2012年05月21日

敦賀の桜 沓峠

沓を抜けて手に向かう峠の袂に大きな桜の樹が、出勤の眼を楽しませてくれます。以前峠の手前から撮った写真を載せたことがありますが、いつか近くに行って見てみたいと思っていました。
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4月18日朝、少し早くアパートを出たので、チャンスかなと峠の手前で曲って桜を目指します。
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その前に峠側から写真撮りたかったけど、なんせ車を停めるところがない。大分手前で出勤の車の群れをかわしながら歩いて行かねばならないので、時間がかかるのとちょっと恥ずかしい。
 
ということで峠側からの写真を諦めます。
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車を桜の近くに停めると家の方がでてきます。庭に入る様な形になるので断らないといけないと思っていましたので、これ幸いとお願いします。
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どうぞ、どうぞと快く受け入れてくれます。
 
「ちょっと過ぎてしまったね。もうすぐこちらのヤマザクラが咲き始めるんですよ。」と峠側からはちょっと見られない角度にある斜面の樹を教えていただきます。
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峠から見える桜は一本の大きな樹で迫力があると思っていましたが、実際には3本くらいの樹が重なって、大樹のように見えているようです。
 
表舞台の峠側からみる桜と言えるかもしれません。
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「また季節に来させていただきますのでよろしく。」とお願いして会社に向いました。って、来年も敦賀にいるってことか・・・
posted by くまじい at 00:10| Comment(0) | 花風景

2012年05月20日

京都の桜 龍安寺

妙心寺塔頭、桂春院から龍安寺に向います。
 
3時を過ぎたので、昼飯はもういいかと思いつつ、適当なところがあればと探しながら歩きます。
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<石庭のシダレと桜>
 
ピンとくるところがないまま、歩いて行くと嵐山線龍安寺駅の桜の下にチューリップが咲いていました。
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龍安寺手前の民家の庭に立派なシダレ桜がさています。
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大雲山龍安寺は臨済宗妙心寺派。1450年、細川勝元開基、開山は妙心寺5世、義天玄承。
 
細川勝元は足利義政の後継者争いで応仁の乱(1467~1477年)を東軍の総帥として戦った。敵対した西軍の総帥は山名宗全。
 
応仁の乱は決着することなく宗全に続いて勝元の双方の死により和解となりますが、世の中は大きく動き出し、戦乱の世を迎えて行きます。
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龍安寺は応仁の乱の戦火で焼失しますが、1488年に勝元の実子、政元により再興。
 
1499年に方丈を建立、石庭もこの時期に築造された。
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1979年に方丈等を焼失。現在の方丈は1606年建立の龍安寺塔頭寺院、西源院の方丈を移築したものなのだそうです。(以上、Wikipedia、龍安寺公式サイト)
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鏡容池を過ぎて庫裡に向おうとする参道の桜、シダレ桜が満開状態で迎えてくれて、また興奮。
 
相変わらずの似たような写真の羅列になります・・・後でさらにすごいことになるのですが・・・
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庫裡にはいる手前の右脇に大きなシダレ桜があり、またまた大勢のカメラマンを集めていました。
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ようやく石庭にたどり着きます。びっしり人が並び、声を発していなくても、なんとなくざわざわしていて、じっくり鑑賞する雰囲気ではありません。
 
写真を撮ろうとしているとどんどん、カメラの前に廻り込んで写真を撮ろうとする人がでてきて、なかなか大変です。
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人混みは自分もその中の一人で、文句は言えません。それとは別に、石庭と歳月を感じさせる土塀に背景を彩る、シダレと桜の樹が融け合って、素晴らしい雰囲気です。
 
皆が立ち去り難く、さらに人波が重なって行きます。
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この土塀は油土塀と称し、土に菜種油を練り混ぜたもので、環境変化に強く、長い年月を耐え忍んできているのだそうです。 
 
公式サイトの説明に、石庭の面は塀の外側より80センチ高く造られていることも強度を高める工夫であるとありますが、そうすることが、強度を高めることになるのだろうか・・・
 
