2012年02月28日

「Frida」

「MOMA 0430」で書きましたが、Frida KahloについてはMOMAで初めて知り、記事を書くために彼女のことを調べて、その絵と人生に魅せられました。
 
映画「Frida」は2001年に製作され、アメリカでは2002年、 日本では2003年に公開され、複数のアカデミー賞を受賞した映画です。
 
いまだに公式サイトは開かれていて情報の確認ができます。
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映画「フリーダ」公式サイト
 
Frida Kahloは1984年にも映画化されていて、その激烈な人生がドラマの素材として、適していて、人々をひきつけるのだと思います。

<"Frida" 予告編>
 
"La Llorona"は「Frida」の挿入歌として使用されており、前回のLia Downsの歌の他に、このChavela Vargasの歌がでてくるようで、当人が実際にでてきて唄っています。
 
下記の動画の唄い出しは明らかに声が違うので、Chavelaの若い頃の歌なのではないかと思います。歌の最後の方に、現在の御本人がでてくるのですが、声もがらりと変わり、一気に歳をとります。
 
また、この動画は映画のダイジェスト版の様になっていて、交通事故のシーン、「断髪の自画像」の髪を切るシーンもでてきます。

<"La Llorona" Chavela Vargas>

公式サイトに詳細なあらすじが記載されていて、Frida Kahloの人生をたどることができます。下記に転載させていただきます。大分はしょらせていただきましたが、それでも大分長くなりました。
 
『1925年9月。悲惨なバス事故がフリーダ・カーロの人生を変えた。
 
フリーダの乗っていたバスが、路面電車と衝突し、数名の死者と多数の重傷者を出す。フリーダは瓦礫の中から、血にまみれで、鉄棒に突き刺された状態で発 見された。
 
鉄棒は左臀部から膣を貫通し て腹部に深い傷を残し、また、彼女の背骨、肋骨、骨盤、鎖骨は砕け、右足はつぶれた。もともと小児 麻痺で数年前から不自由だった右脚は、10ヶ所以上が骨折した。
 
何ヶ月もギブスやコルセットや牽引で 固定され、乱暴な手術が繰り返された。フリーダは悲惨な症状から引き起こされる孤独と寂しさにさいなまれる。 
 
彼女は絵にその感情をぶつけて時を過ごした。
Frida_Kahlo_(self_portrait).jpg
<″イバラの首飾りの自画像″ 1940年>Wikipedia

父は写真家であったが、手術代を工面するために家財を売り払うなど、家計は火の 車であった。それでも、両親は寝たきりの娘に特注イーゼルを贈り、自分自身をモデルにできるようベッドの天蓋に鏡をつけるなど、フリーダに芽生えた絵画への関心を応援した。
 
歩けるようになったフリーダは、自分の絵を認めてもらうために、既に有名な壁画家だったディエゴ・リベラを 訪ねる。ディエゴは作品はもとより、若きアーティストの熱心さと美しさに魅せられる。
 
「そのときは気づいて いなかったが、フリーダはすでに私の人生でもっとも重要な存在になっていた」と、 ディエゴはその出会いについて語っている。
 
フリーダにとっては、ディエゴは欠かせない人であったが、酷い裏切りも受けており、皮肉な解釈をする。「私は人生でふたつの大きな事故に見舞われた。ひとつは路面電車にひかれたこと。もうひとつはディエゴと出会ったことよ。」 

<″Despedida″ Shakira> 
 
1929年8月、惹かれあったディエゴとフリーダはコヨアカンで結婚した。
 
ディエゴから財政的な援助を得られることになり、余裕はできたが、フリーダの母は、21歳の年齢差や彼の有名な女好き、そして彼の巨体に嫌悪して、二人の結婚に対して心から喜ぶことはなかった。
 
写真家のティナ・モドッティ(なんと・・・自分の好きな女優、アシュリー・ジャッドが演じています!!)や壁画家のシケイロス等のアーティスト仲間 も、この結婚がうまくいくか怪しんだ。
 
1930年、ディエゴはアメリカで壁画の仕事を任されると、フリーダとサンフ ランシスコ、デトロイト、ニューヨークを回り、公共建築から個人邸まで次々と壁画を制作す る。
 
行く先々でふたりは歓迎された。フリーダは故郷メキシコを恋しがっていたが、ディエゴは有頂天になり、数々の情事にふける。
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<髪を刈った自画像 1940年>MOMA0430

その間にフリーダは子供を身ごもるが流産してしまう。 心の痛みや寂しさを「ヘンリー ・フォード病院」(32)、「メキシコ・アメリカ国境上の自画像」(32)、「私の衣装が掛か っている(ニューヨーク)」(33)などの絵にぶつけた。
 
ディエゴはロックフェラー・センターの壁画に レーニンの顔を描いたことで、ロックフェラーと対立、ロックフェラーはディエゴを解雇し、壁画を壊してしまう。(エドワード・ノートンがロックフェラーを演じています。)
 
これを機に、ディエゴとフリーダは1933年12月に メキシコへ戻り、メキシコ市南部のコヨアカンに新居を構え、メキシコの生活が始まるが、ディエゴは嫁ぎ先から離婚して戻っていたフリーダの妹に手を出してしまいます。 

ディエゴは亡命したロシアの革命家レオン・トロツキーを庇護し、フリーダの実家を提供する。 トロツキーとフリ ーダは互いに惹かれ合うことになりますが、トロツキーは2年後にメキシコを去ります。

トロツキーと共に滞在していたシュルレアリストのアンドレ・ブルトンが、フリーダ の絵の賞賛者となる。

<"Palma Negra"  Chavela Vargas>
 

ブルトンの尽力の末、個展が開かれ、ルーヴル美術館が「自画像(額縁)」(38)を買い上げる。ルーヴルにラテンアメ リカのアーティストの絵が飾られるのは初めてのことであった。
 
絵の成功とは別に、フリーダは、フランスで生活することに耐えられず、メキシコに戻るが、ディエゴが離婚を切り出し、カリフォルニアへ移って行く。
 
フリーダの体調は悪化していくが、この暗い時期こそがフリーダの芸術家として最も実りある時期であり、「二人のフ リーダ」(39)、「断髪の自画像」(40)、「夢」(40)、「森の中の二人の裸婦」(40)などの数々の傑作が生み出された。
 
トロツキーが暗殺され、ディエゴは行方をくらました。トロツキーの死とディエゴに捨てられた余波で、フリーダの容体はさらに悪化する。
 

<Frida Kahlo 絵画集>

 
彼女の足指は壊疽にかかり 切断、背中の手術も繰り返され、腎臓の感染症や他の合併症にかかる。彼女は仰向けに吊され、鉄のコルセットを着せられた。「絵が描けるように私を直して」。
 
ディエゴが現れ、再婚する。手術と入院の繰り返しがもたらす痛みは「折れた 背骨」(44)、「希望なく」(45)、「モーゼ」(46)などの最高傑作を生みだした。 1953年、右脚切断。
 
鎮痛剤に頼り切りの生活と絶えることない感染症や合併症に、ついに彼女の体は持たなくなる。肺炎をこじらせたフリーダは永遠の眠りについた。1954年7月13日、47回目の誕生日を迎えた1週間後であった。 』
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<フラン・チャンと私 1937年>MOMA0430

「ファド」から「泣き女」から再び出会ったフリーダ・カーロ・・・YouTubeでは沢山の絵画、彼女のポートレート、映画「Frida」のアップロード動画が山のようにありました。

結局色々見ているうちにフリーダ・カーロに段々と染まって行き、映画「Frida」のDVDと「フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像」堀尾真紀子著(中公文庫)をAmazon.co.jpで購入してしまいました。
フリーダカーロ引き裂かれた自画像.jpg
 
実はDVDはGEOに借りに行ったのですが、ありませんでした。入れる予定もないとのこと・・・それならと購入することになったというところです。昨日現在、既に、近所のローソンに商品が到着しているとのメールが入りました。
 
