2010年08月29日

室生寺、40年ぶりの再会

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<金堂内の十二神将と仏像群 特別拝観5月〜8月、12月>
室生寺ホームページ
 
遷都1300年祭の真っ盛りの奈良。各お寺で秘仏のご開帳が計画されています。
 
平城京は四つの方角に四つの神(獣)を冠した門があります。(「四神」Wikipedia)
 
四神(獣)   四方   四季  四色  
青龍         東    春    青
朱雀         南    夏    赤(朱)
白虎         西    秋    白
玄武(亀)      北    冬    黒(玄)
  
 
これにちなみ、奈良県の東西南北に位置する四つのお寺のご本尊を四神に見立てたポスターができており、室生寺のご本尊如意輪観音が「青龍(東)」とされています。
平城京遷都1300年ポスター.jpg
<金峯山寺の位置が欠けています・・・>

以前、室生寺を訪れたのは、自分が大学在学中だったのか、会社に入ってからだったか、定かではありません。
 
前から憧れていた室生寺の五重塔にお参りに行きました。季節も記憶が定かではありません。
室生寺五重塔.JPG

名古屋から入り、柳生で一泊して、歩きを混じえて奈良に行ったのですが、電車だったか、同宿の人の車に乗せてもらったのか・・・それも記憶にありませんが、室生寺にたどり着き、五重塔を拝んだことだけ覚えています。
 
憧れていた五重塔を目の前にして何を考えたのか・・・
その後、長谷寺をお参りしたと思うのですが、今回歩いても記憶は蘇りませんでした。
 
若い頃、仏像は興味の範囲外でしたので、今回お参りした仏像については全く知らなかったし、拝観もしていなかったかもしれません。
室生寺釈迦立像部分.JPG
<室生寺金堂釈迦如来立像 購入した写真のコピーです>
 
五重塔はその後台風の倒木で破損したことはニュースで知っていましたが、最近調べて修復が終了していることは以前のブログに書きました。
 
7時のサンダーバードで京都にでて、近鉄特急に乗り換えて室生大野口にたどり着いたのは9時半頃・・・
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バスに乗り換えて、ようやく来た室生寺・・・もう10時を過ぎていました。
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山門をくぐり、階段の上を見上げると美しい金堂が見えてきます。
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室生寺は興福寺の修円の建立。修円は平安初期の高僧ということです。
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室生寺釈迦如来坐像small.jpg
<釈迦座像と弥勒堂>

興福寺の法相宗のお寺として建立された後、修行の場として各宗派の僧が訪れ、徐々に真言密教の色濃くなり、鎌倉期に弘法大師の御影堂が建立され、真言宗のお寺となったということです。
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室生寺如意輪観音像small.jpg
 <ご本尊の如意輪観音と本堂(潅頂堂)>

また女人禁制の高野山と異なり、女子を迎え入れたことから、女人高野と呼ばれています。

冒頭の写真は自身が国宝の金堂内の仏像群の写真です。
 
通常、金堂は中に入ることは出来ずに、外からの拝観になるのですが、特別開帳の時には金堂内でじっくり拝むことができます。また前衛の十二神将が全て揃うのは数十年振りなのだそうです。 
二神将招杜羅大将(子)sm.jpg二神将毘伽羅大将(丑)sm.jpg二神将宮毘羅大将(寅)sm.jpg
<十二神将(招杜羅(子)、毘伽羅(丑)、宮毘羅(寅)>

金堂に上がり、ちょうど空いていた中央部にどっかと座り込むと、仏像達の存在感がすごい迫力で迫ってきます。曼荼羅の世界が立体的に表現されている・・・ということなのでしょうか・・・
 
中央に位置するお釈迦様が目の前におられます。
室生寺釈迦如来立像15%縮小.JPG

十二神将、観音様や菩薩様を従えて 一際背の高いお姿で、穏やかに佇んでおられ、全てを受け止めてくれる大きな安心感を覚えます。
二神将伐折羅大将(卯)sm.jpg二神将迷企羅大将(辰)sm.jpg二神将安底羅大将(巳)sm.jpg
<十二神将(伐折羅(卯)、迷企羅(辰)、安底羅(巳)>

