2009年09月27日

出張記

久しぶりの成田空港です。初めて乗るスイスインターナショナルエア(以前のスイスエアは破綻し、会社が変わったそうです。)でスイスのチューリッヒに直行します。
スイスエア. 
Swiss Internatinal Air

ロビーで見ていたら、目の前にスイスエアと同じようにピンチのJALが話を進めているデルタエアの飛行機が居ました。その向こうをデルタとJALの取り合いをしているアメリカンの飛行機が通り過ぎていきます。
デルタエア

飛行機に乗ると、なぜか飛び立つ直前に寝込むことが多く、今回も同様で、ぐっすり・・・ベルト着用ランプが消える音あるいは誰かがトイレに立つ音で目が覚めます。
 
ふと横を見ると富士山が・・慌ててカメラを構えますが少し遅かったようです。
富士山
 
飲み物サービスが始まります。バカルディのロックとチェイサーを立て続けに3杯お代わり。隣のオバサンが「そのお酒は強いんですか?」ってあきれてます。

隣のオバサン、医者一家で、やはり医者の娘とプラハ、ウィーン、ブダペストのツアーに来ているとのこと。チェコはポルトガルと共に自分の行ってみたい憧れの場所の一つです。

「食事が付いて60万円だから安いんですよ」・・・我々はその「安い」60万円が簡単にでないっていうの。色んなとこと行ってるみたいで話しが豊富。でも自慢たらたらというのでなく、訥々とお話されるので、聞きやすかったです。

後ろの方にいる他のおしゃべりバアサンは大きな声で旅慣れていることを周囲に吹聴していて、かなりの煩さです。話かけられている夫婦が可愛そうです。

隣のオバサン、パリで良かったのはモネの家でしたって、密かにパリはある程度知っているつもりでいた「あらかん」は、オバサンの一番のお気に入りの場所を知らないという底の浅さを露呈。ツアーで行くと勘所を外すことなく廻るのだと思います。って、ひがんでるかしら・・

オバサンの相手をしつつ、そのうちぐっすりと寝込みます。
 
ふと起きて寝ぼけ眼で見た「Xmen/ウルヴァリン」は見ている途中で寝てしまうため、どうしても筋が繋がりません。肝心なところを見直そうと戻しますがその都度、同じようなところで睡魔が襲います。
 
結局あきらめて再び寝ます。
512RVDXnDQL.jpg
amazon.co.jp

次に起きてみた2本目の「アイランド」は比較的筋がわかりました。でも出だしのところはほとんど寝ていたので今一わからないままでした。
アイランド
Yahoo!映画

 チューリッヒ空港に着くと小雨模様です。
 
後でスイスの人に聞くと「この時期はいつもどんよりと雲があって、しとしと雨が降る」ということで、梅雨状態の様でした。
行き先表示 
 
電車で行ってみようと自動券売機で苦労します。料金ゾーンで買うのだと思いますが今一不明で、結局人の居る窓口で購入します。
時刻表
 
チューリッヒ鉄道駅、チューリッヒ空港とか大きな駅は券売機のディスプレイにボタンが出てくるので判るのですが、途中駅の小さい駅ではわかりません。
スイス国鉄の電車

SBBはドイツのスイス連邦鉄道の略、CFFがフランス語、SFFがイタリア語とスイスの公用語が併記された形になっています。
スイス国鉄マーク
 
SBBは路線を保有しているのみで運営は各州ごとの運営会社が運営しているとのこと。
 
写真のマークのZVVはチューリッヒ周辺のエリアを運営する会社のマークの様です。帰ってからZVVの意味を調べて判りました。
ZVVのマーク

空港からチューリッヒ駅に向かう最初の電車で逆方向の電車に乗ってしまうドジをして、1時間程かけて今日の目的地バーデンに着きます。
去りゆく電車

バーデンはその名の通り、ドイツのバーデンバーデンと同じく、温泉で有名でカジノもあるということですが、何回か訪れていますが宿泊するだけで、縁がありません。(写真はスイス政府観光局から)
baden
 
