2011年03月27日

ブリジストン美術館0126

東日本大震災の甚大な被害が少しずつ明らかになりつつあります。ただし行方不明者の全貌は掴めていないようです。
 
捜索依頼があった方達の数を不明者として公表しているということですから、届け出のない不明者のことを考えるとはるかに数字が膨らむのだと思います。
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<1月26日 新幹線の中から>
 
朝日新聞に津波に襲われた宮古田老地区の「万里の長城」の記事がでていました。
 
『約4400人が暮らす宮古市田老地区は「津波太郎」との異名がある。1896年の明治三陸津波で1859人が、1933年の昭和三陸津波で911人が命を奪われた。
 
田老村(地区)では、高所への移転を含めた対策の議論があったが、海に近い所に住みたいとの村民の要望や代替地の不足から防潮堤建設を決断、中断を含めて半世紀近く後の1978年に完成させた。総工事費は1980年の貨幣価値に換算にして約50億円に上った。 
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<1月26日 新幹線から>
 
高さ約10メートル、上辺の幅約3メートルの堤が二重に立つ構造。総延長約2.4キロの、城壁のよう防潮堤が完成した。
 
二重構造の防潮堤は世界にも類はなく、総延長も全国最大規模。60年のチリ地震津波では、三陸海岸の他の地域で犠牲者が出たが、田老地区では死者はいなかった。』
 
この防潮堤を乗越えて津波は押し寄せ、防潮堤は1/4程度が決壊、田老地区は壊滅的な被害を受けてしまいました。防潮堤を信じて避難し損ねた方もいたのではないかということです。
 
そう言えば会社を辞めて宮古に帰った大学の先輩がいましたが、大分前から年賀状も途絶えていたので・・・
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<1月26日 新幹線の中から>

テレビで被災者の方達の再会のシーンを見るたびに涙が流れてしまいます。滴ほどの効果もないかもしれませんが、ささやかながら日本赤十字へ義援金を振込みました。
 
福島第一原子力発電所は予断を許さない状態が続いています・・・それでも、ようやく駄文を書きつづる気持ちが起きてきました。
 
1月25日の兄のお別れ会の翌日、26日は移動日です。って、いまだに1月の話です・・・
 
朝、いつものようにクマとケイちゃんを追っかけ回して写真を。昼前にゆっくりと出発します。
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東京駅に着き、本でも買って行こうと八重洲口に出ます。
 
三菱一号館美術館に行った時、内容を覚えていないのですが、東京駅周辺の美術館巡りの案内をもらってたなと・・・確か八重洲側にも美術館が・・・
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八重洲口交番で、近隣の美術館について訊くと「ブリジストン美術館が近いよ」とのことです。
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後で資料を確認してみると、「東京駅周辺美術館MAPというリーフレットで、三菱一号館美術館、ブリジストン美術館、出光美術館三井記念美術館の4 館で一号館の後に他の美術館を訪れると割引になるというものでした。
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ブリジストン美術館に向かって歩いていると、もうすぐというところにディスカウントチケット屋さんがあります。なんと「ブリジストン美術館のチケットあります」との表示が・・・
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値段をよく覚えていないのですが正規料金の2割引きくらいで購入したチケットは「招待券」と書いてありました。

なるほど・・・

ブリジストン美術館の今回のテーマは「なぜ、これが傑作なの?」というものでした。
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タイトル名から、「傑作」と言われるものに共通した解釈の仕方みたいなものが整理されているのではと期待しましたが、汎用性のある「傑作の考え方」と言うよりは個々の絵画の特徴をたんたんと説明するというところでした。
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「自分はなぜ絵を観るのが好きなのだろう」ということの回答を期待していたわけですが、むしがよすぎましたか。
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<モネ 黄昏 ヴェネチア 1908>
 
絵を観る場合のインストラクションというか、ヒントがあればと思った次第です。
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<ルノワール カーニュのテラス 1905 >
※ルノワールの女性像がそのまま風景画になった感じで華やいだ明るい絵でいいなと思いました。 
 
自分の中で、有名だから好きなのか、誰の絵とも知らず「傑作」と呼ばれる隣にひっそりとある素朴な絵が好きになることがあるのか・・・というつまらぬ自問があります。
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<ルノワール  すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢 1876> (marunouchi.com
※この絵は今、サルタンバンクと共に自分の部屋の壁をにぎわしています。