お姿を見上げているうちに、恥ずかしいことに涙が流れてきます。汗を拭くふりをしてタオルで涙を抑えます。隣にいる男の子がなんだ?この爺い、と言う感じでこちらを見ているのを目の端で感じます。
一面観音立像sm.jpg
<十一面観音立像>

一時、多くの人が居て、暫くして、潮が引くように誰もいなくなりますが、立ち上がれずにお釈迦様の前に座り続けていました。
二神将未羅大将(午)sm.jpg二神将珊底羅大将(未)sm.jpg)sm.jpg
<十二神将(未羅(午)、珊底羅(未)、因達羅(申)>

まあ、金堂の演出の巧みさに涙腺の緩い「あらかん」が見事にはまったということなのでしょう・・・
 
前に「四諦」という記事で仏教を勉強したいと書きました・・・未だに良く判らずに、一度読み終えた梅原猛の本を読み返したりしていて、まとまりません。
 
最近、仏像に魅かれている自分はなんだろう・・・とちょっと、気になっているところです・・・
二神将波夷羅大将(酉)sm.jpg二神将摩休羅大将(戌)sm.jpg二神将真達羅大将(亥)sm.jpg
<十二神将(波夷羅(酉)、摩休羅(戌)、真達羅(亥)>

金堂の後に本堂で如意輪観音像をお参りして、外にでると、五重塔が目の前にあります。
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階段途中で写真を撮っていると・・・再び涙があふれてきます・・・
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先程緩んでしまった涙腺が、五重塔との再会の懐かしさと、再び訪れた今日までの時間の長さを思い、色々なことがあったな・・・と言う感じの涙だった様な気がします。
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スケッチをしている若い女性がいます。人前でスケッチをするのはちょっと勇気が要る様な気がしますが、自分もいつか始めてみたいなと思っています。
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五重塔を過ぎると奥の院へ繋がる階段が始まります。
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きつい長い階段を登って行くと弘法大師の御影堂がありました。
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懐かしの室生寺は色々な思いが乱れ浮かび、ちょっと訳が判らなくなりましたが、心に残る一日になりました。
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12月の特別開帳、いや、それにこだわらず、冬にもう一度来てみようと思いつつ、長谷寺へ向かいます。
posted by くまじい at 10:00| Comment(0) | 史跡巡

2010年08月22日

オルセー美術館展 

国立新美術館の「オルセー美術館展」に行ったのはもう1ケ月前になります。
ポスターオルセー.JPG
 
テーマの「ポスト印象派」の意味を調べてからと思っていたら、だらだらと時間が過ぎ、8月16日で美術展は終了しました。

美術展に関しては直後にその時感じたことをこのブログでメモしておくと、鑑賞した時の記憶がよみがえってきて、これは良い方法だなと思っていました。
 
すさまじい勢いで脳細胞が破壊進行している「あらかん」の自衛手段の一つになるかなというところです。
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<国立新美術館>
  
「オルセー」の記憶は薄れてしまっています。今回は記憶に自信がなくて、嘘が入る余地が大きい様な気がします。

と、書き出し方が判らなくて、言い訳ばかりで、なかなか本題に入れない・・・

考えると、自分は「ポスト印象派」の前に「印象派」がよく判っていません。

「印象派」の言葉は第一回印象派展に出展された下記のモネの「印象、日の出」を評論家がラフなタッチにあきれて「印象でしかない」(絵として認められないということ?)と酷評したのがきっかけということなのだそうです。
アトリエ・ド・パリ

「ストラスブール美術館展」のショップで購入した雑誌「PEN」の「完全保存版 一冊まるごと印象派」に掲載されている、オルセー美術館の主任学芸員、カロリーヌ・マチューの言葉が自分には良く判る感じがしました。ちょっと長くなります。
PEN 一冊まるごと印象派。.jpg
PENオフィシャルサイト

「(印象派以前の絵画は宗教や神話を主題にしたもの、貴族の注文で描かれる肖像画など限定されたテーマで制作されていたが、)印象派の画家は今という同時代の美しさを描写することを目指しました」
クロード。モネ ノルウェー型の船で.jpg
<クロード・モネ ノルウェー型の船で >
※特記のないものは絵ハガキのコピーです。

