2011年11月27日

21年目の親睦会1014

1990年の秋、アメリカ、カナダの放射性廃棄物管理、原子力施設の「デコミッショニング」(略して「デコミ」、日本語では「廃炉」というけれど、炉でない施設も含む)の実態を調査して回る調査団に参加しました。
 
古きよき時代、「海外調査団」と言う温い風習がありました。まあ海外体験研修を兼ねたお勉強会というところです。だんだんと厳しくなり大っぴらに行けるところは少なくなってきたのではないでしょうか。
 
最初の訪問地はニューメキシコ州カールスバッドのWIPP(Waste Isolation Pilot Plant)でした。WIPPを日本語で言うと「核廃棄物隔離試験施設」という訳の判らない言葉になります。
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<TRU廃棄物隔離試験施設(WIPP) ニューメキシコ州カールスバッド>
http://www.wipp.energy.gov/index.htm

アメリカには、燃料加工、燃料再処理、原子爆弾製造などの製造、研究施設が多くあります。
 
それら施設から発生するTRU(超ウラン:核反応により生成する)は半減期が長く、それらに汚染された廃棄物を安全に処分する方法を開発するために始められた国家プロジェクトがWIPPです。
 
なるべく忠実に言えばTRU廃棄物等地下隔離処分の実廃棄物による試験施設というところでしょうか。
 
岩塩層は水の浸入がないことを示していること、また岩塩の物理的可塑性から亀裂封印効果が期待されることからニューメキシコ州の岩塩層が選ばれたということです。

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<WIPP施設概観 深さ660m、厚さ1000mの岩塩層に設置されている。>
http://www.wipp.energy.gov/index.htm

 
日本からノースウェスト航空でロスアンゼルスへ、飛行機を乗り換えてアルバカーキへ、さらに飛行機を乗り換えてカールスバッドへ・・・
 
ノースウエストのアテンダントが全員オバサンでがっかりしたこと、乗り換える度に飛行機がどんどん小さくなったこと、小さなカールスバッド空港で広大な平原に夕陽が沈んで行くのを見ながらとんでもない所に来てしまったなと茫然としたことを覚えています。
 
その時計算して確か計33時間の旅だった・・・と

カールスバッドのモーテルで近所に有名な鍾乳洞があるらしいことは知りましたが探訪する暇はありませんでした。
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Wikipedia
 
翌日、WIPPに行く途中の湖を通り過ぎると湖辺に生えている葦の茎の下の方に析出した塩が円盤状に固化していたのが頭にこびりついています。

調査団はその後、テネシー州ノックスビルに移動して国際会議を3日間、その間にオークリッジ研究所の「ウラン濃縮工場K25」の訪問をしました。
 
ノックスビルを後にしてニューヨーク州バッファローに移動して「ウェストバレー再処理工場」。
 
国境を越えてカナダに移り、天然ウラン使用で重水減速のカナダ独自の原子炉、CANDU炉のうち、閉止されて密閉保管されている「GENTILLY-1」と北上していきました。
 
10日間程度でしたが、移動につれて季節が進み、北に移動したこともあるのだと思いますが、カナダでは寒さが厳しくなっていました。ヨーロッパの香り豊かなオールドケベックを震えながら歩きました。
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<お客さんとの打ち合わせの後、ロートレック展で時間つぶし、銀座まで歩きます。>
 
団長の気さくなお人柄に惹かれて、和気あいあいとした調査団になりましたが、さらにノックスビルでゴルフをしたのがきっかけで日本に帰っても続けたいと・・・
 
以来、多い時には1年に2回も行う年もあって、ゴルフと前夜の宴会がセットで延々と継続してきました。
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<東京国際フォーラムは「さだ まさし」のコンサートが開かれる様でした>

仕事の関係で宴会には出られないことがありました。ゴルフ自体も何回か欠席していますが、徹夜で報告書作成して、ゴルフだけに参加した覚えもあります。 
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<東京国際フォーラム>
 
定年で、業界との関わりも薄くなる人もいて、体力も衰え、ゴルフはやらないけど、宴会だけと言う人もでてきました。自分はまあ、気負わず、気楽に、懐かしいお顔に会いたい気持ちで参加を続けています。
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<久しぶりの銀座でした>
 
311が起こり、業界的には集まり難い状況で、自分からも声をかけにくく、遠慮していましたが、会長からとりあえず懇親会でもやるか、と言うお声掛けがあり、喜んで・・・
 
8月の手術以来、本格的な酒の復活日という記念すべき日に、幹事さんが設定してくれた銀座天国に8人が集まりました。
 
集まると、もう、20年前の調査団の思い出話が飛び交います。
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<クリックしても大きくなりません>
  
これからも細々と会は続けて行こう、次回の幹事は「くま」がやれと・・・ありがたくお受けして、記念撮影で閉会しました。
posted by くまじい at 11:29| Comment(0) | 茶話室

2011年11月24日

逆さ敦賀富士

3か月ぶりでクラブを握っての武生カントリーで93が出て、「おれはやはり上手いんだ。」と思ったのもつかの間のことでした。
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練習もせずに臨んだ20日の「みんなのごるふ」で110、23日の某コンペで112と結局いつもの自分に戻ってしまいました。やはり練習を適度にして行かねばと反省です。まあやり過ぎると雑になる面もありますが・・・
 
20日のゴルフは雨半分、昼の「宴会?」の時にはものすごい降りになり、「もう止めよう!」「行きたくない!」などジジババがカシマシイなか、コンペは続行。
 
気温がかなり下がってきて寒かったけれど雨は上がり、「止めんでよかったの〜」と・・宴会は盛り上がりました。
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自分が「ウタ」さんで見つけて、持ち込んだ「花垣(銘を忘れました)」、ワイン樽で風味を付けて、コルク栓仕上がりの日本酒、結構好評でした。
 