今日、受領に行こうと思います。しばらく観る時間がない様な気もするのですが・・・
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2012年02月26日

「La Llorona」そして「Frida」

「La Llorona ラ・ジョローナ(泣き女)」はメキシコのオアハーカ地方が原点で、北アメリカの南部から南アメリカ各地まで広い範囲に広がる伝承歌謡として、歌い継がれている様です。
La Llorona.jpg
Amazon.co.jp ・・・本が欲しくなりました。

『「La Llorona(泣き女)」はまるで死神のような血染めの白衣の姿で、夜中に、水辺で恐ろしい声で泣く「泣き女」に歌いかける歌です。
 
この歌には種々の歌詞がありますが、ほとんど伝説とは無関係な恋歌にも聞こえるような歌詞になっています。』※1
 
下の動画はMusica Andina(日本語でフォルクローレ)としか記述がなく、演奏者は判りませんが、この哀感のある素朴なメロディが心に沁み込みます。

前に聴いたことあるメロディの様な気もしますが、定かではありません。

色々なアーティストの曲を聴いているうちに、そんな気になってしまったのかもしれない。日本人の琴線に触れるメロディと言うことかもしれません。


 
「泣き女」の話を調べましたが、なかなかまとまった記述がなく、英語版のWilipedia に記述および関連のサイトの紹介がありました。※2,3

″La Llorona″はスペイン語で「泣き女」の意味で、基本的にはコンキスタドール(征服者)時代から、南西アメリカのヒスパニック(スペイン語圏出身者※)の間に広がる伝承話である。
※スペイン人の混血子孫としていましたが、定義は異なるようなので訂正しました。
正確なオリジナルについては不明とのこと。
 
伝承により様々なバリエーションがあるが、共通しているのは「河で死んだ子を悲しんで、自分も死に、川辺を泣きながら彷徨う亡霊。」と言うところの様です。
 
「泣き女」が遊び好きで、子供への関心が薄く、死なせてしまう、あるいは彼女が子供を殺してしまうバージョンの話を追記に載せました。
 
ここでは別バージョンを・・・

『昔、小さい村の農家にマリアという驚くほど美しい娘がいた。
 
マリアはまたよく気の付く女性で、彼女に好意を寄せる男達が多かったが、その中でも熱心にプレゼント攻勢を貫いた富豪の男と結婚をした。

しかしながら、マリアが二人の息子を生むと夫は変わり、女遊びに狂い始め、家に帰らなくなります。
 
マリアに関心を失ってしまった夫は、マリアを捨て、故郷に帰り、自分にふさわしい富豪の娘と結婚してしまいます。
 
夫がマリアの元に帰る時もありましたが、二人の息子に会うことが目的でした。
 
マリアは失意から荒れ始め、その怒りは二人の息子に向っていきます。
 

<″La Llorona"  Susana Harp>
 

ある日の夕方、マリアが二人の子供とサンタフェ川沿いの道を散歩していると、夫が馬車でやってきます。
 
隣には上品な現在の妻が座っていました。
 
夫は二人の息子に話かけますが、マリアは無視して、そのまま振り返りもせずに立ち去ります。
 
マリアは去りゆく夫の馬車を睨みつけながら、激しく怒りがこみ上げて来ます。
 
息子たちに向き直ると、彼らの手を掴み、川に放り込んでしまいます。
 
二人の子供の姿が川面から消えてからマリアは我に帰ります。
 
慌てて息子たちの姿を探し求めますが、間に合いませんでした。
 
マリアは悲嘆にくれて、泣き叫びながら走り周りました。
 
その後も、白いガウンをまとい、日夜泣き明かし、川の脇を歩き廻りました。
 
マリアは食べ物を口にせずに、痩せ衰えて、まるで歩く骸骨のようになり、白いガウンもすり切れて行き、川の土手で息を引き取ります。
 
マリアが死んでから暫くして、夜になると白いガウンを着たマリアの魂がサンタフェ川の土手を泣き叫びながら彷徨う姿が見られるようになります。
 
人々は、彼女を恐れ、マリアではなく「泣き女」と呼ぶようになり、子供たちに夜、外出すると「泣き女」に掴まれて川に投げられて死んでしまうよと戒めるようになりました。』

<"La Llorona"  Lia Downs  ※動画差し替えました。'13.05.13>
  
マリアが自分の息子たちだけでなく、無差別に、子供を殺しまくった、いや子供に限らず、大勢を殺したという説もあるのだそうです。
 
マリアの夫はスペインの人間で、マリアを捨てて自国に帰って結婚したという話もありました。また自らが殺したのではなく、混血を嫌う部族の風習でマリアの意図に沿わずに子供を殺してしまった、という話もありました。
 
ヒスパニックの中で伝承してきた話ということから、上流階級=征服者たち(スペイン人)という図式でみたほうが、マリアの悲劇を理解しやすいのかも知れません。 
  
え〜と、「泣き女」はすっと通り過ぎて、「Frida」にたどりつこうと思ったのですが、つい面白くなって深入りしてしまいました。
 
上のLia Downsの動画のタイトルに「Frida」とあります。
 
また動画のタイトルバックにMOMAで知ったメキシコの女流画家Frida Kahloの絵が使用されています。
 
(※動画差し替えたため、Fridaに縁のない動画となってしまいました。以前の動画での話です。)
 
"La Llorona"はFridaお気に入りの曲の一つであり、2001年に製作され、2003年に日本でも公開された「Frida」と言う伝記映画の挿入歌に使用されたのだそうです。
 
続きます・・・
 

 
ラ・ジョローナ(泣き女 La llorona) 訳詞、異説
posted by くまじい at 19:00| Comment(0) | 音楽話

2012年02月25日

「Fado」そして「La Llorona」

サイドカラムの「僕の音楽」に貼りつけている "A Máquina"を演奏しているAmor Electro はポルトガルのグループで、YouTubeでファド(Fado)の世界を彷徨っている時に出会って気に入ってしまいました。
 
まあ演歌(Fado)にこだわらない、POP歌手という感じで、ファドとは呼べない部類かもしれません・・・

ファドは、ポルトガル、リスボンで生まれた民族歌謡。と言ってもその生まれは種々の説があり、明確ではないらしい。「Fado」は「運命」、または「宿命」を意味する言葉(Fate)なのだそうです。
 
ファドで基本的な楽器はクラシックギター(ヴィオラ)とギターラ(ポルトガルギター)・・・ギターラはスチールの12弦の楽器で、独特の情緒を醸し出します。

<"Tive um coraçao perdi-o" Cristina Branco>
 
日本語でファドを語っているサイト、「ファドの部屋」に記載されている説を一部編集して引用させていただきます。その他に「ポルトガル・ロマン」「ポルトガル公式観光ウェブサイト」、Wikipediaを参考にさせていただきました。
 
「大航海時代(15世紀〜17世紀)にポルトガル人達が植民地ブラジルへ連れて行ったアフリカ人奴隷達の踊り「Fado 」※が、植民地から収奪した金やその他の産物とともに、港町リスボア(リスボン)に逆輸入された。
 
※黒人奴隷の歌う「ルンドゥー」にそのルーツがあるとも言われるようです。


多様な人種と文化の混合する植民地ブラジルから渡ってきた踊り Fado は、当時、同様に南アメリカ大陸に広く進出していたスペイン支配下のアルゼンチンの「ファンダンゴ」にも影響され、きわめて官能的な踊りだったとのことである。

<"Canção do Mar" Dulce Pontes>
 
リスボアに逆輸入されたFado は、ポルトガルに連れてこられた黒人達や、混血達が多く集まり住んだ古い市街地アルファーマやモウラリアを中心に、ブームを巻き起こしていく。
 
リスボアの下町で歌い、踊られた Fado は、やがて舞台音楽や他階級文化の影響を受けるうちにアフリカ的な打楽器の伴奏が次第に失われ、歌の部分のみが強調されてくる。
 