「同時代の風物を題材に選ぶこと、これを実現したのがマネです。マネは近代化するパリを見事に捉えました。」
 
「そして、モネ、ルノワールらが新しい絵画の衝動を膨らませます。彼らは移ろいゆく一瞬を捉えようとし、絶えず変化する光に着目します。」
 
瞬間を捉える方法として、絵具をカンヴァスに素早く乗せ、タッチを残す「筆触分割」という手法の試みを始め、舞台を戸外に求めていきます。
 
「モネは雲の流れを絵筆でつまむようにカンヴァスにそっと置きました。」
<クロード・モネ ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光>

下記はマチューが語ったのではなく、編集部の見解だと思います。若干、大胆にくくりすぎの気がします・・・

「印象派は光を追って制作した画家を総称する言葉で「流派」ではない。だから印象派に属する作家の作品は多様だ。
 
モネは光と水の反射に執心し、ルノワールは人体の上で光を、ピサロは土の上の光を、シスレーは岩やセーヌ川の上の光を追った。
<ルノアールは苦手でしたが、雑誌に掲載されていたこの絵はいいなと・・・>
グルーピルギャラリー

従って厳密な意味でドガは印象派ではない。だが、踊り子の一瞬の動きを捉えようとした点は印象派と共通している。」
エドガー・ドガ 階段を上がる踊り子.jpg
<エドガー・ドガ 階段を上がる踊り子>
エキサイトイズム
 
余談になりますが、同誌には8回の印象派展の経緯が示されています。 
 
モネ、ルノワール達とドガの反目があり、ドガに反発してシスレー、ルノアールの離脱、モネも5回、6回と出展をしなかった、ピサロ、カイユボットが両者の仲介するのに苦心したなどの記述があります。
アルフレッド・シスレー モレの橋.jpg
<アルフレッド・シスレー モレの橋>
 
というところでポスト印象派の「オルセー美術館展」です。

夏休み旅行の北海道から7日に帰り、8日、9日と地元でゴルフの連荘。
 
さすがに、かなり疲れて、10日の土曜日に行くはずだった「オルセー」を日曜日に変更です。参議院選挙に投票してからオルセー経由で敦賀に出発します。

土曜日は休養の予定でしたが、午後から庭の雑草取りして、逆に腰と脚がパンパンになってしまいました。「オルセー」では2時間程度立ったままだったので、結構応えました。
 
今回の様に人気のある展覧会は人が多いので、疲れは倍加するような気がします。入るのにも行列でしたし、中に入ってもゴッホの「アルルの寝室」、「星降る夜」など、人気の絵の前は人だかりがしています。
 
車椅子の方が多いのも驚きましたが、混んでいるときにはなかなか絵の前に行けずお気の毒です。
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<東京ミッドタウン>

ボストン美術館展のあった六本木ヒルズとは反対側の東京ミッドタウン側に降ります。
地下は道がよくわからないので地上に出て、東京ミッドタウンに歩いていきます。
 
六本木ヒルズに比べると人が大分少ない様な気がします。中庭の様になっているところにオープンカフェが・・・美術展前に昼食をとります。
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隣の店には女性客が多いなと思ったら、トシ・ヨロイヅカのお店でした。
 
「ワイン通」で有名なくせにテレビのバラエティ番組のテイスティングでいつもズッコケる女優さんの旦那さんの店だと思います。
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国立新美術館に到着して写真を撮っていると、チケットを買いに行った奥さん、「チケット買おうとしたら、知らない人が、『招待券余っていて、期日が今日までだから』って2枚もらっちゃった」・・・のだそうです。有り難く利用させていただきます。
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「ポスト印象派」について再びマチューの説明を借りると・・・
 
「ポスト印象派の代表はセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなど。彼らは原始的な絵画に回帰しようとします。」

<ポール・セザンヌ 台所のテーブル(篭のある生物)>
 
 「たとえばラファエロが確立した遠近法を放棄する、中世のステンドグラスへの関心を示し、ゴッホやゴーギャンは輪郭線をくっきり描く。日本の影響も大きい。」
フィンセント・ファン・ゴッホ アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ.jpg
<フィンセント・ファン・ゴッホ アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ>
 
「印象派はポスト印象派にポスト印象派は、続くナビ派に新しい絵画を生み出すヒントを与えた。これらは触媒のように作用したのだ。」
 
「オルセー美術館展」の主催者である日本経済新聞は5月20日の第2部でオルセーの特集をしていました。また、日経新聞のホームページにバーチャル美術館を設けて情報提供してくれています。