独特の香りで美味しかったのですが、味より雰囲気とセンスでアピールしたというところなのか・・・という気もしました。 
 
天気に恵まれた23日の某コンペには「ウタ」さんが力を入れている「白岳仙」、福井市の安本酒造の袋絞り純米大吟醸を差し入れとして持参しましたが、まろやかさに脱帽!と言う感じで、美味しいお酒でした。
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最近、自分の部屋では「幻の刈込池」の時に花垣で買ってきた「棚田米純米吟醸」を美味しくいただき、「超熟純米古酒」がスタンバッています。
 
量は以前より飲めなくなっている気がしますが・・日本酒が楽しい季節になり、ウキウキ。
 
これはまた、敦賀にいてこそ味わえる季節感かもしれません。
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と、またまた前振りが長くなりました・・・雨のゴルフの翌日、21日の月曜日は敦賀に冬到来の霰混じりの雨と風が吹き荒れる一日となりました。まだまだ本格的ではないけど冬が顔を出し始めてきました。
 
明けて22日の朝、野坂が朝焼けに燃えています。
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早めに部屋をでたので、久しぶりの野坂遠景を・・・昔はFujifilm FinePix S8100 をバッグに入れていましたが、嵩張ってしょうがないためNikon Coolpix P300に変更しています。
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最近、お出かけの時にはKiss4を持って行きますが、ゴルフ、雨の登山などじっくり構える余裕のない時には操作性からFinPixを持って行き、普段はバッグの中にP300を携行、と言う使い分けをしています。

「キタムラ」でカメラを購入して、メルマガ送られてきますが、過日、紅葉の撮影には広角を、という記事があり、無性に欲しくなってきているところです。
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野坂を撮って振り返ると三内山が鉛色の空の下で輝いていました。アパートからは障害物があり、三内山の撮影は難しいので諦めていざ出勤。(下の写真は清掃工場側から撮ったものです)
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清掃工場の前を過ぎようとすると野坂が池の向こうに見えています。
 
前々からいつかと思っていた「逆さ敦賀富士(野坂)」の絶好のチャンスと車を止めて撮影しました。
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まだ、10月の記事が残っているのですがなかなか進まず、うんざりしてきて、もう全部没にしてしまおうか・・・とキレ気味に・・・
 
まあ、そう言いながらちょっと帰りが遅くなると、夕食造るのが面倒で飲みに行ってしまうので作業はしないし・・・
 
「逆さ野坂」の22日もアパートに着いてから、「一」に出かけてしまいます。
 
マスターが、震災の影響でなかなか入らないと言っていた戻り「カツオ」がホワイトボードに載っていて即注文。アナゴの白焼きと共に美味しくいただきました。
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posted by くまじい at 06:46| Comment(0) | 遊歩道

2011年11月13日

武生カントリークラブ1112

7月の「みんなのごるふ」例会以降、手術後の体調不安から、ゴルフから遠ざかっており、「杉の木台」で開催予定だった9月例会もキャンセルさせてもらいました。
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「みんなのごるふ」は春から雪の来るまでの3月〜12月の間に2カ月に1回程度に開催されるコンペで、12月に忘年会コンペをして、年度を終了するものです。
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企画とメール連絡だけを担当するという省エネ型を前提に世話役をやらせていただいています。
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もう一つ世話役をしているコンペがあって、春の例会を「さくらさくらマーク.bmpさくら」、秋の例会を「もみじmomijinokakikata152.jpgもみじ」と名付け、年2回開催されるものです。 
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こちらは「五縁」の常連の仲間内で実施されています。まあメンバーは自分の廻りの知人達が集まるのも多く、大分顔ぶれは重なるのですが・・・ 
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10月10日に「もみじmomijinokakikata152.jpgもみじ」は開催され、自分はプレーしないで幹事だけにとどめました。
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ということで7月以来、ゴルフはご無沙汰しているのですが、11月20日(日)に再度「みんなのごるふ」の例会が迫ってきました。
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こころ優しきNさんから練習ラウンドのご提案をいただき、いよいよやるかと・・・
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ゴルフシーズン真っ只中で「わかさ」も「敦賀国際」も断られ、「武生カントリークラブ」の7時半からがようやく取れた、出発は5時55分との連絡をいただきます。
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前夜は割烹つか田で宴会で、黒龍の季節の吟醸酒を飲んでいささか酔いがまわります。
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酔いと疲れで、布団も敷かずにそのままの服装で寝入ってしまい、朝を迎えます。気が付くと4時半・・・もう一回寝ると危ないかと、起床します。
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お約束の5時55分に迎えに来ていただき、8号線を走っているとガスだらけに・・・
 
スタート時は視界100ヤードというところでした。
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2打目の位置に行くとぼんやりとグリーン上の前のプレーヤーがいるので待っています。
 
後ろから打ち込まれないかちょっと恐ろしい。まあスタート地点にはゴルフ場の係り員が立っていましたので、大丈夫だろうと・・・
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それでも2番のドライバーを打つ頃には晴れてきて、霧の切れ目に青空が見えてきます。
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その後は気温も高く、気持ちのいいゴルフになりました。
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練習もしていなかったので、恐る恐るクラブを振ります。来る前はドライバーを振るのは怖いからアイアンだけでラウンドしようかなどと考えていました。
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最初のドライバーの当たりは今一でしたが、ともかくフェアウェイをキープしてくれたのでホッとします。
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アウトの一番は3オンの1パットでパーと好調な出だしで、前半がパー4つ取っての43と久しぶりの40台前半でした。
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練習に行かない方が調子好いというのか、内臓を一つ取ると良くなるというのか・・・
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思い切り振るのは怖いから、肩を廻すことと、膝が上下に動くのを気を付けようと・・・まあそれが何時ものメチャクチャなスィングを少し是正してくれたのかもしれません。
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後半もスルーで廻れとのことで、休憩無しでインに廻ります。
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まあだんだんと、ボロが出てきて、得意の「アプローチダフリ」が出始めて、集中力も散漫になり始めます。
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結局インではパーが一つしかでずに、何時もの調子に戻り、それでも49とまあまあ・・・
 