19世紀に入ると植民地支配の栄光の時代は終わりを告げ、ブラジルやアフリカの植民地を次々と手放したポルトガルは暗い困窮した黄昏の時代に入る。
 
その暗い世相の中で Fado は、貧しい人々が集まる下町の石畳に響くように、裏町の安酒場や売春宿で歌われ続けた。
<"Dulce Caravela" Katia Guerreiro ;Composed by Dulce Pontes>
 
Fado の歌い手を Fadista (ファディスタ) と呼ぶが、 Fado が最下層の人々の歌であったため、 Fadista という言葉は元々は「やくざ、ならず者、売春婦」の含みを持っている。
 
その中にMaria Severa(マリア・セヴェラ:1820-1846)というジプシーの人気ファディスタが登場します。
 
セヴェラはもモウラリアの高級娼婦であったが、貴族の一人がセヴェラを愛し、セヴェラをどうどうと公の場に伴ったりしていました。彼女は26歳の若さで結核のため命を落としますが、後に伯爵はファドを貴族のサロンへと持ち込み、広めて行きます。  
 
こうして、ファドは人々に知れ渡り、王室のサロンですら歌われるようになり、歌の内容も Saudade(郷愁)、Amor(愛)をテーマにした詩的な歌詞がメランコリなメロディーで作られるようになりました。
 
後年、有名なファディスタAmália Rodrigues(アマリア・ロドリゲス:1920.7.23-1999.10.6)が出現して Fado はその頂点を迎えます。

<″暗いはしけ(Barco Negro)″ Amália Rodrigues>
2012.10.05動画差替ました。
 
フランス映画「過去のある愛情」の挿入歌として歌われた彼女の「暗いはしけ(Barco Negro)」※が世界的に注目されて、小国ポルトガルの首都の片隅で生まれた民族歌謡が世界中に知られ多くの人々に愛好される時代を迎えたのである。」
 
※「暗いはしけ」はブラジルの曲で、正確にいうとFado ではないとのこと。
 
リスボアで生まれたファドはポルト等他の都市にも広がり、第3の都市、コインブラには学生によるファドが根付いているのだそうです。

自分のファドのイメージは、当然ながら、Amália の「暗いはしけ」に始まっています。 

暮れゆく港に佇む娼婦、酒場女・・・というイメージで、あくまでも暗い、陰鬱な景色がまとわりついています。

一方、リスボンの街への自分の印象は、何処までも抜けるような青空、コバルトブルーの海が広がり、陽射しに輝く、まぶしいほどの建物の壁の白さ、オレンジ色の屋根瓦・・・
Lisboa-lisbon-_panorama.jpg
Wikipedia

地中海の入り口ということで地中海とイメージが混濁しているかも知れないもので、いささかファドの雰囲気とは異なるものなのですが・・・
 
昼間は「輝く街」を身体一杯に感じ、夜は酒を飲みながら「宿命」を心の底に沈殿させる・・・
 
"Canção do Mar"を歌っている Dulce PontesはKatia Guerreiro の唄っている"Dulce Caravela"の作者でもあり、楽器もこなすファド界のシンガーソングライターという才能豊かな人のようです。

ポルトガル観光のサイトではDulceはリチャード・ギアの「真実の行方」に取り上げられたとの記述がありますが、詳細は判りませんでした。映画の中で彼女の曲が採り上げられたということなのでしょうか・・・
 
「真実の行方」はエドワード・ノートンの演技が光っていて、リチャード・ギアとのせめぎ合いが面白くて、記憶に残っている映画です。
 
Dulceが 唄っている「La Llorona ラ・ジョローナ(泣き女)」にたどり着いた途端に、違う世界に行ってしまいます。
 
Dulceは「A Chorona」というタイトルに置き換えて唄っているみたいです。
<"La Llorona(A Chorona)"  Doluce  Pontes>
 
「La Llorona ラ・ジョローナ(泣き女)」はメキシコのオアハカ地方の民謡で、ポルトガル語からスペイン語に飛ぶ訳ですが、YouTubeを見ているとメキシコの多くの男女の歌手をはじめとして色々な人が採り上げていることがわかります。
 
ここではちょっと変わってJoan Baezの動画を。
<"La Llorona" Joan Baez>2012.04.03動画差替ました。
 
さらに探しているうちにまた違う展開にたどり着くのですが、続くです。
posted by くまじい at 11:42| Comment(0) | 音楽話

桃の花2

2月21日(火)、実家へ帰ります。
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2012.02.21
 
64歳になり、年金受給が始まると、雇用延長での会社員人生が終わることになります。形態を変えて敦賀に残るという話があり、まあそれもいいかと・・・
 
この先、どのような人生を送るか・・・色々なことを考えるための相談とか調べ物とか・・・21日夕方はお約束していた税理士さんのお宅で色々お話を伺います。
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2012.02.23(1)
 
話が弾んで、近所の店から「鰻重」とるから一緒に食べようとのお誘いを、次回にとお約束して、帰ります。
 
22日には健康診断、年金相談センターでの相談、会社の5年ごとの安全教育の更新・・・
 
23日には市役所と、銀行へ・・・
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2012.02.23(2)
 
昨年3月に311のためにゴルフ旅行を断念しました。旅費に相当する金額を使ったつもりで赤十字に義援金として寄付しました。確定申告の時期になり、昨年手術もしたし、医療費控除をうけようかと・・・
 
そう言えば義援金についても控除が認められるということなので、併せてしてみようと・・・といっても、全てネットを通じてのことだったので、銀行に相談に行ったという次第。
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2012.02.24(1)
 
ネットバンキングの昨年の実績を調べて、寄付が確認されたため、エビデンスを郵送してくれることに。
 
その脚で敦賀に出発。到着して床屋さんへ・・・平日でも夕方は結構お客さんがいるのに驚きました。
 
夜はお定まりの五縁で食事。「九頭龍」のお燗で「ノドグロ」の塩焼きを楽しみました。
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2012.02.24(2)
今日24日は「ぼたん亭」のワインの会。今回はイタリアワインの日でした。写真のピントが合いません・・・

posted by くまじい at 00:30| Comment(0) | 茶話室

2012年02月24日

西浦、常宮0218

日曜日の野坂山の記事と前後します。
 
17日(土)は出勤。仕事は順調で作業は2時頃に終了。後は事務所での事後処理だけなので心配はなさそう。3時頃、お先に失礼します。
 
駐車場の最前線まで歩いて、市内方面を撮ります。本当はもう少し引いて撮りたいけど、お客さんの施設が見えてしまうので控えます。
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西浦を街に向かって走っていると、湾越しに三内山が白く霞んでいて、思わず車を停めて写真を。
 
こちら側からの三内山を撮るのは初めてかもしれない・・・
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そう言えば松原海岸であった京都のバスの運転手さんが、駐車スペースがないとお参りを断られたという常宮を覗いていくかと・・・
 
駐車場はその後除雪したのか、入れない状態を脱しているようでした。
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全ての建物の近傍は屋根から落ちた雪が高く積まれていました。
 
今でも雪は頻繁に落ちてきていますので、山は一度に積まれたということではなく、徐々に、積み上げられて行っているようです。
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それでも雪の下に待ちきれない春が確実に育っています。
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ロウバイ科のソシンロウバイと言う花らしい・・・街の中で、時々みかける気がします。
 
最近花の名前から遠ざかっていました。
 
久しぶりに拝見した「山野草を育てる」のサイトは随分イメージチェンジしていました。
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同好の士(?)が一人、一眼レフで写真を撮りまくっている人がいました。
 
思わず、声をかけたくなりますが、知らん顔しているので、まあ、いいかと・・・
 
お参りをします。 
神社でも、お寺でもお願いすることは決まっていて、幾つかあるそれを全部心の中で反復します。
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神社の境内は県道と隔絶された雪国となっていました。
 
それでもお参りする道は人一人歩ける分が確保されています。
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普段は歩いたことのない処ですが、橋の手前を下に降りると水の落ちる景色がありました。
 