ポスト印象派に次ぐ絵画の流れを下記のように説明しています。
 
・新印象派 
 第8回の印象派展に出展したスーラおよびシニャックは印象派の始めた「筆触分割」をさらに精緻に分割した筆触方法を追求した。
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<ポール・シニャック 井戸端の女たち>

・ポン・タヴェン派、ナビ派、象徴派
 ゴーギャンに影響を受けたベルナール、ヴュイヤール、ドニ達が神秘性と装飾性を大事にした遠近法を無視した平面的な絵を始めた。

<エミール・ベルナール 愛の盛りのマドレーヌ>
 
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<エドゥアール・ヴェイヤール ベッドにて>
 
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<モーリス・ドニ ミューズ達>
http://www.kaiga-museum.com/
 
さらに精神的、内面的な面を追求したモロー、ルドンなどは象徴派と呼ばれる。これらの活動を総称して象徴派と呼ぶ場合もあるそうです。
 
これらとは異なり独自の世界を作り上げていたのが、ロートレック、ルソーが位置づけられるということです。
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<ロートレック 女道化師 シャ・ユ・カオ>
 
記憶が定かでないのですが、見慣れた印象派の絵とは雰囲気の異なる絵が並び、自分にとっては世界が広がる感覚がありました。
 
普段、絵から受けるイメージが大事で、背景は必要ないと考えていましたが、こういう整理をして、画家達の意図がある程度判ると、さらに絵が面白くなって来るような気がします。
posted by くまじい at 08:30| Comment(0) | 絵画室

2010年08月17日

敦賀8月16日

【写真を拡大できるようにしました】
 
8月16日は恒例の灯篭流しと花火大会です。例年席取りをして楽しんでおられるT女史、S1さんからお誘いを受け、楽しい酒と花火を堪能させていただきました。
 
3箇所から打ち上げられる花火は、開演時間約1時間と短い時間ですが迫力ありました。昨年に比較すると今年の花火の方が良くなっているとのことでした。
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天気の優れない週末を家族と箱根で過ごし、16日の朝、小田原を出て敦賀に帰りました。
 
昨日まで富士山を隠していた雲がないので、新幹線から富士山を撮ろうと思い、窓際に陣取りました・・・が、本を読みだしたら寝てしまって、気が付いたら、もう富士山は通り過ぎていました。

昼過ぎに敦賀着。会社に電話、特に問題おきてないことを確認、自宅待機にさせてもらって、お誘いのあった、花火大会参加に備えます。
 
洗濯しながら、暫く部屋で休んで、自分の分のビールと小田原で買った「つまみかまぼこ」持参で向かいます。
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<水中花火は腹に響きました>

「17時に行く」と連絡。すぐさま回答があり、早過ぎるから17時半にしろと怒られて・・・一緒に行く同僚のアパート経由で目一杯、ゆっくり歩きますが、結局17時についてしまいます。
 
待ち合わせの間、次から次へと押し寄せる人並みをぼんやり眺めていました。
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キャンペーン隊のお姉さんにポーズをとってもらって写真を・・・
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6時半、読経とともに灯篭流しが始まりますが、海風が強いため、灯篭は沖合いに流れて行かずに波打ち際に打ち寄せられてしまいます。
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市長の挨拶は短くてよかったです。高校野球の開会宣言みたいにハキハキした感じで、いつもより、若々しく力強く見えました。
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その開会宣言の後でだらだらと挨拶をしたRCNのお偉いさんは野次を浴びます。と言う自分も「長いぞ〜っ」と一言叫んでましたが。
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氷水に漬けて、キンキンに冷やしたビール、女性陣の持ちよりの料理を御馳走になりました。自分のお持たせの小田原のかまぼこも結構いけました。
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夜の写真は難しいです。が、さらに花火はなかなかうまく撮れません。今回は酒で失敗して汚すのを恐れて、Kiss4を温存し、コンパクトデジカメを持って行きました。・・・だから良い写真がないということではないのですが・・・
 
追:コメント欄を公表していましたが、掲載を止めました。その後コメントもないし、何時までも特定の方のコメントを公開しているのは申し訳ないと思ったからです。コメントいただいた場合は何らかの形でお答えしようと思います。

 
posted by くまじい at 22:00| Comment(2) | 茶話室

2010年08月14日

アクセス数

それにしてもこの夏は暑い日が続きました。
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(2004年に池田町の龍双ケ滝に行った時の写真です。以下同じ。)
 