バーデンのホテルは綺麗なホテルでした。
HOTEL DU PARC 
 
部屋の中を写真を撮るべきでしたが思い至りませんでした。
ホテル内部

翌日の行動は充実の一日で午前、午後の予定を無事終了。
 
写真は午前中の訪問先の原子力発電所の入り口です。Beznau 
 
カラフルな建物にびっくり、建物左手は1階がレストランになっていて、職員達が朝飯をとっています。昔は誰でも入れたとのこと。
Beznau2

日本の発電所を知っている人間にはその違いに唖然とする思いです。建物の後ろに、原子炉やタービンの建屋が見えます。
 
建物の写真を撮ることはガードマンに断りましたが、発電所そのものの写真を撮っていると問題になりそうなので遠慮しておきました。
 
案の定、中に入ると撮影禁止を言われましたので無制限に写真を撮らなくて良かったです。
発電所の一部

この発電所は小さい発電所でそばを流れるアーレ川からの取水で冷却をしています。
 
通常川水冷却の場合にはスリーマイルアイランドの事故で有名になった巨大な冷却塔が付随しますがここは川水の顕熱だけで賄える程除却熱は小さくて済むということです。
アーレ川.
 
下の写真は発電所の後に訪れた放射性廃棄物の集中貯蔵施設の運用会社です。
Zwilag

アーレ川はドイツとの国境を流れるライン川の支流になります。
 
スイスと言ってもしたがってドイツ南部と言って良い感じの場所のため、低い山が見えるだけで、南部の様なスイススイスした光景はありません。(写真はスイス政府観光局から拝借したチューリッヒの写真です)
zurichmain11.jpg

夕方にチューリッヒに移動。チューリッヒ駅に行くのは自動販売機の画面に「Zurich BH」とボタンが出てくるので容易に購入できます。
チューリッヒ駅構内 
Zurich4Station

チューリッヒのホテルはバーデンに比較すると都会の三流ホテルでバーデンのホテルから大分落ちます。
 
バーデンでは無料だったインターネットも一日2000円 とられることに。
Zurich Hotel
 
夕飯に外にでて暮れ行くチューリッヒの街をお散歩しました。 
Zurich7 
Zurich12  
Zurich10 
Zurich18 
Zurich14 
Zurich5 
Zurich13 

飲み屋街を歩くと若い人達で賑わっていましたが、ちょっとカメラを向ける勇気がありませんでした。
Zurich9 
Zurich15
posted by くまじい at 20:00| 遊歩道

2009年09月26日

供養祭0913

3年前になると思いますが、自転車の前輪が溝にはまって跳ね飛ばされ、頭骨にヒビが入り、一週間検査付けの入院をしたことがあります。
 
幼稚園の頃、疫痢で入院して以来の入院生活でした。
手筒山頂0022

怪我に関しては、自分が不注意であることは確かなのですが、蓋のない「どぶ」が多く放置されていることには、文句を言いたい気がします。
 
自分がハマった場所は、いまだに蓋なしのままです。近くを通るたびによく死ななかったと冷や汗が出ます・・・と、まあ関係ない話はともかく・・・
手筒城址0015
 
退院してもふらふらしているので一週間お休みをもらい、リハビリをしました。
 
リハビリと言ってもステッキを突きながら、 普段は余り行かない手筒山中心に、中池見、金ヶ崎を縦走したり、敦賀の街の中をほっつきまわると言うものでしたが。
中池見0003 
中池見009ミツガシワ 
金崎宮0043 
金崎宮0046