駐車場にあるトイレには手洗い場がなく、この川で手を洗えという標示があります。
 
自分は何回か素直に下に降りて洗ったことがありますが、毎回は面倒くさくて、手洗いはパスして、入り口に手水場で洗うことになってしまいます。
 
降りて洗っている人も見たことがない・・・
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雪国から帰還して、暫く走ると西方に夕陽が射しています。
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暫く陽射しの変化を期待して待っていましたが、余り良い条件にはなりませんでした、湾の向い側の山には陽射しの名残りが・・・
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西浦を離れ、清掃工場の手前の自分の好きな撮影スポット(関係者以外立ち入り禁止ですが・・・)が踏み後のない真っ白い雪を見せてくれています。
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ごめんなさいと心の中で謝りつつ、境界のロープをまたいで、バージンスノーを踏み荒らして、侵入して写真を撮らせていただきます。
 
長靴ではなく、くるぶしまでのレインシューズなので雪が靴の中に入り込みます。
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残念ながら、陽は隠れ、野坂の頂上は雲の中で、「逆さ野坂」は今二と言う感じです。
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言うのは恥ずかしいのですが、ちょっと北海道っぽい樹が並んでいる川筋だなと思っているところです。
 
樹の名前はわかりません。
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もっと北海道らしく撮ろうと場所を変えるため歩いていると、突然の吹雪が始まります。
 
雪の西福寺でKiss4をアウトにした記憶がよみがえり、断念して帰宅しました。
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昨年のドカ雪のような降雪量はないけど、今年はともかく、毎日、毎日よく降ります。
 
この降雪日数は自分の記憶では今年が最多のような気がします。
posted by くまじい at 07:20| Comment(0) | 遊歩道

2012年02月20日

桃の花

ユースの花屋さんに桃の枝がありました。桃の節句のひな壇に飾るものらしい。
 
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「男が買うとおかしいかしら?」
 
「そんなことないよ。花瓶の大きさに切ってあげるよ。」「こんなもんかな」・・・って大きさを手で示したら、そんじゃ切る必要ないって。
 
今まで蕾で買ってちゃんと花が開いたのは、水仙だけだったけど上手く咲くかな。
 
冬場は水は変えなくてもいいからね。今まで切り花買って結構水変えてたけどいらないのか・・・
 
しばらくの間、楽しみです・・・
 
posted by くまじい at 00:05| Comment(0) | 茶話室

2012年02月19日

野坂山敗退0219

たらいま〜って、結局、野坂山に向いましたが、一の岳に向う途中のブナ林をもう少しで抜けそうというところでアゴが上がってしまい、断念して帰ってきました。
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今まで、大雪で青少年センターで諦めた時、一の岳の真下で雪が深すぎて恐ろしくなって帰った時と2回断念したことがありました。
 
1回は諦めようかと思案している時に、オバサンにカツを入れられて頑張ったし・・・
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泣き言ばっかり言ってるけど、天気が良い時に断念したのは初めてです。口惜しいやら、恥ずかしいやら・・・
 
出かけるのが遅かったので、カメラ撮影をセーブして行こうと、脚を運びます。
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踏み跡をたどりますが、雪が締まってしていて歩きやすいし、久しぶりの野坂、しかも一カ月間体調不良で身体を動かしていなかった割には出だしは順調・・・
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と思いましたが、冬道の急登が続くと段々脚が上がらなくなり、一歩進むたびに滑るようになります。しばらく登っていて、滑った途端に古傷の足首がグキっときて、戦意喪失・・・
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踏み跡にはアイゼンの跡とか長靴のスパイク跡とかあります。脚が上がらなくなった分、靴に引っ掛かりがあった方が楽だったかもしれない・・・
 
出かける前に今日はアイゼンよりスノーシューだな、などと重いスノーシューを担いでアイゼンを置いてきてしまいました。
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まあ、今日は様子見ということで諦めようと・・・
 
野坂茶屋は相変わらずの車の数では満員みたい。2時半ごろになっていましたが竹盛が開いていて、天ざるをいただいて帰ってきました。
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見晴らしのいい所まで行けなかったし、二の岳、三の岳のブナ林までたどり着かなかったし、ロクな写真がありません・・・
 
次回のリベンジを心に秘めて・・・
posted by くまじい at 21:39| Comment(0) | 遊歩道

朝の野坂

ベランダが面する東側の山に朝日があたっています。もしかしてと・・・野坂を見ると陽射しに輝いていました。
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思わず最上階まで行って写真を撮ります。
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拡大してみると肩の小屋が姿を現しています・・・
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野坂は自分の実力では暫く行けないだろうと、今日は今庄の街でも写真を撮りに行こうと思っていましたが、ちょっと色気が・・・
 
駐車できるところが心配ですが行ける所まで行ってみるか・・・どうしようか・・・
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いずれにしろ久しぶりの太陽の輝きに、春を待っていたみよちゃん・・・でなくて「くま」の冬眠状態が少し融けそうです・・・って、状況が変わると、ころりと元気になる・・・なんと判りやすいやっちゃ・・・
 
ついでに障害物が多いけど三内山も撮影を・・・
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posted by くまじい at 09:00| Comment(0) | 茶話室

2012年02月18日

赤いピアノ

このブログのイメージを変えてみようかと考えました。しかしながらMeblogで与えられているテンプレートには限りがあり、自分にピンと来るものがない・・・

HTMLに慣れた人なら、即座に自分の好きなように改造することが可能でしょう。自分は全くの素人で、このブログを始めるに当たり、HTMLの入門書を購入しましたが、ほとんど読んでいない・・・
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目を通すのはHTMLをいじりたい時に辞書の様に利用するというところ。
 
通して読んでいないので、前後の脈絡がわからず、よく理解できないままで終わるということの繰り返しです。
 
素人が改造を始めて収拾がつかなくなったらどうしよう・・・ガラッと変わってしまうと、自分でしっくりこないかもしれない・・・
 
このブログのサイドカラムに貼り付けた写真やYuoTubeの動画のメモランダム用として細々と運営しているもう一つのブログの「くまじいノート」で練習してみようと。
 
というのも「アルバム」という名前のテンプレートを使用しているのですが、リンクの字の色がオレンジ色で自分には合わない感じで、自分の好きな色に変えたいと思っていたことがありました。
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<@テンプレートのフィルムマークがちょっと気になって・・・>

と言ってもテンプレートを構成する「スタイルシート」の読み方がわかりません。当然、自分でスタイルシートを書けるわけありません。
 
オリジナルのスタイルシートを利用して一部を編集して何処まで変えられるかというところです。
 
サイトで見つけた「Web配色らくらく確認」のお力を借りて、既存のスタイルシートの色指定されている部分のコードをぶち込むと色が出てきますから、ブログ画面の字の色と見比べます。
 
うーん、この字の色を指定しているのか、それじゃあ、緑色のコードに書き換えてみようと・・・熟練の人が見たらあきれるやり方と思います・・・それでもなんとか一応恰好がつきました。

次に挑んだのがタイトルヘッドのバックイメージを変更することです。
 
上記したように「アルバム」というテンプレートを使用していましたが、ブログタイトルの上にフィルムの形のイラストが入っており、なにか用途が限定される様で気になっていました。
 
マークを消して、アルバムの形の部分に写真を張り込みたいと思いましたが、マークを消すことはできても、斜めになっているアルバムに写真を張り込むのは自分の技ではお手上げでした。

しかもオリジナルを改変して利用するのは好ましいことではないのかなと・・・
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<Aフィルムマークを消してみたけど・・・なんか面白くない・・・>

本ブログはPandaPanda.meblog.bizで登録して運用しています。
 
「くまじいノート」はMusicPanda.meblog.bizで登録していて、音楽のことを書こうと思って用意したものです。
 
最初は公開するつもりなかったし、今でも、あまりオープンにはしてなくて、「わかさはいかい」で紹介しているだけですし、アップもほぼ月に1、2度しかしていません。それでも最近、日に10回程度のアクセスがある様になり、ちょっと緊張。 
 