最近のスコアは110を超えるのが常でしたので、久しぶりの90台前半と上出来のスコアでホッとしました。
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これでその気になって練習をするとまた力みが出てきてダメになるのかしら・・・練習行こうか止めようか・・・ 
それにしてもまともに最後まで廻れてホッとしました。付き合ってくれたNさん、Tさんに感謝です。
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随分久しぶりの武生カントリークラブでしたが、フェアウェイもグリーンも随分手入れが良く、綺麗になり、いいゴルフコースになったなと言う印象でした。
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スルーで上がったのが12時半、もうハーフと思いましたが、2時間半待ちとのこと。
 
とても待つ気にはなれず、諦めてゆっくり風呂に入り、昼食に、武生の「遊亀庵かめや」さんでおろし蕎麦を・・・
 
初めて行きましたが、丸麺で太くて歯応え充分、超辛の大根おろしと相まって美味しい蕎麦でした。
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まだ早いけど、五縁に電話して、マスターにお願いして、3時半から飲み始め、途中気を失ってそれでも最後は元気になって8時頃にご帰還しました。
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posted by くまじい at 18:13| Comment(0) | 娯楽歩

2011年11月07日

幻の刈込池1104

11月4日は本社の指定休日。
 
お客さん相手の事務所の都合もあるので、カレンダーにない休みの場合は休むかどうかは都度決めていますが、今回は仕事の谷間になることが判ってきたので、本社に合わせて、休むことに。
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皆の休みの計画もあるし、もっと早く決めたかったけど、なかなか長期展望を立てることができず、様子見ながら計画せざるを得ないのでやむなしです。
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本来であれば、先週末は仕事が一段落するはずだったので、日曜早朝に白山スーパー林道を歩くツアに申し込んでいましたが、仕事の予定が変わり、断念。
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一里野温泉「岩間山荘」に宿泊して紅葉と熊鍋を楽しむ予定でしたが急遽キャンセルしました。
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今週、一週遅れで休むことが出来たと言うわけです。
 
全て終了、と言う感じのすっきりした終わり方ではなかったけれど、この歳して夜勤業務までした疲れが溜まっていて、少し休ませて欲しい・・・と言う感じです。
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突然の4連休ですが、初日の3日は疲れが残っていて休みたい気持ちと天気があまり良くなさそう。
 
土日の天気予報は雨です。
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4日が一番天気がいい・・・世間は休みじゃないし、人出も少ないのでないかなと・・・ここが落とし穴でした・・・
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前から行きたかった刈込池の紅葉に行くかと・・・福井新聞に刈込池の道に土砂崩れがあり、通行禁止になっているが、紅葉最盛期の6日(日)までの土日、祝日には解禁しているとの記事を読みました。
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今考えれば至極当然なことなのですが、4連休のうち4日(金)だけが「平日」だということに思い至りませんでした。
 
というより、飛び石だから休みの扱いだろうという勝手な思い込みもあった様な気がします。
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7時半に敦賀を出発します。サークルKでドライブ用のお茶とちょっとしたスナックを購入。
 
昼飯は、刈込池から戻って鳩ヶ湯で食事すればいいかと、用意せずにでかけます。
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北陸道を北上しているとガスで視界が悪くなります。
 
南条サービスエリアでトイレと朝飯タイム。大分晴れてきましたが、日野山の足元がガスってます。
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大野を抜けて、158号を走ります。
 
ナビが何も言わなかったので荒島に登るときの勝原に向う九頭龍方面を走ってしまいますが、ナビの示す道路からずれて行きます。
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ちょっと手前の分岐に「鳩ヶ湯」の文字があったなとUターンします。
 
ナビの奴「真っ直、真っ直」っておかしいだろって文句たらたら・・・ナビは鳩ヶ湯に向う道をメインとしていると言うことだと思います。
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しばらくすると大分道が狭くなりますが、なんかそれらしくなってきて、うきうきし始めます。
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<途中の橋を渡ったところで>
 
途中で降りて写真を撮っていると地元の人達が「なにをこんな面白くもないところで・・・」という目つきで通り過ぎて行きます。
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<橋から川を覗きます>

しばらく走ったところで鳩ヶ湯に到着。橋の向こうに遮断機が付いていて通行禁止になっています。
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<赤兎山は橋の向こう側から左手にある急階段を登ります。>
 
鳩ヶ湯の前に駐車して山仕度をしている人がいました。
 
「三の峰に登りに来たんだけど、土日、休日しか通してくれないんだよ。歩いてもダメだって・・・」
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<鳩ヶ湯から遠くの山を・・何山か判りません>

えっ、そんな、ちゃんと新聞で確認してたのに・・・って、新聞記事の内容を思い出し、そう言えば俺は休みだけど世間は平日だ・・・と改めて気が付きます。
 
遅いって・・・
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<鳩ヶ湯> 

万全の企画のはずが・・・天気が良くて、空いてて・・・でも平日だと・・・
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<鳩ヶ湯>
 
今までも道に迷ったり、忘れ物したりと危ないこと連続の山歩きばかりで、偉そうに山紀行などとカテゴリ設けている資格がないというべきところです。
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<鳩ヶ湯の前に咲いていた花> 

それにしても、だいたい、3日〜6日までの間のたった一日、工事休んだっていいじゃないか・・・と逆切れしそうになります。
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ダメ元で、遮断機のおじさんのところに行って「歩きで行かせてくれないのか?」と訊きに行きます。
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刈込池まで、まだ10kmはあるし、工事の現場は通れそうもないこと、一人だけ許可することは自分の権限ではできないと。
 
まあ当然なことです・・・工事が遅れていて必死なのだそうです。
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山仕度をしていた人は赤兎山に目的地を換えて向うのだそうです。「3時間ぐらいでいけるかな、勝山から登った方が楽なんだけどね。」
 