歩いている時に、大谷吉継(吉隆、刑部少輔)の菩提寺である永賞寺も見つけ、偶々居られたお坊さんに吉継の由来を聞いたりしましたが、余り印象に残ってはいませんでした。
 
きっと大谷吉継その人に対する関心がまだ希薄だったこと、関連するお寺、神社は幾つかあり、その一つなのだろうなと言う感覚でした。
永賞寺14

お寺の建物の外観が新しく、歴史を感じさせる雰囲気がなかったということもあったと思います。
 
永賞寺は天台宗のお寺として開基されたものを大谷吉継が菩提寺としたときに曹洞宗のお寺としたと言うことです。
永賞寺1

今回、その永賞寺で大谷吉継供養祭が開かれるということで覗いてみようかなと。
 
実際の命日は新暦の9月15日にあたるそうですが、近場の日曜日としたのだと思います。
 
永賞寺ではNAVIには出てきませんでしたので、記憶をよみがえらせながら出向きました。
永賞寺13

ネットで敦賀観光協会のホームページを見ると、「遊敦塾」で供養祭を含むツアーが組まれており、常宮の国宝「朝鮮の鐘」まで見に行くとあって、終了が16時頃とのこと。
 
その日ちょっとやらねばならないことがあったので、ツアー参加は止め、供養祭のみと決めました。
永賞寺15

一応数珠は持って行きましたが、何時もの通りの半袖シャツに短パン、スニーカと言う姿で降り立つと、礼服姿の方が並んでいてちょっとビビります。
 
せめて、シャツを衿のある黒を選んできて良かったという感じでした。
永賞寺2.

まあ、あとから来た、いかにも見学風の方や報道陣の人はラフな服装でしたので安心しましたが。
 
報道陣は中日(県民福井)、朝日、読売、RCNなどが居たようです。そのうちビデオのお姉さんがちょっと良かったので激写・・・気が付いて、じろっとにらまれました。
ビデオ担当女性
 
供養祭は「大谷吉継公顕彰会」主催で5年目になるとの説明があり、そんなに新しいの?って、意外な感じがしました。
 
来賓の「敦賀水戸烈士遺徳顕彰会」の会長の挨拶に以下の説明がありました。
水戸烈士顕彰会会長

『本日は、敦賀に二つしかない顕彰会の一つとして招待されました。「水戸烈士・・」の活動は大正の頃から始まり、史実を追求することを行なってきました。
 
「大谷・・」は今ご説明のあったように歴史の浅いもので、歴史を大切にしない敦賀の人の態度は理解できない。今まで何をしてきたのか・・・』
 
と言うような出だしでした。
永賞寺11

7〜8年前から有志による供養は行なってきたようですが、供養祭として実行するようになったのがつい最近とのことです。
 
ファンがそれなりに居られる戦国武将である吉継公に対し、近年まで行事がなかったのは、確かに不思議な気がします。
永賞寺6

供養祭に敦賀市長代理は来ていましたが、お付き合いと言う感じで、むしろ市が積極的に目玉を作る目的で、今の戦国時代ブームに乗って吉継に力を入れて売り込んでもいいのではないかと思います。
永賞寺12

大人気の彦根のヒコニャンに対抗して、2008年に下記のキャラクターが制定されたそうです。
 
左からバショさん(芭蕉)、ツヌガ君、ヨッシー(吉継公)なんだそうです。
 
吉継公はハンセン氏病に犯され、顔の崩れがあったため、常に頭巾を被っていたということで、ヨッシー君も頭巾を被っています。 (敦賀市観光協会のページから写真を借りました)
敦賀ユルキャラ

先週、普段は見たことがない「天地人」を見ました。
 
偶然だったのですが、関ヶ原で吉継が戦っているシーンがでてきました。
 
吉継公は頭巾だけでなく、鼻から下を隠したマスクをした姿で描かれていました。
 
こちらの方が史実に近いのだと思います。
永賞寺5

新快速が開通する時に、長浜は黒壁スクエアを中心に全国規模で訴えかけるイメージを構築して成功したということが言われています。
2003年3.30長浜025.JPG 
 
一説には敦賀に新快速が延伸する時に、長浜は脅威を抱いたとか・・・今はすっかりご安心されていることと推察します。(だいぶ昔に長浜を歩いた時の写真です。上下2枚)
2003年3.30長浜050 (2).jpg
 
また脱線しました。来賓挨拶の後、読経。
永賞寺8

敦賀吟遊会による大谷吉継を唄った詩と吉継の辞世の唄の吟詠。
永賞寺9吟詠

続いて北陸剣友会三方支部・無双直伝「英信流」による居合い抜きの演舞がありました。真剣が目の前で踊るのは迫力がありました。
永賞寺10居合抜き
 
引き続きお焼香となりましたが、見物客は誰もお焼香に行きません。
 
ちょっと恥ずかしかったけど、短パンの「あらかん」は列の後ろに並んでお焼香してしまいました。
 
辞世の句は『契りあれば六つの衢に待てしばし 遅れ先だつことはありとも』というもので、意味が判るわけではありませんが、「後先はあれどいずれ人間は死ぬもの」というように受け止められます。
 