話が変わりますが、仏像については、自分の心が癒されるお姿を求めているのですが、最近「国宝」だの「重文」だのという表記が気になっていて、純粋に求める心にフィルターがかかっているようにも思えます。
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<ピカソ 生木と枯れ木のある風景1919 >
※なんとなく、ピカソがルソーの理解者だったというのがわかる気がします
 
今までの経験だと、建物に関しては「国宝」はことごとくお気に入りになるのですが、仏像に関しては国宝、重文の中で、特にこのお姿が良いなと、ある程度好みがでます。
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<セザンヌ サント・ビクトワール山 1904-06>

また、何の指定をされていないお姿に魅かれることもあるので、「国宝ラベル」は余り強力なフィルタではないかもしれません。
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<セザンヌ 鉢と牛乳入れ 1873-77>
※セザンヌはどちらかというと静物画がいいなと思います。
 
「国宝」の定義は下記の通りです。
 
『文化財保護法によって国が指定した重要文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして指定したものである(文化財保護法第27条第2項)』・・・世界文化の見地って・・・
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<ルオー 郊外のキリスト 1920>

この定義から言えば、古くて価値がある、歴史的な意義があり価値がある、と言う面があるのだと思います。大胆に言うと必ずしも、その対象に万人が魅かれるものではないということはあり得るのではと・・・
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 <ジョルジュ・ルオー ピエロ 1925>

ということで絵に戻って・・・
 
自分なりに考える絵の要素は構図、バックの色調、色彩のバランス、光あるいは影の使い方などとそれらが構成する全体の空気というところがあるのかと思います。
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<アンリ・マティス 縞ジャケット 1914>
 
さらに物をどう観るのか、観たものをどういうふうにをキャンバスに置くのか、創造者の創造者たるところのデフォルメ(と言っていいのかわからないのですが)がその画家の資質になるのだと思います。
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<アンリ・マティス 青い胴着の女 1935>
※この絵もいいなと・・・
 
最近美術館巡りを始めて、写実派、印象派、新印象派(点描)、ポスト印象派、ナビ派、フォービズム、キュビズム、抽象画などの技法的、思想的な流れがあることを知りつつあります。(いまだ言葉の意味を明確に理解していませんが。)
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<モディリアニ 若い農夫 1918>

でも、画家が常に同じ感覚で生涯描き続けるということでなく、自分の中でも変わって行くことがあるのだと思います。
 
カンディンスキーの変貌を前回観ましたし、ピカソが「〜の時代」でくくられるように大きく変わって行くのは顕著な例だと思います。他の画家でも時代により、少しずつ変わっていくというのはあることだと思います。
 
ユトリロ展で感じたのですが、作品の年代別に見て行くと、「色彩の時代」の後の1930年代以降の絵は初期の「白の時代」の絵に比べて建物が微妙にデフォルメされている様な気がします。(「モーリス・ユトリロ展 続き」
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<ユトリロ サンローラン教会 1914年 ユトリロ展>
 
「白の時代」がもともとユトリロを好きになったきっかけだと思います。決して明るくないパリの空の下にくすんだ白い壁の建物が整然とただずんでいる・・・今でもいいなと思います。
 
でも、後年の絵も暖かくて、人間味が感じられる様な気がしてやはりいいなと思います。Wikipediaのユトリロの説明を読んでいるとユトリロは「色彩の時代」までという評価みたいですが・・・
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<ユトリロ ベル・ガブリエルの酒場1943年 ユトリロ展>
 
ポスターに使われている絵はピカソの「腕を組んですわるサルタンバンク」と言う絵でした。ブリジストン美術館の目玉の一つの様です。
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この絵の前でしばらく脚が止まってしまいました。何時もの絵ハガキではなく、A4大の絵を購入。
 
ブりジストン美術館の「サルタンバンク」の解説を引用させていただきます。

『ピカソの新古典主義(の模倣)時代を代表する作品のひとつ。サルタンバンクとは曲芸などをする大道芸人のこと。(中間省略)

ピカソは当時、ロシア・バレエの舞台美術に熱中しており、この絵にもバレエの世界の優しく夢見がちな気分が持ち込まれているようだ。画面左上に女性像が塗り潰された痕跡があるが、それもこの絵に余韻を与えている。
 
ピアニスト、ホロヴィッツの所蔵作品であった。』
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<ダフィ ポワレの服を着たモデル達 1943>

自分の部屋にはモネとゴッホの絵を1枚ずつ額に入れて飾っていましたが、この絵とルノアールのシャルパンティエ嬢が3枚目、4枚目の絵になりました。
 
その他に、鑑真 和上像、青不動(青蓮院)、釈迦如来立像(室生寺)を始めとした仏像の写真7枚が壁に並んで居て、釈迦如来座像(室生寺)、十一面観音像の2枚の仏像の写真が玄関を飾っています。