俺は楽な方から登る方だよな・・・日ごろ1000m以下に慣れていて、1628mという高さにちょっとびびります。
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案内図を見ると頂上まで8km、ベテランが3時間なら、自分はどれくらいかかるのか・・・ 
 
最近購入した「新・分県版登山ガイドNO19福井県の山」(山と渓谷社 宮本数男偏)によると、勝山から登って、鳩ヶ湯に降りるコースが紹介されていて、下りで2時間10分になっていました。
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今まで一番長い山歩きが、アパートから歩きで市橋まで行き、岩籠に登って、山部落におりて歩いて帰ってきた時・・・ほとんどが平坦な道で10-15kmくらいだったのでしょうか。
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往復16kmの山登りは、自分にはちょっと荷が重すぎる感じ。
 
しかも前からの準備もなく、昼飯も用意していない・・弁当は無理やり頼めば鳩ヶ湯で手配できるのかもしれないけど・・・
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・・・実際には、自分が歩いた前半は大した登りはなく、平坦な道を歩く感じでした。後半はわかりませんが、カメラに捉われなければ、手ごろな登りだったかもしれません。
 
そんなことはまだ判らずで迷い続けます。
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今日は九頭龍に行き、戻って鳩ヶ湯に宿泊し、明日朝、刈込に行く、九頭龍から郡上八幡に行って泊まる、など・・・色々考えましたが、明日の天気予報は雨模様で今日一日を楽しんで帰った方が懸命だなと。
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赤兎山の登山口が紅葉しているのが見えます。頂上にこだわらず、赤兎山に向って紅葉が綺麗な所まで登ってみようと、ようやく決断して行動に移ります。
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登山靴に履き替えていると、鳩ヶ湯のおっちゃんが野草を採りにでてきます。 
 
「日帰り風呂はあるんですか?」「おお、あるよ。10時から2時までだから、もう入れるよ。入っていきなよ。」
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・・・って、こんな状態で朝から風呂に入る気も起きない・・・「少し歩いてきて、入らせていただきます。」「おお、2時までだからね。」
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自動販売機で山歩き用のお茶を購入していると、大阪NO.のご夫婦がやってきます。
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通行禁止を見て、こちらに訊いてきます。「どこ行くんですか?」「赤兎の途中まで歩いてみようと思っています。」「それじゃあ、我々もそうしよう」って・・・
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気温が高そうで、半そでのTシャツになって登り始めます。
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サングラスを持っていたのですが、例のごとく(?)どこかで失くしてしまいました。山でサングラスを失くすのはこれで4個目だと思います。
 
汗をかいて曇るので外して失くすということを繰り返しています。なにかいい固定方法がないのでしょうか・・・
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しばらく舗装された林道を歩きます。林道沿いのところどころに紅葉が綺麗なところがあり、そのたびに写真タイムがあって、遅々として進みません。
 
杉の樹の間伐をやっていました。小さい樹はチェーンソーでそのまま切り倒しますが、太めの樹は切った部分に楔を打ち込んで倒すようです。
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さらに歩き続けると林道脇に赤兎山登山口の標示があります。ここからは山道になります。
 
ここまでで紅葉に興奮して時間がかかっていて、もう12時半です。風呂に入るためには1時半までには帰らなければ行けないとかと思います。
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風呂より紅葉だなと、風呂の時間は無視して、3時頃を目途に行ける所まで行こうと登山口から登り始めます。
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前記したように、登りは緩やかで、それ程厳しい感じではありません。刈込池込で鳩ヶ湯に一泊しに来るのもよさそうだなと、単純な男はすぐに宗旨替えを。
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大阪のご夫婦はちゃんと昼食を持っておられて、のんびり上がって行くと途中のベンチでランチタイムしていました。
 
「この先、後、小一時間歩くと紅葉が綺麗なところがありましたよ。写真一杯撮って帰って来たところです。これからお風呂に入りに降りようと思います。」と。
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「紅葉を楽しみたいので、お風呂は諦めます。」と挨拶して、空き腹を抱えながら通り過ぎます。
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ご夫婦が言われていた綺麗な場所と思われる場所に到達。
 
手前に鳩ヶ湯から2.6kmの表示がありましたので、3 kmくらいの所だと思います。写真をたっぷりとって、もう少し先まで行ってみようと進みます。
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枯れた沢を渡って暫く行くと、また、紅葉がきれいなところがありました。写真を撮って先に歩きますが段々と色が緑一色になってきたのと、3時に近づいていましたので、諦めて引き返します。
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誰も居ないと思っていた登山道でしたが、登ってくる人が一人・・・「えっ、これから登るんですか?」「えっ?そうだけど」と当たり前のこと訊くなと言う感じで不思議そうな顔をされてしまいました。
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降りてくる人には3人ほどお会いしました。いずれにしろ単独行の人ばかりで団体さんには会いませんでした。
 
平日だから人が少ないのでしょうか、休日は様子が違うのかもしれません。
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山登りとしては中途半端だし、刈込池に期待していた周囲全部紅葉と言う感じではありませんでした。
 
でも、部分的ではあっても紅葉は綺麗で、たっぷり楽しめて、写真を撮りまくり、とうとう1,000枚を超してしまい、雨の土日は写真整理で時間がつぶれました。
 
赤兎山あるいは周辺の山への色気もでてきて、楽しみが増えてきました。 
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帰りに大野の街中により、花垣で「調熟純米古酒」と「棚田米純米大吟醸」、ついでに粕漬けと奈良漬をゲットしました。

考えて見ると昼飯抜きで、あまりにも腹が減り過ぎて、途中のローソンでハムチーズパンなるものを一個買って食べました。
 
味が濃くて、なんとなく口の中に後味が残ってしまい、ちょっと気分が悪くなります。
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敦賀に戻り、五縁で食事をと・・・でも気分悪く、「一の蔵」1合で、2合目は干せずに引揚げました。
 