ということで「くまじいノート」のヘッド画像は音楽にちなんだ絵柄にしようと・・・
 
まず、Molody Gardotの公式サイトからダウンロードを許されている写真の上半分をカットしたものを使用しようと思いました。
 
でもMelody Gardotの公式サイトまる写し見たいだし、これもオリジナルに手を加えることになるなと・・・
Molody Gardot.JPG 
<Melody Gardotのホームページからダウンロードした写真もいいなと・・・>
 
楽譜か楽器のイラストにしようと・・・無料ダウンロードサイトを探しました。
 
イラストACはメンバー登録すれば自分のお気に入りの絵を作者の方にお断りを入れて利用することができるサイトです。
 
このサイトで「ピアノ」あるいは「楽器」で検索するとカズさんの作品がいくつかヒットしました。イラストが可愛い・・・特にこの「赤いピアノ」が気に入りました。
ピアノ小.JPG
 
カズさんはハートの虹〜Flower Of Lifeというホームページも運営されていて、双子のお子さんを育てながら頑張っている方のようです。
 
お子さんと作られているらしい歌の動画も可愛い。
 
実は「赤いピアノ」を一度「アルバム」に張り付けてみました。
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「赤いピアノ」に申し訳ない。オリジナル改ざんだ・・・
 
ということで白地に「赤いピアノ」だけを据えたヘッドにたどり着きました。
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このほかに、サブタイトルのバックを変えたり、タイトルの位置を変えたりとかいくつか手を入れて、変更をしていますが、さらに時々思いついたこと、ネットで調べた新しい知見を試したりと、楽しんでいます。
 
と言っても、試行錯誤でやっているだけで、「スタイルシート」そのものを、いまだに理解していないので、いじりたいけど、変化できない部分がまだまだあります。
 
少しずつ勉強してものにして行きたいとは考えています。
 
PandaPanda、MusicPandaに加えて、実はもう一つ、PhotoPanda名での登録をしています。
 
ヘッド画像には「赤いピアノ」のようなお借りしたイラストではなく、季節ごとの自分の写真を使い、季節に応じてバックを変えて行こうかと・・・
野坂雪景色ヘッド1.JPG 
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まあ、今で手いっぱいだし、新しいこと始めても続けていける自信が起きなくて、なかなか・・・予告編だけで終わる可能性大です。
posted by くまじい at 21:58| Comment(0) | 茶話室

2012年02月13日

松原海岸の雪

2月11日(土)、天気予報に反して陽がさしてきました。洗濯済ませてからどこかに行こうと、頑張っているうちに昼近くになります。
 
昼飯がてらに雪の松林の写真でも撮りに行くかと、重い腰をあげます。
 
歩こうかと思いましたが、雪が降ると歩道はえらく歩きにくい・・・まあ車で行くかと・・・
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土曜日はやっているはず、と思ってでかけた「中西」には定休日の札がかかっていました。この間「木の花」に行ったし、「ぼたん亭」のランチにしようと・・・
 
ボリューム十分の日替わり弁当で満腹になって、松原に向います。
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もともと狭い道が雪でより細くなっていますので、「向こうから来るな」と祈りつつ走ります。
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松林の中の売店のある場所へは車の通った跡がほとんどない・・・パスして、駐車場まで行きます。大きな京都からの観光バスが停まっていました。
 
運転手さんとお話してたら、「常宮に電話したら、駐車するところもUターンするところもないので来るなと言われた」とのこと。
 
成程・・・常宮のあたりは道自体が狭いし、雪が降るとバスがすれ違えなくなるのは昨年経験している・・・無理やり行って駐車場に入れないとUターンが出来ないというのは十分ありそうです。
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バスのお客さん達、雪玉投げ合って喜んでいます。
 
売り物のない敦賀ではせめて雪でもあれば、「おもてなし」になるのかと、ちょっと皮肉な思いが募ります。
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松林の中はほとんど人が入っていないようです。50cmくらいの積雪量で、長靴が雪の下にもぐります。
 
絵柄としては枝に雪が積もっているのを期待していましたが、雨で落ちたのか、枝の上に雪はありません。
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敦賀に来た頃に、市役所の人達が道路に面した松の枝から雪下ろししているのを見たことがあります。
 
松林を大事にしているんだなと感心した記憶がありますが、松林の中は背の高い松もあるし、ここまで入っての雪下ろしは無理がありそうです。
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それでも折れている松が・・・折れ口が新鮮なので、最近の雪の重さで倒れたのだと思います。他には倒れている樹は見当たりませんでした。
 
病気だ、雪だと色々あって、斃れて行く松が多いのでしょう。松林はだんだんと薄くなり、萎んでいくのかもしれません。
 
それでも今はまだまだ十分に松林が残されていて、林の中をぶらつくと落ち着きます。
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この後、ワン君、嬉しそうに雪深い松林の中に入っていきました。ワン君のお定まりの散歩コースなのだそうです。
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何処まで歩いても風景も変わらないので、諦めて帰ることにします。
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松林からどこか寄って行こうかと思いますが、車を停めること難しく、駐車出来そうなところを過ぎてしまって戻れなかったり・・・
 
あちこち廻って、新明社の前にかろうじて駐車ができます。新明社は以前、夏に歩き廻った時に寄っています。
 
1667年開基の地元の「惣神」神社、旧社格は村社とのこと。(神社の縁起看板、神社探訪・狛犬見聞録
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「惣神」の意味は調べてもわかりませんでした。
 
「祭神」のことでしょうか?2月堂のお水取りの儀式の中に「惣神所(そうのしんじょ)」と言うものがあるようですが、こちらも意味がわかりませんでした。
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平成25年、伊勢神宮の「式年遷宮」とあります。
 
たまたま、雑誌「一個人」で伊勢神宮の特集を読みかけていました。
 
「式年遷宮」は20年に一度神殿と御装束、神宝を新しくする儀式で、なんと20年のうちに8年間もの準備が行われるのだそうです。
 
即ち、平成25年の遷宮は平成17年5月の山口祭から始まり、33もの祭礼が8年間のうちに執り行われます。
 
山口祭というのは式年遷宮の最初の祭儀で、遷宮の御用材を伐る御杣山(長野県と岐阜県に国有林として用意されている)の山口に坐す神を祭り、伐採と材木運搬の安全を祈る祭りなのだそうです。
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8年間で行われる祭礼の内容から推測される遷宮の行程は下記のようです。
 
 平成17年05月  材木(ヒノキ材10,000本!)の伐採開始
 平成18年     御用材の搬入と作業開始の安全祈願
 平成19年     御用材の外宮、内宮への曳き入れ
 平成20年     地鎮祭(鎮地祭というらしい。ここから敷地の工事が始まる?)
 平成21年     宇治橋(皇大神宮の入り口にある)の架け替えと渡り初め
 平成24年     正殿の柱建て、棟木上げ
 平成24年     茅葺、その他外装、内装など
 平成25年10月  竣工、御神体の遷御

遷宮が既にH17年から進行していることを知りませんでした。平成25年に行きたいと思っていましたが、24年も行事は多いみたいです。今年中に一度お参りに行こうと・・・ 
伊勢神宮では年間に1500回もの祭祀が行われていることも記載されていました。
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明けて12日(日)は時々雪が降り続く天気で、また引きこもりに戻ってしまいました。
posted by くまじい at 00:30| Comment(0) | 遊歩道

2012年02月12日

雪に閉じ込められて・・

2月も雪の勢いに負けてどこにも行けません。オンモに行きたい「くまさん」、いじけて部屋にこもりきりです。
 
Kiss4が治ってきたのに出番がなく、いつもバッグに入れているP300でポツポツ撮るだけです。
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<2月2日の出勤前>
 
Kiss4が壊れたのは、みぞれ雪の西福寺で濡れたことが大きかったと考えているので、天気が悪いとカメラが気になって出かけられないというところもあります。
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<2月2日の出勤前>
 