遠近感を高めるための土塀の高さの工夫など、様々な意匠が施された興味の尽きない庭ですが、人波の後ろに立って眺めていても、そう言う説明書きは除いて、さらに、人を惹きつけて止まない庭であることが良く判ります。
 
以前に訪れた時も、人波にもまれながら落ち着いてみることが出来ませんでした。人の少ない時に訪れて、ゆっくり座って見たい・・・と言うのは無理なことなのかもしれません。
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石庭を後にして、先程参道を歩いている時に鏡容池に沿って咲いていた桜を、池の反対側から撮ろうと・・・
 
その前にシダレ桜の林にぶつかり、大興奮となります。
 
大興奮はいいのですが、気持ちが行くばかりで、どう写真を撮るのが良いのか、訳がわからなくなってただただ、シャッターを押しまくるだけ・・・
 
写真を整理していて、これだと言う写真がなくて、いざという時にこそ、構図や写真技術のお勉強不足が露呈してしまうなと反省です。
 
Kiss4を買ってもう2年経つと思いますが、遅ればせながら、写真の撮り方の入門編を勉強しよう、その前にほとんど読んでいない取説を読んで、カメラのことを知らなければと・・・あまりハードルは上げん方がいいか・・・
 
ということでここは似たような写真を並べてお茶をにごします。c120415771.jpg 
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シダレの脇に白い、八重の桜もありました。
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石庭、シダレ桜の林と立ち去り難い思いの2乗倍を重ねて、鏡容池に向かいます。
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大分時間が経ちました。池のほとりに湯豆腐屋さんがあります・・感じの良さそうな庭が覗けますが、今から湯豆腐で昼飯は重いなと・・・
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庫裡、石庭に向う時の参道で見た桜を対岸から眺めます。
 
今年の上野や、3年前くらいの三井寺のようにむせかえる様な桜の洪水には巡りあえなかったけど、シダレの乱舞やこの池に映る桜と収穫は十分あったなと満足します。
 
ともかく今の内に色々廻っておかねば・・・今年は桜が遅いという情報で惑わされて、盛りを逃したり、週末になると天気が悪くなるという悪条件が重なりました。
 
来年はさらに桜シフトを強化して、色々廻らねば・・・
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諦めきれずに山門の近くでしつこく写真を撮ります。
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たどり着いた等持院は臨済宗天龍寺のお寺。
 
足利尊氏の墓所で、尊氏自身が1341年に建立したと言う説と尊氏の弟の足利直義が1338年に開基したと言う説があるのだそうです。
 
霊光殿に足利家代々の像がガラスケースに並んでおられました。生々しい感じで少し異様な雰囲気。撮影禁止でした。
 
全体的には桜とは無縁と言う感じで、茶室のある、落ち着いた庭園が印象的でした。c1204151036.jpg 
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等持院の受付でここに一番近いバス停を訊きます。裏の立命館大学を通り抜けると正門のところで駅に行くバスに乗れるとのこと。
 
通り抜けてもいいんですか?通り道として大学も認めてくれていますから大丈夫ですよとのこと。
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裏門をくぐって入った大学の中の桜はまだ若い感じの桜が多かったし、盛りをすぎていましたが、良い感じでした。
 
隠れた桜の名所だなと・・・
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朝から昼休みもなく歩きとおし、かなり疲れ果てて、バス停に到着。京都に向います。 

途中、バスの車窓から見た平野神社の桜が満開状態でした。夜奥さんから電話あり、話していたた時に、哲学の径の桜をテレビで紹介してたけど綺麗だったよと。
 
今回、京都の中でも向かうところが少し外れていたのかも知れません。でも妙心寺退蔵院と龍安寺の桜を堪能できたので十分満足でした。
 
休日のサンダーバードは時々座れない場合があるので、緑の窓口に寄って帰りの切符を確保、駅前の地下街で日本酒と「おばんざい」で昼食兼夕食をとりました。
 
ようやく京都の桜の整理が終わりました。
 
気が付くと撮影日(4月15日)に対して記事が一カ月遅れになっています。今年初めに滞貨一掃して順調に記事を書いていたつもりでしたが・・・
posted by くまじい at 08:25| Comment(0) | 花風景