7月25日に武生で、7月31日に敦賀でゴルフをして死にそうになり、もう夏はゴルフは止めようと・・・山もちょっと行く気にならず、ですが・・・
 
時々野坂でお会いする70台半ば?のSaさんと職場でお会いしたら、土曜日は岩籠、日曜は野坂を毎週続けておられるとのこと・・・
 
「岩籠は市橋から登れば沢経由になるから涼しいよ」と・・・本当にお元気です。
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このブログは自分の写真を整理するつもりで始めました。見てくれる人が居る、という発想はありませんでしたが、でもせっかく整理したから見てもらいたい気持ちも当然あります。

ただし、書いている文章は普段話をしているようなことばかりです。
 
周りに居る人が見たら、ああ、あの話・・・と言うようなことばかりなので、恥ずかしいという気持ちがありますが、まあ、自分が気にする程、中身を読む人もいないなという気もします。
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このブログでは、自分の記事にアクセスがいくつあったかと言うのが判る様になっています。

始めた頃、日々のアクセス数が10件から15件程度でした。こんなことしていると知らせた人は20人といませんでしたので、知っている人がたまに見る程度でこんなもんだろうというのがありました。
 
その後、知っている人が増えてきて、最近は一日に50〜60程度アクセスがあるようになってきています。
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検索で訪れる方も居るようで、前にも書いたのですが、情報を求めて訪れた人には、役に立たないブログで申し訳ないことだと思います。
 
以前、コメントで指摘されたように、普段、誰かが見ている意識がないので、初めて、コメントもらった時に、知人以外で見てくれることがあるんだと、緊張しました。
 
コメントいただいたことに対する返し方もよくわからず、直接メールでお返しした方がいいのかそれではびっくりされてしまうだろうとか迷って、ブログ上で返事をするような形をとりました。
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どういう時なのか覚えていませんが、アクセス数が100件を超えた事が2回ありました・・・
「みぶろぐ」では毎日のアクセスランキングトップ100を公表しています。
 
普段は関係ないと思って、気にしてなかったのですが、100件くらいだとどうなるの?と確認したところ、なんと48位になっていました。
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以降、気になって時々チェックするようになりましたが、アクセス数70件を超えると、ランクインと言う感じみたいです。

普段のアクセス数は50件程度ですから、気楽に行こうと・・・でも、一日に50回も見ていただく、というのはいささか気になることではあります。
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写真を整理したり、ブログを幾つか書きためたり、最後にもう一回チェックしてアップするのは週末が中心になります。
 
山行ったり、お寺、史跡を徘徊するのも、当然週末になります。 
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平日で早く帰宅出来た時の夜、あるいは朝早く起きてしまって眠れない時など平日早朝に、書きためていたものの仕上げをしてアップすることもありますが・・・
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実は今、1か月も前の「オルセー」と先週の「室生寺」が思い入れが大きすぎるのか、なかなか進まず、閑話休題です・・・
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※上の3枚の写真は池田町の梅田氏庭園、下は鵜甘神社です。
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posted by くまじい at 07:30| Comment(0) | 茶話室

2010年08月13日

観音の里'10 その2

炎天下、余呉川沿いの44号線を磯野に向かって歩きます。稲穂がそろそろ大きくなってきています。
 
でも、見比べると田んぼによって出来具合が異なるようです。イネの種類の違いによるものなのでしょうか?
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川向こうに磯野山城址の文字が見えてきます。ここから余呉川を離れて磯野に入ります。 
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磯野山城は、京極家、浅井家に仕えた磯野氏の居城で、賤が岳から南に連なる山並みにあり、賤が岳砦、山本山城、赤尾城などと並ぶ城になるそうです。
 
磯野氏はその後、佐和山城に移封され、浅井家の将として信長と対峙しました。
 
戦の中で浅井家に疎んじられたため、信長の軍門に下り、重用されるのですが、後に信長の怒りを買い、当主員昌は出奔、磯野家は没落したとのことです。「戦国大名探求」
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磯野に入ると立派な門構えの磯野家があります。宗主の係累なのでしょうか・・・