抽象画に対してはょっと遠慮気味ですが、少し興味がわきつつあります。
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 <ザオ・ウーキー 07・06・85>
 
実はブリジストン美術館の絵ハガキは50円なので嬉しくてちょっと買い過ぎてしまいました。でも自分の好きな絵が多かったと思います。 
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<藤田嗣治 ドルドーニュの家 1940>
 
帰りの新幹線からは久しぶりの富士山がよく見えました。興奮して冒頭の写真を撮りました。
 
岐阜羽島に近づいてくると夕闇が迫りつつありました。
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<1月26日 新幹線から 岐阜羽島近く>
posted by くまじい at 00:37| Comment(0) | 絵画室

2011年03月12日

東寺0124

東日本大震災・・・自分が学生時代を過ごした仙台が大きな被害を受けた様です。関東も被害を受け、自分の娘も昨夜は帰れずに内幸町の会社にお泊まりだったとのこと・・
 
石油コンビナート、原子力発電所等、社会を支えるシステムの災害克服への努力を上まわる力が襲うことの恐ろしさ、空しさを感じてしまいますが、それでもなお、人智でシステムを維持、発展させることへの挑戦は捨てることはできない・・・難しい時を迎えることになる・・・という気がします。

福島第一原発の行方・・・どうなるのでしょうか・・・
 
そんな大変な中で、相変わらず過去の整理です。
 
今回は1月24日の大阪へ出張時に明るいうちに東寺を拝観した記事です。
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<如来、菩薩、天部などの各写真集があり、迷って、明王編を購入しました> 
 
今、新規の装置の研究を出張先の会社にお願いしています。
 
結構苦労していて、前回出張のときは、若干の進捗は見えましたが、まだまだ先が長く、結果が見えてこない雰囲気で、やや不安の帰りでした。
 
今回は少し、いい結果がでて、でも装置の不具合が発見されて、改良点の確認をして出発します。
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明日25日は兄のお別れ会なので、実家に帰りますが、時間が早いので、東寺によってから新幹線に乗ることに・・・
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<南大門から金堂>
 
前に来た時は夜だったので、中に入れませんでした。門が幾つかあり、どこから入るのが正しいのかわかりませんが、前回印象に残っていた南大門から入ることにします。
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<南大門>
 
南大門をくぐると目の前に金堂が聳えます。東寺の本堂であり、もっとも早く建立され、薬師如来を本尊として、日光、月光菩薩の脇侍が祀られています。
 
現在の姿は焼失後、関ヶ原の合戦後に再建されたものなのだそうです。

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<金堂1>
 
以下にWikipedia、東寺公式サイトおよび東寺弘法市サイト等から引用した東寺の説明を記します。
 
前にも書いたことがあると思いますが、東寺のホームページはいつ見ても迫力があってすばらしいなと思います。今アクセスすると桜(と思うのですが・・・)の花吹雪が舞います。
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<金堂2>
 
8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」(さいじ)という2つの寺院の建立が計画されます。
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<金堂3>

これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院となります。
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<金堂4>
 
南北朝時代の東寺の記録書『東宝記』によれば、東寺は平安京遷都後まもない796年、藤原伊勢人という人物が造寺長官となって建立したと言われています。(明確な記録ではないらしい・・・)
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<金堂5>

823年、平安京を興した桓武天皇の後を継いだ嵯峨天皇は唐で密教を学んできた真言宗の宗祖である弘法大師空海に東寺を託します。
 
これにより東寺は国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本道場である寺院になります。
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<金堂6>

東寺を託された空海は現在の御影堂の場所に居を構え、自分の構想に従った東寺の造営を行います。
 
空海は寺域の中心に講堂を新しく建立し、その講堂内部の中心に大日如来を祀り、大日如来を中心とした仏像群および、講堂を中心とした他の伽藍群の配置を持って、曼荼羅の世界を具現化します。
 
平安後期に一時的に衰退しますが、鎌倉時代に、後白河法皇の皇女である宣陽門院が空海に深く帰依し、莫大な寄進をして東寺を再び盛り上げます。
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<灌頂院>

空海に毎朝6時に食事を捧げる「生身供(しょうじんく)」や毎月21日の空海の命日に供養を行う「御影供(みえく)」等の儀式を創始したのはこの宣陽門院なのだそうです。
 
これらの儀式は現在でも連綿と続けられています。
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 <小子坊>