吉継の諦観がにじみ出ているような気がします。
永賞寺17

一通りの供養が終了し、絵物語による関ヶ原の決戦のお話が始まる直前にツアーのバスが到着しました。
 
供養祭に参加しようとツアーに参加した方達はちょっと寂しかったのではないでしょうか?
永賞寺18

終了後、吉継ファンらしい女性が名残惜しそうに供養塔の写真を撮っていました。
永賞寺16

絵物語の方は記者のインタビューを受けていて、翌日の新聞の主役になられていました。【参照】に読売新聞の記事を示しました。
永賞寺19

Wikipediaの文章や、他のブログなどの大谷吉継の文章を見てみましたが、あまり人物象が浮かび上がりません。
 
なぜ、三成を説得に行ってミイラ取りみたいに西軍戦いの中心になってしまったのかなど、どうも今一入り込めないところがあります。
 
Amazonで検索したところ吉継公の小説、解説など10くらいヒットしました。もう少し知りたくて探していた「フェアポート・コンベンション」のCDと共に、数冊を注文してしまいました。

供養祭は、前に想像していたものに比較して、なんとなく寂しい気持ちになるものでした。
 
関ヶ原ブームに乗った盛り上げがもっともっと可能なのでは?せっかくの人気が出る可能性のある素材がもったいない。・・・そんな余分なことを考えていました。
 

【追記】
冒頭のリハビリの一週間が過ぎ、仕事に復帰してからしばらくした後に、健康診断がありました。
 
体力測定で両目をつぶり、片足立ちをするというのがあり、トライしましたが、目を閉じて片足挙げた瞬間に崩れると言う感じで2秒も持たず、焦りました。
 
三半規管に影響があったものと考えられます。最近やっていませんが、さすがに今はもう少し立っていられそうです。
【参照:読売新聞9月14日記事】
posted by くまじい at 05:00| 茶話室

2009年09月13日

野坂0905 猿肥える晩夏

野坂の頭は雲の中です。今日は人が少ないだろうなと思いながら、出発です。
何時もより早めの6時50分に登山口から登り始めました。
 
水場に来るとトリカブトの花が7分咲きという感じです。帰りに天気が良くなった時の写真も混ざっています。
トリカブト 
 
伊吹のトリカブトはすっと立っていましたが野坂のトリカブトは鈴なりになった花が重そうに頭をたれる感じです。

 
前に三十三間山で見た、トリカブトも野坂に近い感じでした。
トリカブト2 
 
「野坂一人旅」さんに途中抜かれます。「風がないから結構暑いね」と。
トリカブト3 
 
何時もは水場の手前のだいぶ下の方で会う、宮本さんと中間点くらいですれ違います。
トリカブト4

水場から行者岩に向かう道に深坂古道で見たヤマジノホトトギスが2輪咲いていました。 

二の岳を過ぎる頃に一瞬太陽が顔をだしますが、すぐに雲の中に隠れます。尾根道を歩いていても林の向こうは雲しか見えません。
ヤマジノホトトギス

頂上付近に、白い可愛い花が咲いています。
 
「野坂一人旅」さんのブログでホツツジという花であることを知りました。
ホツツジ 
 
野坂の花が判らないときにはほとんど「野坂一人旅」さんが確認されて名前を記載しておられるので勉強させていただいています。
ホツツジ2 
 
最近穂高さんのブログに昔の山の写真が混じるようになってきています。穂高に登ろう会の名前どおり色々行かれているようです。
ホツツジ3
 
新穂高ロープウェイしかしらない自分には、北アルプスは憧れるけど、未知の世界で、ちょっと気軽に行きたいと言えないところがあります。
 
野坂の頂上につくと、陽は射していますが雲で何も見えません。西の方にかすかに三十三間山と思しき山が見えます。
三十三間山
 
色々な山岳会が記念のプレートを置いて行ってるようです。気持ちはよくわかるけど、皆がやりだしたら、頂上は大変なことになっちゃうなと思います。
登山記念?
 
