
それまでの海外出張で溜りに溜まったJALのマイレージで、豪華にビジネスクラス往復というイギリス休暇旅行の途中でした。
リバプールで2泊、その後レンタカーを借りてコツワルズを抜けて、石の街とマナーハウスを楽しみながらロンドンに戻るという計画で、余裕があれば湖水地方にも寄りたいなと考えていました。
World Soccer Digest
一安心して、ビートルズを少しだけ感じながら夜の街を歩き、パブで食事とビール・・・

当時狂牛病が騒がれていたのも忘れて、ローストビーフを食べてしまって、ちょっと気分悪くホテルに帰りました。

次の9月11日、ゆっくりとリバプール市内観光をしていました。ニューヨークはまだ、眠りについていたころと思います。

次の9月11日、ゆっくりとリバプール市内観光をしていました。ニューヨークはまだ、眠りについていたころと思います。
今夜は注意して、フィッシュ&チップスとビールで食事してホテルに帰ります。
寝る前に、まだ決めていなかったロンドンに戻ってからのホテルの予約をしようと思い、PCを開くとホームに設定していたYahoo Japanのトップ記事に「アメリカで同時多発テロ?」の見出しが・・・

なんのことやらわからず、テレビをつけると、イギリスのテレビは日本のテレビのようにすぐライブ映像になったりしないで、延々と評論家の話が続いているだけでした。

なんのことやらわからず、テレビをつけると、イギリスのテレビは日本のテレビのようにすぐライブ映像になったりしないで、延々と評論家の話が続いているだけでした。
翌日ホテルのロビーにあったTIME紙を開くと、中央のページは2 ージを費やした全紙大で、対岸からマンハッタン島を写した写真が載っていました。

立ち並ぶ、マンハッタン島の中央部で貿易センタービルから噴火のような太い煙が噴出し、その煙が大きく広がり、空を覆っているすさまじい写真でした。

これは今朝のTIMEをお土産に買うしかないなどと考えながら朝飯をすませて、レンタカーを待っていました。
10時どころか、11時になっても、昼過ぎになってもレンタカーは訪れません。TIMEのことはすっかり忘れて、イライラしながら待っていました。

ようやく車がきたのは午後3時を過ぎていました。
書類に必要事項を記入して、鍵を渡され、レンタカー屋はさっさと帰ってしまいます。
荷物を積み、ようやく出発できることに。
レンタカー屋が大分前の車に随分近づいて止めてしまっていたので、まずバックして・・・と思ったらリアにギアが入らない・・・何回やっても入らない・・・汗が噴出し、繰り返しやるも入らない。

途方にくれました。20分くらい焦って色々やったでしょうか?
よく見るとシフトレバーを覆っているカバーの最上部にリングが付いている。う〜んなにか覚えがあるような・・指でリングを挟み、カバーを引っ張るように持ち上げるとすんなりとリアに入りました。
リングを引くことがリアへのロック機構を解除する様になっていたということです。教習所だったかどこだったかわかりませんが確か経験したことがあるのを思い出しました。遅いっていうの・・・

イギリスは右ハンドルながら、ウインカーとワイパーはアメリカ式で左右が日本と逆になっています。また基本的にはマニュアル車になります。
シフトレバーおよびウインカーを両方を左で操作すると言うことになります。
イギリスの交差点はほとんどが信号はなく、車がぐるぐる廻っているロータリーにタイミングよく進入し、自分も廻りながら行きたい道にきたら、そちらに曲がるラウンドアバウトという方式です。

ロータリーに進入するためには、まず、一時停止して左手でウインカーをだして左手でギアチェンジして、他の車を見ながらローで上手くギアを併せて進入しなければなりません。
日本でも北海道にはあるようです。

ホテルをようやく出発し、最初のロータリーに入るところまではなんとかこなせましたが、ロータリーの中で行きたいところで曲がれず、やみくもに違うところで曲がってしまいました。

Uターンするところがないまま、その道を走り続けていくと、なんと高速道路のインターに出ます。
交通警察が居たので、路側に車を止めて走って行き、道を間違えたのでインターの出口側に戻らせてもらえないかとお願いを。OKをもらってようやく本来の道に戻ることができました。

えらく長くて汗をたくさんかいた一日でした。その日の宿である、マナーハウスにたどり着き、貴族の家というより、民宿みたいな家庭的な雰囲気の宿でちょっとほっとしながら眠りに付きます。
翌日、外国で運転するのを楽しみにしていた奥さんは、やはりオートマチックにすっかりなじんでいたため、田舎道でちょっと運転したら、もう絶対いやだと・・・一人でロンドンまで運転することになります。

列車で出発したロンドンに帰ってきて、街に入った途端に、パニックになります。なにせ車の数が違います。
今度は自分のホテルが右手に見えるのに曲がれません。
引き返してきて今度は左にホテルがあるのにまた通り過ぎます。随分むだな時間を費やしてようやくホテルにたどり着いて・・・翌日ロンドン市内を車でとも思っていましたが、速攻で返しにいきました。

「旅旅列車たび」ロンドン交通局(Tube)
帰りのヒースロー空港はテロに狙われたアメリカン航空の多くのチェックカウンターが並んでいました。
空港のチェックは厳しく、尖がったものは一切、没収でした。奥さんの戦利品のホテルのアメニティグッズのミニ裁縫セットもアウトでした。
テロ事件はその後、色々な展開がありました。自分にとっては、リバプールで忘れられない一日を過ごしました。
もう一つ・・・嫌な思い出が・・・
911から、しばらく経って、アメリカの人間から下記の様な連絡がありました。
カリフォルニアで一緒に仕事をした共通の知人であるアメリカ人の技術者が心を病んで、仕事が出来なくなり、迎えに来た父親とシカゴへ帰郷することになりました。
非常に優秀な人間でした。


飛行機のなかで心の不安定が徐々に増していき、シカゴが見えてきたところで、彼の心の中でなにかがはじけてしまったようです。
「飛行機がテロリストに乗っ取られ、シアーズタワーに突っ込もうとしている、阻止しなければ」と思い込んでしまいました。

父親と、また父親に頼まれて警戒していた乗務警備員の阻止を振り切り、操縦室のドアをぶち破り乱入し、取り押さえられます。
彼の好きだった水車で引いた粉で作る新鮮なパンを使用したサンドイッチ屋や、街中の怪しげな日本食レストランなどで出あった時の、彼の人懐こい笑顔が思い出されます・・・
テロが直接的な原因ではないのかもしれません。でも彼の引き金を引く手助けはしたのだと思います。
今回は自分の写真とネットで拝借した写真が混合し、しかもネットの写真の出典が明確なものでないものが多くあります。色々写真を探しているうちについ手を抜いてしまいました。反省しています。勝手に写真を利用した方々、申し訳ありません。
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シカゴの彼の後日談です・・・
その後、時々ネットのCNNやMBCのニュースで報道がされていましたが一年くらいすると全く判らなくなりました。
2年くらい経ったときでしたか、知らせてくれた人間に問い合わせしたところ、まだ拘束されているとのことで、当分だめなのかなと思いました。
先日、関係のあるアメリカの技術者が来日しました。シカゴの彼の話を訊いたところ、釈放はされたけど、仕事には戻れていないということでした。
彼が元気になることを祈っています。
