お庭に紅白のサルスベリが・・・でも、ふと思ったけど、白のサルスベリ(百日紅)っておかしくないのかしら・・・
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赤見山磯野寺は磯野の人達総出でおもてなしって感じで、お寺の説明から、お茶の用意から親しみのある雰囲気でくつろぎます。
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西国霊場の土を石の下に埋めてあるので、ここでお祈りすると西国巡礼したことと同じになるという印石、元禄11年の製作の「日本最古の石灯籠」、柱の根元に植えられた蓮の花等々の説明をしていただきながら、十一面観音にお参りします。
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御本尊の十一面観音像のお顔は、素朴な田舎の童子が拗ねてふくれたような・・・愛すべきお顔をしておられます。つい微笑んでしまうような・・・失礼な言い方かもしれませんが・・・
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赤分寺(せきぶんじ)までの道をお訊きして歩き出します。気の遠くなるような陽射しの中、農道を歩く人は他にだれも居ません。遠くに伊吹山がゆらめいて見えます。
 
森を目指して歩けと言われていたその森がみえてきました。
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<東高田 青陽山赤分寺>
 
赤分寺の左手前に見える木は樹齢75年のハナノキで全国でも珍しい木で特別記念物に指定されているのだそうです。葉の出る前の3月から4月にかけて赤い小さな花を咲かせるということです。

ご本尊は、今まで見てきた観音様に比較すると面長で綺麗な顔をされていて、系統が異なる感じがします。

優しいお顔ですが、怜悧な感じで、ちょっと突き放される感じがします。見上げる形になっていることと、変な話ですがお顔の前にある房の色が朱色とか赤色とかだと印象が異なったかもしれません。
赤分寺十一面観音像.jpg
 
赤分寺を後にして赤後寺(しゃくごじ)に到着。赤後寺の門前の家並みは歴史を感じさせる趣を見せています。
 
疎水、門構え、蔵の壁など昔からの赤後寺を中心とした町の営みにより磨かれてきているというところでしょうか。
   
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高月の町を歩いて、高野神社の門前、雨森など好ましいところが幾つかありましたがこの赤後寺の門前の雰囲気もなかなかいい感じです。
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赤後寺の御本尊は聖観音立像、千手観音立像の平安初期の2体で千手観音立像が100年程度古いのだそうです。
 
戦乱を越えて双方の観音様とも手を失われ、千手観音様の頭も装飾が一切無くなっています。
 
厄を転じて利となす「転利(ころり)観音」として全国にも知られている観音様なのだそうで、毎年7月10日のお祭りには大勢の人がお参りするとのことです。
赤後寺聖観音.JPG
<赤後寺 聖観音立像>

正面からお参りしていると、端正なお顔の聖観音より、千手観音の素朴な人間味のあるお顔に味があるなと思いましたが、購入した写真は残念ながら千手観音が正面を見ておられず、少し斜に構えておられます。 
赤後寺千手観音.JPG
<赤後寺 千手観音立像>

と言っても双方の観音様とも良いお姿だなと思います。
 
赤後寺のおもてなしはスイカでした。山の様に盛ってあります。お参りした後でごちそうになろうと思いましたが、出てきた時には4時になろうとしており、店仕舞いされていました。
 
おいしそうだった・・・
 
今日は終わりかな、と思い循環バスに乗りましたがましたが、諦めきれず、横山神社で下車。高月唯一の馬頭観音をお参りします。
 
わかさ地域の馬頭観音は坐像が多いようですがここはすくっと立たれている上、お顔が憤怒の表情なのだと思いますがなんとなく穏やかな印象がありました。
横山神社馬頭観音立像

横山神社から光明寺まで行き、5時の最終バスに乗ろうと思い、歩き始めますが、お祭りの幟が片づけられ始めていて道が判らなくなります。

不安になり、歩いている人に光明寺への道を訊きます。
 
最近引っ越してきて、確かではないけど、あそこでは?と言って、お堂を指されて、向かいます。大師堂高月支部と書いてありました。
 
ようやく光明寺にたどり着いた時にはもう最終バスの時間ぎりぎりでした。
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正妙寺であいさつを交わした後、あちこちでお目にかかった女性もおられて、再び挨拶を交わしますが、お話する暇もなくともかくお参りに・・・・
 