パンで気分が悪かったせいか、あるいは次の日は身体が痛くて動けなかったので、疲れが大きかったのだと思います。
 
写真の整理方法の一つとして、試しにムービーメーカーで初めて動画を作成してみました。
 
動画と言うよりはスライドショーですが・・・サイドバーにも貼りつけてみましたがここではサイズの大きい版を載せます。
posted by くまじい at 21:56| Comment(2) | 山紀行

2011年11月05日

黒河川遡上0924

昼飯を野坂のそば屋に食べに行って、かねてから歩いてみたかった黒河川をぶらぶらしてみようと。
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まだ山登りには自信が出ないのですが、もしたどりつければ乗鞍か三国を覗いてもいいかなと・・・かなり手前で帰ってきましたが・・・
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山にむかう途中、野坂山を撮りながらのんびり走ります。高速道路の建設が進んでいます。
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野坂に登る道が渓流沿いになっており、なんとなく登山道の反対側の岸べを歩いて行けばマキノに行くものと思い込んでいました。
 
当然のように野坂登山道の方に入ってしまい、「かかし」さん・・・ではなくて中で作業していた人に訊くと、登山道側に曲がらないで真っ直ぐいけばいいと・・それが黒河川になるとのこと。
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黒河川沿いに行くのだから黒河川を離れると考える方がおかしい・・・
 
「福井県みどりのデータバンク」に下記の説明があります。
 
「黒河川は,滋賀県との県境にある三国山(標高876m )と乗鞍岳(標高866m )を源として,敦賀市を北上し笙ノ川と合流して,敦賀湾に流れ出る河川である。
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<通行禁止解除の看板のところに地図がありました>

 
山間部を流れるその上流部のほとんどは国有林となっており,過去に何度かの伐採が行なわれている。
 
伐採後,スギなどの植林が行なわれてはいるが,現在は広葉樹との混交林となっている。まだブナ林などの天然林が広く存在しており,多くの鳥類の生息が確認されている。

特にタカ目では,サシバ,オオタカ,ハチクマ,ハイタカ,クマタカが記録されている。」 
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<上の地図を見ると本流を歩く林道のバイパスになっているようです。>
 
通行禁止解除なのでもっと先まで車で行けるみたいですが、車が一台停まっていて、ここから歩く人もいるのかなと、自分も車をここに置いて行くことにします。
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歩き始めは左手の林の中が湿地帯になっています。周りを山で囲まれていてその水が黒河の湿地帯に一気に集中しているような感じで、豊かな水が湧いています。
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会社の人間が夏にバーベキューをしたと言う話を聞きました。遊べそうな河原があちこちにあります。学生時代であれば秋の芋煮会に最適な場所になったところです。
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人工的な石積みがあります。道を確保するための整備がされていたということでしょう。
 
塩津街道、海津街道は岩籠山の向こう側になりますが、この道も海津、マキノに抜ける道として利用されていたということなのでしょうか。
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できれば乗鞍、三国の登山基地になる、旧営林署駐車場までたどり着きたいと歩きますが、大分先になりそうです。
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岩山の風貌が・・・
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池の河内の湿地帯に生えている樹はハンノキということでした。写真の右手に見える、中州に生えている樹もそうなのではないのかと思います。
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うまく写真に撮れないのですが、こう言う雰囲気は落ち着きます。中州に渡って、ぼんやりしていると半日は過ごせそうな気がします。椅子と本と音楽があれば、一日でも・・・
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何人かの釣り人が来ているようです。登山の人は皆営林署まで車で行って車を置き山登りでしているのでしょう、誰にもあうことはありませんでした。
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「カカシ小屋」のおじさんの話によると、営林所駐車場までは行けるけど、滋賀県との境にロープが張ってあって車ではマキノに抜けることは出来ないだろうとのことでした。
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このバイクの人はどこかでUターンして帰って来たものですが、ネットで見ると、黒河からマキノへ、あるいは逆のバイクツーリングを楽しんできて、ブログやYou Tubeで報告している人達がいました。
 
車が少ないしバイクツーリングに向いているのかもしれません。
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敦賀山友クラブの「鬼ヶ滝登り口」の案内があります。今回はパスして先を急ぎます。
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関西電力原子力事業本部「越前若狭ふれあい」に鬼ヶ滝の写真が載っていました。これは一見の価値ありそうです。(拡大できません)
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少し先に道路の陥没が・・・車で来てたらちょっと緊張するところです。
 
道路がでこぼこで普通の乗用車だと腹をするという話も聞いていたので、様子を見るために車を大分前に停めて歩いてきたと言う面もあるのですが、車で来ていたら、どうしたでしょうか・・・
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鬼ヶ滝程ではありませんが、小さい滝はあちこちにあるようです。
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大分陽が落ちてきました。目的は全然果たせませんでしたが、今日は諦めて帰ることにします。
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車を置いた場所まで戻ると、手入れは全くされていない感じの可愛い神社がありました。前出の関電のサイトによると「山の神」とのことです。 
お参りして帰路につきます。
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来る時に気になっていた「石割大地蔵」にお参りに行きます。
 
西国八十八ヶ所の第三十七番札所の表示がありました。岩の地蔵さんの隣に本当のお地蔵さんがおられましたが、こちらが大地蔵さんだと思います。
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森と水たっぷりのお散歩道で自分には満足な歩きでした。 
季節毎の色んな顔を見にくるのも楽しそうです。雪がくればスノーシューも楽しめるかもしれない・・・
 
いつか全て歩きで三国、赤坂を抜けてマキノまで歩いてみたいと思っています。
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posted by くまじい at 13:32| Comment(0) | 山紀行

2011年11月04日

港街舞鶴

赤れんが博物館から港の方へ抜けるとすぐに「海軍ゆかりの港めぐり遊覧船」乗り場があります。
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遊覧船は海上自衛隊OBのガイドによる説明をききながら湾内を一周するものですが、カメラを構え易いところと思い、確保した場所は案内が全く聞こえませんでした。というより、スピーカの配置が悪く、ほとんど一部の人しか理解できなかったのではないでしょうか・・・
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観光船や駅でもらった舞鶴のリーフレットを参考に自分なりの解説を・・・
 