しばらくぼんやりしていましたが回復の兆候はなく諦めて、避難小屋で久しぶりにノートに記載して下山することにします。

野坂に最初に連れてきてくれた自分の山の師匠は今敦賀を去られたのですが、時々仕事で訪れることがあるらしく、お名前が載っています。相変わらずの強行軍の様です。

敦賀におられた時は年間50回野坂に登られていました。
 
人が全く居ませんでしたが、頂上から降りかけると男女カップルが登ってくるのに出会いました。
ヤマボウシ 
 
頂上付近にヤマボウシの実がなっています。後で知りましたが食用になるとのこと、甘酸っぱい桃の様な味がするとのことです。
ヤマボウシの実

ツルリンドウ・・・ピンボケです・・・
ツルリンドウ
 
名前の判らないものが並びます・・・
名前知らず1‐0905.jpg 
名前知らず2-0905 
名前知らず3‐0905
 
二の岳を過ぎて歩いていると尾根道に薄日が差して良い感じです。
二の岳への尾根道
 
SDステレオでちょうどジョーコッカーの唄が流れているときでした。
 
突然、尾根道の傍の樹が大きく揺れ始めます。
野坂の猿1 
 
一瞬ビックリして大声を上げてしまいましたが、なんだなんだと見ていると大きな猿がフゴッフゴッ言いながらゆっくり降りてきます。
 

人に気付いているくせに知らん顔で近くの樹の根のところに腰掛けて毛づくろいを始めます。
野坂の猿3 

しばらく見ていて、顔写真を撮ろうと思ってこちらを向かせようと声をかけても素知らぬ顔でいます。
 
猿のこと言えないけど、えらく体格の良い猿で、太ももと二の腕の太さを見ると猿というよりゴリラみたいな感じです。野坂の森は栄養豊富なのでしょうか・・・相手にしてもらえないので諦めて下山します。
野坂の猿4

ススキ越しに三の岳を望みます。
ススキと三の岳

ふと林の中に黄色い葉を見つけました。秋がもう近くにいる感じです。
木陰の秋?

一の岳の標識のところにひっそりとキンミズヒキが、傍らに「野坂・・・」で教えていただいたアキチョウジが咲いています。
キンミズヒキ 
アキチョウジ

 一の岳の下に咲いていたトリカブトを写真に撮っていると、女性3人を引き連れた男性が「これはトリカブトですか?」と聞いてきます。
 
「そうですね。」「いやあ、この女性たちがトリカブトだったら、株ごと引っこ抜いて持って帰って、ご主人に煎じて飲ませてやりたいっていうんですよ。あはははっ。」
 
「はあ〜」とまあ、あまり趣味のいい冗談でないような気がしましたが、曖昧に笑って別れます。 
クサギ 
 
水場に戻ると雲が切れてきました。登りのときに気になっていた花・・・木之本でも同じものを見かけました。
 
クサギと言うようです・・陽射しの下で輝いています。
クサギ2 
 
クサギの写真を撮っていたら、カラスアゲハがヒラヒラと 道のくぼみにできた水溜りを渡っていきます。
カラスアゲハ蝶
 
先ほど、頂上ですれ違ったカップルが降りてきて、女性が自分に近づいてくるやいなや、人のお腹を触ってきます。
 
「さっき、通りかかった後、山の好きな人がなんであんなにメタボなのかしらって話していたんですよ」って、それは良いけど気易く人のお腹に触らないでほしい・・・お尻触っちゃうぞ・・・
 
とは、口に出しては言えずに「降りた後のビールがいけないのかもね」。オバサン、満足そうにけらけら笑いながら下っていきました。
水場までの沢道

明日は久しぶりの居酒屋のコンペ。芦原でご一緒した「あらこき(古希)」さんの送別コンペです。あまり疲れもないし、少し頑張れそうかな?

追記1:・・・・ゴルフは不満足な結果に終わりました。
 
追記2:9月12日(土)にプラザ萬象に福井県立美術館移動美術館を観に行ってきました。版画の中ではレンブラント、平成20年度新収蔵品の絵では三上誠の「蓮と美少女」が素敵でした。

他にゴヤ、ピカソ、ミロなどの版画、リトグラフがありました。
県立美術館移動美術館1 

看板の絵はゴーギャンの版画です。
県立美術館移動美術館2 
お客さんは自分を含めて3人しか居ませんでした。
県立美術館移動美術館3
posted by くまじい at 01:45| 山紀行