1486年の火災で主要堂塔のほとんどを失いますが、講堂が5年後に、その後、金堂・五重塔などが再建、南大門の再建は江戸時代を待つことになります。
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<講堂1>
 
現在、創建当時の建物自体は残っていませんが、南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置、各建物の規模は平安時代創建持と変わっていません。  
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<講堂2>
 
空海の開設による立体曼陀羅が祀られた講堂は、女人高野室生寺の仏像群をしのぐ規模の立体曼陀羅が描かれているとのことで是非拝観したいと思っていました。 
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<講堂 立体曼陀羅 東寺リーフレット>

立体曼陀羅の配置は下図の通りです。  
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<東寺リーフレット>
 
曼陀羅は菩薩、如来、明王のグループに分かれており、その周りを多聞天、持国天、広目天、増長天の四天王と梵天、帝釈天の天部が護ります。
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<講堂 帝釈天 東寺 リーフレット>

中央の大日如来を始めとした如来5体(五智如来)、および菩薩の中心である金剛波羅蜜多菩薩は火事で焼失し、再建されたお姿になります。
 
その他の不動明王をはじめとした平安時代の創建時のお姿を残している仏像は、全て国宝に指定されています。
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<不動明王 大日如来の化身 東寺の明王像より>
 
再建された大日如来の金色に輝くお姿を見ていると創設時の他の仏像群も同じ様に金箔が貼られていたのだろうと思います。
 
これらの金色の仏像群がどんなに輝いていたのか・・・ちょっと、わくわくしてきます。
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<講堂 大日如来像 東寺リーフレット>

空海はこの講堂の完成4年前に没し、立体曼陀羅を自分の目で確かめることはできなかったのだそうです。
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<講堂3>
 
現世から旅立つ空海の胸の内には、既に講堂の中に仏像群が姿を現し、 燦然と輝く曼陀羅の世界が完成していたのでしょう。
 
何種類かあった、東寺の写真集の中から明王像の写真集を選定したのは以下に並ぶ4体の明王に魅かれたためです。
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<降三世明王 東寺の明王像より>  

講堂内の国宝の多さに圧倒されますが、脚元がコンクリート様の石の床になっていて仏像群が冷たさをこらえているような感じがしました。
 
講堂は創建時の土台に再建したということなので、空海の構想通りということなのでしょうか?
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<軍茶利明王 東寺の明王像より>
 
また、三十三間堂の時と同じで、立ち尽くして拝観するので、なんとなく落ち着かない気がします。じっくり御前に座り込み、仰いでいたいと思います。
 
どうも室生寺の体験が沁みついているのかも知れません。
 
と言つつ、立ったままの拝観であっても、三十三間堂もこの講堂も圧倒的な仏像の存在感に捉えられて動けない状態になります。
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<大威徳明王 東寺の明王像より>
 
下の写真の金剛夜叉明王は遠目に見ると、お爺さんが眼を細めた優しいお顔のように見えます。
 
よく見ると、金剛夜叉は額の眼を含めて5眼を有するどちらかと言うと怖いお顔をしています。上下の眼と眼の間の細い谷間が細めた眼に見えるのです。上下の眼のどちらかを隠して見ると顔つきが変わります。
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<金剛夜叉明王 東寺の明王像から>
 
京都の南の空の象徴みたいな東寺の五重塔・・・約55m、木造建築物としては日本一の高さになるのだそうです。
 
空海が講堂の後に手掛けた建造物ですが焼失を繰り返し、現在の五重塔は1644年に再建された4代目にあたります。

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一階の内部は公開されていて、拝観することが可能です。
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説明のアルバイトさん・・・本日最後のお務めのようでした。説明が終わったら入れ替わりで帰っていきました。彼女だけでなく、そろそろ拝観時間の終わりが近づいていました。
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生身供が行われる御影堂はシンプルなフォルムですっきりしていて好きな建物です。御本尊は不動明王ですが公開されていないようです。
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御影堂を出て、裏の方に抜けると洛南中学、高校があり、生徒がぞろぞろと下校するのにあいました。
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そろそろ時間・・・京都駅まで歩き、駅ビルにあるビアホールで30分一本勝負でビール2杯を飲み、新幹線に向かいました。
 
翌日のお別れ会で兄が高野山の競書大会に参加して特賞をいただいていたことを知りました。前日に東寺にお参りしたことは何か空海で結ばれる縁があったのでしょうか。
 
ちょっとこじつけですが・・・
posted by くまじい at 18:25| Comment(4) | 史跡巡