「舞鶴港は古来より、北前船の寄港地として知られ、日本海側において有数の商業港として栄えていましたが、明治34年の海軍舞鶴鎮守府開庁により、軍港としてさらに飛躍的に発展します。

日露戦争の際、旗艦三笠他、ほとんどの船がここ舞鶴港から出港したことが知られています。
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戦時中も東港が軍港として整備され、西港は貿易拠点港として整備され、朝鮮や満州への定期航路を有するまでに発展しました。
 
終戦を迎え、旧満州をはじめとし、中国、樺太、千島などに350万人の兵と、310万人の民間人が取り残されます。それらの人々の引揚が昭和20年から一斉に始まります。途中からは舞鶴港が唯一の引揚港として、シベリア抑留からの引揚者等を引き受け続け、昭和33年に最後の472人が上陸して引揚事業を終了します。」
 
舞鶴は66万人の引揚者と、1万6千柱の遺骨を迎え入れました。その歴史を振り返るために引揚桟橋が復元されています。
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<イージス艦みょうこう:後ほど桟橋まで行き、間近に見ました。>
 
舞鶴港は現在は大きく2つの港に分れており、東港が海上自衛隊舞鶴地方総監部が鎮座する軍港、また近畿圏と北海道を結ぶ長距離フェリーを中心とする国内貿易港として機能している。
 
西港は対中国・韓国・ロシアなど対岸諸国への定期コンテナ航路をもつ国際貿易港として位置づけられ、東西港の機能分担のもとに発展をつづけている。(もう一つ漁港もあり、実際には3つの顔を持つと言えるのだそうです)
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湾の突き当たりは日本板硝子兜葬゚工場になります。
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画像の奥に見えるのが舞鶴クレインブリッジ。橋の右手の袂に引揚桟橋、引揚記念館・記念公園があります。
 
赤れんが博物館に戻ってバスを待てば行けるようですが、今回は「岸壁の母」系はパスさせてもらいます。
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海上自衛隊舞鶴総監部舞鶴航空基地、えらく暑いとはいえ、もう夏とは言えない感じの青空と白い雲が頭上に広がっていました。
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「マルコポーロ号」。Navios はスペイン語で船の意味のようです。
 
船籍はパナマとなっていますが、これは先進国内の高額の税と厳しい検査基準を逃げる常套手段で、潟pナマ船籍会社所有の船のリースを受けていると言うことなのでしょう。
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潟pナマ船籍会社は保有船数5,000隻を超え、その9割が外国へのリースされており、主要な海運国が多く利用しています。うち、日本のリース船数は1,200〜2,000隻程度とのことです。(Wikipedia)
 
ここ舞鶴でメンテナンスをしているということは、あきらかに利用しているのは日本の会社と言うことなのだと思います。
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貨物船かなと見ていましたが、艦尾に潜水艇のようなものが設置されており、特殊な用途の船なのかもしれません。
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雄大なスケールで気持ちが解放されます・・・
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ユニバーサル造船側に自衛艦が停泊しています。「自衛艦」「143」で検索すると下記の記事がありました。
 
しらね(JS Shirane, DDH-143)は、海上自衛隊の5200トン型ヘリコプター搭載護衛艦。しらね型護衛艦の1番艦。艦名は白根山に因む。
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2007年に横須賀に停泊中、CIC(戦闘指揮所)から出火、8時間後に鎮火するも、計器、コンピュータ関係が全損状態となった。海水消火の影響が大きかったという説もあるとのこと。
 
出火原因はCICに持ち込まれた「保冷庫」の使用電圧が異なったため、過熱で発火したものと考えられている。
 
廃船が検討されたが、同時期に廃船を検討されていた「はるな」から必要部材を移植し、「はるな」は「しらね」に魂を預けた形で、廃船となった。
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ユニバーサル造船鰍フ施設の一部。この部分の岸壁は明治30年代初頭の石積護岸となっているのだそうです。これも公開されていません。
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「はやぶさ」(JMSDF HAYABUSA PG‐824 )は日本の海上自衛隊が保有する改良型ミサイル艇。
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1999年に北朝鮮スパイ船と考えられる2艘の領海侵犯した不審船を追い切れずに、逃がす結果となった「能登半島沖不審船事件」を契機に、改良型ミサイル艇として建造されたもの。
 
本格的な侵略事態における対艦ミサイルと主砲を活用した対水上戦闘はもちろんのこと、不審船対処も考慮に入れた性能向上が図られている。
 
船体強度や耐航性確保、高速時における安定した航行のため、船底をV字型とし、船体の長さに対し幅が狭くなっている。

また、3基のガスタービンエンジンを用いたウォータージェット推進により最高速44ノットを達成。
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遊覧船を降りて、「海軍カレー」のランチの後、赤れんが倉庫群を抜けて北吸桟橋に到着します。
 
受付で登録して、いざ「みょうこう」の見学と思いましたが、本日は一般の見学は無いのだそうです。
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<まつゆき(JS Matsuyuki, DD-130)はつゆき型護衛艦>
 
普通の土日だと、いずれかの艦の公開が必ずあるのだそうですが、今日は「みょうこう」の家族公開日で、一般の見学を受け付けていないのだそうです。
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残念ですが、体調も今一で、まあまたの機会にして、今日は岸壁からの見学に徹します。
 
「みょうこう」(JS Myōkō, DDG-175)はイージスシステム搭載護衛艦「こんごう」型第3番艦。
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イージスシステム(AWS)というのはアメリカで開発されたもので、レーダーなどのセンサー・システム、コンピュータとデータ・リンクによる情報システム、ミサイルとその発射機などの攻撃システムなどが連結された総体を言う。
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AWSは防空に限らず、戦闘のあらゆる局面において、目標の捜索から識別、判断から攻撃に至るまでを、迅速に行なうことができる。
 