ご本尊の千手観音立像は室町時代の作ということです。
 
じっくりお参りする時間もなくすぐ最終バスが来てしまいます。慌てて写真を撮って飛び出します。ボランティアの方がバスを抑えていてくれてようやく間に合いました。
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道を間違わなければ件の女性とお話する時間があったのに・・・女性とお友達になりたいというのもあると思いますが、仏像を求める女性の気持ちというものを聞いてみたいというところがありました。
 
何故、最近、自分が仏像を求めて歩いているのか?ということをちょっと考えたりしていて・・・
 
バスを降りて、疲れ果てて敦賀に帰り、お定まりの五縁で疲れを癒して帰りました。

2年かけて「ふるさとまつり」に参加させていただき、主だった観音、仏像をお参りし、また高月町の面白そうなところ知ることができたと思います。
 
来年も、残った観音様をお参りしたり、再度お会いしたい観音、仏像、および雨森など、再び歩いてみたいとところを再訪しようと考えています。・・・何時まで敦賀にいるのって・・・?
posted by くまじい at 07:25| Comment(0) | 史跡巡

2010年08月07日

観音の里'10

昨年の『ふるさとまつり』で「来年、高月は長浜に吸収されるので、このお祭りが継続できるかどうか判らないんです」と地元ボランティアの方達が不安そうでした。
 
長浜市高月町となった今年も、無事8月1日(日)に開催されることを知り、喜んで出向きます。
 
長浜市のホームページでの扱いが小さい様な気がしますが・・・
赤後寺聖観音.JPG
<赤後寺 聖観音菩薩像>
※購入した写真からコピーさせていただきました。「千手観音像」も同じです。

『ふるさとまつり』は年に一回、8月の第一日曜日に高月にある観音像、仏像を町民のボランティアによりご開帳するお祭りです。

渡岸寺国宝十一面観音像、石道寺の十一面観音像など、常時ご開帳されているものもあるのですが、大半の観音像、仏像は普段は公開されていません。
 
それでも、行けば連絡先が記載してあって、電話すると世話人の方が来てくれて、拝む事ができるようです。

 
朝、ブログをアップして列車の時刻を調べたら、9時始めの新快速には間に合いそうもなく、近江塩津で乗り換えて11時半頃高月に到着の電車しかありません。

一瞬、車でと思いますが、なるべく歩きたいので、まあいいかと電車で行く事にします。
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乗り放題1,000円の循環バスのコースは昨年と同じ3コースに分かれています。
 
昨年は向源寺の渡岸寺十一面観音、石道寺十一面観音、伝教大師像のある高野神社が含まれるTコースの仏像、観音様をお参りしました。ほとんどバスに乗らずに、歩いてしまいましたが・・・

Tコースに加え、木の本の己高閣、世代閣、鶏足寺まで足を延ばしたのでずいぶん歩き応えがありました。
 
 おかげで己高山寺跡群と己高山を知ることになり、収穫の大きいお祭りでした。
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<八重の桔梗は知りませんでした・・>
 
今年は西野薬師観音堂を含んだVコースのバスに乗り、途中で赤後寺が含まれるUコースに移る計画です。 

西野薬師観音堂で循環バスを降りると、丁度ガイド付きの観光バスも到着し、界隈がずいぶん賑わいます。
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賑わう人達がシャカシャカ写真を撮りまくり、去って、そろそろと写真を撮り始めたころ、となりのオバサンが人に聞こえるようにつぶやきます。「撮影禁止って書いてあるけど・・・」
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<西野薬師堂 薬師如来観音>
 
えっ?と見ると確かに張り紙がしてあります・・・係りの人に謝ってカメラをしまいます。大勢がシャカシャカの時は黙ってて、俺が撮り始めたら、言うのか?とちょっと八つ当たり気味に・・・でも、自分が悪かったのは確かです。
 
係りの人はニヤニヤ笑って、しかたないなあと言う感じでした。ちょっと甘えて、撮ってしまった写真、申し訳ないことですが載せさせていただきます。
 
ご本尊を撮影するということについては、「四諦」について記事を書こうとして仏像の写真を探している時に、色々な議論があることを知りました。
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<十二神将 伐折羅大将 Wikipedia>
 