2009年09月12日

芦原ごるふくらぶ

これだけゴルフをやっているのに、ゴルフの話を避けてきました。
 
ゴルフはただ、付き合いでしているだけで自分がやりたくてやっているわけではない・・・
 
というのは全くの嘘で、好きだけど、上手くなれなくて、人に語るべきものを持っていないこと、ゴルフの時にはカメラを撮っている余裕がないというところがホンネです。

「あらかん」と誤魔化していますが、実はAROUNDではなく、JUST還暦、還暦丁度で「イチジク」でなくて「かんちょう」でした。
 
って・・・なんのことかわからない・・・

9月3日・・・自分の60歳最後の日、70歳を迎えて敦賀を去られるゴルフ仲間の方と、かねてより憧れていた芦原ゴルフクラブの海コースでプレーをしました。
 
海コースは必ずキャディが付いて、平日でも16500円とお高いコースになります。
芦原ゴルフクラブ10

海辺のコースのせいで、塩でやられるのか、グリーンがちょっと元気がない感じがしますが、手入れが良く行き届いており、名門を感じさせます。
 
25年前に全日本女子オープンが開催されたことがあるとのことです。
芦原ゴルフクラブ1 

 コースの樹々はほとんど松という感じです。
芦原ゴルフクラブ5
 
7番ホールくらいから海が見え始めます。
芦原ゴルフクラブ2
 
9番ホールの中間には『奥の細道』にでてくる、汐越の松と碑があります。
ャ越の松2

奥の細道に以下のような記述があるそうです。

 「越前の境、吉崎の入江を舟に棹さして、汐越の松を尋ぬ。 『夜宵嵐に波をはこばせて月をたれたる汐越の松』 西行(作、一説に蓮如作)此一首にて数景尽たり。もし一弁を加るものは、無用の指を立つるがごとし。」
あらこきモデル(汐越の松)

西行(蓮如)の歌の意味は、「海は夜通し時化て、その嵐の風で大波が磯に打ち寄せ、汐越と言う海辺の松に、波しぶきがうちかかり、松からの雫が折からの月の光りしたたっている。」ということだそうです。
 
ちょっと感激しますが肝心の汐越えの松は枯れ果てた姿で横たわっており、当時の情景を思い浮かべることが難しそうです。
汐越えの松
 
普段、セルフでゴルフをしているのでキャディと一緒にプレーする感覚が思い出せません。
 
一緒に廻っている仲間もグリーン近辺で、つい皆のパターを持って、セルフキャディをしてしまって、「私がやります」と本当のキャディさんに言われて恥ずかしそうにパターを返します。
芦原ゴルフクラブ4

ドライバーを引き抜いてヘッドカバーを外してポンと投げるとそれがキャディさんの足元に。
 
キャディさんが黙ってそれを拾ってくれるのを見て、「あっ、『おい、拾えっ』みたいな態度に見えるな」と焦って、キャディさんにそんなつもりでなかったことを謝ります。
  
黙って待っていればキャディさんがカバーを外してドライバーを渡してくれるのに慣れるまで数ホールかかりました。
芦原ゴルフクラブ9

「あらこき(古希)」じいさんは調子に乗って「おい、くまじい、キャディさんがいるからエース(ホールインワン)狙おう」ってほえています。
 
ご存知の通り、ホールインワン保険は証明するキャディさんがいるか、それに準じた形でコースの人が証明してくれないと下りません。 
 
万が一のことを考えて保険に入ってはいますが、何時もはセルフなので、もらえる当てはまったくありません。
 
「こういう時にこそっ!」という「あらこき」さんの気持ちもわかります。
芦原ゴルフクラブ3

しかしながら、このところ80台を伺う調子で密かに期するものあった、この「あらかん」は、ドライバーは当らない、フェアウェイウッドは頭を叩くと最悪の状態で、ホールインどころかグリーンに乗りません。
 
「あらこき」さんは平気で80台、自分は100を越える不調・・・ではなくて実力不足でした。
芦原ゴルフクラブ6(北潟湖望む)

それでも一時期どういう風にクラブを振ればいいのか判らなかったときから脱してきたような気がします。
 
一度、若い人に飛距離を馬鹿にされ、飛ばそうと思って本を読んだのが逆目にでて、クラブの振り方を忘れてしまう事態となったことがあります。
芦原ゴルフクラブ7(北潟湖望む)pg