本システムが同時に捕捉・追跡可能な目標は128以上といわれ、その内の脅威度が高いと判定された10個以上の目標を同時迎撃できる。
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きわめて優秀な情報能力をもっていることから、情勢をはるかにすばやく分析できるほか、レーダーの特性上、電子妨害への耐性も強いという特長もある。
 
高性能ゆえに高価であり、イージス・システム全体としての価格は500億円、船一隻で1223億円・・・
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「みょうこう」は平成21年にBMD(ミサイル防衛)能力を付与され、弾道ミサイルの迎撃も可能にしている。BMD改装費が300億円ということで、イージス艦一隻当たり1500億円ということになります。(何故かWikipedia に価格がしつこく書いてありました。)
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「こんごう」型イージス艦は「こんごう」「ちょうかい」「きりしま」と「みょうこう」の4艦、新世代の「あたご」型が2艦の合計6艦のイージス艦が備えられているのだそうです。 
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「みょうこう」も普通であれば、一般の人に公開していますし。今日でも岸壁からの写真は自由。

どころか乗員の隊員達は平気で記念撮影に応じています。開放的にするということが彼らの使命感としてあるもかもしれません。
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もう少し「機密」とか、「制約」とかの雰囲気を予測していましたが、開けっぴろげの接し方に肩すかしの感がありました。
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桟橋の入り口のところにあるコンビニに、海上自衛隊関連の記念品が置いてありました。調子の悪いくまはトイレを借りてちょっと気分が収まり、水と碇マークのキーホルダーを購入。
 
海軍記念館まで歩こうと思いましたが、ちょっとそこまでの元気がでなくて、来た道を帰ります。
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赤れんが倉庫を見るために上がった文庫山学園は見晴らしがよく、青葉山が良く見えましたし、舞鶴湾を一望にみることができました。
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次回は西舞鶴方面を中心に今回見れなかった部分を補完しながら来てみたいと思ます。
posted by くまじい at 00:32| Comment(0) | 遊歩道

2011年11月03日

赤れんが倉庫群

暑気あたりのせいか、いささか疲れて、赤れんが倉庫群に到達します。
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<赤れんが倉庫群への地下道>

市役所の周りにある倉庫群は舞鶴市政記念館まいづる智恵蔵および赤れんが博物館(舞鶴観光ネット)以外は工事中で囲いに覆われて居て、近づくことはできません。
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<左(市政記念館)右(智恵蔵)ともに明治35(1902)年竣工の兵器庫>
 
後程、回ったその他の倉庫群も、建物どころか敷地にも入ることは出来ずに、塀の外から確認するのみでした。
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<六号、七号倉庫工事中・・・>
 
赤れんが博物館で、詳細な舞鶴市内の「赤煉瓦建造物マップ」をいただき、今度は眠くても、車で来て、全制覇!と思いましたが、受付の方に訊くと、ほとんどの建造物は、近づくことも出来ないのだそうです。
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<舞鶴市政記念館> 

各倉庫はいまだ現役の倉庫として利用されているものが多く、また、各建造物の所属はばらばらで、観光一筋で一致団結して公開すると言う具合にはいかないようです。
 
現役で利用されているのですから、敦賀の赤れんが倉庫のように、耐震性の問題からアクセスを制約していると言うことはないみたい。
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<左まいづる智恵蔵、右北吸六号倉庫(明治35年竣工)>
 
「赤れんが博物館」に到着します。
 
舞鶴文化事業団ホームページに赤れんが博物館の説明があります。 
 
「舞鶴市には、明治34年(1901)の旧日本海軍舞鶴鎮守府の開庁に伴い、海軍が建設したものを中心に多くの建造物が現存し、風雪を経た赤れんがはエキゾチックな雰囲気をかもし出しています。
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<赤れんが博物館>
 
赤れんが博物館建物は明治36年(1903)に旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫として建設されたもので、本格的な鉄骨構造のれんが建築物としてはわが国に現存する最古級のものとされています。
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舞鶴の個性の一つとなっている、れんがのもつ魅力を多くの方々に実感していただくことを目的として赤れんが博物館を開設するものです。」
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博物館の中は個々の展示品は撮影禁止ですが、中の雰囲気を撮影することはかまわないということでした。これは煉瓦製造用のホフマン窯※の中にあたります。
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赤れんが博物館の後に遊覧船に乗り、舞鶴湾の中を廻りましたが、赤れんが倉庫の話をまとめて記述することして船の話は後回しにします。 
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<北吸七号倉庫 大正7(1918)年竣工の水雷庫、黒い煉瓦は釉薬を用いて耐水性を高めたもの>
 
遊覧船を満喫した後に、市政記念館にあるカフェJAZZで昼飯の「海軍カレー」を・・・遊覧船から見た「イージス艦みょうこう」が見学できるというお話を聞きして、興味を惹かれ、海上自衛隊北吸桟橋に向います。
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少し歩くと文部科学省所属の3棟の倉庫があります。倉庫脇に見える歩廊は土に埋もれていたのだそうですが、平成16年にボランティアの手で、土を除去して往時の姿を復活させたのだそうです。
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<文部科学省倉庫(旧海軍軍需品倉庫)明治35年(1902年)竣工> 
 
文庫山学園(老人福祉センター)に登る道を上がって行くと、文科省所属の倉庫が展望できます。蔦のからまる壁もあり、雰囲気たっぷりです。
 
各倉庫の外見は大分くたびれている感じで、写真を撮っている時には、どれも現役倉庫であるとは気が付きませんでした
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舞鶴の赤れんが建造物の歴史は明治34年(1901年)日本海軍の「鎮守府」が置かれることにより始まります。
 