自分は記憶の中にお姿をとどめるために、許される限り、撮影させていただき記録しておきたいと思います。
 
西野薬師堂は元、天台宗泉明寺に伝教大師が納めたとされる薬師如来、十一面観音、十二神将が祀られています。
 
薬師如来、十一面観音の年代は異なるようですが同じように木造漆箔造りの金箔が剥げて、漆肌なのでしょうか銅がね色というのでしょうか、味わいのある共通した色をされています。
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<西野薬師堂 十一面観音像>
 
お二人共ふくよかで信頼感がわく、落ち着いたお顔をされています。薬壺を持たない珍しい薬師如来像の体型がどっしりした感じで安定感があります。
 
高月町の案内には西野薬師堂(充満寺)と記載があり、西野薬師堂を後にして歩いていると裏に真宗大谷派の充満寺がありました。境内に親鸞聖人の像がおられました。
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それにしても暑くなった中、正妙寺に向かいます。
 
途中で出会った女性がにこやかに笑いながら挨拶をしてきます。その女性とは最後の最後までご一緒になる機会がありました。・・・と言って、それだけのことなのですが・・・
 
渡岸寺の十一面観音像は今まで2回お参りしましたが、その都度、観音様に魅入られて動けずにいる女性を見かけました。
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<スバルサンバーの改造車らしいです・・・>

女性が観音様に魅入られて立ちつくしている様子を見ていると、なにか切ないような愛おしさみたいな気持が湧いてきていいなと思います。
 
ご本人、色々な想いで立っておられるのであって、あらかんの勝手な思いは迷惑で、じじいがいやらしい目で見ているわというところでしょうが・・
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<名前知らず>
 
湖東山正妙寺の千手千足観音像はおそらくこの御一体しかなくいという珍しい観音像だそうです。
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なにか人間の苦悶、悲しみ、願望を一身に受けて任せなさいって感じのちょっとユーモラスな感じのする観音様です。
 
必死さが高じて欲張りすぎて滑稽な感じになっている・・・等と言うと怒られるでしょうか・・・膝小僧が見える観音様も珍しいのだそうですが、これもなんとなく微笑みを誘う感じです。
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泰澄の開山で最澄が復興させた己高山鶏足寺群、その七ヶ寺の一つの松尾寺。ちなみに他の六寺は法華寺、石道寺、万願寺、安楽寺、円満寺、鶏足寺になります。

町のパンフレットには「まつお」と記載がありますが、地元の方達は「しょうび」が正しいとのことでした。ついでですが青葉山登山の時にお参りした松尾寺は「まつのお」と読みます。
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松尾寺は同じく己高山を冠した覺念寺(真宗)を抜けて登って行きます。
 
御本尊は不動明王、毘沙門天を従えた、端正なお顔の十一面観音像です。しばし、腰を据えて休みつつ、拝ませていただきました。
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ボランティアの人たちの冷たい飲み物、飴やお菓子などののサービスがあり、町の人達のこのお祭りに対する愛着が伝わってきます。
 
今回は暑いので毎回冷たいお茶のサービスを受けてしまいます。
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さらに、普門寺と東柳野観音堂に向かいますが、ちょうど循環バスが来そうなので利用することにします。
 
龍頭山普門寺の観音堂には薬師如来坐像と聖観音立像がおられました。聖観音は暗くてお顔がよくわかりませんでした。
 
仏像の写真を撮るときにはフラッシュを焚かないことを自分なりに原則にしており、光が不足して撮った写真のお顔もはっきりしていません。
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こちらのボランティアの方達はかなり高齢な方達で、地域により、檀家さんの年齢層に偏りがあるのかなと思いました。
 
ここでもお茶を2杯もいただいて、川向こうの東柳野長命寺薬師堂に向かいます。
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<長命寺境内のさるすべり・・あちこちで盛りでした>
 
長命寺薬師如来は鎌倉初期の作と言うことですが、近年修復されたそうで、小さくて綺麗な如来像です。
 
係りの方は修復で色まで塗ってしまったので、良さが消えてしまった、汚れを落とすだけにすべきだったと残念そうでした。
 
修復前のお姿を知らないので何とも言えませんが、今のお姿も良いなと思います。
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ここでVコースを外れて、Uコースに移ります。長命寺は乗り継ぎのバス停ではないので、一番近い磯野寺まで川沿いに歩くことになります。 続きます。 
posted by くまじい at 21:00| Comment(0) | 史跡巡