一日の降雪量はそれ程大したことがないと思っていた雪も降り続けるとだんだん応えてきます。
 
除雪費用は雪の量よりは日数で効いてくるのでしょう。道路の表面が凍りついていて走りづらくなっています。
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<2月9日出勤途中 各所で枝が垂れています・・・>
 
ごくたまに陽が射して、その時の美しさはたまらない・・・
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<2月9日 出勤途中>
 
10日(金)の夜、週末は天気の合間を見て、でかけようと決意しつつ、五縁の孫のバースデーケーキを御馳走になりました。
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posted by くまじい at 17:41| Comment(0) | 茶話室

2012年02月11日

駆け足の1月

ようやく体力が回復してきましたが、雪が降り続き、出かける意欲が薄れます。こんな時こそスノーシュー・・・と思うのですが・・・
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体調不良が続いたうえにカメラが壊れ、仕事もちょっと忙しかったと言うところで1月の写真ファイルはスカスカです。ここでそうざらいしてしまいます。
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恒例の新年の安全祈願祭が1月5日、7時半から常宮で執り行われました。
 
来年はお役御免で、これが最後のお務めになります。
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このために、早めに敦賀に戻らなければいけないので、正月がどうしても短くなりますが、新年の早朝、お参りしてお祓いしてもらうのも気持ちが引き締まっていいものです。
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7日は宅急便を受け取りにヤマトの営業所に・・・ローソンの看板とアパート越しの野坂です。
 
3連休明け締切の仕事があり、そのまま事務所に向かいます。なかなか始めない癖に、始めると考え込んでしまってなかなか進まない性質なので、簡単には終わりません。
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夕方になり、体調すぐれず、正月気分も抜けきらず、明日にしよう、と帰ります。
 
8日、今日こそ終わらせようと頑張りますが、暗くなっても終わりません。明日こそと7時頃に帰ります。
 
9日、結局9時近くまでかかってようやく終わります。
 
仕事配分のなっていないこと・・・でもまあ、平日にやろうと思ってもなかなかできないことなので、3連休にまとめてやらなければ終わらなかったと思います。
 
朝、事務所に向う途中、湾の向こうに白く四角い山が見えます。山の名前が判りません。
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位置的には右に見えるなだらか山がホノケ山で北に連なる足谷山なのかと思います。方向を見極めるのは苦手なのでとんでもなく見当違いかもしれません。

大きな地図で見る 
 
少し行くと蠑螺ヶ岳がその殻に雪をびっしり付けた姿を晒しています。
 
平日には他人の目が気になって出来ないけど、休日出勤の時には車を停めて撮影します。とまあ、この余裕が3日間出勤に繋がるわけですが・・・
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今、西浦県道は法面の大工事中で、平日は交通整理がでて、調整してくれますが、休日は車もすくないため、交通監視人はいません。
 
美浜の方では大雨の時にたまに崩落があります。その時には美浜側は通行禁止になり、その後も一車線規制が長く続くので、西浦県道を周る車が多くなります。
 
昨年の8月の終わりごろか9月頃の初めごろでしたか、発電所の定期検査で交通量がマックスに近づこうとしている時に崩落があり、美浜と明神に向う車が西浦県道に集中し、縄間まで大変な渋滞とになりました。
 
バイパスのない西浦県道でもし、崩落したら、企業も住民もお手上げ状態になります。それを考えると多少の渋滞は我慢、我慢です。
 
ただ、工事範囲から外れた部分で、崩落注意と標示されて、土嚢が積まれている場所があります。あそこを優先しなくていいのかしら・・・とちょっと雨が降るたびに気味悪い感じがしています。
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1月12日の野坂です。1月21日、22日は車検に実家に戻ろうと思っていましたが、ディーラーと日程合わず、敦賀で車検をすることになりました。
 
結果としては21日、22日もまだ咳き込んでいたので、まあ幸いでした。
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15日は「4年目のブログ」で書いたように、どんど焼に・・・会社の正月飾り、神棚の古いお札、絵馬、破魔矢と自分の交通安全やもろもろのお守りをお焚き上げしてもらいました。
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1月24日、朝の支度をしていて、窓からちらっと野坂が赤くなっているのが見えます。準備を中断して、カメラを持って外にでます。
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よ〜く見ると野坂の頂上に肩の小屋が黒く見えています。最近の「野坂岳一人旅」や「敦賀3山」さんのブログを拝見すると肩の小屋は雪の下に眠っているようす。おそろしい・・・
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1月27日だんだん雪が多くなってきます。昨年のような車が埋もれるほどのドカ雪になはならないけれど、毎日毎日ある程度の積雪が継続して降り積んで行きます。
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法面工事で待たされる間に交通監視人を入れて一枚。周りの樹々に乗る雪も増えてきました。
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1月28日は「やまとも」で利き酒会。部屋に閉じこり切りでは酒も美味しくない・・・とお散歩にでました。
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利き酒会のメニューは下記の通りでした。
    1. 奥の松(福島県)    「純米大吟醸」   :スパークリング
    2. 越前岬(松岡)     「月夜舟遊」      :しぼりたて生原酒
    3. 越前岬(松岡)     「火入純米」       :常温、そば酒
    4. 羽二重正宗(福井)  「燗上り純米」    :燗酒
    5. 白龍(上志比)          「純米 てきてき」  :冷酒
    6. 福千歳(福井)     「山廃純米大吟醸」 :大吟醸
    7. 北の庄(福井大和田) 「極」                      :大吟醸
    8. 聖乃御代(今庄)        「つるし柿酒」         :リキュール酒   
もったいないけど、いつも最後は飲めなくなってしまいます。
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<神楽の洋服屋さん>
 
飲み足りないメンバーが飲み続ける中、「みんなのごるふ」のメンバーの御子息が「Tree」でDJをやるとのことで、向かいます。途中で「COCO AZURE」を・・・
 
最近本当に夜遊びしなくなってしまって・・・随分御無沙汰しています。
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「Tree」の店内は盛会でした。自分の仲間内に「くまじい、遅いぞ」と文句言われて・・・皆自分が来たのをきっかけみたいに帰ると・・・まあ、一人でいてもしょうがないので一緒に帰ることにします。
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息子さん、ちょっと緊張気味にDJやってました。店内の水仙が見事でした。
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「Tree」のイベントでかかるような曲は自分にはなかなか理解できない分野。
 
最近YouTubeでParov StelarというDJ、コンポーザーを知って、少し聞きかじっているところではあります。
posted by くまじい at 20:32| Comment(0) | 遊歩道

2012年02月05日

あっふた みっどないと・・

昨日、最後の2011年の記事をアップして、なにか胸のつかえがおりた感じがして、放っておいた「くまじいノート」の整理を始めました。
 
削除された動画の代わりを探したり、歌手の公式ホームページを追記したりと・・・
 
Pentangle、 "Reflection"の記事を見直していた時に、Pentangleとしてのホームページが見つからないため、代わりにBert Janschの公式サイトを参照しておこうと思いました。
 
WikipediaでJanschの項を見ると(1943.11.03~2011.10.05)とかっこが閉じられていてびっくり・・・
 

昨年、肺ガンで亡くなったのだそうです。自分の音楽の嗜好の一部を確実に占めていた人でした。
 
ご冥福をお祈りいたします。
 
上の動画はBert JanschがAnn Briggsのバックをしている"The Time Has Gone"です。
 
と言いつつこの記事はJ.J.Caleをまともに聴いたのがこのブログを始めた後のYouTubeでした、というもので大分前に書きかけていたものです・・・
 
J.J.Caleについては名前は知っていても、まともに音を聴いたことがありませんでした。
 
昔アルバムジャケットを見て、グループ名だと思ったくらいです・・・今ではお気に入りになりCDも5枚ほど持つようになっています。
 
 
正直な話、You Tubeを知ってから、昔名前は知っていても音を聴いたことがなかったアーティストを聴いたり、ヒット曲しか知らなかった歌手やグループの他の曲を知る機会が大きく増えました。
 