鎮守府は、所轄海軍区の防備、所属艦艇の統率・補給・出動準備、兵員の徴募・訓練、施政の運営・監督にを業務とし、いわば、日本海軍の根拠地として艦隊の後方を統轄した機関を指します。 
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当初は日本海域を東西に分割し、統括機関も2箇所に設営される予定でした。まず、1876年に東方面の横浜に鎮守府が仮設され、1884年に、横須賀に移設され、横須賀鎮守府として正式に開庁します。
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横須賀に対し、西方面の鎮守府は設営されないままに、1886年海軍条令により、日本の海域を5つの海軍区に分けることに変更され、1889年、横須賀以外に呉、佐世保に鎮守府が開庁されます。
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<文科省倉庫の向こう側に見えるのは海上自衛隊倉庫(造修補給所:大正8年竣工で現役)>

1896年に、この他東京と舞鶴に鎮守府がおかれることが決定し、臨時海軍建築部がおかれて鎮守府の建設準備を進めることになります。
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日露戦争を前にした明治34年(1901年)、舞鶴に鎮守府が開庁され、旗艦「三笠」をはじめとし、日露戦争における主要軍港としての役割をになったのです。 
 
昼飯の時に、喉が渇いてカフェで水を何杯もお代わりして、ちょっとヤバいかなとおもいつつ、イージス艦「みょうこう」を目指して歩きます。
 
なんとなく気が遠くに行きそうな感じになり・・・ゆっくり、ゆっくり。
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自衛隊桟橋に向う途中にある、海上自衛隊の倉庫群(被服倉庫)です。これは帰りに撮った写真ですが、一番手前の倉庫が大正10年竣工で、向こうの2棟が明治34年竣工になります。
 
明治時代の建造物は屋根の部分の段差や細工が施され、装飾的なところが特徴なのだそうです。
 
大正時代の倉庫は明治時代の倉庫に比較して、確かに装飾は少ないのですが、すっきりした感じがして、これも良いなと思います・・・
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北吸あかれんが倉庫群は舞鶴鎮守府軍需品の保管倉庫として、明治33年に建設が着手され、大正10年(1921年)までに建設されました。 
 
この自衛隊所属の3棟を除いて、全ての倉庫内に線路を引き込み、貨車による物資の運搬を可能にしていたのだそうです。
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<海上自衛隊被服倉庫(明治34年)>

現存する赤れんが倉庫は12棟のうち3棟が前述の「赤れんが博物館」、「舞鶴市政記念館」および「まいづる智恵蔵」として利用されており、六号棟、七号倉庫の2棟が赤れんがパークの一部として整備工事中です。
 
先程の文部科学省の3つの倉庫、その近くにあった海上自衛隊倉庫、およびこれらの3つの海上自衛隊被服倉庫の7棟が現役倉庫として活躍しているのだそうです。
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自衛隊所属では確かに公開はされることはないだろうなと、ただし、一方では桟橋で巡洋艦を公開しているのですから、倉庫周辺も公園にして開示してくれれば、と思います。
 

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このほかに、自衛隊桟橋の奥にある、ユニバーサル造船梶i旧日立造船梶j舞鶴工場敷地内に旧舞鶴海軍工廠をはじめとした、23件のれんが建造物群があるのですが、公開されていないのだそうです。
 
舞鶴ネットに、旧海軍工廠を利用した日立造船舞鶴館があり、一週間前までに申し込むと第1、第3水曜日限定で見学可能と記載されていました。ユニバーサル造船と変わっても有効なのでしょうか?
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また海上自衛隊桟橋の近くの丘の上に旧北吸浄水場第一、第二配水池があり、配水池上屋は大正15年竣工の鉄骨れんが造りになっているとのこと。
 
これも公開されていないということですが近くまで行けば、写真は撮れたのかもしれません。
 
いかんせん、ちょっとばかり、たどり着く元気がなく、諦めます。
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それでも、帰りがけに、街中にある、れんが建造物をもとめつつ歩きましたが、めぼしいものはありませんでした。
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くたびれ果てて、駅前通りまで来て、もうすぐ東舞鶴駅というところにギャラリーがあり、絵を見せていただきました。東山魁夷など森をテーマにした高級複製画がならび、ちょっと感激。
 
モネの紅葉を描いた絵(プリント)があり、おしゃれな額縁込で3,000円とのこと、思わず購入してしまいました。帰ってからタイトルを確認すると<クルーズの峡谷1889年>との記載がありました。
 
でも絵の裏に<ジヴェルニーの秋の野>と手書きがあり、どちらが正解なのか判りません。まあ絵がよければいいかと・・・
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※ホフマン窯(舞鶴ネット
れんが製造に使用されていた登り窯は窯内に熱を効率よく配し、薪材を燃料とするわりには高温にすることができました。けれども、一窯で焼けるれんがの量には限りがありました。

そこで登場するのがホフマン窯(ホフマン式輪窯)です。
 
登り窯を平地でもっと長くし、部分的に曲げて最後尾の房を最初の房と連結した形のものです。このようにすると、一周して来た火を消さずに際限なく焚き続けることが出来るという訳です。

この方式はドイツで開発されました。フルマンが開発した窯に、フリードリヒ・ホフマンが改良を加えて1858年特許を得た。

わが国へは銀座れんが街建設に際して、導入され、1951年にはホフマン窯は日本全国的に50基存在していました。
 
今日の日本では自動化された台車が窯の中を移動していく、重油を燃料としたトンネル窯にとって代られ、現存するホフマン窯は2基となり、それも稼働はしていません。
 
ホフマン窯は石炭を燃料とするために、登り窯の薪による焼成よりも高温を得られ、焼成温度は、1000〜1090℃になる。
 
上記温度は今日のトンネル窯で生産が続けられている温度と変わりがなく、ホフマン窯で焼成されたれんがは現代の赤れんがと同じ、赤色から赤紫の色合いになります。(薪焼成の登り窯ではオレンジ色になる。)
posted by くまじい at 02:10| Comment(0) | 遊歩道