「途中の形が大事だ」という理論を実践しようとして途中のひじの形を気にしていたら、スィングが中途半端になり、手打ちになるという負の連鎖に陥りました。

一部の理論を切り貼りするとトンでもないことが起きるということを身に沁みて判った気がします。
 
本は一方通行なので、受け手の解釈が入り口で間違えばとんでもない方向の結論になる可能性があると思います。
芦原ゴルフクラブ8(北潟湖望む)

推理小説であれば、推理の筋道は色々あっても、最後には犯人にたどり着きます。
 
スポーツ教本の結論は自分のスキルアップですが、これが正解がわからない。
 
練習場で少し良くなって成果が上がったと喜んでいると、そのうちボールが曲がりっぱなしになってきて本の教えは何処へやら、断片的に記憶している言葉の端々が切れそうな糸で連なって・・・当らない、当れば曲がることになってきます。
 
・・・正解が判っていないから迷うととんでもない方向に行ってしまうのだと思います。
 
ようやく真直ぐ飛ばせるようになったと思ってほっとしてると、人から見たらえらく変則的なアドレスになっていたりします。
 
それを指摘されて元にもどすとこの数ヶ月の努力がすっかり消えてしまいます。。。。
芦原ゴルフクラブから覗く北潟湖
 
テレビで男女3人にコーチする番組を見たことがありますが、コーチが各人の特徴を把握していてそれぞれの特性を考慮した教え方をしていました。
 
ああいうコーチなら受けて見たい気がします。

どん底の後、振り方を少し思い出してきて、一年くらいは好調でしたが、一時期仕事が忙しく、暑い夏にもめげて、練習に行かなくなったことから、再びどういう風に振るの?状態になり、行けども行けども大台を越えるすさまじい冬を過ごしました。
芦原ゴルフクラブ11
 
どん底の時は良いときのことを思い出すことは絶対なく、再度ゼロからスタートして新たに積み上げていくことになります。
 
まったくもう40年近くゴルフをやっていて、とんでもない運動音痴で学習効果のない男です。
 
ラウンド中におかしくなると、焦ってくるので、早くボールを打ちにいくことになり、トップが浅くなり、手打ち傾向が強くなる気がします。
 
カーッとなっているので何をしているかチェックできず、どんどん悪化します。
芦原ゴルフクラブ12

そういう直後に練習場に行って何が悪かったか反省するのが一番良いのだと思いますが、凡人はやる気を無くして酒に紛らせてしまうため、また同じ道を辿ることになります。
 
同じことを何回繰り返すのでしょうか・・・
 
お恥ずかしい話をしましたが、叩きすぎて落ち込みむこともありますが、ゴルフは成績が悪くても、良い景色、季節の移ろいを感じるだけでも快適です・・・・芦原みたいな風情豊かなコースにくると特にそんな気持が強くなります。 
posted by くまじい at 10:00| 娯楽歩

2009年09月08日

一ツ橋界隈

学生時代、研究室に、切れ味鋭く驚異的な記憶力の持ち主の博士課程の方がいました。教授に請われて他の研究室から移って来られた方で、シニカルな、きつい冗談で何時もからかわれていました。
 
6人居た同級の学生の中で自分が2年浪人で一番年寄りでしたが、一番勉強しない学生で、アカデミックなところからかけ離れていましたから、トンでもない奴が居るなと呆れておられたと思います。それでも不出来な弟分として接していただいていました。
 