自分は、おそらく、これからしばらくは一曲一曲をダウンロードするやり方にはなじまないでアルバムCD派のままでいると思います。
 
アーティストが「アルバム」という概念で作品を構成している限り、そのうちの一曲だけ切りだしてしまうことはしたくないなと。
 
・・・まあ、ぶっちゃけた話、アナログレコードのころからの沁みついた体質として、形としての「ジャケット」が欲しいというところがあって、デジタルデータだけでは満足てきない、というのも事実です。
 
こう言う人間にとっては、YouTubeで曲を聴き、気に入ると、その曲の入ったアルバムが欲しくなりCD購入数が増えているのですが、世の中の流れは、今、真逆なのだと思います。※
 
J.J.Caleにたどり着いたのはMarc Bennoを探していた時だったと思います。

<アルバム″Minnows″は大のお気に入りです>
 
Leon Russel繋がりでスタジオセッションの"I Got The Same Old Blues"に行き当たり、おっ、これはと惹かれました。
 
その後、上に貼りつけた"After Midnight"の演奏ぶりですっかり虜になってしまいます。これがレイドバックだ・・・と。(なにがレイドバックだか判っていませんが・・・)
 
動画を見ているとギターでイントロを演るJJの右手になにか白いものがあります。
 
煙が流れているのでどうも煙草を薬指と中指の股に挟んでギター弾いてる・・・
 
間奏に入ると一服するのでそうと判ります。
 
JJはEric Clapton が敬愛するアーティストの一人なのだそうで、彼が" After Midnight"を世に知らしめ、JJを紹介した形になっているとのこと。
 
正直いうとレコードヒットした時のEric Clapton"After Midnight"は彼がアメリカに来て一緒に演っていたDelaney &Bonnieを彷彿させるような曲調で、余り乗れないかんじでした。
(そう言えばDelaney Blamlettは4年も前に亡くなっています。1939.7.1 - 2008.12.27)
 
JJの演奏でこんなに良い曲だったんだ・・って・・・まあJJの色んな曲を多くのアーティストが採り上げていますが、自分にとっては、なんたってJJの演奏が一番です。※2
 
最近のファンのくせに生意気ですが・・・
 
実は一番この記事で書きたかったのは下の動画、JJとEricのコラボでの二人の様子です。
 
JJは1938年生まれで自分より10歳も年上ですから、今や腰は曲がり、唄う時にはスツールに腰掛けちゃいます。 
 

イントロが流れると、最初のソロを「Eric行け!」とJJがEricに振ります。
 
JJを敬愛して止まないEricが「ダメダメ、勘弁して、JJ。」と・・・Eric Claptonの人柄が何となく、偲ばれて面白いのです
 
下は最近気に入っている二人のコラボです。
<Eric Clapton with JJ Cale"River Runs Deep ">

※Marc Bennoのファーストソロアルバム"Marc Benno"はレアものの部類に入るようで、Amazonで3,800円出して購入しました。

CDのレア化はどんどん進んでいくのでしょう。何を探している時か忘れましたが、CDで4〜5,000円するものが iTuneでアルバム全体が1,000円程度で購入できるのを知り、ちょっと考え込んでしまったことを思い出しました。
 
えらそうにCD派と広言しましたが、徐々に自分の自由になるお小遣いも減っていくだろうし、ジャケットへのこだわりを捨てて、ダウンロード派に転向する時が確実に来るのかもしれません。
 
※2 実は・・・J.J.Caleの曲でも下記の演奏のようにオリジナル以外でもいいなと思うものもあります・・・
Maria Muldaur"Cajun Moon" Live
Lynyrd Skynyrd"I Got The Same Old Blues"
posted by くまじい at 11:58| Comment(0) | 音楽話

2012年02月04日

野坂山1210

正月に体調を崩し、土日はひきこもり状態、それでも仕事のために、三連休は会社に行ったりして写真整理も進まない日が続き・・・・
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なにも出来ないうちに1月が終わろうとしていると、本格的な寒波襲来で、敦賀の街の至る所に除雪の山が聳えたっています。
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<コブシは素肌をさらして寒そうです。>
 
「野坂岳一人旅」さんのブログを見ると今の野坂山は恐ろしいほどの雪の量で、とても素人が行ける状況じゃなさそうです。
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<雪の中でもお花とビールをお供えする人がいるようです。>

と、言い訳からはじまりますが、今回の12月10日の野坂山で、昨年の写真の整理がようやく終わります。
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<二の岳の北面の樹は霧氷の花満開。>
 
今の野坂山の雪の状況からはお恥ずかしいのですが、それでも霧氷の美しさは十分堪能しました。
 
ただ・・・なんとも、時間が立ち過ぎて記憶がよみがえってこないので、かなりはしょった山紀行になります。
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体調も2月に入り大分回復しましたし、これからは写真を余り溜めないでライブ感のある記事を書いて行こうかと・・・と言うと、嘘になりそうだからせめて2週間くらいのタイムラグで整理していきたい・・・
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12月9日、敦賀短大のクリスマスコンサートの翌日、街中は雪がありませんが、野坂はうっすら白くなっています。
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駐車場のところでいつも声を交わすオバサン・・・2年前に一の岳で撤退しようと座り込んでいて元気づけてくれたオバサンで、その後、「カメラの人」として記憶に残していただいているようです。
 
登り始めは一緒だったのに自分が三の岳を登っている時にもう下ってこられていました。
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登山口から杉林を抜けて沢道になるとうっすら雪化粧になります。葉をすっかりおとしたコブシの樹が春を待ち焦がれている感じ・・・
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宮本さん、「野坂岳一人旅」さん、名前を存じ上げないけど、いつもものすごい勢いで登ってるオジサン、と常連さん達がすれ違います。
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水場を過ぎるともう雪だらけになります。雨はなさそうですがそれ程天気はよくなくて、白山は望むべくもありません。
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ひたすら登って、一の岳を過ぎると二の岳の側面の樹々に霧氷の花が満開で真っ白です。これはあそこまでたどり着ければ・・・
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二の岳からは霧氷の林に夢中になって、脚が進まなくなります。
 
二の岳から三の岳に向う途中で雲が晴れてきて、霧氷が一段と綺麗になります。
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正直いうとこの日600枚を超える写真を撮ってブログに載せる写真を選ぶのに随分苦労しました。まあ選びがいのある写真がないから苦労すると言う面もありますが・・・
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自分が好きな写真は青空に霧氷が輝いているもので、まあ同じような写真があると選べずにだらだら並べてしまうことになります。
 
この青空に形の良い雲が混じるとなおさら良い・・・
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また霧氷の着氷した枝ぶりを上手く表現したいと思うのですが、なかなか難しい。
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撮っているうちにどこからどこまで切り取るのか、枝ぶりの収まりをどうするかとか訳が判らなくなってきます。
 
まあ、桜も紅葉もほとんど同じ状態で、一人興奮して空回りして満足しないまま終わります。 
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整理しているとこう言う写真が欲しかったなとか思い反省する時もありますが、現地ではその反省を忘れてしまいます。
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頂上についても避難小屋によることはめったになくなりました。以前は宮本さんの記録が楽しみて、必ず寄って確認したのですが、今のノートには記帳しなくなってしまったみたいで・・・
 
白山は雲の中で見えません、よく見ると遠くの伊吹や青葉山らしい山は形が判りそうです。
 
若狭方面のこの山は美浜の雲谷山(787m)です。(と思います。)
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よほどの雨か吹雪でなければ頂上で冷たいお茶でオニギリを食べて、30分くらいぼんやりして、身体が冷え切った頃、おもむろに降り始めます。
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この写真では判りませんが、西方も野坂と同じような白さでした。
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というところでようやく年が明けます。なんか重い荷物が片付いた感じ・・・謹賀新年です・・・
posted by くまじい at 19:11| Comment(0) | 山紀行