2012年05月13日

京都の桜 妙心寺

仁和寺を後にして妙心寺に向かいます。 
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<退蔵院 シダレ桜>
 
正法山(しょうぼうざん)妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山。開山(初代住職)は関山慧玄(かんざんえげん)、開基(創立者)は花園法皇。  

妙心寺公式サイトの中に「境内案内」があり、地図が記載されています。地図では、龍安寺も境内の塔頭の一つと読める記載がされています。 
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<妙心寺北門前の京料理萬長さん 並んでるのであきらめました。>
 
塔頭の意味を確認すると、禅宗のお寺で祖師や高僧の死後、その弟子が師の徳を慕って、墓塔の頭(ほとり)に建てた小院を指す。
 
それから転じて、寺院の敷地内にある、高僧が隠退後に住した子院のことも塔頭と呼ぶようになった。 」(Wikipedia) 
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<北門前の民家の塀に鉢植えが並んでいました。>
 
塔頭と言う呼び方は、したがって、「敷地内の寺院」というこになり、かっての妙心寺の寺域が龍安寺までも含む広大なものだったということなのでしょうか。
 
龍安寺公式サイトの龍安寺の説明には「妙心寺第五世の義天玄承の開山による妙心寺派のお寺とありますが、妙心寺との関わりについては記載されてはいません。
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昼飯をどこかでと思いながら、フランス料理屋さんのランチ3,500円というのがあったけど、重そうだなと敬遠。
 
めぼしいところがないまま、妙心寺北門まで来ると京料理萬長さんの前にお客さんが並んでいます。良さげだけど、ちょっと並んでいる時間がもったいない。
 
とりあえず、妙心寺にお参りして考えようと・・・ 
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<妙心寺公式サイトにでていた2007年「そうだ京都へ行こう」ポスター>

妙心寺は法堂、仏堂などの本来の妙心寺の周囲を数多くの塔頭が並んでいます。結局、桜を求める余り、結局、妙心寺御本体をパスして、塔頭巡りで終始する結果となってしまいました。
 
法堂の天井に描かれている狩野探幽の「龍」は桜や紅葉がからまない時期に、またお参りにくることにします。
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<石田三成一族菩提寺の壽聖院>

正直いうと仁和寺で御朱印帳を忘れていることに気が付いて、すこし、お寺参りの気持ちが萎えていたこともあるかもしれません。
 
左右に塔頭が並ぶ参道を歩いていると右手の奥に塀の上から少し盛りが過ぎた感じの桜が顔を出しています。 
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<石田三成一族菩提寺の壽聖院>
 
石田三成一族菩提寺と記載のある壽聖院でした。
 
「読みにくい看板なのですが、慶長4年(1599年)三成が父正継のために伯蒲恵稜禅師を開基(開山?)として創建した。
 
石田三成の嫡男重家が関ヶ原の後伯蒲により、当寺で出家し、当院第3代となり、石田家の墓を供えた。」
 
とあります。
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<石田三成一族菩提寺の壽聖院>
 
ホームページ「兜‐KABUTO‐」に壽聖院の説明があり、自分が通って来た妙心寺の「北門」がもともと壽聖院の東門であったこと、隣の天祥院の門が「西門」であったこと、狩野永徳の庭を備えたお寺であること等が記載されています。
 
門をくぐってみたのですが、人を受け入れる様子はなく諦めてもとの道に戻ります。一般への公開はしていないということを上記オームページで知りました。
 
その他の塔頭も公開されていないところが多い様で、門のところで立ち入り禁止になっている所の方が多い様でした。妙心寺の塔頭については、公式サイトでは詳しい紹介がありません。
 
ケータイde妙心という携帯のサイトに全塔頭の簡単な紹介がされています。さっそく携帯にブックマークしました。
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<智勝院 稲葉貞通が父一鉄の菩提をとむらうため、大光普照禅師を開祖として開基、1597年>

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<春光(巌)院 松江藩主堀尾吉晴が長男の菩提を弔うために建立 1590年>
 
