながら、酔いに任せてついお尻を触ってしまったのも自分です・・
 
大学1年の時、地方都市ゆえ、下宿なりアパート暮らしをする人間が多かったため、皆で知り合うために、最初のクラスコンパを提唱して、幹事をやりました。
 
結構人が集まり、20人くらいいたでしょうか?
 
「ライオン」で一次会をやり、金もないので酒屋で酒を買って街の中央の公園に行って芝生で輪になって2次会を始めました。なんと買ってきた紙コップの替わりにライオンのジョッキで飲んでいる奴が何人かいるのです・・・
ライオン

次の日「ライオン」に会計をしに行くのは幹事の自分なので青ざめました。
 
「ライオン」には何も言われなかったように記憶しています。気がつかなかったのか、学生に優しい街で傲慢な学生共を大目に見てくれていたのかどちらかはわかりません。
 
入試の時でした。初日に大雪が降り、旅館から会場に雪道を苦労しながら歩いていると、「これから試験ですか?頑張ってくださいね。」と年配の女性に声をかけられました。
雪の松島
 
学生のことを気にかけてくれる街なんだと暖かい気持ちになったことを覚えています。同じような優しく見ていてくれただと勝手に解釈しておくことにしました。

学生時代と会社に入りたての頃は、酔いに任せ、無茶なことをしていましたが、若いから許されるという傲慢さがあったと思います。また仲間がいることで、なおさら面白がってやっていたということもあると思います。
 
今、それほど酔うこともなくなり、どうにでもなれという蛮勇もなくなり、大人しくなりましたが、本当に若い時はひどいことをしていたと思います。お店の方々や身近に居た人に本当に申し訳ないことをしました。
 
ブログを始めてみて、PCに向かって独白していると、つい饒舌になり、人に言えない、隠していたこともさらけ出してしまう可能性があるなと思っていました。
 
自分を信用していただいていた人たちを裏切るようなことを告ってしまった気がします。・・と言って、過去にしてしまったことはしてしまったので、開き直るしかないのですが・・・
 
今回は山の話のつもりでしたが 「おしっこ」から始まり、「酔っ払いの悪さ」までおおきな脱線をしてしまいました。山の話に戻るのも大変そうなので、カテゴリーとタイトルを変更しました・・・
 
夜叉が池下山後、喜び勇んで向かった「土の駅」は研修旅行のため、お休みでした・・・
posted by くまじい at 00:31| 茶話室

2009年04月30日

動物たちの春

4月18日の野坂山の時のことなので続きになります。

ところで・・・・

ブログをはじめる時に、いくつかの自分なりの原則を決めたつもりでした。

@自分の撮った写真を中心に構成する。
A脚色は排し、事実を淡々と描く。
B俄か勉強で知ったかブリをしない。
C人の悪口を言わない。自分の嫌いなものを言わない。けなさない。

始めてみるとどうもこの原則を外れることが多いようです。

@もともと自分の撮りためてきた写真を整理してみたいということがきっかけで始めたのですが、「音楽」の話をし始めたら自分の写真がありません。

Window Media Playerで吸い上げたジャケット写真は小さすぎるので、ネットで写真を探して借りています。また写真を始めてなかったときの話のときも他の写真をどこからか借りてきています。

写真を使って見やすくしたい気持ちがあるので、文章が続くと耐えられなくなってなにか入れたくなってしまいます。
・・・こう書いている今も、入れる写真がなくて困っています・・・

借りた時はその出典だけは明らかにしようと考えていますがジャケット写真はAMAZON.COMに頼っていて、特に出典を記載していません。

A脚色は廃する努力をしています・・・

が、昔の話をするときには脳細胞が死にまくっている「あらかん」の頼りない記憶で書くので、曖昧な部分を話を面白くしてしまっている可能性があるような気がします。

B大野の殿様で金森長近のことは勉強せざるをえませんでした。この殿様のタフな人生には感心しました。

そのほか例えば、お寺のことを書くのに開基、宗派、文化財指定などは調べて書くのが最低限の礼儀のような気がしてこれらは原則をはずして、記載するようにしています。

Cこれは守っているつもりです。

でもだんだん危なくなってきて、自分の好きなものを言う時に、対比で、余り好きでないことの話も出てしまう気がします。でも自分の好きでないものでもほかの人にとっては好きでたまらない場合があって、他人に悪口を書かれたらいい気持ちはしないと思うので気をつけたいと思います・・・

と、前ふりが長くなりました。

前回野坂に行くのに登山口まで歩く間に川の中にサギを見たことを書きましたが、その日は妙に生き物に縁がある日でした。

野坂山は水場を過ぎてしばらくは視界の利かない山道が続きます。折り返しで林が切れ、西方と敦賀湾を眺め、また林の中を歩き、という繰り返しが何回かあります。

その何回目かの時でした。

自分の歩いている登山道の5mくらい先の右下の方でバキバキと枯れ枝を踏み割る音がして、何かが登ってくる様子でした。

ちょっと前に「そろそろクマが活躍しだすころだね」という話を聞いていたので、思わず、足がすくみました。

逃げる間もなく、「それ」は登山道に飛び出してきて、ものすごい勢いで横断して左のスロープに駆け登っていきました。

バキバキッ、ガサガサッとものすごい音をたてて・・・いや驚いていたので音だけが印象に残っているのですが・・

身動きできず「それ」を観察していました。シカらしいのですがいつも見る茶色のシカとは異なり、灰色のシカで角がまっすぐに2本伸びていました。写真はだいぶ前にわかさカントリークラブで撮った鹿の親子です。
わかさCCのュ1.jpg 
わかさCCのュ2.jpg 
わかさCCのュ3.jpg

一瞬「カモシカ」という言葉が浮かびましたが、正確な容姿を知らないので断定できないし、まさかこんな低地にいるはずがないなと思いました。

西洋シカがどこかから逃げ出した?いやあんなもの飼う人はいないだろうから動物園から逃げ出した?それもありそうもないなと・・・

帰ってネットで調べたWIKIPEDIAに 載っていた写真が下のものですが、やはりカモシカのような気がします。詳しい方がいたら教えてほしいです。
カモシカ.jpg

ようやく我に戻り、「一歩も動けなかったけど、もしクマだったらどうだったんだろう。」と改めて恐ろしくなりました。

同時にクマじゃなかったらなぜカメラを構えなかったのかと惜しい気持ちが起きてきましたが、まあこれは一瞬の話だったので無理な話で・・・

そういえば登山道のところどころで動物の小便らしき臭いがするのと、固いのや柔らかいのやら、糞が道におちています。

動物が活発に動き出す季節になってきたんだなと考えながら歩いていると、またもやちょっと上の藪の中で、さっきよりもせわしない動きでガサガサガサッと大きな音がしました。

驚いて立ち止まるとギャーッ、ギャーッと叫び声が。藪の切れた所から姿が見えましたが三匹の猿が追っかけっこをして遊んでいました。
 
これもカメラを構えるヒマはありませんでしたので、写真はだいぶ前に三方半島徘徊をした時の写真です。
三方の猿1.jpg 
三方の猿2.jpg 
三方の猿3.jpg

今度もほっとして歩き始めようとして足元を見ると70〜80cmくらいの黄色というか金色というか鮮やかな色の蛇がにょろにょろ動いていました。

花の季節感というのはありますが、動物たちで春が来たことを感じさせられた日でもありました。

posted by くまじい at 06:08| 茶話室