2012年02月01日

百済寺1203

天台宗釈迦山「百済寺」(ひゃくさいじ) にたどり着きます。大分暗くなりかけています。
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たどり着いた百済寺の紅葉ももう盛りを過ぎているのか、曇り空の夕方であることを差し引いても少しさびしい気がします。ここでも御朱印帳を預けます。
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百済寺の名前はちょっと異質な感じがしますが、当然百済国と関係が深いようで、推古天皇の御代に聖徳太子の御願により百済人のために創建された寺とされています。
 
百済寺のホームページを開くと御住職 濱中亮明の百済寺の縁起に関する文章が載っています。
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若狭に関連する話が出てきて興味深いので、要約して紹介させていただきます。
 
「弥生時代から多くの渡来人が韓(朝鮮)半島先端から日本海流に乗り若狭に漂着し、冬場の豪雪を避けて近江へと南下してきました。
 
彼らは当時の先端技術(製鉄、潅概、土木、建築 )や漢字、仏教などの先進文化を近江にもたらし定着させます。 5世紀ごろには愛知川の流域に水田地帯を築き上げていました。
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<仁王門>

6世紀の韓半島は高句麗、百済、新羅の3国がせめぎ合い、大陸には強大な隋が勃興し、国家間の均衡が不安定となり国境での軍事的衝突が恒常化します。 q1203326.jpg
 
軍事的に脆弱であった百済国王は、万一の事態に、国民を避難させる安全な場所として日本の飛鳥、斑鳩を考え、調査のために、高句麗より亡命した僧、慧慈を派遣しました。
 
慧慈が斑鳩に到着して目にしたものは、聖徳太子の元服式でした。
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慧慈は聖徳太子の資質を高く評価し、将来百済の危難の際に頼るべき人物として国王に報告します。
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<極彩色聖徳太子孝養像 百済寺ホームページ
 
国王は「太子の教育係を申し出て、仏教をはじめとする慧慈の持てる全知識を太子に与えよ」と命じ、慧慈は太子との間に緊密な師弟関係を築き上げます。
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慧慈は、教育の一環として斑鳩・奈良・宇治・紫香楽・湖東・湖北・若狭のルートで太子を旅案内して知識・教養・人格の高揚に努めました。 
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何故、若狭まで旅をしたのだろうか?
 
韓半島の先端から文物を乗せた筏を浮かべて日本海流に乗せれば数日で若狭に漂着します。即ち、百済の先進技術・文化の漂着ターミナルが若狭であることを知った上で慧慈は若狭を目的地に選んだと考えられます。
 
この斑鳩〜紫香楽〜湖東〜若狭ルートを筆者は『太子の道』と呼びます。
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この「太子の道」の街道筋には、渡来系、とくに百済系の人々の集落が連綿と点在し、今日でも渡来系を意味する地名が多く残っています。
 
また、若狭〜斑鳩を結ぶ「太子の道」には「お水取り」の東大寺二月堂があります。
 
松本清張は、若狭から通じる地下水脈の「清水」を奈良で汲み上げれば大和(日本)に愈々春が来る、と言う行事をもって、若狭に漂着した半島・百済からの先進文物(清水で象徴化)を汲み上げることにより、日本が近代化する(=春が訪れる)という意味だと推理しているとのこと。
 
少し象徴的に過ぎる気がしますが、面白い見方だと思います。 
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聖徳太子と慧慈が現在の百済寺の地を訪れた時に、山中に瑞光を見ます。
 
瑞光の基を訪ねると上部を切り取られた樹があった。切り取られたその上部の樹を用いて十一面観世音菩薩像が彫られ、百済の龍雲寺の御本尊に祀られたということであった。
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<千年菩提樹>
 
聖徳太子はこれぞ仏像を彫り出すべき御衣木(みそぎ)であるとして、下半分の樹に十一面観世音を彫り始めた。推古天皇14年(606年)10月21日であった。その時をもって百済寺の開基とされているとのことである。
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聖徳太子の彫ったこの像が秘仏、御本尊十一面観世音菩薩像となっています。
 
御本尊は公開されていませんが、下記の如意輪観音半跏思惟像が特別展示されていました。ホームページよりお写真をお借りしました。
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本堂は土足でそのまま上がります、内陣の前に赤と黄色の鐘馗様(?と思うのですが、記憶が定かでありません)がおられて、なんとなく異国の趣が漂います。
 
日本のお寺の格式ばった厳かな本堂ではなく、上海、台北のお寺で見たようなオープンな感じで大衆に根付いている雰囲気というのでしょうか・・・
 
ソウルではお寺に行った覚えがないので韓国のお寺のイメージがありませんが・・・
 
創建時の建物は残っていないのですが、当時の本堂は百済の龍雲寺を模して建立され、高句麗、百済の僧が勤めたということで、他のお寺とは異質な成り立ちということが言えるのかもしれません。
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紅葉は盛りが過ぎているせいなのか、もともとそれ程、紅葉の密度が低いのか、あまり目立つ感じではありません。ホームページを見ると紅葉より桜の季節がよさそうな感じがします。
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平安時代になると百済寺も天台宗のお寺となり、塔頭三百余坊を数える大寺院となり鎌倉室町時代に至ります。
 
その後火事により多くの建築物を焼失しますが、なお、まだ寺勢を保っていました。
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戦国時代、六角定頼が足利将軍家の管領代となり、近江蒲生郡観音寺城を本拠として近江一帯に一大勢力を築き上げます。その勢力は伊賀や伊勢の一部までにも影響力をおよぼし、六角氏の最盛期を創出します。
 
六角氏は近江の防衛上、観音寺城と並んで百済寺を城壁化して『百済寺城』とします。

さらに、近隣に鯰江城(森城)や青山城などの出城を築いていきました。 
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武田信玄の死により背後の脅威を断つことのできた信長は、京への道に立ちふさがる六角義賢・義治父子に攻めかかります。

六角と信長の対峙するなか、百済寺の宗徒は長年の恩義を重んじ、兵糧を六角氏に差し入れると同時に妻子を300坊に預かります。
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これに激怒した信長は百済寺焼き討ちを断行、百済寺は半月もの間、燃え続けたのだそうです。
 
御本尊以下数体の仏像と重要な経巻類を辛うじて奥の院に移動したのみで、他は全て灰燼と化しました。
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六角義賢・義治は織田信長に敗れ、居城である観音寺城を去り、甲賀に居を構えますが、歴史の表舞台からは姿を消すことになります。
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百済寺の300坊の石仏群や、石垣の多くは信長に寄り持ち出され、安土城に運ばれました。
 
お城の歴史としては百済城が山城の最後の形で、安土城は平城の最初の形であると言われているのだそうです。
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こうして、百済寺は参道脇に広がる平坦な千枚田のような坊跡地、持ち出された石垣趾の段差、旧本堂跡地、五重塔礎石などから往時の隆盛をしのぶだけになります。
 
その後、百済寺は信長から近江を与えられた堀秀政に復興され、さらに江戸時代に本堂、仁王門、山門が再建され、現在に至ります。
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境内の参拝を終えて、喜見院の庭園に来ます。
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建物と池周りはこじんまりとしていますが、庭園は斜面をうまく利用して、大きな公園風になっています。
 
喜見院庭園は江戸時代に造られましたが、建築物は焼失を繰り返し、現在のものは昭和の代に建築されたもので、建設時に庭も整備拡充されたのだそうです
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喜見院の庭園は一名「天下遠望の名園」とも称するのだそうです。
 
比叡山は真正面に見えるようですが雲が覆っており姿をみることは出来ませんでした。
 
湖東の安土城址、観音寺城址、鯰江城址等が俯瞰できます。
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御朱印をいただき、山門をくぐると陽はすっかり落ちて、永源時にはとても行けそうもありません。
 
それでも湖東三山はそれぞれが面白いお寺で楽しかったです。
 
これれば桜の時期に百済寺に来てみようと・・・
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posted by くまじい at 00:55| Comment(0) | 史跡巡