後に、研究室を引き継がれて教授になられ、功績を挙げられましたが、年月過ぎ、このたび定年で退官されることになりました。 
 
その記念パーティが 神田錦町にある学士会館で開催されることになりました。
学士会館正面
パーティは土曜日で、翌日はゴルフに縁のない教授はさておき、有志でゴルフをしようというもので、パーティ当日、敦賀から出向きました。
地下鉄駅 
新幹線でちょっと飲んでしまったため、身体重く、慣れないスーツで汗かきながら神保町に向かいます。
地下鉄駅2
神保町に到着、地下鉄を降り、迷路の様な通路を歩いて、ようやく学士会館に出ます。
神保町駅
40年前にここで兄の結婚式があったこと、20年前に自分の担当教官だった教授が叙勲された記念パーティがあったことなどが蘇ります。
学士会館レストラン 
20年に一度の訪問って、すごくない?・・・とか考えながら・・・
学士会館2
学士会館にたどり着くと「野球発生の地」の像があります。ここは元開成学校(=旧第1高等学校=東大)の在ったところでそこに教師として来日していたウィルソン氏が学生に野球を教えたのが日本に野球を持ち込んだ最初ということのようです。
日本野球発祥の地
大学発祥の地、東大の発祥の地などの碑もあります。明治10年に開成学校と医学校が合流して、東京大学が誕生したとのことです。
東京大学発祥の地
東京大学はその後、帝国大学と名前を変えますが、京都帝国大学ができると東京帝国大学と改称します。京都の後に、東北、九州、北海道、大阪、名古屋および京城、台北と帝国大学が誕生します。学士会館の学士会というのはその旧帝大9大学の出身者が会員を構成する会ということのようです。
大学発祥の地
この他に、同志社大学の創始者、新島襄生誕地の石碑もありましたが、パーティに遅れそうで焦っていた時に気が付いたため、写真を撮っている余裕がありませんでした。

学士会館に着いた時は余裕で、少し回りをぶらついてみようと思いました。
向いに渡ると共立女子大があります。
共立女子大前並木
お堀の方に歩いて直ぐのところに、東京外語大発祥の地の碑が・・・
東京外語大学発祥の地
その先に一橋大学の同窓会組織の如水会館があり、一橋大学開校の地とのことです。
 
ということで、学校自体は共立女子大しか見当たりませんが、一ツ橋界隈は多くの大学が生まれた文教地域になっているようです。そう言えば地下鉄の案内に東京電機大学の文字もありました。
一ツ橋
如水会館から道を渡ったところに一ツ橋があり、渡ると竹橋にでます。
一ツ橋2 
左手に丸紅、右手にビルの円筒状の部分が目立つ毎日新聞を見ながら内濠にたどり着きます。
竹橋から大手町方面 
平川門から見た毎日新聞
内濠の道路はアイポッドないしはその手のイヤホンを耳にして、片手に水のボトルを握ったほぼ同じ様なファッションの人達が大勢ジョギングをしています。
内堀通り(大手町方面)
内濠にかかる平川橋の袂に「東御苑」の説明板が立っています。
内堀と平川門
東御苑は皇居の内濠の中の東半分に相当する、江戸城の本丸、二の丸、三の丸の跡を整備し、1968年より公開するようになったということです。
パーティの時間が迫ってきたのであまりのんびり見て廻ることは出来ませんがともかく中に入りました。
平川橋
平川橋を渡ると平川門があり、くぐって行くと発券所があります。と言っても入場は無料で整理券をもらい、出場の時に返却するという入場者の把握に利用する形です。
平川門
廻りを日本有数のビジネス地帯が囲んでいるので東御苑の樹々越しに見えるビル街が面白いスカイラインを形成しています。
丸の内方面 
百人番所 
石垣と同心番所
敷地が広大で、とても全部を回りきることはできません。本丸公園の方に上がるのは諦めます。壮大な石垣が印象的です。
石垣 
石垣と毎日新聞 
本丸石垣 
本丸石垣2 
白鳥濠
平日は周辺に勤める人達の散歩道になっているのかもしれません。うらやましい限りです。
二の丸庭園付近
美しい竹林がありその前にオミナエシの花が咲いていました。
竹林 
オミナエシ
桜の樹らしいもの見えるので、出るときに守衛さんにお聞きしたところ、本丸の付近が桜の季節は美しいとのことでした。
 
時間ぎりぎりになったので、慌てて学士会館に戻ります。人数はそこそこ集まってきていますが、まだまだ始まる気配がありません。受付でもらった最新のスケジュールはメールで案内が来ていた予定表より、30分ずれていました。もう少し東御苑でのんびりできたなと心残りでした。
 
前に、一日乗り放題のチケットで地下鉄大江戸線沿線のぶらり旅をして面白かった記憶もあり、折に触れ東京徘徊もトライしていきたいと思いました。 
posted by くまじい at 01:04| 遊歩道