徳川家光が春日の局を弔うため開基した麟祥院が公開されていて、「龍」の襖絵があるとのことでしたが、パス。

大法院にたどり着きます。
 
松代藩主真田信之(真田幸村の兄)の菩提所として孫娘にあたる長姫(千種有能の室)が1625年に開基、開祖は淡道宗廉。
 
気が付きませんでしたが佐久間象山のお墓もあるのだそうです。
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大法院は京都観光/堤タクシー「京都ぶらり旅」の庭園案内に紹介されており、牡丹と紅葉の見所とされています。
 
入り口にそれ程大きい樹であありませんが、綺麗に花を付けている桜がありました。
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こじんまりとしたお寺ですが、茶室の立たずまい、可愛い庭が心を落ち着かせてくれます。
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拝観料には抹茶とお菓子の代金が含まれていて、庭を眺めながらお茶をいただきます。
 
結局これが今日の昼飯になります。
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庭は路地庭といい、お茶の道で磨かれた庭ということのようです。しばし、桜プレッシャーから解放されて、ぼんやりと雰囲気に浸ります。
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妙心寺拝観の受付を通り過ぎて、退蔵院に向います。
 
開祖は妙心寺無因宗因(興文円慧禅師)。波多野重通の建立になり、応永11年(1404年)創建。長禄年間(1457〜60年)以前に妙心寺境内に移建された。
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如拙(じょせつ)筆「瓢鮎(ひょうねん)図」(国宝) のコピーがありました。
 
「宮本武蔵が愚堂禅師を求めて参禅した頃、この瓢鮎図を前に自問自答したという寺伝があり、武蔵自作の刀のツバにはこの「ヒョウタンと鯰」がデザインされているものが現存するといいます。
 
「鮎」は日本では「アユ」であるが中国では「ナマズ」になる。「鯰」は日本で作られた「ナマズ」の国字。
中国では「アユ」を「香魚」と書きます。」(退蔵院公式サイト
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余香苑の入り口の石庭のところに3,4本のシダレ桜が枝を広げており、自分の様なカメラ好きが群がっています。
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余香苑を奥に進むと緩やかに下って行き、途中、水琴窟を奏でて、池にたどり着きます。
 
実際の水琴窟はこの隣にあるイシコロを並べたところなのですが、撮った写真が面白くないので、水琴窟を鳴らすための水源の写真を・・・
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退蔵院の公式サイトに水琴窟の原理図がありました。適度な大きさの素焼きの甕を使用しないと、良い音が出ないのだそうです。
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一番奥までくると茶室があります。茶室の前にも大きなシダレ桜がありました。
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池越しに入り口方面の桜を見上げます。仁和寺も人出はすごかったですが、退蔵院の池のほとりも団体さんも含めて大勢の人が密集しています。
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退蔵院を出て、再度、妙心寺の拝観は諦めて、大心院に向かいます。地図によると通年公開とありますが、本日は行事があり、公開中止とのこと。

桂春院に向います。桂春院は開祖は妙心寺七十三世の水庵宗掬(心華霊明禅師)。津田秀則により慶長3年(1598)、創建。
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津田秀則は織田信忠の次男、織田秀則を指す。(別人であるとの指摘もあるのだとか)
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寛永8年(1631)に貞政が本堂を再建したとき、桂春院と改号し、またこのおり、長浜城から茶室、書院等を移建し、現存の方丈(ほうじょう)は当時のものである。
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苔の上に散った桜の花びらが模様を造りつつありました。
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桂春院からでて、北門の通り(一条通り)にでて、そば屋でもと探しますが見当たりません。まあ、時間的にも3時になっているので、もう昼飯は諦めるしかなさそうです。
 
当初、行った事のない所優先で、龍安寺はパスして等持院に向おうと思っていましたが、せっかく近くにきているのだから寄って行こうと。
 
ちょっと遠回りになってしまったかもしれませんが、龍安寺を目指します。
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今回の中で一番写真の枚数を費やしたのが、結局は龍安寺で、シダレ桜の林は見物でした。
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posted by くまじい at 01:45| Comment(0) | 花風景